タブリーズ と奇岩住居の村キャンド・ワン (イラン)
[ 西アジア略地図 ]
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                                                      バザールの宝飾品店街

 カスピ海の西、トルコ国境までのイラン西北部の角のような地方を、アゼルバイジャン州という。北にはカスピ海側にアゼルバイジャン共和国、トルコ国境側にアゼルバイジャンの飛地ナヒチェヴァン共和国、それらに挟まれて僅かにアルメニアと国境を接している。この地方の主要民族は、アゼルバイジャンと同じアゼリー。クルド人も多い地域だ。
 その最大の街がタブリーズ。サファヴィ朝の時代には一時、都が置かれた。トルコ国境に近い人口120万のこの街は、イラン第2位の貿易・産業を誇るが、旅行者の目にはさほどの活気は見られない、落ち着いた静かな街だ。
 トルコ国境への最後の町マクーからバスで4時間、首都テヘランからなら9時間の距離。

マスジッデ・カブード                                       マスジッデ・カブードのファザード
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アルゲ・タブリーズ                                   街角の壁画(肖像はホメイニ師:92年)
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 街の歴史は古く紀元前にまで遡るが、度重なる破壊と地震の為に見るべき歴史的建造物は殆どない。おそらく多くの旅行者にとっては通過するか移動途中便宜的に1泊するといった印象の街だろう。
 街の中心にアルゲ・タブリーズが建っている。これはモンゴルの地方政権であったイル・ハン国時代、13世紀の要塞跡だ。その姿は近代的な街の中で唐突とも映るが、真下から見上げる巨大さには圧倒される。
 また、チムール占領時の15世紀に建立されたマスジッデ・カブードは、流石は“青の都”と賞されるサマルカンド(現ウズベキスタン)の街を建設したチムール朝の建築だけあって、青い色タイルで装飾された姿は別名“青のモスク”と呼ばれるのだが、保存状態は良くない。ただ、近年は修復に力が入れられているようだ。

街角の老人
b0049671_1512024.jpg 尚、ここから北へ向かうと、嘗てのソ連と列車で繋がれた重要な国境ジョルファに至るが、現在その国境はナヒチェヴァンとの国境になっている。国境は開いているが、ナヒチェヴァンから先にはトルコにしか抜けられない。領土をめぐるアゼルバイジャンとアルメニアとの紛争の結果だ。(カフカス地図
 ナヒチェヴァンがアゼルバイジャンの飛び地なら、アゼルバイジャン内にはアルメニアの飛び地であるナゴルノ・カラバフがある。実はその住民の多数派はアゼリー(アゼルバイジャン人)なのだ。ソ連からの独立後、この帰属を巡って戦争が起きる。アルメニア人にはその悲惨な歴史からユダヤ人同様に多くの海外移住者がいる。パレスチナ問題でアメリカが常にイスラエルを支援するのと同じように、この時、多額の資金がアメリカからアルメニアに流れた。結果、アルメニアはナゴルノ・カラバフの東側アゼルバイジャン領(ラチン回廊)を含めて占領、ナゴルノ・カラバフは独立国として共和国を名乗ることになる。ただし、これを承認しているのはアルメニアだけだ。あまりに複雑な民族構成と歴史。紛争や対立は何時の時代も旅人の道を塞ぐ。
 近年、アルメニアはこの地域が本来アゼルバイジャンに属することを認めた。その後の経緯が明るいものであってほしいものなのだが。
 その東にアルメニアとの国境ノウデーズが開いているが、こちらは双方とも非常に交通の便が悪く、特にアルメニア側では、バスを数日待つこともあるという。

 ところで、タブリーズから車で1時間半ほど南に、キャンド・ワン(キャンド・ヴァン)という村がある。凝灰岩の侵食によってできた奇岩に、穴を穿って住居が造られている。
 こう言うと、トルコの有名な観光地、カッパドキアを思い起こされる方も多いだろう。勿論、あれ程の規模ではない。だが、ここはカッパドキアとは違い、殆ど観光地化していない。2・3の茶屋はあるものの、ここにはアゼリー達の日常の生活が今も息づいている。

キャンド・ワン村
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 この村の全景ついては、他の幾つかのサイトに素晴らしい写真が掲載されているようなので、興味のある方は検索してみると良いかもしれない。
 (尚、近年、ここへのツアー等も出てきたようで、もしかしたら現在では少し観光化が進んだかもしれない)

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by meiguanxi | 2006-11-21 23:55 | 絲綢之路Ⅲ[西亜] | Comments(0)
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