クンブル (タール寺 : チベット・アムド) : 北東チベットと中国の境界
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                                                           クンブルの僧侶達

 クンブル (塔爾寺 : タール寺) はチベットのアムド地方ルシャルにあるゲルグ派のゴンパ (チベット仏教僧院) だ。と書いても、多くの方には何処のことかピンと来ないかもしれない。現在は中国の支配下にあり、青海省西寧 (xining) の南30kmほどの湟中県 (huangzhong)にある。僕が訪れた1990年には西寧からバスで1時間ほど掛ったのだが、今では30分に短縮されたようだ。クンブルとは “十万の仏像” を意味すると言う。ラサのセラ寺 ゼポン寺 ガンデン寺、シガツェのタルシンポ寺、サンチュ (甘粛省甘南チベット族自治州夏河) のラプラン寺とともにチベット仏教最大の宗派であるゲルグ派の6大ゴンパ (チベット仏教僧院) の1つに数えられ、敷地には1000もの伽藍が犇き、最盛期には4000人の僧侶が修行したと言われる。ゲルグ派を開いたツォンカパ生誕の地に建てられた僧院で、創建は1560年。始まりは1379年、ツォンカパの母がひとつのチョルテン (仏塔) を建てたことによると伝えらる。ダライ・ラマという称号はチベット仏教に帰依したモンゴルの支配者がラサのデプン寺貫主だったソナム・ギャムツォに与えたものだが、チベット仏教では彼の前に二人の転生者いたことが判明したとされるので、彼は3世ということになる。1世はツォンカパの弟子あるゲンドゥン・トゥプだ。因みにダライ・ラマがチベット仏教全体の最高指導者となるのは5世以後のことだ。
 多くの旅サイトやブログでは、この寺のことは青海省西寧の頁に書かれている。ここではチベットにカテゴライズしアムドにある寺としてエントリーした訳だが、もちろん 僕としても少し心苦しくないわけでもない。僕が訪れた当時とは違い、今ではアムドやカム (後述) の多くの場所を外国人が旅できるようになったからだ。その心苦しさはクンブルにしか行っていないのにアムドと書くことへの、チベット好きの旅行者に対する気恥ずかしさのようなものだ。しかしどうしてもクンブルを中国のカテゴリで書くわけにはいかない。


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                                                            クンブルの伽藍

 2008年のラサでのチベット人による抵抗運動に関連したデモや抗議活動は、チベット自治区だけでなく多くの地域に飛び火した。亡命政府が把握している限りで自治区で15ヶ所であるのに対し、青海省で14ヶ所 (含・西寧)、甘粛省7ヶ所 (含・蘭州)、四川省17ヶ所 (含・成都)と、3分の2以上は自治区の外で行われている。中国ではいわゆるチベット自治区は西蔵自治区と書く。“蔵” はチベットの意味。日本語では何故か “西” が抜けてしまってチベット自治区が即ちチベットの総体であるかのような印象を与えてしまっているが、本来は西チベット自治区なのだ。地理的により正確に言うのなら西南チベットだ。清朝の時代に中国 (通歴史的意味に於ける支那) は北東チベットへの干渉を始めるが、直接的な支配が届き中国人が流入していたのは西寧とその東側一帯から省境までの海東地区と呼ばれる狭い地域に過ぎない。この地域は回族 (hui : 漢語を母語とするイスラーム教徒) などとの雑居地域だった。一方このブログを良く覗いて下さっている方には周知のことだが、その他の殆どの青海省は、現在の同省東南部に位置する玉樹 (チベット名 : ジュクンド) 地方を除き、四川省西北部の阿覇チベット族チャン族自治州 (チベット名 : ンガパ)、甘粛省南西部の甘南チベット族自治州 (同 : カロン)、同省中央南縁部に当たる天祝チベット族自治県 (同 : パリ)とともにアムドと呼ばれ、チベット人とモンゴル人とが遊牧を営むチベット文化圏だ。そしてジュクンド (玉樹チベット族自治州) は四川省西部の甘孜チベット族自治州 (チベット名 : カンゼ)、その南の木里チベット族自治県 (同 : ミリ)、雲南省西北部の迪慶チベット族自治州 (同 : デチェン) とともに同じくチベットの一地方としてのカム東部を成す。2008年5月の四川大地震で大きな被害を受けたのは、このンガパ (またはンガワ) だ。因みにンガパとカンゼ、ミリを合わせると四川省の西半分になる。
 清朝の雍正帝が北東チベット (カム、アムド) をタングラ山脈南側の地域から分割したのは1723年のことだが、1912年に清朝が倒れた時、チベットは独立を宣言する。もちろん中華民国政府はそれを承認しなかったが、中華民国自体が女真族 (満州人) という他民族支配からからの漢人の独立であったのだから、清朝が崩壊した時点でチベットはその支配から解放されたと考えるべきなのだ。事実、民国はその成立から台湾への亡命までの間、実質的にはチベットに支配の手を伸ばすことはできなかった。北東チベットに再度干渉を始めたのは人民解放軍だった。そして国民党軍を破った人民解放軍が西寧に侵攻して来たのが1949年のことだ。


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                                                               内部の仏像

 青海省統計局によるとその当時の青海省の人口は148万人で、そのうち漢人は71万だったそうだ。もちろん当時の混乱の中での、しかもチベット人やモンゴル人の多くが遊牧民であった状況でこの数字がどれほど当てになるものなのかは疑問ではあるし、この数字に進軍してきた人民解放軍や彼らに伴って流れ込んだ漢人がどれだけ含まれるのか分からない。なにしろ直前の民国による人口統計も当てになるものではないとされているのだ。だが仮にこの数字を受けて考えると2007年までの60年足らずの間に漢人は実に4.17倍に増えたことになる。07年の省全体の人口が551万、うち漢人は296万だ。因みに49年の中国人全体の人口が5億4千万とされている (これもあまり当てにならないが) から2.4倍程度の増加なのだが、これと比較しても青海省の人口増加は驚異的だ。 残る255万人の中には漢人と同じく移住して来た、あるいは殖民された4・50万人の回族も含まれる。青海省に於ける現在のチベット人の割合は20から23%と言われている。
 しかし長らく漢族や回族は西寧や海東地区に集中していた。これは99年に西寧市に合併された湟中県と湟源県とを除けば、青海省全体の2.2パーセント余りに過ぎない。青海や海東の “海” は青海省北東部にある面積5694平方km、周囲360kmという巨大な青海湖 (チベット名 : ツォ・ゴンボ、モンゴル名 : ココノール) を指している。この湖の西側には中央部の大半が砂漠である広大なツァイダム盆地が広がっているのだが、遊牧民が暮らすこの地に50年代に入って鉱脈が発見されると漢族が流入し、盆地南端にゴルムドという町を築く。ここは全くの漢族と回族の町で、その後近年になって、この広大な海西地区への本格的な農業殖民が行われるに到り、そもそも人口密度の低かったこの地域での人口比率でも漢族が多数を占めるようになってしまった。10万余の海外在住者も含めたチベット人の総数は600万人と言われているが、経済や軍事といった力だけを良しとするのなら、13億の中国人の前には簡単に飲み込まれてしまう数なのだ。事実、アムドとカムを含めた全チベット地域における漢族の数は既にチベット人を上回り750万人に達していると言われる。清朝のチベット政策が旧来の帝国的支配にすぎなったのに対し、中華人民共和国に於けるそれは乗っ取りだと言っても良いし、それは民族的ジェノサイトだとも言える所以だ。僕がここを訪れた当時、鉄道は西寧からゴルムドまでしか通っていなかったのだが、2006年にゴルムドからラサに到る青蔵鉄道が開通した。内外の観光客には大人気だし、それはチベットの経済を発展させることにもなった。だが、しかしその富は漢人がほぼ独占し、多くのチベット人は相変わらずの生活、あるいは漢人の下で搾取される存在になってしまっていることも事実だ。何より、2008年3月のラサでの事件の時にも明らかになったように、この鉄道は中国のチベット支配を強化するための軍事鉄道という側面もあるのだ。


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                                                                 酥油花

 僕が雲南や四川辺りをうろうろしていた1990年代前半には殆どのカムやアムド地域への外国人の入域は禁止されていた。もちろん当時も四川などからチベットを目指した旅行者はいたが、おそらく多くは失敗したのだろうと思う。その後、四川省初め青海省、甘粛省、雲南省に属するチベット地域への入域は多くの場所で許可される傾向にあったが、2008年3月以来、再び外国人には非常に厳しい制限が敷かれた。あまり知られていないかもしれないが、今年 (2009年) には1959年の中国侵入とチベット人の蜂起、ダライ・ラマ14世の亡命と中国による占領という一連の動乱から50周年に当たる3月を控えて、チベット自治区と一方的に各省に割譲されたチベット地域の殆どの地域への外国人の入域が禁止された。報道は少ないが寺院や町角には監視カメラが設置され、この間にも幾つかの抵抗運動が弾圧され多くの人が投獄されている。
 99年に西寧市に合併させられた現在の湟中県魯沙爾鎮は漢族色の強い小さな町だが、ここが紛れも無いチベット文化圏なのだということはクンブルを見れば分かる。どのように見てもこの町はクンブルの門前町なのだ。バスを降りてチベット人たちの土産物屋や仏具を売る露天を抜けると、大きな八基のチョルテンが迎えてくれる。釈迦の八大功徳を表しているという如来塔だ。クンブルで有名なのが酥油花と呼ばれるバターで作った彫刻。だが今ではすっかり観光化されてしまったようだ。もちろん僕はただの観光客に過ぎない。それが彼らの経済的要請からくるものであるのなら、入場料でもなんでも喜んで支払おう。なにしろ余所者が彼らにとって神聖な場所を見せて貰うのだから。だが僕はテーマパークや博物館を見にチベットを訪れるのではない。まして彼らの要請とは関りの無い者たちの思惑や利益によっているとするならば、深い怒りを禁じえない。チベットの未来は、チベット人たちによって決められるべきなのだ。


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                                                               八大如来塔



 世界には民族問題は他にも沢山あるのに何故チベットに拘るのかという意見もあるかもしれない。勿論こうした人々の苦しみに序列など付けようはないのだが、世界の平和という観点に立てば例えばパレスチナの方が重要であるのかもしれない。僕はパレスチナにもチェチェンにもダルフールにも関心を持っているが、特にチベットに拘る理由は二つ。一つは個人的な理由で、まあ、チベット好きなのだ。もう一つはそれが中国の問題であるからだ。「放って置けばやがては日本が二の舞になる」 云々といった議論ではない。そのような論調は何れナショナリズム喚起に利用したい勢力の便宜でしかない。もしナショナリズムや国益という観点に立つのなら、中国がチベットを手放そうとしないことは中国と漢民族にとって正義ではないか。力こそ正義なのだとしたら、チベットは単なる負け組ということになってしまうだろう。僕は世界はいずれ共通の理念を共有すべきだと思っているが、それは何処かの国や何処かの民族が数と力とで席捲するという形をとるべきことではないし、そういう方法は早晩綻ぶということは歴史から学ぶべきことのひとつだ。グローバルなる理念は長い歴史の中で常に作られ続けていくべきものなのだ。そしてその過程は最大限にローカルなもが尊重され敬意を払われるべきものなのだ。もちろん世界政治は国益と国益の衝突であることは事実だが、現代に於いてはそれだけで成り立っている訳ではない。90年代以後のアメリカによる “グローバル経済” と2001年の9.11以後のいわゆる “テロとの闘い” はあたかも力こそは正義であるかのような風潮を齎しているが、実は世界政治は多くの妥協の上に成り立っているし、そのことが世界を僅かながら倫理的な方向に進めてもいる。例えば国連にしても非常に不完全であり微力であるにしても、そうした進歩のひとつだろう。例えばEUはアメリカや日本の経済への対抗という欧州主義の要請から成り立っているのではあっても、かの地での倫理を前進させていることは確かだ。ソフィストケートされた形や経済的利権という形で残っているとは言え、前世紀中庸までのあからさまな帝国や植民地が殆ど無くなったのも同じだ。2008年秋以来の世界金融危機という状況が資本の無秩序な欲動を戒めているように、例えば環境や人口、食料や水資源といった問題でも、この先には一国の国益やナショナリズムによる争いに任せては置けない状況になっている。そして21世のこうした問題を解決していく場合には、どうしても中国抜きには考えられない。であるからこそ、今世紀に台頭してきた巨大国家たる中国には是非とも倫理的であってもらわなければ困るのだ。勿論、そういうお題目を唱えても今の政権が倫理的たる方向を向くと思っている訳ではない。しかし謙中を唱えて13億の人間を貧困の中に放置しておくこともできないし、既に中国無しに世界経済は成り立たない状態になってしまっている。更に言うならば、中国で仮に選挙による表層上の民主主義が成立したとしても、そのことが民主的且つ倫理的国家を補償するものではないことは、例えばロシアを見ても明らかだ。民主主義という理念の定着や成熟には時間が掛かるのだ。だから倫理的な方向への国際政治の妥協なのだ。一時の各国経済の利益のみに頓着するのではなく、世界の在り得べき方向への模索が求められている。中国を、そのコンセンサスの輪に囲い込み、妥協させる知恵が。我々は一度オリンピック開催地決定に関して失敗している。各国が国益のみを優先させ、力による世界構成を是とするなら、やがてチベットは、地域としての名称と見世物としての伝統文化とを除いて、完璧に消え去ってしまうだろう。そうさせてしまってはいけないのだ。チベットの為にも、世界の未来の為にも。


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                                                              巡礼の家族
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by meiguanxi | 2009-04-21 22:59 | ヒマラヤ・チベット | Comments(20)
Commented at 2009-04-22 00:00 x
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Commented by meiguanxi at 2009-04-22 00:23
鍵コメさん、個人の感覚で感じ取ることについては云々できるものではないけれど、僕が見るに、少なくとも非常に倫理的なことを言っていると感じますよ。
Commented at 2009-04-22 00:41 x
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Commented at 2009-04-22 00:42 x
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Commented by meiguanxi at 2009-04-22 00:55
鍵コメさん、彼は・・・革命家じゃなく敢えて言えば宗教家です。ただ、立場的に民族の精神的支柱であるし政治家、中国にとっては反体制政治家でもあるのでしょう。でも彼の説いていることは非常に仏教的でもあるのですよ。寛容とか慈悲とか共存とか、そういう観点から発言がなされていることも見て欲しいかな。僕は宗教家じゃないので、それを宗教的見地からではなく、あくまで倫理という観点から評価するんですけどね。
Commented at 2009-04-22 01:12 x
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Commented by はぶ at 2009-04-22 18:45 x
「チベット好きの旅行者に対する気恥ずかしさ」なんて言ったらチベットに行ったことのないフリチベたちから贅沢もの!と叱られますよ:)。クンブルがアムドに在ることは変えようのない現実です。何も遠慮はいりません。
もっとも、毛沢東は嘘も百回繰り返せば真実になると言ってますからね、無批判に「アムドじゃない!」と信じちゃう人もいれば、それに反応して短絡的に「バカ」「あほ」と言っちゃう人もいる。物事を一面だけで捉えているうちは相手を理解し歩み寄ろうという気持ちは芽吹かないものなんでしょうね。困ったもんだ。
Commented by meiguanxi at 2009-04-22 22:00
鍵コメさん、ダライ・ラマというのは5世以来、宗教と同時に政治上でも指導者だった訳です。でも14世はそれを、チベットがチベット人の手に戻った時には手放すと言ってます。一人の僧に戻ると。自分は政治に関与する最後のダラ・ラマだと。ただ、中国占領下のチベット人たちにそのことを受け入れる認識的用意があるかどうかは、また別の問題だと思うのですけどね。
Commented by meiguanxi at 2009-04-22 22:16
はぶさん、コメントの一行目、確かにそういう意見もあるかもしれない^^
ただ、まあ、なんと言うか、ある種の旅屋って時に自意識過剰で偏屈だったりするでしょ?あ・・・僕か;;
そんなことは兎も角、例えば今日も自動車に関して知的所有権が話題になってたけど、もし、あれをトヨタや日産がやったら大変ですよね。中国だから欧州のメイカーも文句を言いながらもなんか諦めムードでしょ。あの巨大市場を手放せないからですよね。
僕は中国と敵対すべきだとは勿論言わないけど、チベット問題一つ取っても、世界は自国の損益というリスクを一時取らなければ先に進まないのかもしれません。で、その打撃を最も被るのは日本なのだけれど、それは必要な引き受けるに値するものだと思っています。右派の人たちにそういう覚悟があるとは思えないですけどね・・・まあ、日本の左派も情勢論に終始してる訳だけど・・・多分、この国は世間の動きに嫌々付いて行くことしかできないんだろうな・・・
Commented by らお at 2009-04-25 02:41 x
現地で働いてた時、日本の本社に「またこんなパクリされました。」ってよく報告してたなぁ。ま、そうやって成長していくんだろうけど・・・
Commented at 2009-04-25 02:44 x
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Commented by meiguanxi at 2009-04-25 22:25
らおは日系企業で働いてたのかぁ。
まあ普通、途上国は先進国のルールに従うことで世界に認められていく訳です。もちろん資本主義の世界基準には解せないことや後発国には理不尽なこともある訳だけど、ここ10年・20年程のアメリカによるマネー経済とか “グローバリズム” とかいった反動とも言うべき動きはあるものの、大きな流れとしては何十年、百何十年と掛けて築いてきたものがある筈なんですね。労働者の人権とか企業の環境への責任とかね。
昨日今日、中国が導入しようとしてる強制認証制度が話題になってる。IT商品についてそのソースを当局に開示する義務を課すってことです。知的所有権の話どころじゃなくセキュリティの観点からも有り得ない話です。 (↓)
Commented by meiguanxi at 2009-04-25 22:26
これまで後進国はこういうことをやったら自分の首を絞めるだけだったのだけど、中国の場合は事情が違う。先進国のルールが必ずしも最良だとは思わないけど、中国がその市場力を楯に彼に都合の良いルールを世界に飲ませるのだとしたら、らおの言ってる意味での「成長」にはならないのじゃないかな?
時おりしも世界不況、欧米はどう出るんでしょうね。多分ね、中国の発展段階に関する状況は、これまでの途上国 (日本もそうだったような) の台等を考えるような牧歌的なものとは違う気がする。
Commented by meiguanxi at 2009-04-25 22:30
鍵コメさん、その 「・・・が出来れば」 という仮定は、酷い話だな。そんな理不尽な話はちょっとない。仰るよな最後の1行であるからこそ、世界政治の妥協に必要なリスクを、世界は取る必要があるように思うのです。この上のコメントに書いたようなことも含めて。
Commented by はぶ at 2009-04-28 17:11 x
iMacおニューになりまして、サイズも24インチになりまして、改めて見ると、写真が綺麗!
内容に関係のないことで申し訳ございませぬ。
Commented by meiguanxi at 2009-04-28 22:41
ずっと調子悪いみたいだったから、良かったね~。・・・って自慢しに来たんですかー!
僕なんて2002年モデルのPCをまだ使ってるのに_| ̄|○
えと、24インチもあると写真のアラとか見えちゃうんじゃないのー? TVのデジタル化で恐怖してた女優の気持ちが少し分かるような^^A;
Commented by はぶ at 2009-04-28 23:02 x
あ、わかっちゃいましたぁ?
でも、サブ機(先々代)は2002年モデルですよ。引退させた先代はかなり酷使しましたから今度のは大事に長く使うつもりです。さて昔のラモスを粗捜しへGo!
Commented by meiguanxi at 2009-04-28 23:56
昔のラモスな僕は大きく表示すればするほど画像が荒くなって分からなくなるんだろうから、ぜ~んぜん平気ですw って、実物見てるじゃん!
てかだから、るなぶらんか にも言ったように、何の為にびーびーえs >┼○ パタッ
Commented by lunablanca at 2009-04-29 08:24 x
ほら....私だけぢゃないぢゃんw
Commented by meiguanxi at 2009-04-29 22:10
根に持ってたのか^^A;;
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