アハルツィヘ (グルジア) : 博物館学芸員とドンキー・モンキー
[ カフカス略地図 ]
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                                                                城塞跡


 アルメニアという国へ陸路で旅行する場合に厄介なのは、東隣のアゼルバイジャン、西隣のトルコとの間の国境がいずれも閉鎖されていることだ。南隣のイランとの国境は開いているもの、交通の便がすこぶる悪い。従って多くの旅行者の場合、グルジアから往復することになる。アルメニアとグルジアとの間には3つの国境が開いているが、交通の利便性上、3ヶ所の真ん中にあるムガロンというポイントを通過するケースが多いと思われる。とは言え同じ国境を戻るのでは能が無い。僕がアルメニアの首都イェレヴァンからわざわざ最も西にある辺鄙なニノツミンダの国境を通ってアハルカラキとう辺境の町に立ち寄った理由の一つだ。そしてもう一つの理由がヴァルジアの遺跡を見ることだった。
 だからアハルツィヘに宿泊することになったのも、ここを目的にしてのことではなく、ヴァルジア遺跡がアハルカラキとアハルツィヘの中間に位置していたからに過ぎない。ガイドブックには特に観光目的になりそうな物に関するアナウンスはなかったし、この町もアハルカラキ同様に淋しい所なのではないかと想像していた。ところが、着いてみるとなかなか明るい町だったのだ。


川沿いの家並み                                                     川沿いの風景
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 グルジアはその南辺の東部がアゼルバイジャン、西部がトルコ、その間がアルメニアと国境を接している。アルメニアとの国境線の西部付近をジャワヘティ、トルコとの国境線の東部付近をサムツヘといい、この両者を合わせたサムツヘ・ジャワヘティ地方というのが一つの行政区になっている。以前はメスヘティと呼ばれていた地域だ。メスヘティア・トルコ人という民族をご存知だろうか。メスフ人とも呼ばれる彼らは嘗てのこの地域の住人で、1944年にスターリンによって中央アジアへ強制移住させられたムスリム (イスラム教徒) だ。少なからぬ人々がこの過程で命を落としたという。民族とは言っても元々はトルコ系やアゼルバイジャン系、クルド人、イスラム化したアルメニア人やグルジア人だったのだが、移住先での地元民との軋轢からアイデンティティを一つにしていったようだ。ソ連崩壊後、帰還運動も起こったが、この地域ではアルメニア系住民 (キリスト教徒) との間に緊張関係が発生すなど未だに多くの問題を孕んでいて、現在も中央アジア諸国やロシア、アメリカやトルコに分散しているのが実情のようだ。
 現在のサムツヘ・ジャワヘティ地方の主な住民はグルジア人とアルメニア人で、アハルツィヘには一定のユダヤ人も歴史的に住んでいる。だがジャワヘティにアルメニア人が多いのに対して、サムツヘはグルジア人の割合の方が多いようだ。これは実際に行ってみれば分かることなのだが、言語的に古欧州語に分類されるアルメニア人の容貌は比較的に中東的で、カフカス諸語という或る意味で孤立的に分類されるグルジア人の容貌がヨーロッパ的なのだから不思議だ。アルメニアの歴史が多難なものであった証しだとも言えるのだろうか。僕は中東やイスラームに好意を持ってはいるが、一人で旅を続けていると段々と疲労のような物が溜まってくるのも確かで、欧州的な顔立ちの人々にほっとしたりもする。僕の中にも沢山の偏見や差別がある証しかもしれない。久し振りに天気が回復したことも、気分を明るくさせた大きな理由ではあるのだが。


アハルツィヘ俯瞰                                                         牛飼い
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 アハルツィヘはメスヘティ (サムツヘ・ジャワヘティ) 地方の中心の町とはいえ町自体には見所は無いと思っていたのだが、町外れの丘の上に城塞跡があり、そこにメスヘティ地方とアハルツィヘに関するけっこう立派な博物館があった。人が来た時にだけ開けるみたいで、感じの良い女性が付きっ切りで英語の説明をしてくれた。彼女の存在は実に特筆に価する。博物館が3フロア、城塞の中の教会 (元々はモスク) やバザール跡、ロシア軍の駐屯していた跡といった敷地内を案内してくれ、別棟のカーペット等の展示室も見せてくれた。ざっと1時間半位は説明してくれたのではないだろうか。それでたったの0.5ラリ (当時約25セント程度) だった。彼女の落ち着いた感じの良さとその熱心な仕事振りは、僕の気分をますます良好なものにした。
 今の街の中心 (宿はそのまた中心にあるのだが) は新市街で、彼女の説明では元々は川向こうの城塞の周りの斜面が町だったのだそうだ。そして川から向かってその右側にはユダヤ人地域が広がっていたらしい。その旧市街にはこの町で初めて建てられた教会が廃墟になっていたり、トルコ時代のハマム跡のドームが見られたりする。川の景観も美しい。期待していなかっただけにアハルツィヘの印象は相当に高くなった。


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                                                            教会跡の廃墟

羊飼いの家族
b0049671_1912750.jpg 夕食を摂りに入ったレストランで出してくれたのは羊か牛かはっきりしないのだがトマト風味のシチューで、とは言ってもこの辺りによくあるトルコ風のものではなく、ブイヤベースに良く似た味でとても美味しかった。これがハルチョというものだろうか。若い男達が注文したヒンカリ (中央アジアで言うマントィ、新疆のマントゥ、羊肉の餃子を茹でた物) をひとつ分けてくれる。明日もおいでみたいに言われたが、残念ながら明日も移動だ。ビールを買いに入った店の夫婦は、日本人の若い夫婦からの手紙を見せてくれる。トビリシで彼らを泊めるか何かしたものらしい。良い旅をしている人たちもいる。そしてこの国の人達は自分達でもそう自覚しているように、とてもホスピタリティ豊かな人達だ。
 だが無責任な旅行者が感じるものと、そこで実際に生活している人達が感じることは同じではない。夕方散歩していると初老のガッチリした男に英語で声を掛けられる。周りには彼の友人の男達が数人いて、彼は自慢げに僕の話を通訳した。日本は良い国だと言うので、そうは思わないと答える。当時、グルジアの大統領はシュワルナゼだった (参照)。ソ連でペレストロイカを推し進めたゴルバチョフ大統領時代の外務大臣で、ゴルバチョフが政権維持の為に保守派と妥協した時に 「独裁がやって来る」 と演説して辞任した人物だ。独立の際の内戦で混乱した国内を纏めるために請われて大統領職に就いたのだが、ロシアの圧力と欧米の思惑という難局の中で経済の回復は思うに任せなかった。
 「見てみろ、俺達の町の汚らしさを。グルジア人の95パーセントはドンキーかモンキーだ」 と初老の男は自嘲して笑ってみせた。この4年後、「薔薇革命」と呼ばれる無血クーデターが起き、シュワルナゼは政権を追われることになる (参照)。アメリカの思惑が働いたとも言われるこの政変がその後のグルジアにとって良かったのかと問われると、僕にはあのシュワルナゼの憂鬱そうな表情を思い出すしかないのだが、あの日、自らの生活をドンキー・モンキーと揶揄した老人の生活は少しは好転したのだろうか。
 いや、いずれにしても去年 (2008年) のロシアとの軍事衝突は、例え直接の接触は無かったとしても彼の周りの多くの物を生活から奪って行ったに違いない。彼らは美しく友好的な人々で、素晴らしい文化と歴史とを有し実に美味しいワインを作ることのできる人々だ。彼らの上に爆弾や銃弾は要らない。そこに居るのは決してドンキーやモンキーではないのだということを、大国の指導者や資本家は知るべきなのだ。


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                                                          羊飼いの子供達
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by meiguanxi | 2009-01-18 19:03 | カフカス | Comments(4)
Commented by はぶ at 2009-01-29 22:57 x
没さんオブログ読むたび、カフカスがチベットより西にあってよかったとつくづく思います。あまりにも問題の糸が多くて、尚かつ絡まり縺れ、私の単細胞はフリーズしたままです。
ところで、ひたすら我慢するしかないドンキーの喩えは何となくわかるんですが、グルジア人にとってモンキーはどんなイメージなんでしょうね?
最初「猿まわし」の猿のニュアンスで考えて、でも、あの辺りに猿回し的なものがあったかな?という疑問がおこりまして。ま、老人はそこまで考えずに愚か者くらいの意味で使ったんでしょうけど。それとも日本人相手だからイエローモンキーの連想から出てきたのかな。
とはいえ、身の丈に比べてあまりにも大きすぎる政治のお荷物を背負わされているグルジアは、確かにロバですね。
Commented by meiguanxi at 2009-01-30 19:06
オーーー! オ?
僕は少しグルジアに思い入れの強い書き方をしているかもしれないし、シュワルナゼに同情的な書き方もしているのかもしれません。よくマトリョーシカ構造って言われるんだけど、要するに旧ソ連が各民族共和国を囲い込むように支配していたのと同じ構造が、例えばグルジアならグルジアにもあって国内に少数民族を抱え込んで支配している。ひとりグルジアが正義だったり一方的に被害者だったりする訳ではないのです。かのスターリンだってグルジア人だしね。
ソ連崩壊で独立した多くの国が極端に民族主義的な独裁政権に成っていったことや各国での民族対立を見るにつけ、独立を求めるエストニア市民(リトアニアだったかな?)の説得の為に群集の真ん中に入って行って、「そんなに独立独立って言うのなら、まずロシアが独立だ!」って叫んだゴルバチョフの姿を思い出します。彼だってチェチェン初めそちこちの独立運動を軍事制圧しようとしたのだから無批判に持ち上げる訳にもいかないけど、でも、もう少しマシな着地点を見ていたんじゃないかなと・・・
Commented by はぶ at 2009-01-30 23:42 x
そっか、そっか。私のコメント、最初に「グルジア人」と書いといて最後に「グルジア」になって、民族と国とがゴッチャになってますね。様々な事情のモザイクがあまりに細かすぎて、いつも確認するだけで疲れてしまいます。ゴルバチョフの事も殆ど忘れてしまっているしなぁ…。
ちなみに、Googleで「グルジア モンキー」を検索したら、ここがトップでした。
Commented by meiguanxi at 2009-02-01 00:21
書いている方も憂鬱になるのだから、読まされる方は大変だと思います^^A;
この手の記事は書きっ放しだと、なんというか少し欲求不満になるんです。伝えきれない何かが残るというか・・・だからコメント欄でラフな会話で補足させてもらえると凄く助かる。
でもね、あのね、そのキーワード・・・だいたいあの辺りに猿はいないから!もっとマトモなワードでもそこそこ上に表示される記事だってあるんだから! あ、今この瞬間、google検索は壊れてるみたいで全国的にパニックみたいですが^^A;
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