[ 中央アジア略地図 ]
前の記事で紹介したキョネ・ウルゲンチの町から1km外れた荒野に、グルガンジ遺跡は点在する。 元々この辺りはグルガンジと呼ばれていたものが、後にテュルク風に変化した呼び名がウルゲンチだ。ウズベキスタン側のヒヴァ同様、この辺りもホラズム地方に入るのだが、16世紀にヒヴァが振興する以前、ホラズムの中心はこのグルガンジだった。 クトゥルッグ・テミルのミナレット 右は上部の装飾 ここには10世紀終盤からの遺跡が点在するが、初期のアラブ系の時代の物はモンゴル侵攻による破壊が激しく、殆どは土塊に帰している。 その後テュルク化したホラズム・シャー朝の時代(11世紀終盤~13世紀前半)、ホラズムの領土はペルシャにまで及ぶ。この時代の物は、良い保存状態で幾つかが残っている。1枚目の写真、スルタン・テケシュ廟もそのひとつ。 ただし、やはりモンゴルによる徹底的な破壊で、例えばアグ・ガラという要塞などは基底部が僅かに往時を偲ばせるだけだ。 モンゴルによって徹底的に破壊されたグルガンジだが、13世紀前半からのスフィー朝の時代、再建される。上のクトゥルッグ・テミルのミナレットや下のトレベグ・ハヌム廟はこの時代の物。クトゥルッグ・テミルのミナレットは高さ67メートル、中央アジア一位を誇る高さだ。 しかしその後、14世紀後半には2回に渡るティムールの侵攻で、壊滅的打撃を受ける。 「チンギスは破壊しティムールは建設した」という言葉があるが、征服にあたっては勿論、ティムールも破壊したのだ。 トレベグ・ハヌム廟 右は内部からの天井 のドーム 16世紀、アム・ダリア(川)の流れが大きく変わり、グルガンジは完全に滅びる。 振興したヒヴァによって住民は移住させられた。それが150km離れたウズベキスタンの現在のウルゲンチだ。(キョネ・ウルゲンチとは別) トレベク・ハヌム廟のドーム内側のモザイクは、600数十年の時を越えて当時の色を今に伝えている。しかし今、嘗て栄華を誇ったグルガンジには,風の音が渡っていくだけだ。
by meiguanxi
| 2006-09-29 01:23
| 絲綢之路Ⅱ[中央亜]
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Comments(4)
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lunablanca
at 2006-09-30 16:21
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破壊されなければ、今の世界はどんな美しいものの宝庫になって
いたんでしょう。
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meiguanxi at 2006-10-01 01:07
破壊は建設の母でもある訳だけどね。
戦後の日本もそうなんだけど、僕が初めて中国に行ったのが '90年で、この間の変化を目の当たりにているとね、どうも薄っぺらいんだよね、現代文明というか、現代建築。美しさとか深さとか奥行きとか温かみとか独自性とかが全然感じられなくて、世界中何処にでもあるような都会の光景って、どうにも白々しいなぁってね。
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lunablanca
at 2006-10-01 09:38
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私も2年前くらいに上海に行ったけど、つまらなかったなぁ。
「なんだ...普通の都会ぢゃん」って。
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meiguanxi at 2006-10-01 12:02
1990年には上海駅の脇の家並ですら、ちっちゃな平屋が犇いているような状態だったんだけどな。勿論、黄浦江の向こう岸には畑しかなかった。
って、なんでトルクメニスタンの記事で中国の話をしてるんだろw
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by meiguanxi
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