オシュ (キルギス) : 複雑な国境線と民族模様
[ 中央アジア略地図 ]
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                                                       バザール近くの中心街


 ウズベキスタンのコーカンから、国境を越えてキルギスのオシュ (オシ) に向かう。直行バスは無く、フェルガナ盆地西南のコーカンから盆地中央を東に130kmほど突っ切ったアンディジャンという町に向かっていた。ところがバスは100kmほど走った所で停まってしまう。途上国を旅しているとバスが故障するというようなことは日常茶飯事で、特にウズベキスタンでは乗った殆どのバスが途中で何らかの故障に見舞われた。その度に運転手が何かをトンカチやったり修理工場に入ったりしてはまた走り出す。この日のバスも当然のことのように停まってしまったのだが、何時もとは少し様子が違った。どうやらラジエターに穴が開いてしまったようで、完璧に走行不能。乗客たちは45分後に通り掛った近郊バスに乗り換え、ぎゅうぎゅう詰めの車内で残りの距離を立ったまま我慢するしかなかった。
 アンディジャンもフェルガナでは古い都市なのだが、20世紀初頭の地震で古い建物の殆どが失われたということだったので、この時には通過することにした。この旅の5年後、2005年にこの町が大きなニュースの舞台になるなどとは、この時には思ってもいなかった。カリモフ大統領の独裁的政権と経済への不満から抗議に集まった5万人とも言われるデモに軍が発砲、政府発表で187人、実際には500人から1000人もの死者を出したと言われる事件だ。発端は武装勢力が刑務所を襲撃したことによるとも伝えられ、政府はイスラム原理主義組織の関与を主張している。だがその辺りの真実ははっきりしない。いずれにしてもフェルガナは保守的なイスラームの色濃い土地であり、独立後の経済的困難から反政府、原理主義への傾斜という傾向を強め得る状況にあったことは確かなようだ。この事件は国政政治にも影響を及ぼし、アメリカがウズベク政府の対応を批判し、これに反発したカリモフ政権はアフガン戦争の時から南部国境のテルメズに設置していた米軍基地の撤退を要請するという事態に至った。一方、中国やロシアはこの時の武力鎮圧を支持している。中央アジアの民族主義的独裁政権も憂鬱だが、仮にイスラム原理主義組織が関与した暴動だったのならそれも憂鬱な話だ。ただ、原理主義組織と言ってもゲリラやテロばかりをしている訳ではなく、住民の仕事や社会基盤を整えたりといった活動もしている。おそらく力で押さえつける限り氾濫の地盤は崩れないのだろう。更に言えばロシアや中国という倫理的とは言い難い政権を持った大国の、この地域への影響力が大きいことも憂鬱だ。


タフティ・スレイマンと呼ばれる岩山と博物館                           岩山の上のバーブルの祠b0049671_19532872.jpgb0049671_19552524.jpg



 結局途中の停滞を含めてアンディジャンまで3時間半掛ったわけだが、幸いなことにアンディジャンのターミナルでは40分後のバスに乗り換えることができた。オシュまでは南東に60kmほどだろうか。だがバスは国境の手前が終点。国境と言っても路上に設けられた検問程度のものだ。パスポートだけチェックすると出国印も押さずに通される。待っているタクシーに乗って直ぐにキルギス側のイミグレーションだが、ここもただの検問。同じくパスポートを見るだけで入国印も押さない。そのままタクシーに乗り続けて 1kmほどでオシュのバス・ターミナル。オシュの町は本当に国境の間近なのだ。しかしその僅か1kmでしかない距離をバスは走らない。この辺りの国境や民族を巡る問題の難しさが垣間見える現実かもしれない。ソビエト時代末期の1990年、オシュ周辺ではウズベク人とキルギス人との間で激しい衝突 (オシュ事件) が起こり、200名を越える命が失われ400名もの行方不明者を出した。負傷者に至っては4000名と伝えられる。原因は住宅用地の分配を巡る争いだと言われているが、オシュを含めてフェルガナ盆地はウズベク人の多い地方であるとは言え、周辺の民族模様はモザイク状態だ。国境線はソビエト時代に制定されたもので、人口比ではウズベク人の多いオシュがキルギスに編入されたり、逆にキルギス人やタジク人の多い土地でも耕作に適した場所はウズベクに割り当てられるといったこともあったようだ。ウズベク人もキルギス人も民族的にはテュルク系だし宗教もスンナ派イスラームだが、もともと遊牧民だったキルギスがイスラーム化するのは19世のことで、その後直ぐにロシアがやって来て20世紀初頭には社会主義革命が起こったのだから、ウズベク人とは宗教観に微妙な違いもあるのかもしれない。一方、フェルガナはウズベクの中でも宗教的には特に保守的な土地柄だ。


老人達のピクニック風景                                 カフェを営業するユルト (ゲル、パオ)b0049671_19591983.jpgb0049671_2013474.jpg



 さて、ターミナルを通り過ぎて4kmで町の中心に着く。今はどうか分からないが、この時にはキルギスに3日以上滞在するには3日以内に外国人登録をしなければならないことになっていた。ガイドブックの地図を見ても載っていないので、翌日の午前中、タクシーを捉まえてオビール (外国人査証登録課) に行ってレギュストラーチア (登録)を済ませる。この際、銀行で料金を振り込まなければならないが、60円程度なのでそれ自体は問題無い。ただ、こういう登録制度はかつてのイランやラオスにしても同じだが実に面倒で、そして時間が掛る。充分に待たされた挙句に事務処理が非常に遅いのだ。この時には僕の他にはの2人組みの男がいただけだったが、係官が他の仕事か休憩かで不在で延々と待たされることになった。ところがこの2人組みと話をしているうちに、今が昼休みの時間だということを教えられた。ガイドブックではウズベクとキルギスとの間に時差は無いことになっていたのだが、本当は1時間の差があったのだ。この2人組み、中国が実効支配する東トルキスタン、中国の行政区で言う新疆ウイグル自治区の政府外事課職員だった。ここからウイグルスタンのカシュガルまでは直線距離で280km、今ではオシュの南東にイルケシュタムという国境が開いているが、この時はまだ一般旅行者には開放されていなかった。


ジャイマ・バザール (4枚とも同じ)                   b0049671_2017699.jpgb0049671_20103622.jpg



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 この町のバザールは非常に賑わっていて、小さな川沿いに1kmも露天が連なっている。ウズベク人が多い町だとは言っても、しかしそれでも確かに国が変わったのだという実感を持つ。ウズベクとは明らかに違う印象を受ける顔立ちの人々を多く見かける。或いはサマルカンドにしろブハラにしろ、実はウズベク人よりタジク人の割合が濃い地域を歩いて来たからそう感じるのかもしれない。ただ、キルギス人の顔立ちが中央アジアのトルキスタンの中でもよりモンゴロイド色を強く残しているのは確かなようだ。中央アジアのイスラーム圏では男性の特に老人は帽子を被っていることが多い。ウズベクでは御椀を伏せたような浅い帽子を良く目にした。ウイグル帽に似た形だ。ちょっと国境を越えただけで、オシュでは高山のキルギス帽を良く目にする。一方、女性の民族衣装着用率はウズベクより低いような気がする。
 経済は厳しいようで、ホテルにはバスタブはあるものの肝心のお湯が出ない。バスやタクシー代が非常に高い。これはイラン、トルクメニスタン、ウズベキスタンという石油や天然ガスに恵まれた国を歩いて来た旅行者にはびっくりするくらいの差だ。フェルガナ盆地東南に位置するオシュは首都ビシュケクに次ぐ都市だが人口は25万に満たない程度の地方都市で、どちらかと言えば辺境といった面持ちだった。イルケシュタムの国境が開いた今は少しは賑やかになったのだろうか。とにかくこの時にはビシュケクまでのバスはあまり走っていず、1日1本のトラックも20時間掛けて山岳地帯を越えていかなければならなかった。もともとがフェルガナの一部であるから、ソビエト時代まではフェルガナの地方都市といった性格で充分だったのかもしれない。


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                                                         キルギス帽の老人

 町それ自体はやはり閑散としているようではあるのだが、何処かしら温もりがあるように感じられたしバザーには活気があり、居心地は良かった。ほんの10年前に悲惨な衝突があったということが信じられないような穏やかさだった。そういえばこの2年前の98年には、オシュ州のアルティンジルガ地区でJICAの日本人技師4人を含む7人が、タジキスタンから侵入したウズベキスタンの反政府勢力に誘拐されるという事件もあったのだった。アルティンジルガはフェルガナ盆地南側に横たわるアライ山脈の、タジキスタンとの国境に近い山中にある地域だ。上にリンクした地図を見てもらうと分かるように、オシュ州はフェルガナ盆地とタジキスタン山岳地帯の間を割ってタジキスタン領に食い込むように伸びている。逆に言えばウズベク領フェルガナはキルギスに、タジク領ホジャンド (ホジェンド) 地区はウズベクにそれぞれ食い込むように存在している。3つの国とっては盲腸のような地理的には飛び出した地域が、それぞれに右回りに絡まり合うように位置しているのだ。一見平和に、そして長閑に見える町や人々にも、通り過ぎるだけの旅行者などには計り知ることのできないそれぞれ複雑な事情や心情があるのかもしれない。事実、民族問題ではないがこの5年後の2005年、フェルガナのアンディジャンで暴動があった同じ年だが、キルギスでチューリップ革命と呼ばれる政変が起こった時、この町はその発端の重要な一部を担うことになったのだ。


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                                                         バザールの両替所
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by meiguanxi | 2009-05-15 20:24 | 絲綢之路Ⅱ[中央亜]
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