ヴァルジア遺跡 (グルジア) : 石窟修道院と岩窟都市
[ カフカス略地図 ]
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                                                        ヴァルジア遺跡遠景


 アルメニア国境西側からトルコ国境東側に掛けた地域をサムツヘ・ジャワヘティ地方といい、嘗てはメスヘティと呼ばれていた。このうちアルメニア国境付近がジャワヘティ、トルコ国境付近がサムツヘだ。アハルカラキの記事で載せた写真の宿の名前がジャワヘティだった。アハルカラキからこの地方の中心の町であるアハルツィヘに到る道の途中、ヘルトヴィスイという所の丘の上に10世紀の城塞が建っている。ここから未舗装の道を南に反れて20km、トルコ国境間近にヴァルジアの洞窟修道院と岩窟都市遺跡がある。
 石窟遺跡と言うと敦煌およびウイグルスタン (現新疆ウイグル自治区) のベセクリク (トルファン) やクズルガハ (クチャ) の仏教遺跡、南イタリアで現在も使われているマテーラの洞窟住居、そしてトルコのカッパドキアなどが思い起こされる。洋の東西を問わずこのような建築様式が存在したことは不思議なことだ。ただ、ここヴァルジアの石窟修道院は、カッパドキアがキリスト教徒の隠れ修道院として建設されたのに対して、そもそもは要塞として着工されたものだ。


ヘルトヴィスイの城塞                                                 ヴァルジア遺跡
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 断崖の側面に6層に穿たれた窟の数は600、その全てが内部で繋がっているという話だ。12世紀にギオルギ3世によって始められた建設はその後、その娘でグルジア史上初の女王であるタマラによって修道院として完成した。
 タマラ女王の時代はグルジアの王朝が隆盛を極めた時代で、南カフカスから一部は現在のトルコ領にまでその版図を広げた。時おりしも1204年に東ローマ帝国 (ビザンチン帝国) の首都コンスタンティノポリスが第4回十字軍によって陥落する。十字軍がビザンチン帝国の首都を攻めたというのは以外かもしれないが、侵略とはそもそもが自分本位な利益の略奪に過ぎない。ビザンチンの皇族達はアナトリア (現トルコ共和国) の各地に散って小国を建て、やがてそのうちの一つがコンスタンティノポリスを奪還して東ローマ帝国を復興するが、嘗ての輝きを取り戻すことはなく、やがて1453年にオスマン・トルコによって滅ぼされることになる。さてこの首都陥落の時に造られた亡命政府のひとつがギリシャ系のトレビゾンド帝国なのだが、タマラはこの建国を支援したとされる。トレビゾンドとは嘗て書いたトラブゾンのことで、もともとギリシャ人の入植によって造られた町だった。国境の近くを歩いているとこのようにして歴史が繋がることがある。だが、現在のヴァルジアは荒涼とした廃墟だ。


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                                                       石窟修道院の天井画


 僕の場合には贅沢をして早朝のアハルカラキで寂れた市場前に屯していたタクシー・ドライバーと交渉したので、ヴァルジアまで1時間、ヴァルジアからアハルツィヘまで1時間20分の快適な移動だった。しかし本当はこの辺りの交通の便は決して良くない。アハルツィヘから1日に1本バスがあるが、帰路は翌日になる。遺跡近くの村に宿はあるようだ。その他はアハルカラキ行きをヘルトヴィスイで降りて20kmをなんとかするしかない。アハルカラキから直行のバスがあるかのかどうかは不明。


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                                                     ヴァルジア村付近の景観
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by meiguanxi | 2009-01-17 16:57 | カフカス
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