ルアンナムター (ラオス) : 変わりゆく平和な停滞
[ 北部ラオ周辺略地図 ]
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                   ルアンナムターのメイン・ストリート (以下、写真は全て99年当時のルアンナムター)


 僕が初めてラオスという国を訪れた時には、日本で取得するヴィザ代は 2万円もした。僕の場合には中国雲南省の省都・昆明 (クンミン) で取ったのだが、それでも 2週間のビザで40米ドル (当時約4700円) した。しかもラオ国内では新しい県に着く度に、警察に出向いて入国カードにスタンプを押して貰わなければならないというシステムが残っていた。それが今ではヴィザ無しで入国できるようになったというのだから、変わったものだ。
 ところで、中国の町について書こうとする時、どうしても躊躇を感じる。僕が初めて中国に行ったのが90年、最も最近で2000年なのだが、変化があまりにも早過ぎて状況が全く違ってしまっているからだ。ところがここ数年はラオについても同じことが言えるようだ。以前、僕が雲南省辺りを度々訪れていた90年代前半、インドシナの国々はまだことごとく国境を閉ざしていた。カンボジアはご存知の通り内戦状態だったし、ラオやヴェトナムに関しても勝手に歩き回れるような状況ではなかった。その後、経済開放政策に舵を取ったヴェトナムとラオが、おそらく90年代中庸だと思うのだが、相次いで隣国との国境を開き個人旅行者が自由に歩けるようになると世界中から旅行者達が大挙して押し掛けた。僕がタイ以外のこの地域を初めて訪れたのが98年秋。ヴェトナムは既にバックパッカーたちのテーマパークのように観光地化されていた。彼らの商魂はかなり逞しいのだ。一方、年を越して訪れたラオは何処に行ってもまだまだ田舎といった面持ちだった。だが小さな町には不釣合いなほどの大量の旅行者達を見て、この国の素朴な風情が変わっていくまでには長い時間は掛らないだろうと感じたものだ。尤も、僕が行ったのは北部のみなので、中南部に関しては知らない。
 その後、タイからラオを通過してヴェトナムに到る東西経済回廊というハイウェイが完成、更に中国の先導で雲南省からラオを通ってタイへ通じる南北経済回廊も開通するに到って中国から大量の人と資本がラオに流れ込んだ。僕が訪れた99年や00年には殆ど見られなかった漢字の看板が、少なくと一部の町では溢れているらしい。
 と、まあ、長々と書いたがここではそれらに関して云々する積りではなく、要するに変わっちゃったと思うのでここに書くことは旅行情報としては役に立ちませんよという言い訳だ。更には、ルアンナムターに関してはさほど書くべきことを持っていないのだ。ここまで読ませて何を言ってるのかとご立腹の皆様には申し訳ない。


とうもろこし売りの子供達                                     バナナや砂糖黍などの甘味屋
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 さて、昆明から西双版納州 (シーサンパンナ) の州都・景洪 (ジンホン) までバスで24時間。と書くととんでもなく長く思うかもしれないが、90年当時には 2泊 3日掛ったことを思えば隔世の感がある。ここから 5時間で勐腊 (モンラー)、更にミニバスに乗り換えて2時間で磨憨 (モーハン)。小さな村の一本道を抜けると鬱蒼とした森林に囲まれた広場に出る。ここが国境マーケットになっていて、簡素で小さな店が数十件並んでいるのだが、僕が見た二回に限って言えば人通りは全く無い。この閑散としたマーケットの先に中国側イミグレーションの建物がある。00年当時は小さな村の役場といった面持ちの建物だったのだが、今や立派な近代建築に建て替えられているという。田舎の市場にすぎなかったマーケットも随分と変わったことだろう。このイミグレの前に幌付きの軽三輪自動車が停まっていて、荷台に 6人ほどが乗り込める。森の中の細い道を 2kmほど進むと突然森林が開ける。そこがラオ側のイミグレーションと国境市場のあるボーテン。こちらも到って閑散としているが、開けている分、中国側より明るく感じられた。今は中国資本の立派なホテルが建っていて、そこではラオ国内だというのに中国語しか通じず中国元しか使用できないのだそうだ。因みに、今はこの国境を挟んで双方の大きな町を往復する国際バスも走っているらしい。
 このマーケットの前の未舗装の駐車場がバス・ストップに成っているのだが、チケット・ブースも時刻表も何も無い。普段は何台かのトラックが停まっているだけだ。中国とラオとの時差は 1時間。イミグレの開くのを待って中国側を 9時過ぎに出国すれば、ラオには遡って 8時過ぎに着いてしまうという訳だ。やって来るバスやトラックに声を掛けながら目的地への乗り物を待つ。バスがバスの形をしているとは限らないからだ。この国境を同じ方向から 2回越えたが、初めにやって来るのは南に下るウドンサイ行き。世界遺産であるルアン・パバーンへ向かうのならこれに乗る。運が悪くとも 3時間程も待ては西に向かうバスがやって来る。ルアン・ナムター行きだ。


軒先の父子                                                        庭に集う家族
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 ラオの山は雲南省の多くの場所とは違って豊かな原生林が広がっている。鬱蒼とした熱帯の樹木が茂っている。ただし道は到って悪い。酷くバンピーでやたらとダースティだ。窓や継ぎ目から容赦なく土埃が入ってくる。整地してしまった熱帯樹林帯の道というのは、乾季にはパウダー状に乾燥してしまうのだ。一番後ろの席になどに座っていた場合、あっという間にシャツの裾やズボンが真っ白になる。勿論、先にも書いた通り経済回廊が開通したということだから、少しは良くなったのかもしれない。
 ボーデンから20kmほど南下した所でウドンサイへの道から分かれる。そのまま南に下るとウドンサイ、右折して西に向かえばルアンナムターだ。その分かれ道のほんの一画だけ賑やかな集落がある。といっても数件の簡素な商店があるだけだ。場所の名前は分からないのだが、ここでは鮮やかな衣装を着たモン族の人々を見ることができる (ボーテン参照)。和服をだらしなく着たような黒、または濃紺の藍染の衣装で、襟や前合わせの部分には真っ青な縁取りがある。ショッキング・ピンクの帯を締め、大概は頭にピンクの格子柄のタオルのような布を巻いているか、紫の房が付いた黒い筒帽のようなものを被っている。婆さんから小さな女の子までそういうものを身に着けているのだ。この辺りではまだまだ民族衣装や伝統が日常生活の中に残っているのかもしれない。


酒の蒸留だろうか                                       おそらく脱穀しているのだと思うが
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 バスは 2時間ちょっとでだだっぴろい閑散とした町の広い駐車場に着く。ルアンナムターだ。バスターミナルというよりは所々草が生えるに任せた空き地といった感じだ。町もだだっぴろいとは言ってもそんなに大きな町というわけではない。真っ直ぐな道が伸びていて、高い建物も賑やかな商店街も見当たらないので、その閑散とした様子がだだっぴろく感じさせるのだ。その真っ直ぐな舗装道路がメイン・ストリート、他にはそれと並行する裏道が一本と、それらと交差する路地が所々にあるといった程度だ。ところがこれを書くにあたって Google Earth を見てみたのだが、どうもルアンナムターの町は僕の知る範囲より遥かに大きく膨張しているようだ。それとも当時の僕が歩かなかっただけなのだろうか…そんな筈はないと思うのだが。
 いずれにしても僕の知るルアンナムターは取り分けて何があるという町ではない。多くの旅行者はここを基点に中国国境に近いムアンシンという村に行くか、或いは更に西に向かってタイとの国境でメコン流域のフェイサイに向かうために立ち寄る程度だろう。ただ近郊にはヤオ族、アカ族、モン族など沢山の山岳少数民族の村が点在していて、それらを巡るトレッキングをアレンジする店が何軒かあり外国人には人気のようだ。周囲には高床式の住居も見られ、主食のもち米を脱穀しているのか婦人が臼に長い杵を突いていたり、道端の露天で何かを売っている子供が来ない客を待っていたりするような、静かでのんびりした町だ。運が良ければ制服を着た子供達の下校姿を見ることができるかもしれない。この制服、どう見てもランテン・ヤオ族の民族衣装がデザインされているのだ。ラオスでは民族問題を同化政策で昇華させる方針を採っているで、ラオルム (低地ラオ)、ラオトゥン (丘陵ラオ)、ラオスン (高地ラオ) という3つの民族グループに分けられているだけで各々個別の少数民族は公式には認められていない筈なのだが、このような到って個別民族色の濃い制服は認められているのだろうか。


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                                     ランテン・ヤオ族の民族衣装と思しき制服の子供達
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by meiguanxi | 2009-03-17 21:49 | メコン流域
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