マシュハド : イラン最大の聖地
[ 西アジア略地図 ]
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                                               ハラム(イマーム・レザー廟)夜景

ハラム正面
b0049671_17273546.jpg2000年月、僕はその時、中央アジアへ向かう為に
マシュハドのバスターミナルに降り立った。

2度目のイランだったが、この街を訪れるのは初めてだ。イラン西北部、北はトルクメニスタン、東はアフガニスタンと接したホラサン州は、インドのカシミール、スペインと並んでサフランの世界三大生産地として有名だ。美しい薄紫色の花から一つひとつ雌蕊(めしべ)を手作業で抜いていく訳だから、高価なのも理解できる。だか、州都マシュハドのバザールでは、そのサフランが信じられない安さ(勿論、日本でならと言うことだが)で山積みされている。

第4代カリフであるアリーの血統をムハンマドの後継
                                          とするシーア派に於いて、宗教的最高指導者をイマ
ハラム内部のモスク(敷地外かである為に背面)          ームと言う。シーア派主流の「12イマーム派」では、
b0049671_17275380.jpg9世紀に消息不明になった12代イマームは “ 隠れた”とされており、その隠れている間(現在も続)は権威あるイスラム神学者がその代理を務めるとされる。79年にイラン革命を行ったホメイニ師も、その神学者だ。
ところで、第8代イマームであるアリ・レザーが817年、この街で没する。これをアラブ・アッバス朝(スンニ派)カリフによる毒殺だとするシーア派にとって、イマーム・レザーの没したこのマシュハドの街は聖地なのだ。特に、他のイマームの聖廟が全て他国(イラク)にある為、ここはイラン人にとっては最も重要な聖地だ。ただ、僕がここを訪ねた後、ご存知のようにイラクの情勢に変化があり、今では多くのイラン人がイラク領内のシーア派聖地を巡礼することが出来るように成
                                          ったようだ。
ハラム側面遠景(中央・金色の屋根が聖廟)
b0049671_17281468.jpg街の中心にハラムと呼ばれる宗教コンプレックス(複合施設)がある。円形のこの敷地の直径は1km近くにもなろうかという広大なのもで、中には複数のモスク、神学校、図書館、聖廟、広場などが犇き、それらがひとつの建造物であるかのように通路で繋がれている。それら全てを色とりどりの電飾が飾る。それは正に煌めくような世界なのだが、残念ながらカメラは持込めない。
その中心がイマーム・レザー廟。ハラムの外周道路からは四方に幹線道路が伸びでいるが、道はこの施設の地下にも巨大なローターリー(車専用)を作っている。


イランには3つの暦がある。ひとつは西洋暦だが、こ
れは普通の人々には最も関係が薄い。宗教儀式など                             ナディル・シャー廟
b0049671_17283320.jpgはヒジュラ暦(イスラム暦)で行う。断食で有名なラマダーンもこの暦による。ヒジュラ暦は完全な陰暦なの
で、毎年約11日ほど西洋暦よりも早く進行する。つまり第1月1日が年によって夏であったり冬であったりするのだ。最後がイラン暦で、これがイランの人々の日常生活に最も根付いた暦だ。元々ササン朝まではゾロアスター教(拝火教)であったイランに於いては、古くから太陽暦は一般的だった。現在のイラン暦はヒジュラ暦と同じく西暦622年を紀元とするが、完全な太陽暦である為に、紀元は同じでも現在の年数は異なっている。イラン暦の新年は春分の日、西暦の3月21日だが、午前0時をもって新年とするのではなく、春分点の通過を基準としているので、毎年6時間、新年の時間がずれる。ただ、西洋暦では4年に1度の閏年でその誤差を修正しているので、日にちがずれることは
ない。                                               バザーレ(バザール)・レザー入口
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さて、ここを訪れた時、ちょうどイラン暦の年末だった。街は沢山の巡礼者で溢れ帰り、宿の確保も儘ならない状態。夕刻、大晦日を迎える。ハラムの中は無数の人々で埋め尽くされる。モスク、神学校、聖廟、神学校、広場、至る場所に敷き詰められる絨毯、スピーカーから流れる説教とコーラン、それに合わせて一糸乱れぬ祈りの動作を繰り返す何万という人々、熱気。一睡の余地も無い。その場を移動することも儘ならない。その光景には圧倒されるばかりだったが、むしろ異教徒の進入が許されているということに違和感を感じ、異教徒(無神論者)であることに緊張を覚えた数時間だった。

ところでイラン人のホスピタリティには時々、びっくりさ
せられる。                                                    バザーレ・レザー内部
b0049671_17291147.jpg僕はこの街がら、トルクメニスタンのマルーに向かう予定だった。イランのバスはトルコと同じく民間会社の競合状態なので、ターミナルには客引きがいる。これは概ね信用して良い人達なので、寄って来た髭の男に国際バスについて尋ねてみた。彼の会社では扱っていなかったのだが、そちらこちらの同業者に聞いてくれる。仕舞いには自分でタクシー代を使って僕を連れ回し、ターミナルから離れた街の中心の旅行代理店まで回ってくれる。結局は見付からず、後日ローカルバスとタクシーで国境を越えることになるのだが、その間2時間、せめて帰りのタクシー代くらいはと思ったのだが、彼は頑として受け取らない。ノルマ制があるのかどうかは知らないが、一銭にもならない外国人の為に、自分の仕事を2時間も放り出してくれたのだ。

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                                                      ハラム正面近くの街角
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by meiguanxi | 2006-09-17 17:37 | 絲綢之路Ⅲ[西亜] | Comments(0)
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