マルゥ (トルクメニスタン):イランから国境を越えて
[ 中央アジア略地図 ]
b0049671_1128337.jpg
                                                            バザール外観

僕が中央アジアを訪れたのは2000年早春、今現在のことは知らないが、この地域を個人旅行することが出切るように成ってまだ間もないこの時、旧ソ連中央アジア諸国の旅行事情に関する評判はすこぶる悪かった。
第一にはヴィザ取得に関する問題で、陸路での旅行計画が非常に立て辛い。第二には国境役人および駅やバスターミナルの警察の腐敗。公然と賄賂を要求されたり(恐喝に等しい)、外貨チェックと称して現金を抜き取られたりといった事例が続発していた。

バザールにて(同以下3枚)                       イスタンブール(トルコ)のトルクメニスタン領事館で
b0049671_11294522.jpgは、入国日込みで6日間のトランジット・ヴィザしか発行されなかった。この国での目的地は3ヶ所、しかも距離が掛け離れている上に、タルクーチュカと呼ばれる週末バザールの日程などを考えると、とても無理な日数だ。ただし、上手くいけば首都のアシュガバートで数日間の延長が認められる可能性があった。
イランのマシュハド からマルゥに向う。早朝6時半前のバスに載って3時間ほどでサラクス、この町からタクシーで5分、イラン側イミグレーションに着く。
このイミグレを出たトルクメン人やロシア人の女性たちは、頭を覆っていたスカーフを一斉に外し、纏っていた薄手のコートを脱ぐ。タンクトップ姿に露になる豊満な肉体。イランを抜けたのだ。
トルクメニスタン側イミグレまでは1km以上離れてい
                                          る。数十人の人達が膨大な荷物を携えて、迎えの車
                                          を待っている。出稼ぎや商売上の買い付けに来た人
b0049671_11302412.jpg達なのだろう。僕のような旅行者はいない。トボトボと荒野の中を歩いていると、途中に停まっていたボロバスが拾ってくれる。
トルクメニスタン側のイミグレは、何もない荒野にポツンと建っている。入国カード、税関申告書ともにキリル文字(ロシア文字)。トルクメン語なのかロシア語なのかも分からないが、唯一英語を話す若い職員が親切にも代筆してくれる。
その後、彼に別室に連れて行かれる。多分、所長か何かと思われる男が座っている。変ににやけた二人の表情、しかも軍服。あまり気持ちの良いものではない。
実は事前の情報では、ヴィザには入出国地が記載され、それ以外のポイントは通過できないとのことだっ
                                          た。僕のヴィザのその欄には傍線が引いてある。領
                                          事は何処のポイントでも通過できると言った。事情が
b0049671_1131060.jpg変わったのかもしれない。この辺りのヴィザ状況は猫の目のように変わるのだ。だが国境職員にそれが徹底されているとは限らない。信じがたいかもしれないが、そんなことは良くあることだ。
係官は税関手続料10ドルを要求した。拒否すると、それは義務だと言う。では首都に着いたら役所で確認して良いか問うと、義務という言葉がプレゼントに変わる。イスタンブールの領事にその手の費用は不必要だという確認を取って来たと告げる。勿論、嘘だ。すると5ドルに値が下がる。しかし、雰囲気は明らかに険悪に成りつつあった。ヴィザの通過地記載が気に成る。3ドルならと切り出す。暫くの悶着の後、それで交渉成立。
これはこの地域での、唯一の僕の汚点だ。だが、この
                                          後、一切の賄賂を拒否し続けた為に、中央アジアの
唯一見つけた軽食とビールを飲める店にて              旅は極度の精神的疲労と時間的ロスとを余儀なくさ
b0049671_11313296.jpgれることになる。
係官は言った。「アシュガバートまでタクシーで50ドルだ」 その向こうにはタクシードライバーが狡賢そうな笑みを浮かべてこちらを窺っている。ぼったくりのグルだ。
丁重に辞退し表に出るが、そこには何も無い荒野が延々と広がっているだけだ。同じ時間に入国した数人の人達は、それぞれ迎えの車で去って行く。バスが来る気配は金輪際無さそうだった。
敷地を出た所に何台かの車が停まっている。交渉するとマルゥまで20ドルだと言う。方向は違うが、距離はアシュガバートまでの3分の2程の筈だ。思い切って10ドルと言ってみる。渋々といった感じだったが交渉成立。勿論、さっきのドライバーとは違う人だ。

車は行けども行けども代わり映えのしない土漠の中を走る。幹線から外れているので、道も悪い。パンクして途中の集落に引き返すこと1回、この間のロス1時間を含めて4時間後、暮れなずむマルゥの街に漸く辿り着く。
19世紀終盤にロシア人の入植で作られた人口10万の街は、通る車も稀なメインストリートの道幅ばかりが無意味に広く、この国第4の都市と言うには、あまりに閑散としていた。

b0049671_11321212.jpg
                                                    閑散としたメインストリート
[PR]
by meiguanxi | 2006-09-20 00:26 | 絲綢之路Ⅱ[中央亜]
<< アンナプルナの少女 マシュハド : イラン最大の聖地 >>