ドウバヤジット (トルコ):民族の十字路
[ 西アジア略地図 ]
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                                    イサク・パジャ・サライドウバヤジット遠景(1989年)


 イスタンブール から直行バスなら24時間、トルコの最東端、それがドウバヤジットだ。
 あの「ノアの箱舟」が流れ着いたと言われるアララット山(5165m)の景観でも有名。イスラームの国であるトルコに
「ノアの箱舟」とは違和感を覚える方もいるかもしれない。「ノアの箱舟」といえば旧約聖書(タナク)の物語であり、
従ってユダヤ教やキリスト教の話だと。確かにその通りなのだが、「ノアの箱舟」が記されている旧約聖書「創世記」が
書かれた時代はムハンマドが生まれる遥か以前のことであり、またイスラームに於いてもノアはモーゼやキリストと共に
預言者(神の言葉を預かる者)とされているのだ。

イサク・パジャ・サライドウバヤジット遠景(2000年)                  イサク・パジャ・サライ(2000年)
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アララット(アラムート)(5165m)                                ドウバヤジット俯瞰(2000年)
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 現在は、アララット山頂はトルコ領に成っている。その東の麓からが、アルメニア領。アルメニアがキリスト教を国教としたのは2世紀終盤というから、世界で最も早くキリスト教を正式に受け入れた国と言って良く、彼等はノアの子孫を自称する。因みに、ローマ帝国がキリスト教国に成ったのは4世紀前半のことだ。今でこそカフカスの小国に過ぎないが、嘗ては
アナトリア(現在のトルコ共和国のアジア側領土)の半分を領土にしていたほどの国だった。
                          だが、今はその国境を越えることはできない。キリスト教国のアルメニアと
16世紀のモスクと紀元前の要塞跡  イスラームのアゼルバイジャンの間に、旧ソ連からの独立後に起こった領土問題           
b0049671_9493788.jpgにより、トルコがその国境を閉ざした為だ。
 一方、北の黒海沿いにグルジアとの国境は開いている。この為、グルジア経由での国際バスはトルコからアルメニアに運行している。不思議な話しでもある…。
 さて、ここからミニバスで30分程、アララット南の山中にはイランとの国境が
ある。こちらはオープンで、現代のシルクロードの旅人が行き来している。
 実は僕はこの町を3度訪れているのだが、初めて訪ねた1989年初頭、
ドウバヤジットは国境の要衝とは言っても極小さな田舎町に過ぎなかった。
当時の『地球の歩き方』によれば人口5,000人程度。だが次に訪れた92年、
町には新しい幾つものホテルが建設中で、何処か知らない町のように成って
いた。この時の『旅行人』に記された人口は36,000人。3度目は2000年だったのだが、この時には既に始めて来た時の面影は感じられなかった。イランとの国境貿易の中で、急速に発展しているのかもしれない。
 だが、そんな中でも変わらない風景がある。ひとつはアララット、もうひとつは
イサク・パジャ・サライだ。
 国境の町だけに郊外には大きな軍の駐屯地があるのだが、その前を通り過ぎ何も無い荒野の道を5km、最後のきつい坂を登り切った丘の上にイサク・パジャは建っている。17世紀終盤に着工され100年を費やして建設させたクルド人の王宮だ。さほど大きな建造物ではないが、往時、宮殿の中には366もの部屋があったという。変わらない風景と書いたが、外観は兎も角、実は初めに訪れた時に比し、2000年には内部は相当に修復が進んでいた。

クルド子供達                                            ロカンタ(トルコの飯屋)の親爺
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 アララットとその裾野に広がる広い荒野、そしてドウバヤジットのこじんまりとした町並みとを背景に静かに佇むイサク・パジャ。ここから見る光景はトルコ、イラン、アルメニア、そしてクルドという民族の歴史の舞台だ。もちろん同時にここは現代の重要な交通路であり、今も変わらぬ難しい民族の十字路なのだ。

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                                                      メインストリート(1989年)
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by meiguanxi | 2006-11-11 09:55 | 絲綢之路Ⅲ[西亜] | Comments(10)
Commented by orientlibrary at 2006-11-11 13:07
一番上の雪のイサクパシャ、とても貴重な写真ですね。こういう角度からこういう景色を眺めていた地元の人たちのことを想像しました。なんかグッとくるものがあります。トルコというか、本当にユーラシアのまんなかで、いろんな民族が興亡した複雑な長い歴史が、茶色のイサクパシャと一面の雪から立ち上がってくる感じがします。
最後の写真もいいですね〜。
このあたり行ったのは03年です。国境近くの街というのは独特の緊張感があるものだと感じました。快適とかキレイとかではなかったのですが、大自然や重層的な歴史の匂いなど、東トルコはとても強く印象に残っています。
Commented by meiguanxi at 2006-11-11 23:03
実際に行ったことのある方からそう言ってもらえると嬉しいです。構成的には右下の写真を上にして、89年のは2列目に’00年のと並べるべきなのでしょうが、どうしてもその写真のTOPは外せませんでした。“変わらない風景”と書きましたが、本当はこの間に随分と修復(置換)が進んでいて綺麗に成っちゃったんですね。初めの年の写真は、雪の中に靴を埋めながら漸く見付けた撮影場所だったので、素人写真ながらとても思い入れがあるんです。
この辺り、単に国境というだけではなくクルディスタンなんだという感慨に、より緊張を感じさせられていたような記憶があります。勿論イラク北部で本格的な自治権を獲得する前ですし、昔観たユルマズ・ギュネイの映画の印象も強かったので。
Commented by lunablanca at 2006-11-12 20:58 x
トルコってゆーと、アジアと欧州の交わるところいう短絡的なイメージがあるけれど
もっと複雑に交わっている場所なんですね。その交わりによる軋轢や難事が
今もそこにあるんですね。
Commented by meiguanxi at 2006-11-14 03:20
例えばアイリナはほぼイタリア人と変わらない顔立ちをしています。でもこの辺りの人は、そういう人もいれば所謂中東顔の人もいます。前にも書いたように、この直ぐ北のグルジアは金髪の人も多いんですね。民族って結局はアイデンティティの問題なので、国家とは直結しないんですね。でも、国家は民族意識をを権力の求心力にしようとするから、例えばトルコでは、国家内にクルド人が存在する事をいまだに認めていない。日本でも、アイヌの存在が公式に認められたのって、ほんのちょっと前ですよね。ギョネイの映画が話題に成って四半世紀…やれやれです。
Commented by りー at 2006-11-16 10:10 x
ブログを拝見していて時々思うのですが、没関系さんは変わり行く風景と人々、さらにそれでも尚変わらない風景と人々を今また旅して出会いたいと思っていらっしゃるのか、あるいはこのままにしておきたいと思っていらっしゃるのかどっちかな~ってw旅が’終わらない’のは没関系さんだけではないってことかな~ってw で、いつでもどこでも行ってよ~し、ってことになったらどちらへ、ごー?w携帯から失礼します
Commented by meiguanxi at 2006-11-17 07:53
ん~ん、難しい質問ですねぇ。昆明の記事でも書きましたが、取り分けて気に入っていた町並みが面影さえ残さずに近代化していくのを目の当たりにするのは、かなりキツイものがあります。これまで幾つもの町を再訪し、幾つかの変わり果てた町に辛い思いをしてきました。勿論、町の人々にとっての経済発展は共に喜ぶべきことだということ、また町は生き物であり時々に変化して行くからこそ面白いのだということ、そういうことは理屈では分かっているのですが。
でも今はもう大丈夫かなって気がしています、再訪した町が変わっていたとしてもね。それは何故だろう。理屈よりも多分、何度かそういうことを経験したからかもしれません。むしろ、今よりも面白かったそういう時代に旅できたということを、大事に思っています。で、また行きたいと思いますよ、昆明でもドウバヤジットでもラサでも。その町に旅として以前のように心動かされることは無いのでしょうけどね。
え~と、自由にごーですか?もしかしたらそれは場所ではない問題かもしれません。或いは…^^
Commented by zeroorleast at 2006-11-17 22:41
わぁ、2倍以上^^;のレスをありがとうございます。恐縮しきり。。。
「でも今はもう大丈夫かなって気が」・・・・ とても興味深いです~w
やはり没関系さんにはいつでも’旅’なんですね?
どこかの町で呑んだくれて暮らしてても何の違和感ない気もしますがw
旅である以上・・・人生を手懐けないとw だからかな<旅熱大再来
Commented by meiguanxi at 2006-11-17 23:47
日本ではほぼ毎日呑んだくれていますが(笑)、海外ではそうもいきませんよ、危ないですものw バンコックくらいですって^^A;
特に再訪の場合、居場所が見付けれるかどうかが大きいかなって思うんです。何時もの飯屋とか屋台とか、お気に入りの散歩道、或いは自分を知っていてくれる地元の人の存在とかね。そういう“場所”を見付けられないとなると、心変わりした女性のような表情を町に感じてしまうかもしれませんw
旅って“趣味”は確かに厄介ですよね(苦笑) なにしろなかなか人生と折り合わない^^A; 旅と人生は人を挟んで非常に嫉妬深い間柄なのかもしれませんw
Commented by りー at 2006-11-18 09:27 x
「旅と人生は人を挟んで非常に嫉妬深い間柄」
没関系語録のもしかしたらトップ10ですね~w
没関系さんの’旅’が普通の人の旅とステージが違うから。

ドウバヤジットの最近の写真を見つけました。たしかに写真と同じ建物を探すのは大変そう。
ただ、町は変わっても意外と住めば都の可能性がありますが、女性は・・・w
Commented by meiguanxi at 2006-11-18 12:35
凄い旅をしてる人って沢山いるし、だから僕のは全然たいしたことないんですよ。恥ずかしいくらいのもんです。
それはそうと、幾つに成っても女性と人生は難しいですww
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