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麗江 (Lijiang 雲南省) : 納西族と世界遺産の町
[ 雲南省略地図 ]
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                                                      旧市街のメインストリート
(この記事の写真は1992年当時のものです)

東チベットへと続く滇蔵公路を、大理(ダーリ)鎮から北に140km余りの地点から、東に45kmほど入ると、
麗江(リージィァン)だ。大理からはバスで7時間ほど。(注:下段にて補足)
この町は新旧の市街地にはっきりと分かれる。新市街は閑散とした現代の町。
一方、旧市街は800年の歴史を誇る納西族(ナシ族)の古城だ。
古城と言っても中国の古い町には珍しく、城壁はない。嘗てこの町の統治者の姓が「木」氏であった為に、
城壁を巡らすことが「困」に繋がるとして嫌った為だという。

旧市街中心の広場・四方街の朝市                        旧市街には何本かの水路が流れている
麗江 (Lijiang 雲南省) : 納西族と世界遺産の町_b0049671_1122929.jpg麗江 (Lijiang 雲南省) : 納西族と世界遺産の町_b0049671_113717.jpg



麗江 (Lijiang 雲南省) : 納西族と世界遺産の町_b0049671_11448.jpg麗江 (Lijiang 雲南省) : 納西族と世界遺産の町_b0049671_1143879.jpg


 斜面に石畳の路地が網の目のように広がり、まるで迷路のような面持ちだ。瓦屋根の四合院造りの家並みを細い水路が縫う。水路には野菜や食器を洗う人々の姿。
 納西族はチベット系の少数民族。東巴(トンパ)文字という独特の形象文字を持ったことで知られる。
 町の標高は2400m。すぐ北には標高5596mの玉龍雪山が控える。
 麗江の北8kmに白沙(パイサ)という村がある。ここでは4ヶ所の、チベット仏教の見事なフレスコ画を見ることが出来る。明代16世紀のものだという。

四合院造りの家屋                                                     黒龍潭公園
麗江 (Lijiang 雲南省) : 納西族と世界遺産の町_b0049671_1152914.jpg麗江 (Lijiang 雲南省) : 納西族と世界遺産の町_b0049671_116729.jpg


 ところで麗江は96年2月、震度7の地震に見舞われた。昔ながらの町並みは一部を除いて壊滅的な打撃を受けた。
 この再建に当たって、2つの選択肢があった。近代化と伝統に沿った再建と。納西の人々は後者を選択し、形式も色も高さも規制した。こうして翌97年、この旧市街は世界遺産に登録されることになる。
 これを機に町は一気に観光化の速度を速める。それまで、この町を訪れる者は、外国人バックパッカーくらいしかいなかったのだが。

白沙村の密教壁画                                                 東巴(トンパ)文字
麗江 (Lijiang 雲南省) : 納西族と世界遺産の町_b0049671_1171611.jpg麗江 (Lijiang 雲南省) : 納西族と世界遺産の町_b0049671_1175215.jpg


 今、手元に2001年発行のガイドブックがある。それによると、大理から麗江までバスで3~5時間と成っている。道路の改修が進んだのだろう。嘗ては新市街にも高層ビルなどは無かったのだが、今では高級ホテルが林立し、旧市街のすぐ傍にまで迫っているという。
 現在の旧市街を写真やTVで見ると、なるほど伝統的な雰囲気を上手く作っているし、破壊されなかった路地もあるようだ。だが、水路は美れいに整備され、ツーリスティな感覚は否めない。
 尚、玉龍雪山には98年にロープウェイが施設され、標高4500mまで登れるように成ったそうだ。また、納西古楽の楽団が、毎夜、公演を行うように成ったという。この楽団は04年に来日し、TV出演もしていた。

麗江 (Lijiang 雲南省) : 納西族と世界遺産の町_b0049671_1184179.jpg
                                                  玉龍雪山を背景にした白沙村
by meiguanxi | 2006-12-08 00:38 | 雲南省と少数民族 | Comments(6)
Commented by yamane at 2006-12-08 21:21 x
没関系さんこんばんは、お久しぶりです! 帰国しましたー!
早速こちらをのぞいてみたら、雲南ですねー。いいですね。
私はこのあたりは89年から93年頃までよく動き回ってました。昆明から大理、たしかに12時間はかかりましたよねー(笑)。大理から麗江も一日がかりの移動でした。どちらも招待所がいくつかあるだけの、今からは想像できないような町でしたね。
90年に訪れた景洪がすごくよくて忘れられず、93年に再訪しましたが、飛行場ができた町は大きく変わっていました。町が変わっただけではなく、人も。
そうそう、90年に景洪から昆明にバスで戻ったとき、途中で泊まったバス駅の招待所が1人1元で、後にも先にもこれより安く泊まれたことはありませんでした。「青龍」とか、なんかそういった名前の町でした。
すいません、とりとめなくて。ではまた遊びに来させてもらいますー!
Commented by meiguanxi at 2006-12-08 23:14
良くぞ御無事で^^ 腰の状態も良かったようで何よりでした~。記事と、出来れば写真も楽しみにしてますね。
で、そうでしょ? 僕も最近98年暮れから00を別にすれば、90年から93年頃にあの辺りをうろうろしてたんですよ。会ってたっておかしくなかった筈なんです^^
大理や麗江の変化も泣けますが、昆明や、そう、景洪はもう無残ですよね…あの頃、景洪までバスで2泊3日も掛かったんですよね(笑)。まあ、1泊2日のハードなのもありましたけど。90年の景洪は本当に素敵な場所でしたよね、バンブーハウスでの生活も(涙
Commented by lunablanca at 2006-12-10 14:04 x
迷路のような街と言っても、欧州のそれとは趣が違って
おもしろいです。なんだか子供の頃の田舎のおばあちゃんの家付近
のような佇まいで、懐かしい空気です。
Commented by yamane at 2006-12-11 21:20 x
あー、そうだったんですか。ほんとに、実験飯店とか茶花とかで、すれ違ってるかもしれないですねー。
バンブーハウス! なつかしいー!
景洪賓館のバンブーハウスもよかったけど、町外れに地元の人たちがやってるゲストハウスがあって、そこもすごく素敵でしたね。高床式の2階部分に泊めてくれて、下の土間は調理場と食事ができるスペース、一緒にブタとかもいて・・・。
93年に行ったときには、台湾からの団体客相手の観光レストラン街(民族ショー付!)に大変貌を遂げていて、いやもう、悲しかったです。
Commented by meiguanxi at 2006-12-12 07:29
るなっち、欧州の町は石でしょ。だから南イタリアとかバルセロナの路地ってちょっと暗い感じがする。覆面をした騎士掛け抜けて行くみたいなさ(笑)、もっと現実的にはガキっちょの引ったくりとかね。まあ、そんな雰囲気もそれはそれで素敵なんだけど。
アジアでも南だとちょっと怪し気な雰囲気が漂っていて、余所者が通り抜けるには少し緊張しちゃうような場所もあるけど、ここはそういう感じじゃないんです。
もっとも僕はこの風景に懐かしさを感じる年齢ではないけどね♪ えっ?w
Commented by meiguanxi at 2006-12-12 07:34
ヤマネさん、実験飯店懐かしい~。初めて看板を見た時、何を食わされるんだ?って思っちゃいましたけど(笑
そうですか、景洪は93年で既にそんなふうに成ってたんですね。98年暮れに行って泣きましたよ僕は。あのタイ飯屋の通り、綺麗に舗装されていて、民族ショー・レストランばっかりに成ってました。綺麗に着飾った娘達が客引きしてたり。あの通り、既に村みたいなもんだったでしょ。でも何処まで行っても村なんてなくて、ずっと町でした、トホホ
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