アシュガバート (トルクメニスタン):独裁者の首都
[ 中央アジア略地図 ]
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                                     アザディー広場(大統領官邸など政府機関が集まる)

黄金のテュルクメンバシュ(ニヤゾフ)
b0049671_1327566.jpgトルクメニスタンの首都アシュガバートは、
ガラ・グム(黒の砂漠)の南端にある。
数十km南のコペト・ダグ山脈の向こうはイランだ。
ガウダン峠に国境ポイントがあり、マシュハド に通じている
マルゥ の記事で紹介したサラフス国境とは別)。
マルゥからは西に列車で7時間半、バスで6時間。

この地域には紀元前3世紀のパルティア王国(イラン系)時代から
集落があったようだが、
本格的に造成されたのは1881年、ロシアの砦が築かれたことに始まる。
1948年の大地震で街は壊滅する。
16万の人口のうち、11万人が死亡したという。
その後、計画的に再建され、現在の人口は40万人。

アシュガバートとは「愛の街」という意味だが、
元々が占領したロシアが抵抗の激しかった部族を攻め滅ぼす為に
築いた砦が始まりなのだから、
どうも取って付けたようなイメージがある。


ロシア風に整備された無機質な街に見所はない。                   ルスキー(ロシア人)バザール(同下)
b0049671_13284291.jpg街を歩いていて目に付くのは、
ニヤゾフ大統領の巨大な肖像画や写真。
駅と言わず銀行と言わず、
いたる所に掲げられている。

共和国の共産党第一書記だった
サパムラト・ニヤゾフが、
1991年の旧ソ連からの独立以来、
民主党と名称変更した党を率いて
一貫して大統領に君臨し、
そのカリスマ性で個人崇拝的半ば独裁体制にある。

彼は「トルクメン人の頭領」を意味する
“テュルクメンバシュ”という称号を
公式に名乗っていて、
公共施設や通りの多くに
b0049671_13292787.jpg“テュルクメンバシュ(記念)~”を冠し、
果てはカスピ海の港湾都市の名称まで
テュルクメンバシュに変更してしまう有様だ。
勿論、この場合それはニヤゾフその人個人を指す。

市民に話を聞くと、口を揃えて彼を賞賛する。
それが建前なのか、或いは
民主主義という概念自体の希薄さなのか、
早計には判断できない。

郊外には、7000年前から農耕文化が栄え、
ティムールの時代に最盛期を迎えたアナウ遺跡や、
パルティア王国の最初の首都だったニサの遺跡
などがある。

アナウ遺跡                                  ただ、考古学的には重要なこれらの遺跡も、
b0049671_1331317.jpg今は遺構が残るのみの土塊に帰している。

街の北をガラ・グム運河が流れる。
ウズベキスタンとの国境近くを流れる大河
アム・ダリアから、ソ連時代の1962年に
引かれた全長850kmにも及ぶ運河だ。
現在はアシュガバートより更に西に伸び、やがては
カスピ海までの1500kmを繋げるのだという。

この運河のお陰で、この国の南部一帯は
有数の綿花生産地に成った。
しかし同時に、このことが下流のアラル海
(ウズベク及びカザフ領)の縮小化を
もたらす原因にも成っている。

ニサ遺跡                                    ところで、マルゥからは夜行列車を使ったのだが、
b0049671_13323299.jpgこのチケット取得には苦労させられた。
「明日の夜行、アシュガバートまでの2等寝台が
欲しい」伝えたい事はたったこれだけ。
付け加えるなら「それは何時の出発で
所要何時間なのか」「値段は幾らなのか」
マルゥ駅は至って閑散としていて、
列車の発着時間以外には人気は全く無い。
暇を持て余したチケットブースの職員は粘り強く
付き合ってくれた。しかし、“tomorrow”が通じない。
“how much”が通じない。
当然、“second-class”も“sleeper”も
“ what time”も通じない。
僕は一旦宿に戻って、ロシア語会話集を
持参しなければならなかった。
                                         “明日”という言葉を伝える為に。
ガラグム運河                                “何時”という言葉を伝える為に。やれやれ、
b0049671_1333677.jpg英語の通じないとうことは、斯も不便なことなのだ。

尚、マルゥの記事で書いたヴィザの延長の件は、
「トランジット・ヴィザの延長は出来ない」と
パスポートを投げ返す係官をなんとか泣き落として、
4日間の延長が認められた。
そもそも事前の情報では、
更新は簡単にできるということだったが、
簡単とはとても言える状況ではなかったのだが。
だがいずれにせよ、お陰でこの後、
中央アジア最大と言われる日曜バザール・
タルクーチュカを見ることが出来き、
更に、ガラ・グムをバスで真っ直ぐ北に10時間
突っ切るルートで、グルガンジ遺跡を見る為に
                                          キョネ・ウルゲンチに向かうことになる。
     ※ 2007.1.4 追記
       サパムラト・ニヤゾフ氏は終身大統領という立場のまま2006年12月21日、死亡した。


   正装したトルクメンの子供達
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by meiguanxi | 2006-09-24 13:36 | 絲綢之路Ⅱ[中央亜] | Comments(2)
Commented by orientlibrary at 2006-10-07 22:36
こんにちわ! はじめまして。ウズベキスタンで検索しておじゃましました。
トルクメニスタンの美しい衣装や遺跡、廟の写真、いいですね〜!
中央アジアの記事があるというのは、とても嬉しいです。
トルクメニスタンは絨緞などが素晴らしく、タイルのある建築もあり、イスラムの建築が好きな私必見の国だと思うのですが、まだ行けません。
臨場感のある写真を見て、やはり行きたいなあと思いました。
Commented by meiguanxi at 2006-10-07 23:05
ようこそいっらっしゃいました。
実は中央アジアで検索して、気になって何度かうかがったことがあるんですよ。
ウズベクは随分回られているようですが、ココでもぼちぼち記事にしていきたいと思っていますので、宜しく!
タルクーチュカで見た限りでは、絨毯、安いですよ(笑)
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