シュリーナガル(インド):戦乱と吉祥の町
[ カシミール・ラダック略地図 ]
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                                                        ハウスボート・ホテル

水パイプを吸うシカラ漕ぎの爺さん
b0049671_7412282.jpg インド地域は1947年にイギリスから独立するが、この際にヒンドゥとイスラームという宗教の違いからインドとパキスタンとに分裂することに成る。イギリスの直轄地は住民投票で、藩王国はマハラージャー(藩王)の意向でそれぞれへの帰属が決められた。
 カシミール藩王は独立を志向するが、パキスタンが軍を出したことを受け、ヒンドゥだった藩王はインドに支援を求め、インドへの帰属を承認する。一方、カシミール主要部は14世紀にはイスラーム化した土地だったので住民はこれに反発する。これが第一次の印パ戦争に繋がるのだが、49年の停戦時に停戦境界線が設けられ、北西域1/3はパキスタン、南東域2/3をインドが支配することになる。その後60年近く、今日まで概ねこのラインを境にカシミールの分裂状態が続いている。尚、北東部のアクサイチン地域は中国がチベット自治区と新疆ウイグル自治区とを結ぶ要衝として実効支配しており、これがインドとの国境問題として残されている。
 シュリーナガルはインド領ジャンムー・カシミール州に属するが、住民の多くは今でもムスリムだ。町には幾つものモスクがあり、特にジャマー・マスジッド(金曜モスク)はサラセン建築のモスクとして有名。


ダル湖のハウスボート                                                    蓮の収穫
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生活の場としてのハウスボート                                町中の川に浮かぶハウスボート
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 ジェーラム川とダル湖に囲まれた美しいこの町はまた、ムガール帝国(中央アジア・チムール系のイスラーム帝国。16世紀前半からイギリスに占領される19世紀半ばまでインド北部を支配した王朝))時代の皇帝達にも愛された土地で、当時の皇帝が建設させた幾つかの庭園も残されている。また、ダル湖に浮かぶ数々のハウスボートは旅行者達の宿として人気を集めている。シカラという手漕ぎボートで揺られるダル湖のひと時は至福の時間だ。
 ただし80年代から一部で独立を志向する機運が高まり、90年代に入って散発的な戦闘が繰り返されることになる。当然、観光は壊滅的な打撃を受ける。僕が訪れたのは94年だが、この時には既に観光客は殆どいなかった。客室が2つしかない小さなハウスボートに泊まっていたのだが、オーナー氏は1人で町に出ることを許さなかった。食事の用意や雑用をする青年が1人いた。町に出る時には彼をガイドに付けるというのだ。料金は取らない。彼も駄賃を要求したりはしない。町では突発的な銃撃戦が頻発しているということだった。事実、町中の所々に土嚢が積まれたポリスボックスのような看視所があり、軍人が銃を構えていた。
 ハウスボートから眺めるダル湖の風景は明媚で、ここが争いの最中にある場所なのだという現実感を俄かには上手く捕まえられない。だが事実、この後、僕の乗った長距離バスはゲリラと政府軍との銃撃戦に巻き込まれそうに成ってしまったのだ (参照)。

カシミール様式の建築                                         シャー・ハムダーン・モスク
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 95年にはパキスタンとの間で大規模な戦闘があり、この町の西、ラダックとの中継地であるカルギルという小さな町付近が壊滅的な打撃を受けたというニュースがあった。カルギルは秘境ザンスカールへの道を分ける要衝でもあるのだが、その後どうなったことか。
 一方、2005年パキスタン・カシミール地震の際には、実行支配線を越えた国際バスの運行が始まったという良いニュースもあった。
 町の名前は女神ラクシュミーを表すシュリーの町(ナガル)という意味だ。ラクシュミーとは日本で言うところの吉祥天のことなので、“吉祥の町”といったところだ。吉祥の町が半世紀を越える争いの地となっていることは、実に皮肉でもあり悲しい現実だ。

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                                シュリーナガルの町並み:シャー・ハムダーン・モスク遠景
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by meiguanxi | 2006-12-13 02:39 | インド・パキスタン | Comments(25)
Commented by orientlibrary at 2006-12-13 23:04
カシミールも行ってらっしゃるんですね。94年って、、行っている人少ないのでは??
昔のインド本(横尾忠則など)を読むと、憧れてしまう場所ですが、なかなか行けません。
カトマンズなども70年代とは違うのでしょうし(私はかなりガッカリしました)、かつての精神世界の旅の街はどこも変化していそう、、と思うと、シュリナガルは今はどうなんでしょう。
ほんとに名前の通り、吉祥の平和なところになったらいいですね。東京の吉祥寺と姉妹都市にして、観光で盛り上げれば、、
いずれにしても、やはり一度は行ってみたいところです。
Commented by meiguanxi at 2006-12-15 23:55
多分、ちょうど94年くらい以後に行く人が激減したんじゃないでしょうか?
シュリーナガルからラダックのレーに至る道、とっても美しいんですよ。移動は大変ですし、ゲリラ達の主戦場なんですけどね^^A;
印パ関係は改善の方向だけど、やっぱりゲリラさん達はいる訳で、最近の旅行状況はどうなんでしょうね。そういえばお友達がザンスカールに行ったとかおっしゃってませんでしたっけ?
Commented by yaki at 2007-02-07 06:04 x
ここの写真にあるrajas gardenの親戚のボートを定宿にしているものです。
もしかしてそこに泊まっていたのですか?
Commented by meiguanxi at 2007-02-08 00:28
yaki さん、はじめまして。 定宿って最近のことですか?今、カシミールの旅行状況は安定しているのでしょうか?
僕が泊まっていたのは、姻戚関係は知りませんが、rajas の前(この写真を撮れる位置)に浮かべられた pride of INDIA というちっちゃなボートです。今でもあるのかなぁ…
Commented by yaki at 2009-02-12 04:35 x
ご無沙汰していました。
コメントを入れたことを忘れていました。
カシミール情勢は以前と比べたらだいぶん良くはなって来ましたが、昨年の夏は州首相の失政が元で大混乱になっていました。秋から年末にかけて州議会選挙がありましたが、それも一段落し、今はやっと落ち着きをとりも出しつつある状況です。

PRIDE OF INDIAはあった気がします。
あまり小さくなかったような…

Commented by meiguanxi at 2009-02-12 21:34
本当にお久し振りです。日付を見ると丸2年・・・良く見つけられましたね^^
07年の夏に、ザンスカールの帰りにカルギルに寄ったんですが、物凄く発展していてびっくりしました。パキスタンのカシミーリーとか外のムスリムの意向ではなく、あの地域の人々の意に沿った政策がなされると良いのですがね。でも、同じジャンムー・カシミール州の中では仏教徒地域は割を食わされている感もあるし、一概に無責任なことは言えません。
って、 yaki さんって、もしかして旅行人の掲示板に書き込んでいらっしゃる方ですか? むちゃくちゃ詳しいですね。ただ者じゃない雰囲気です^^A;
あ、少なくとも1994年当時の pride of INDIA は、上の写真の rajas garden の隣に写っているボート程度の船でしたよ。
Commented by yaki at 2009-05-04 03:18 x
そうですよ。
そちらのように広くは知りませんが、狭く、ほとんど生活者のように居座っていましたからね。
でも、自分の知れる範囲は限られているし、知れば知るほど地域社会はどろどろしているので、進んでいいのかためらいがちになります。
ニュースなどで見ると、また今度は国政選挙のとばっちりで、荒れているみたいです。それは5月中には終わるのですが、いい加減まともな情勢にならないんでしょうかね?
ハウスボートのみんなはシーズンインなのに青色吐息です。
Commented by meiguanxi at 2009-05-04 22:17
インドの国政選挙はかなり混乱してるようですね。それはそうと路上生活者にも選挙権が与えられると聞いてびっくりしました。
なにしろ大きな国だし人種の坩堝だし、僕たちが考えるのとは「まとも」の感覚が違うのかもしれませんね。
Commented by yaki at 2009-06-08 03:22 x
総選挙がやっと終わったと思ったら、今度はインド兵によるレイプ殺人事件で荒れています。
カシミールで暮らす人たちは疲れ果てています。
ハウスボートのリストラも始まりそうです。
明るい話題がなかなか見つかりません。
そろそろ騒ぎも終わるといいのですが。
Commented by meiguanxi at 2009-06-08 21:48
表層的な報道でしか知らないですけど、左派を自任する者から見ても無茶苦茶な左派政党を選ばなかったのは、インド有権者の良識なのでしょうか。或いはそれを考える知識なんて無かったってことなんでしょうか・・・まぁ、あの人口であの状況で民主主義が民主主義として機能するのはまだまだ難しいんでしょうね。
そうですね、現地の人々はとにかく安定してほしいって願ってるんでしょうね。ハウスボートのリストラって何です?強制撤去とかそういうことですか?
Commented by yaki at 2009-06-09 04:13 x
あはは!
私も心の中はバリバリ左派です。
人と話しているときは顔色見て結構合わせてしまいますが。

インドの有権者がどれくらいの知識や判断が出来る能力があるのかは測りかねますが、ガンジー家の人民会議派一番のブランドだし、特定の宗教に偏らない政策をモットーとしているし、経済学者のシン首相ののおかげかどうかわかりませんが、経済や外交上もうまくやっているように見えるから良識があったのでしょうかね?

(字数の関係でつづく)
Commented by yaki at 2009-06-09 04:14 x
ハウスボートのリストラとは、ここ数年ダル湖をはじめカシミールの湖沼の水質汚染がひどくなっていて、現地からの報道でもこれは何とかしないといけないと言うニュースがしばしば流れて来るようになりました。
水質汚染の原因は水上生活者や湖の周りに住む住民の雑排水なのですが、行政機関や裁判所は近年水上生活者の移転を進めてきました。
古い写真を見るとスリナガルの川にはぎっしりとドゥンガボートという住居専用の地味なボートがぎっしりとありますが、今となってはドゥンガボートはすっかり少なくなって、ダル湖や周辺の運河、ジェーラム側の繁華街の近くあたりに宿泊客を泊める用のハウスボートがあるくらいです。
真偽ははっきりしていないのですが、ジェーラム側サイドの安宿クラスのハウスボートの継続は認めない方針を出して撤去が始まりつつあると言う話もあります。
Commented by yaki at 2009-06-09 04:15 x
湖のほうも、同じく安宿クラスのハウスボートはいずれ認められなくなると言う話は何年も前から聞いていました。
ご存知かと思いますが、ハウスボートの排水は洗面所やトイレの排水を含めて全部垂れ流しです。最近は情勢がよくないのであまりならないのですが、インド人観光客で繁盛していたときは水が黄色くなったのを見たことがあります。
そういったこともあって、行政の出先機関LAWDA(lake and waterway assosiation)が裁判所の後押しで、進めている浄化活動の一環で、選ばれたハウスボートを一直線に並べて、配水管を配置して接続させて汚水が湖に流れ込まないようにしようと言う計画を強力に推し進めようとしています。
ダル湖上には1500隻以上のハウスボートがあって、その経営者家族が日々生活していて、それ以外にも漁師や農家などもたくさん住んでいますから、単純に想像するだけでもものすごい環境負荷がかかっていることが理解できます。
かといって、「虫けらどもどっか消えろ!」と言うようには行きませんし、私もハウスボートの人たちとは長年の付き合いがありますから、どうしても彼らの不憫さに同情的に見てしまいます。
辛いジレンマです。
Commented by meiguanxi at 2009-06-09 22:30
yaki さんwww
HPとかブログとかにリンクされてないから分からなかったんですけど、ま、ココの管理人は左派だって分かってて欲しいかなって^^ 批判も議論も出来る限りは付き合う心積りでやってます。
で、もの凄い詳しい情報をありがとうございます!インド・カシミールのこんなに詳しい進行形の情報がココに報告されるなんて身に余る光栄です。
ん~、で、なんと言ったら良いんでしょ。確かにそうですよね、排水に関しては山もそうだけど観光客が増えたらなんとかしなきゃな問題ですね。ま、ドゥンガボートって言うんですか、上から6枚目みたいな舟ですよね。ああいう生活者たちの生活は水質の悪化には直接関係無いのじゃないでしょうか?だって昔からそうだったのだし。それとも彼らの人口とかボートとかも急激に増えてるのでしょうか?
州政府の政策自体は正しいと思えるですね、伺っている限りでは。ただ個々の貧しい生活者たちの生活と折り合いを付ける積りがあるのかどうかとか予算とか。もっと政情が安定すれば、観光客、ま、つまり僕らがその一部を負担するって方法も考えられるのかもしれないけれど。
Commented by yaki at 2009-06-10 05:27 x
あまり議論が得意でないヘタレ者のyakiです。
ドゥンガボートに代表されるような水上生活者の処遇の問題はさまざまな角度から見ることが出来ます。
主さんのおっしゃることは人口が過去と変わっていなかったらその通りかもしれませんね。
おそらく過去何百年にわたってダル湖は下にたまったヘドロを積み上げてあちこちに島を作り、そこに家を建てたり、農地にしたり木を植えたりしてきました。多分ここが観光地でなかったら大して問題にされていなかったかもしれません。でもここは世界に誇っても良いくらいの観光地でした。(情勢さえ良ければ)
陸上生活者の知り合いが言うには、80年代から90年代にかけての紛争時のどさくさにまぎれて、多くの水上生活者が違法に湖上や湖畔にどんどん進出してスラムを形成し環境を破壊していると言っていた。
Commented by yaki at 2009-06-10 05:28 x
さらに、この問題の裏には水上生活者をめぐるカースト差別の問題が根深く突き刺さっていると感じざる得ない。
彼によると、水上生活者はハンジーと呼ばれるカーストコミュニティーを形成し、この地域では最も蔑まれる一族とされている。
だから、ハウスボート経営者にはハンジーしかいない。
インドのほかのカースト制度と同じく通婚も原則ない。
大方のハンジーは教育を受けていないので、家業か単純労働にしかつけない。
Commented by yaki at 2009-06-10 05:29 x
性に対する規範もだいぶん違うらしい。あちらはイスラム文化圏だから女性はなるべく男を刺激しないような地味ないでたちでいることが望ましいらしい。
確かに比べると、ハンジー系の女性はきれいな配色の服を着ている人が多い。
近くで見ていてもハウスボートの女性陣も着る物の派手さと組み合わせには非常に気を遣っているのはわかる。
カシミールの援交の供給源は彼女らがほとんどだ。金のためなら奴らは何でもすると、千人斬りの友人は続けた。
ダル湖畔の山の裾の住宅地の人たちはたいてい何かの商売を経営していたり、役人だったり、医者や教育者だったりするものが多い。
例外もあるが、教育レベルが比較にならない。
観光事業で一発当てたハンジーは、土地を買って立派な家を建てて移り住んだものもいるが、それでも権力の中枢に関わっているものはほとんどいないと思う。

Commented by yaki at 2009-06-10 05:29 x
それと州外で商売をやっているカシミーリの中には多くのハウスボート出身者やその親族がいる。
彼らの多くは出会ったツーリストを騙して、法外な値段のツアーを組ませてハウスボートに連れてきたり、法外な値段で物を売りつけたり、果ては麻薬の売人をしているものもいる。
インド中でカシミールの評判が悪く、行く先行く先でカシミール出身者は無常な差別を受けざる得ない。この理由の一つは、こういった一部の不良カシミーリのせいだと思うが、こういう面でも一般のカシミーリは非常に腹に据えかねているところがあると思う。

さらに言うと、政策を立案、実行する側は差別する側出身者がほとんどだ。、彼らは差別と言ってもしようと思ってしているのではない。
先祖代々当たり前のようにそうしてきたので、ほとんど無意識でないかと思う。
もちろんされるほうはそうでないだろう。
生活の本分を奪われようとしているのだから
Commented by meiguanxi at 2009-06-10 23:58
あ~本当に物事は表層的な部分だけじゃ語れないなと思います。ハンジーはカーストだとして、彼ら自身はヒンドゥーなのすか?1回しか行ったこと無いんですけど、話した感じではムスリムだと思ってました。それとも同じムスリムでもカシミールではインド世界の因習のようにカースト概念が残っているのでしょうか・・・そもそもカーストっていうのがアパルトヘイトなんかと違って、被差別集団自体が属する宗教の心情に属する問題なのでややこしいのに・・・
ちょっとここ解決できないと先へ進めない^^A; あ、先へ進めたとしても、僕じゃたいした港には辿り着けないと思いますが;;
少し関係無いですけど、路上生活者の選挙権も保障しようっていう制度と、実際の貧困や差別やを解決しようという政策は必ずしも一致しないのですね。なんと言うか、理念が良く分からない;;
ん~インドは中国に比して民主主義国家と言える部分もあるかもしれないけれど、決定的に民主的なるものと遠い国だとも言えるのかもしれませんね。
てか、申し訳無いです。こんな処に時間を取ってもらって
Commented by yaki at 2009-06-11 01:02 x
もちろん彼らはモスリムです。
自らをカシミーリと名乗っていますが、陸の人からは認められているか疑問に感じるときもあります。
生活習慣はほぼ同じように見えますが、メンタリティーはちょっと違っているように感じます。
Commented by yaki at 2009-06-11 01:03 x
歴史的に言うと、カシミールはかつて、400、500年前はヒンズー教徒が大多数を占める地域でした。その後布教者が何人か入ってイスラム化が進んだようですが、想像するに、低いカーストの者からイスラム化して行ったんじゃないでしょうか?
今でもわずかにカシミールに残るヒンズー教徒はパンディットと呼ばれ、彼らは高位カーストのブラーマンに属し、教育レベルの高い者が多く、役人や経営者をしているものが多いようです。
Commented by yaki at 2009-06-11 01:21 x
しかし、彼らの多くは80年代からの紛争で焼き討ちや略奪にあいインドの他の地域に逃げ延びていきました。今でもスリナガルの旧市街や農村部にわずかに残って住んでいます。
パンディットについては、アジアプレスの廣瀬さんの現地報告にも取り上げられています。
ttp://www.asiapress.org/apn/archives/2008/09/16114540.html
Commented at 2009-06-11 01:29 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by meiguanxi at 2009-06-11 20:54
ん~、つまり高位にしろ下位にしろヒンドゥーの人達とは別に、ヒンドゥーから見たら下位のカーストであるハンジーと呼ばれるムスリム集団がいて、彼らは昔から決して経済的には恵まれた地位ではなかった。彼らがシュリーナガラル周辺で水上生活を始めた。或いは水上生活者達がイスラーム化した。いずれにしてもそれは元々はスラムみたいなものだったのだけれど、それが何時からか風光明媚な土地柄と合わせて観光資源になった。けれど今やす水質汚染が酷くなり、観光に直接関係しない、或いは支配階級(多くは陸上生活を営む裕福なムスリムなのでしょうが)から見てさほど地元経済に役に立ちそうにはないチンケなハウスボートも含めて秩序的に規制しようということになった、ということでしょうか。
Commented by meiguanxi at 2009-06-11 21:08
そうだとするとこれはヒンドゥーのカースト制度や宗教対立というより、いわゆる差別と貧困の問題ですよね。水質汚染に関しては確かになんとかしないといけない。けれど水上生活以外に生活の場を持たない人達の住処とか仕事とかをどう保障するのか、しないのか・・・。
多分そういう問題は中央政府ではなく州政府の権限に関わる問題なのだろうから、今回の総選挙にはあまり関係しなかったのかな・・・。勿論その上に前に書かれたようなヒンドゥーによる差別的横暴なんかも日常的にはあるのだろうし。
旅行者としては綺麗に成ることは場所が場所だけにありがたいことでもあるけれど、地元の人達の地の生活が阻害されて消し去られてしまうという点に関しては、善悪というより好悪の話としてつまらない気がしますね。
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