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アルデビル (イラン):サファヴィ朝発祥の地
[ 西アジア略地図 ]
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                                                   シェイク・サファ・ウッディン廟

 タブリーズから東にバスで4時間、アルデビルは標高1300mの高原にある。
 東のカスピ海までは5~60kmだが、カスピ海は海抜 マイナス28mなので、途中は激しい傾斜道が続く。これを下り切った所がアゼルバイジャンとの国境アスタラだが、第3国人の通過は流動的であるようだ。首都テヘランからアルデビルまでは、カスピ海西岸を遡り、アスタラ経由で10時間。


シェイク・サファ・ウッディン廟入口               イランは642年、ササン朝ペルシャがアラブのサラセン帝国に
アルデビル (イラン):サファヴィ朝発祥の地_b0049671_2324111.jpg滅ぼされて以来長く、アラブやモンゴルなど他民族の支配を受けることになる。ティムール帝国が衰退した1502年、サファヴィ朝がササン朝以来のイラン人政権を建てる。実に860年振りの独立、その発祥の地がアルデビルだ。

 イスラーム世界ではムハンマドの死後、親友アブー・バクルが彼を後継し、カリフ(教主)を名乗り政教両面の指導者となる。この後、2代ウマル・3代オスマンの時代に、アラブのイスラーム帝国(サラセン)は隆盛を極める。ゾロアスター教だったササン朝が滅ぼされるのはこの時代だ。
 イスラームの多数派であるスンナ派(スンニー派)では4代カリフまでを正統カリフ時代と呼ぶが、シーア派ではムハンマドが生前、神意を受けて従兄弟であるこの4代カリフ・アリーを後継に指名していたとし、それ以前の3代のカリフを認めていない。
 アラブではアリーが暗殺され正統カリフ時代が終わった後、サラセン帝国をウマイヤ朝が引継ぐ。
 シーア派ではアリーの血縁を唯一正統な継承としているが、その子フサインがウマイヤ朝に殺害され、フサインの生き残った子である小アリーの母がササン朝ペルシャ最後の皇帝の娘だという伝承がある。
 サファヴィ朝はシーア派の主流である12イマーム派のサファヴィ教団に始まるが、イスラーム主流派であるスンナ派とシーア派の対立は、アラブとペルシャとの対立に始まっているとも言える
                                   かもしれない。

 街にはサファヴィ教団の祖であるシェイク・サファ・ウッディンの聖廟があり、ここにはアラブ風のスルタンという呼び名を廃し、ペルシャ風のシャーを名乗ったサファヴィ朝初代皇帝イスマイルⅠ世も葬られている。
 しかし今、普段の廟は訪れる人も少なく、雪深い落ち付いた地方都市にひっそりと静かに佇んでいる。

シェイク・サファ・ウッディン廟外観                      金色に輝くシェイク・サファ・ウッディン廟内部
アルデビル (イラン):サファヴィ朝発祥の地_b0049671_23254151.jpgアルデビル (イラン):サファヴィ朝発祥の地_b0049671_23261542.jpg


 尚、隣のイラクで2003年の戦争後、04年に凄惨な戦闘が繰り広げらたナジャフで、サドル師率いる民兵組織が立て篭もり、アメリカの攻撃による破損も伝えられたモスクとは、アリーが祭られたイマーム・アリー廟を内包するモスクのことだ。シーア派にとって、その戦いが繰り広げられた場所、そして攻撃を受けた場所が、どれ程の聖地であるのかが分かると思う。皮肉なことに、サダム・フセイン政権が倒れた後、イラン人達が国境を越えてこのアリー廟を訪れることが自由になった。今ではバスを連ねた巡礼が後を絶たない。一方で、革命ホメイニ政権を潰そうとアメリカがイラクの後押しをしたイラン・イラク戦争以来の、イラン人のアメリカに対する憎しみはイラク戦争後の今、最高潮に達している。

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                                                         バザールの干物屋
by meiguanxi | 2006-11-22 23:31 | 絲綢之路Ⅲ[西亜] | Comments(2)
Commented by orientlibrary at 2006-11-25 04:25
クラクラしそうにステキです。青のタイルの廟、、
バザールの干物やさんもいい感じですね〜。。 
イラン、本当にいいなあ。個人で行くと、タブリーズからこういう土地にも行けるんだなあ。もし次に行くとしたら、アルデビルはぜひ行ってみたい場所のひとつになりました。
Commented by meiguanxi at 2006-11-25 13:12
はははっ^^ 流石に本格派イスラーム・タイル好きですね(笑
この町、実は短い滞在だったので町の様子を良く知っているという訳ではないんです。まあ、小さな町なんですけどね。雪が降っていてとにかく寒くて。
海外であまり土産物は収集しないタイプなのですが、青いイスラーム・タイルといえばサマルカンドのアフラスィャブの丘、トルクメニスタンはキョネ・ウルゲンチのグルガンジ、この2つの場所で拾った幾つかの陶器破片は宝物としてケースに入れて本棚に飾ってあります。
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