ギルギット(北パキスタン):カシミールとパミールの麓
[ 北部パキスタン略図 ]
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 パキスタンというと、どういった風景や街並みを想像するだろうか。ベールを被って顔を隠した女性、イスラム化したインド的街並み、灼熱の砂漠…勿論、中南部の風景はその通りだ。そして西南部はバロチスタンという砂漠地帯。だが、北部にはカシミール、カラコルム山脈、パミール高原、ヒンドゥークシュ山脈といった美しい山岳風景が広がっている。

 インド亜地域は1947年にイギリスから独立するが、この際にヒンドゥとイスラームという宗教の違いから、インドとパキスタンは分離されることに成なった。イギリスの直轄地は住民投票で、藩王国はマハラージャー(藩王)の決定によってそれぞれへの帰属が決められた。カシミールは14世紀にはイスラーム化した土地だったが、当時の藩王はヒンドゥ教徒だった為、インドへの帰属を宣言する。これに対し、ギルギットなどの北西部の住民はパキスタンへの帰属を宣言。これが第一次の印・パ戦争に繋がるのだが、1949年の停戦時に停戦境界線が設定される。その結果、カシミールの北西部の1/3がパキスタン、南東部の 2/3 がインド支配と成り、概ねこの実効支配ラインが今日までの実質的国境として続くことに成る。
 この時まで、カシミールを含む北部山岳地域から平野部へは、シュリナガルを通る道があった。しかし分裂でシュリナガルがインド領に編入された為、ギルギットからパキスタン平野部への交通路を建設する必要に迫られる。


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 今日、パキスタンの首都イスラマバード (計画的に新しく建設されたのが首都イスラマバードだが、古くからの人々の生活の場は20kmほど離れたラーワルピンディにある) の西から北上すると、道はやがてインダス川と合流する。1959年に建設が始まった道だ。その後この道は 1967年には中国の協力の下で国際山岳道路として本格的に建設されることになる。1978年に完成したこの KKH (カラコルム・ハイウェイ) は4700mのクンジェラブ (フンジェラブ) 峠を越えて、現中国支配領である新疆ウイグル自治区 (東トルキスタン) のカシュガルまで続いている。86年には第三国の旅行者にも開放され、以後、中国支配域である新疆ウイグル自治区から旧ソ連圏中央アジアへの道(カザフスタン、キルギス)が開放される90年代後半までの間、現代のシルクロードを歩く旅行者にとって、重要な唯一の道に成った。
 というと美しい話のようでもあるが、残念ながら世界はそのように美しくばかりは構成されてはいない。最近は一定の友好関係が見られるとはいうものの中国はインドとの間には、ネパールやブータンを挟んで東側にも西側にも未だに国境問題を抱えており、1959年から62年に掛けては中印国境紛争が起こっている。以来、現在のインド領カシミール東部であるラダック地域 (参照) の北西側にあたるアクサイチンは中国が支配している。1959年といえばダライ・ラマ14世がインドに亡命した年だ (参照)。当時、印パ間でのカシミール領有問題を巡ってはソ連がインド支持の立場を取っていた。インドとの国境問題のみならず、ソ連との間には社会主義を巡る路線問題と国境問題を抱えていた中国がパキスタンを支援したのもそうした状況の故でもあったのだろう。この道の着工は1967年、完成が78年だが、事実、69年には中ソ国境紛争が起きている。

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 さて、取り合えず中国のことは放って置いて KKH を進もう。インダスを遡ると道は大きく東に方向を変える。途中、数年前にインダスの氾濫で大きな洪水に見舞われたチラースを過ぎて100kmほど東に進むとヒマラヤ山脈東端であるナンガ・パルバット (8126m) に突き当たり、川筋は再度北を向く。ここから先の山系はカラコルムだ。やがてジャグロットという小さな集落に着く。ここから対岸に渡って未舗装の道を南に進むとナンガ・パルバット南麓のベースキャンプへの基地であるタルシン村に到るが、途中、タルシン方向へ右折せずにそのまま南下する道が、嘗てこの地域とインド平野部とを結んでいたルートだ。もちろん現在は通行できないが、本来なら峠を越えてインド領カシミールのシュリーナガルに通じている筈だ。
 一方、インダス本流はジャグロットの10kmほど北で東に逸れる。やがて東南に方向を変えたインダスの上流は、ラダックから西チベットへと向かうだろう。だが現在、チベットからラダック (インド)、パキスタン領カシミールと国境を越えることが出来るのはその流れのみだ。


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 インダス本流と分かれた道は支流を北上し、やがて北部の中心であるギルギットの町に着く。だが中心とはいっても人口3万の小さな落ち着いた町だ。北のフンジェラブ峠 (カラコルム) から流れるフンザ川と、西のシャンドゥール峠 (パミール) から流れるギルギット川とがここで合流する。そして町の南20数km程で、カラコルムとヒマラヤの間から流れ出たインダス川に注ぐ。北には多くの7000m級の峰が連なり、南にはヒマラヤの西端、ナンガーパルバット (8126m) が控える。ヒマラヤの北にあたるので、モンスーンの影響は無く、何処までも青く澄んだ空、蒼い高みに白く輝く雪、緑成す麓の里。ここはパミールとカシミールの境だ。


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 首都からバスで16時間、陸路で訪れるには少しだけ大変な場所ではあるが、この町から北にはそれだけの苦労に値する風景と、そして人々の美しい暮らしが待っている。だが近年、この地域がこの国の中で置かれた微妙な立場と、シーア派とスンニ派の宗教対立、更には世界を席巻したムハンマド風刺漫画に対する講義などによって、この穏やかで美しい地域の治安が不安に晒されているようだ。願わくは、彼等の生活が穏やかで、我々旅人を暖かく迎えてくれる場所で在り続けて欲しいのだが。
                  (※ 2008年9月1日、大幅に加筆しました)

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by meiguanxi | 2006-10-14 02:09 | インド・パキスタン
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