桂林 (guilin 広西壮族自治区) : 不機嫌な服務員と “売票”
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                                                              漓江の風景


 1990年当時、外国人旅行者に中国の印象を悪くさせていたものは、プライバシーの無い、そして恐ろしいほど汚れたトイレだけではない。それ以上に多くの旅行者たちをうんざりさせていたものは、旅行者達が日常的に接する中国人民たちの態度だった。駅の窓口やホテルのレセプション、町の飲食店や商店の店員たちだ。彼らにはおよそ客という概念が欠如していた。例えばホテルでは空き室があっても服務員の機嫌しだいでは 「没有」 と断られてしまう。中国語で 「無い」 という意味で 「メイヨー」 といった発音なのだが、これが取り分けて日本人には 「ねーよ!」 に聞こえたりするのだ。泊まって頂くのではなく、泊めてやるというのが彼らのスタンスだった。これは外国人に対する嫌がらせではなく、中国的社会主義の副作用産物だ。 「没有」 は当時の中国のキーワードのような言葉で、駅の窓口などでは特に苦しめられることになる。そして彼らは常に不機嫌だった。「売切れてしまって申し訳ありません」 といったメンタリティは欠片も無く、「うっせーな!そんなもん有る訳無いだろが!邪魔だ邪魔だ、さっさとどけ!」 と言っているとしか受け取れないような態度に感じられた。勿論これには中国語という言語の特殊性も関係しているのかもしれないが。いずれにしても当時の中国では売り手の立場が買い手に比して極端に高かったのだ。買い物をした場合の釣銭は投げてよこすというのが日常茶飯事だった。彼らは親切心や感謝といった言葉を持たないかのようだった。謝謝 (xiexie) などという言葉を中国の商店や飲食店で聞いたことが無い。また、中国の駅では駅員の指示が無ければホームに入れないのだが、列車が入線し駅員から指示があると席を確保しようとして、あるいは大量の荷物の置き場所を確保しようとして改札口に人々が殺到する。その乗客たちを台の上から女性職員が箒とか棒切れなどで 「押すんじゃない!」 とばかりにバシバシ叩く。まるで家畜運搬列車か囚人列車のようだった。いや、これらは公平な言い方ではないかもしれない。あくまでこの時代の大方の旅行者の印象としては、という意味だ。だがこの時の僕は全くそのように感じていた。


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                                                              漓江の風景

 なんとか確保した硬臥 (yingwo : 二等寝台) のチケットを持って広州 (guangzhou) から乗り込んだ列車は、19時間以上掛けて桂林 (guilin ) に着いた。言わずと知れたカルスト地形の山水画のような風景で有名な桂林だが、おそらく日本人のこの町に関するイメージを決定的にしたのはサントリー烏龍茶のCMだ。と言っても若い人たちには馴染みが薄いかもしれないが、1980年代後半には烏龍茶と言えば桂林の風景だったのだ。いや、勿論サントリー烏龍茶は福建 (fujian) 省の茶葉を使っているので桂林には関係ない。だがそれ以前は80年にNHK特集 (後のNHKスペシャル) が1年を掛けて放送した 『シルクロード ~ 絲綢之路』 だった中国のイメージを、すっかり桂林・漓江 (lijiang) の風景に塗り替えてしまったほど、それは当時の日本人の脳裏に刻まれていた筈だ。この烏龍茶MCのシリーズは今に到るまで続いているが、一時期、可愛らしい中国語で歌う日本の昔の歌をBGMにしたシリーズがあり、ブラウン管の中で清純そうな女の娘たちがはしゃいでいた。当時、 それを見て中国に憧れた友人に僕は言ったのもだ。中国に行くのは良いけどあの中国女性のイメージだけは一片残さず日本に置いて行った方が身の為だ、と。中国女性はそんなに甘くない。
 旅行者達に於ける桂林の評判もまた、美しいイメージとは裏腹だった。かつて日本軍が空爆し町を焼き尽くした挙句に占領した経緯から反日感情が強い、という理由ではない。桂林では日本語教育が盛んで、その副産物として怪しい輩が多かったのだ。騙されたりぼったくられたりといった話がゴロゴロしていた。だが、僕の桂林に関する印象は決して悪くなかったのだ。


独秀峰からの桂林郊外                                            漓江を筏で渡る村人
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 桂林といえば漓江下りだ。町には到る所に漓江下りツアーの看板があり、観光客争奪戦の様相を呈しているようだ。僕は泊まったホテルで前日に予約した。ホテルが運営しているものではなく、当日の早朝、ホテルでピックアップしてくれるシステムだった。ところが待てど暮らせど迎えは来ない。初めのうちは 「そのうちに来るわよ」 という態度だった服務台 (fuwutai : レセプション) の小姐 (xiaojie : 若い女性への呼び掛け言葉,お嬢さん) もついには運行会社に電話をしてくれた。彼女は 「困ったわね」 という顔をして、僕が座っているソファーにやって来た。要するに忘れられたらしい。「明日に予約を変更するから、今日は鍾乳洞を見学に行ったらどう?」 と彼女は言った。勿論これは運行会社の責任なのであって彼女やホテルの責任ではないのだから、小姐は決して謝ってくれたりはしない。中国語には 「ごめんなさい」 という意味の “対不起” (duibuqi) という立派な謝罪言葉があるのだが、僕が中国でこの言葉を聞いたのはたったの1回しかない。それもこの9年後、4回目に中国を訪れた時だ。それでもこの小姐は決して態度が横柄だったわけも素っ気無かったわけでもなかった。彼女は僕の持っていた町の地図 (小さな田舎町は別にして、中国の駅やバス・ターミナルには必ずその町の安価な一枚地図が売られていた) を広げ、鍾乳洞の場所と名前、何処のバス停から何番のバスに乗るのかを丁寧に教えてくれた。僕は中国語を理解できなかったし彼女は英語を殆ど話せなかったので、中日英ごちゃ混ぜの会話と筆談だ。鍾乳洞なんかにはあまり興味は無かったのだが、文句を言ったところで何かがどうにかなるわけでもない。このまま漓江下りを取りやめにして町を出て行くのならともかく、ホテルや運行会社に何らかの譲歩なり補償なりを期待しても無駄なのだ。
 このようにしてその日、僕は町の東側を流れる漓江対岸の七星岩 (qixingyan) と北に5km離れた郊外にある蘆笛岩 (ludiyan) という2ヶ所の鍾乳洞巡りをすることになった。しかしそれにしても、その後中国では他の場所でも鍾乳洞を見学したことがあるのだが、どうして中国の鍾乳洞は何処も七色のライト・アップをしてしまうのだろう。こっちは赤、あっちは青、という照明ではなく、あっちの黄色が紫に変わり、こっちの緑が茶色に変わるのだ。次々に変色していく。美しいというよりは落ち着かない。数万年の神秘とか自然への敬意や畏怖とか、とにかくそういう情緒が入り込む余地が無いのだ。やれやれ・・・。さて、それはともかく、蘆笛岩を見学すべくバスの終点で降りた時の話だ。


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                                                            桂林での川鵜飼


 中国のバスというのは時に無茶苦茶に混んでいる。東京のラッシュよりも酷い。しかも彼らは日本のサラリーマンのようにおとなしく静かになどしてはいない。バス停に着くと下りる人を押し返して入り口に乗客が殺到する。大きな荷物を持ち込んで座っている他人の足にこれでもかというほどそれを押し付ける。とにかく並ぶことのできない人たちだし、他人の迷惑などには頓着しない人たちなので、それはもう酷い状態なのだ。もっとも、これは当時はそう思ったということで、最近の日本はあまり中国人のそうした点を揶揄できる状態ではなくなってきたようにも感じるが。今の中国ではワンマンカーが当たり前になった (とはいっても当初、釣銭が出ないシステムだったのだが、あれは改善されたのだろうか) が、当時のバスには必ず車掌が乗っていた。中国では公的労働に関する限りほぼ完璧な男女同権なので運転手が女性のケースも多いのだが、車掌は概ね女性の担当であったように思う。そのぎゅうぎゅう詰めの車内を彼女達は後ろから前へ、前から後ろへ乗客たちの間をすり抜けて、いや押しのけて 「売票、売票!」 (maipiao) と叫びながら移動していく。料金を徴収して切符を売っているのだ。なにしろただでさえ立錐の余地も無い車内なのだから、彼女達の移動は更なる混乱を撒き散らしていた。中にはただ乗りしようとする輩もいるのだろう。彼女達は常に険しい目をして語気きつく怒鳴り捲くっている。「あんた何やってんのよ!さっさと払って!ほらそこ、どいてどいて!通しなさいよ!」 中国語は分からなかったが、多分そんな感じだ。なぜ中国の女性達はかくも常に不機嫌なのかと訝しく思ったほどだ。この時の蘆笛岩行きのバスでもやはり、怖いお姐さんが同じような光景を繰り広げていた。


牛追い (漓江流域の村)                                川で洗物をする婦人 (漓江流域の村)
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 バスは郊外の空き地のような場所に泊まった。他の乗客たちに押し出されるようにしてバスを降りたのだが、さて、どちらに行ったものか。なにしろ時間はたっぷりあったので、僕はしばらくぼんやりと周りを見回していた。後ろから笛の音がした。乗って来たバスが無人のまま引き換えして行くところだった。その車窓から車掌の女性が一つの方向に指をさしている。僕に行くべき方向を教えているようだった。今はどうか分からないか、中国では日本人と中国人、或いは中国人とまだ返還されていなかった香港人は一見して区別ができた。民族的形質の違いではない。服装や髪型、表情が作り出す雰囲気などが全く違っていたのだ。こんな町の外れまでやって来る外国人が行く所は鍾乳洞に違いないと思ったのだろう。僕は彼女の真似をして同じ方向に指をさしてみた。彼女はにっこりと微笑んで頷いた。あ、中国人の女性も人に微笑むことができるんだ・・・その時の正直な感想だった。そしてそれはある種、感動ですらあった。そして、車内では気付くことがなかったのだが、彼女はちょっとお目に掛れないくらいの美人だったのだ。僕はちょっと幸福な気持ちになった。いや、美人だったからではない。中国人の女性が、身も知らぬ外国人に微笑んで頼まれもしないのに親切にすることが出来るということを知ったからだ。きっと当時の彼女達が常に不機嫌そうに見えたのには、それはそれでそれなりの社会的理由があったのだろう。


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                                                      桂林と陽朔の間の村にて
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by meiguanxi | 2009-04-06 20:11 | 中国 | Comments(4)
Commented by はぶ at 2009-04-07 01:07 x
また興奮してます。
で、「売票」だったんですね。「マイピョウ!マイピャオウ!」を別に何の疑問もなく「my 票」と思ってました^^;
確かにバス車掌の不機嫌小姐は猛烈でしたね。一度、無賃乗車のオヤジを追いかけ取っ組み合いの喧嘩したのを見ましたが、負けずに乗車賃払わせましたよ。その彼女が私の拙い中国語にクスッとした時は感動したなぁ。それ以来、中国小姐の不機嫌な顔を見ると何とか笑かそうとしてましたが、ある意味、愛想笑いに慣れきった日本人にとっては、あの落差は衝撃でしたよね。もっとも、どんなに奇麗でも、歩きながら堂々と鼻くそほじったり、手鼻かまれた日にゃあ四千年の恋も黄砂と共に飛んでゆきます;;
ところで、鍾乳洞は日本も含めて行ったことないんですが、照明に限らず、漢族的な好みなんでしょうが、色にしてもデザインにしても煩いですね。それから観光名所に何かと書(しょ)を書いちゃうのも止めて欲しい。そういえばレッドクリフには思いっきり赤で「赤壁」としたためられているし(写真でしか見てないけど)。。。
Commented by meiguanxi at 2009-04-07 22:43
ばぶさん、中国好きなんじゃ~んww
うん、中国の女性は気が強いですからね。というか、農村は良く分からないけど都会では社会的地位がちゃんと同等なんでしょうね。あるいは党員や公共職の公務員は強いのかもしれないけど。ただ、少なくとも男女同権に関しては世界的評価として日本はかなり低いですよね。
日本で英語教師をしていたというイギリス人と麗江で話していた時、中国女性の気の強さに話が及んで、「でもね、六本木の女の娘より全然いいかな」と言うと、「その気持ちは良く分かる」って言われました。まあ、バブル全盛だったしねw
ところで、もうすぐ中国にも行くわけですよね。きっと はぶさんの知っている中国とも随分変わっているのでしょうね。中国のことも見てきて下さいね。
Commented by はぶ at 2009-04-08 00:22 x
だから中国好きですってブログにも書いてますでしょ!
でも確かに最近の中国人、それも都会はどうなっているか興味と不安で半々ですね。特に上海はいい印象があるので、そっと通過したいような…。
で、お知らせですが、二段構えプランに暗雲が立ちこめて参りました。金銭的にもう一度しっかり計算し直さないと・・・^^;;;;でも、9月は絶対です。
ちなみに、バブリーなお立ち台娘は全く未知の生命体で、私には理解不能でした。
Commented by meiguanxi at 2009-04-08 23:13
中国好きは知ってまんがなw
まあ、あれですよ、もともと1回で良い筈のことだし、旅行者にとっての今の状況はもうひとつ見えないけど、秋までに少し改善するといいですね。
だけど関ジャニは・・・無理です!腰、痛めまっせ;;
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