西寧 (xining 青海省) : 草原の街、チベットの境界
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                                                       飯屋の窓から見た街路

 西安 (xi’an) からシルクロードを西に向う場合、天水 (tianshui)、蘭州 (lanzhou) を経て北西に進み、北側に広がるテンゲル、バダインジャラン両砂漠と南側に横たわる祁連 (qilian) 山脈に挟まれた河西回廊を武威 (wuwei)、張掖 (zhangye)、そして酒泉 (jiuquan) から敦煌 (dunhuang) を目指すことになるだろう。だが僕は蘭州を列車で通過して、これら西域への道を南に反れた。1990年当時の僕が天水や蘭州の石窟寺院跡や磨岩仏にあまり興味を持たなかったからでもあるのだが、当時の西域のこれらの町並みを見逃してしまったことは、今から思えば残念ではある。いずれにしても乗った列車は蘭州の先から河西回廊へは入らず、その南側一帯に連なる山岳地帯を西に登る。チベット高原に源を発した黄河は蘭州を北上してオルドス (黄土高原) へ向かう。この先が黄河たる所以だ。蘭州の手西で西から交流する支流がある。青海湖から流れ出たこの湟水 (huangshui) を遡り列車は西寧 (xining) に滑り込む。。西安を出発してから23時間、青海省 (qinghai) の省都だ。


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                                                             清真飯店にて

 今僕はこの町のことを青海省西寧と記し、中国のカテゴリとしてエントリーすることに少しの躊躇を感じている。実はこの辺りが伝統的チベット地域と中国 (通歴史的意味に於ける支那) との境界であり、チベットのアムド地方に当たるからだ。先の黄河源流は青海高原ではないかという意見もあるかもしれない。だがその名称は公平ではない。中国ではチベット高原全体を青蔵高原 (“蔵” はチベットの意) と言い、中央部に横たわるタングラ山脈以北を特に青海高原と呼ぶが、青海という呼称自体が清朝以来の中国側による一方的な押し付けであるからだ。とはいえ、西寧に関してはチベット系のチャン族 (羌) が支配していたこの地域が前漢によって落ちのが紀元前121年。その後も複雑な歴史はあったのだろうが、西寧の町自体はチベット人、モンゴル人などの雑居ではあったものの一貫して中国の支配下で発展してきたのだろう。その意味に於いて、現在のこの町をチベット人の土地とするのには無理があるように思う。だが後にここが清朝による東チベット支配の基点になったのであり、それが中華人民共和国に受け継がれたのであってみれば、チベット人たちには譲れないところかもしれない。仮に将来、チベット亡命政府の求める高度な自治を実行するための交渉のテーブルに中国が着く時がきたなら、西寧とその東側省境までの一帯である海東地区は妥協の瀬戸際になる筈の場所だろう。西寧のチベット名はスラン。
 2007年にNHKで放送された 『関口知宏の中国鉄道大紀行』 でこの街を見た時、そうだとは分かっていたのにもかかわらず声を失った。そこに映し出されたのは市街区人口130万に迫る近代的な大都会だった。僕が訪れた1990年には本当に貧しい田舎町でしかなかったのだ。高層建築と呼べるようなものは殆ど無く、あったとしても無骨なコンクリートの箱といった様相の物が数棟だったと記憶している。青海省には歴史的に回族 (hui) も住んでいるのだが、特に西寧と海東地区には多い。回族はペルシャ人など西域の人々と漢人との混血、およびイスラーム化した漢人などが起源と言われるムスリム (イスラーム教徒) だ。だが宗教とそれに関する風習 (豚肉を食べないとか男性の白い帽子とか) 以外はほぼ漢族世界に同化していて、言葉も漢語を話す。甘粛省東部の北側に寧夏 (ningxia) という小さな自治区を持つが、居住地域は中国全土に渡り、漢族と雑居している。西寧の街でも中国語でイスラームを表す清真 (qingzhen) と書かれた飲食店を良く目にしたものだ。
 西寧市統計局によると90年当時の市街区人口は76万。人口だけとってみてもこの17年で実に1.7倍に増えた訳だ。中国の行政区分に於ける市は日本のそれとは違い、県よりも上位になる。西寧市の面積は熊本県や宮崎県と同じ程度で、2007年の市全体の人口は215万人になるのだが、そのうち農村人口は86万人。90年には84万だったので農村人口はさほど増加していない。都市部で増加したこの人口の多くは他の省から殖民してきた漢人だ。因みに西寧は清朝以来中国人の支配下にあったとはいえ、人民解放軍が侵攻して来た1949年当初の人口は僅か19万人に過ぎなかったのだ。元々の住人であるチベット人やモンゴル人は、この街では完全な少数民族になってしまっている。だが、この話は別の機会に譲ることにしょよう。


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                                                祁連山脈 (山脈の間の草原から)

 僕が西寧を訪れたのはチベットへの憧憬からだった。だがその道は、89年に起こった大規模な動乱によって個人旅行者には完全に閉鎖されていた。この時に弾圧を指揮した当時のチベット自治区書記が、現在 (2009年) の中国国家主席である胡錦涛 (hu jintao) だ。それでもせめて西寧近郊のルシャル (湟中県 : huangzhong) にあるクンブル (塔爾寺 :タール寺 ) を訊ねようと思って西寧にやって来たのだ。今の僕なら蘭州からバスで南に10時間 (現在は5時間) の所にある甘粛省甘南チベット族自治州のサンチュ (夏河 : xiahe) のラプラン寺に寄ってから、バスで西寧に向かうかもしれない。当時この間のバスに外国人が乗れたかどうかはともかく、サンチュには当時も行けた筈なのだが。
 いずれにしてもこの年はチベットを諦めなければならなかった。クンブルを参拝した後、チベットに後ろ髪を引かれながらも、街の北側に横たわる祁連山脈を北側の河西回廊へとおんぼろバスで越えた。僕が念願のチベットに入ることができたのは、この3年後のことになる。


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                                                祁連山脈越えバスのフロント車窓
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by meiguanxi | 2009-04-16 21:02 | 中国
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