トラブゾンとスメラ僧院 (トルコ) : 断崖の修道院と民族の交差点
[ 西アジア略地図 ]
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                                                               スメラ僧院


 イスタンブールから直行バスで19時間、黒海沿岸の街、トラブゾン。このまま東へ向かえば4時間程でカフカス(コーカサス)のグルジアとの国境だ。トラブゾンは紀元前後、ギリシャ人の殖民によって開かれ、ヨーロッパ、ロシア、ペルシャ、カフカスを繋ぐ通商の要衝として栄えた。
 街から50km程内陸に入った山深い渓谷の岩山にへばり付くように、隠れキリスタンの修道院、スメラ僧院がある。始まりは4世紀だが、現在の建物は13~14世紀、オスマン・トルコの時代の物。当時もこの地方の住人はポントス人と呼ばれ、イスラム教徒とは一線を画していた。
 第一次世界大戦で敗北したオスマン・トルコはセーブル条約で小アジア(アナトリア半島)以外の領土を失い、更に小アジアの一部もギリシャに空け渡していた。国家存亡の危機にケマル・パシャ(アタチュルク)率いるトルコ国民党の革命でオスマン・トルコは共和国に生まれ変わり近代化路線を歩みだす(参照)。その過程で、アンチ・セーブル条約の気運から、ギリシャと戦争になり小アジアからギリシャを排除する。この結果、住民交換が行われるに至り、ポントス人の多くはギリシャに送還されることに成る。


スメラ下の渓流                                               スメラ僧院への登りから
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 スメラ僧院は日本の清流のような狭い渓谷の高い断崖の中腹にある。車の入る道から小一時間は急な道を登らなければならない。まさに人里離れた隠れ修道院だ。現在も実に見事な数々のフレスコ画が見られる。写真のフレスコ画に見られる羽を広げた天使の姿を確認できるだろうか。オリエントの有翼天人像が西に伝わってキリスト教の天使は羽を持つことになり、東に伝わって仏教に飛天が生まれた。羽の代わりに羽衣を纏い女性の姿をした飛天はシルクロードを渡りガンダーラから中央アジア、そして敦煌から果ては日本にまでその姿を残すことになる。大昔に書かれたこの天子も法隆寺の飛天と共通の祖先から生まれたのだ思うと、なにか不思議な気持ちがする。


スメラ僧院内部                                                スメラ僧院のフレスコ画
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 現在のトラブゾンは、黒海沿いの幹線道路の直ぐ近くまで迫った急峻な断崖の上に開けている。近代的ではあるが落ち着いた美しい街だ。街の中心である広場から海岸公園に下りる道ある。夕刻、この坂から見る黒海に沈む夕陽は実に美しい。郊外にはこの街の象徴のようなアルメニア様式の教会・アヤ・ソフィア寺院があり、現在ではそれ自体が博物館になっていて色鮮やかなフレスコ画を観ることができる。


アヤ・ソフィア寺院博物館                                        キリム(絨毯)を洗う婦人
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 ところで、ソ連崩壊後、この街には多くのロシア系の商人が押し掛けた。また、多くのチェチェン人難民達が集まり、通過して行ったのもこの街だ。港近くの海岸通り脇に300mは続くかと思われるアーケード(半透明の天井を付けたトンネルのような造り)があり、そこがロシア・マーケットに成っていて日用品などを並べた露天が延々と連なっている。夜、この近くの飲食店には派手な衣装を着たロシア系女性達が屯し、なにやら怪しげな様子になる。国境の街というのは何時の日、そして良くも悪くも文化や民族の混ざり合う場所なのだ。


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                                                        トラブゾン郊外と黒海
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by meiguanxi | 2009-01-07 19:08 | 絲綢之路Ⅲ[西亜]
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