トクトグル (キルギス) : 首都と第二の都市を結ぶ田舎道
[ 中央アジア略地図 ]
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                                                            クルプ・サイ湖


 イランのマシュハドから中央アジアに入って以来トルクメニスタン、ウズベキスタンと乾燥した平地ばかり目にしてきた旅人にはキルギスの風景は新鮮だ。国土全体が山がちで降水量も多い。ここから先は山岳地帯の旅になる。早朝6時過ぎにはオシュのバス・ターミナルに着くが誰もいない。乗客も物売りもいないまだ明けやらぬターミナルには冷たい風が吹き抜け物寂しいことこの上ない。乗り込んだバスはこの旅の中でも最も粗末な部類で、座席は二人掛けのベンチ・シートだった。道もこれまでの国とは違い、至る所で舗装が壊れていた。コーカンやオシュの記事でも書いたようにフェルガナ盆地を巡る国境線はとても複雑に込み入っている。そしてソ連時代に整えられた幹線道路は例によって国境線を無視して敷かれている。僕が乗ったウズベキスタンの町からのバスがオシュ郊外の国境で終点になってしまったように、2000年当時、両国の通行はガイドブックに書かれていたようにはスムーズではなかった。ヴィザの問題にしてもそうだったのだが、この頃ウズベクやカザフは非常に閉鎖的な政策に傾き掛けていたように思う。首都ビシュケク方面へのルートは途中でウズベキスタン領を突っ切る筈だったが、この時はフェルガナ盆地の南東から北東までの間、ウズベキスタン領をすっかり迂回して盆地の縁の起伏の多い道をぐるっと回り込んだ。そのために本来の街道を逸れて山道や未舗装の生活道を走らなければならなくなっていたりする場所もあった。その度に酷い道だ。緑は豊かだが凹凸の激しい土地は耕作には向かないのか、放置されたままであるようだった。そんな展望の無いまるで野良道のようなルートを、バスは右に傾き左に傾きしながら進んだ。オシュとビシュケクというこの国の第二の都市と首都とを繋ぐ幹線だ。驚いたのは街道を逸れて民家の脇道に侵入した時だ。バスが走るのは無理だとさえ思えるその細い畦のような道を入った奥の民家で、ポリタンクのガソリンを給油したのだ。いったいそれがどんな種類の燃料なのか、少し不安を覚えた。


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                                        キルギス帽の老人(フェルガナ盆地縁のバス停)


 僕の席は運転手の後ろの最前列だったのだが、窓が開かない。この辺りの国のバスはみんなそういうシステムだ。悪いことに上の風通しのための小窓も開かない。お陰で時間が経つにつれてバスの中は朝とは大違いの酷い暑さになってくる。盆地から離れるとバスは渓谷の中に分け入った。シル・ダリア (ダリアは川の意) 上流のカラ・ダリアだ。途中からは二つのダムに挟まれた長さ30kmにも及ぼうかというダム湖が延々と続く。クルプ・サイ湖だ。濃緑色の湖面と木々の緑、それらとは対照的な荒涼とした岩山の山肌というコントラストが実に美しい。やがてその先に広大なトクトグル湖が見え始める。写真を撮ろうと風窓が開いていた後部座席に移動すると、その席には物凄い土埃が降り積もっていた。見る見る自分の全身も白く変わっていく。出発から11時間後、湖北側に位置するトクトグルの小さな町に着いたのは既に夕暮れ近くだった。何年も前に壊れたまま放置された観覧車が風に揺れ、背の高い冬枯れしたポプラの向こうに横たわっている湖と山陰は沈み行く霞んだ夕陽に薄紅色に染まっていた。


トクトグル湖(同右)
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 翌朝は5時前に起き、5時半にはバス・ターミナルへ。ターミナルと言っても未舗装の駐車場あるいは広場で、日に何本かの発車時刻以外は機能していない。待っていたのはフォード製の9人乗りワゴン。だが乗客は運転手を除いて11人。前の席には少年を連れた夫婦、後ろの席には細身の青年2人と太ったおばちゃんに婆さん、真ん中の席はちゃんと3人掛けで、僕は一番ドア側。ドアの関係で補助席のような物だが充分快適だし、天候があまり優れないことを除けば順調だ。山の景色は本格的だし、小さいながらも清流も流れている。けれど勿論そのまま順調にことが推移する筈はなかった。そういうことはちゃんと決まっている。僕に対して悪意を持つ存在があるのかどうか分からないが、でもちゃんと問題は起こることになっているのだ。

 
トクトグル村                                                   トクトグル村の観覧車
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 ビシュケクの南にはアタ・トー山脈が横たわっている。トクトグルからの道は三千メートル級の峠を二つも越える。二つ目の峠には中央アジア最長のトンネルが貫通しているのだが、その長さ2kmのトンネルは冬の間、入り口が閉じられるという。6時に発車したワゴンが朝食休憩の後、チベットかカラコルムを思わせるような広大な最初のアラベル峠 (3184m) を越えてこのトンネルに至ったのは10時過ぎだった。テヨーアシュー峠の標高は3586mだが、トンネルは3100mから3170mの間を貫いているという。動かなかった。トンネルの前に幾台かの車が止まったまま進まない。時折トンネルの中から土砂とコンクリートの残骸を積んだダンプが現れては、それを道脇の谷に捨てていた。トンネルが崩れたか、一部崖崩れでもあったのだろうと思っていた。良くあることだ。
 ところが何時間経っても事態に変化は無い。トンネル付近まで歩いて行ってみるが、ブルドーザ等の重機が停車したままになっていたりする。崖崩れの処理とかそういうことにしては変だ。言葉の通じない人たちからなんとか聞き出して、僕が事態を知ったのは午後1時を過ぎてからだった。どういうことか正確には分からない。ただ、要するに工事の為に夜の7時にならなければ通過できないということだった。補修工事か何かなのだ。19時と時間を区切っているからにはおそらく突発的な事故とかではなく、工事労働者の活動中には車は通さないということらしい。トンネルの入り口付近には一台のトレーラーが売店と軽食堂を運営していた。時間を決めて通すとか、そういう配慮は無いみたいだった。なんとも官僚的で融通の利かないやり方だ。けれど待っている人々も文句は言わない。文句を言って何かの役に立つというものではないのだろう。


トクトグル先の清流                                                     アラベル峠
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 夕暮れ時、漸くトンネルを抜けるとそこは物凄く大きな渓谷で、車は九十九折の道を一気に下りV字谷の底を走った。渓谷の深さに比して川の流れは小川程度だ。道は至って悪く、バスで走ったのならさぞやきつかろうと思われた。漸く渓谷を抜け平地に出た頃には日も暮れていたが、そこからがまた長かった。途中でパンク。タイヤ交換は素早かったが、ビシュケクの街に入る寸前でパンクしたタイヤの修理のために停車する。そういうことは客を降ろした後にするべきことのようだが、そうはならない国は多い。乗客を乗せてから町外れのガソリンスタンドで給油したり、町の郊外に着いているのにターミナルの前にスタンドに寄ったりといったことは、そちらこちらの国のバスで経験がある。この時はガソリンが切れて、どうしてだかガソリン代を折半させられる。そういうのが運賃の内ではないシステムも世界にはあるのだ。
 全員を順番に降ろし、結局最後に街の中央で僕が降ろされたのは既に23時に近かった。街は首都にしては非常に物寂し気だ。こんな時間にビールにありつけるのだろうか・・・いや、その前に宿探しだ。


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                                                  テヨーアシュー峠トンネル手前
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by meiguanxi | 2009-05-18 23:33 | 絲綢之路Ⅱ[中央亜]
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