レー(ラダック / インド):西チベットの王国
[ カシミール・ラダック略地図 ]
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                                                  16世紀の王宮とツェモ・ゴンパ

 西チベットを支配した彼のグゲ王国を17世紀に滅ぼしたラダック王国の首都が置かれたのが、このレーの町だ。19世紀半ばにはカシミール王国に併合され、現在はインド領ジャンムー・カシミール州に属する。しかしシュリーナガルやカルギルなど州の西半分がイスラーム文化であるのに対し、東側一帯はほぼ完璧にチベット仏教の文化圏だ。
 標高約3500mのこの町に入るルートは3つ。一つ目は西に位置するシュリーナガルからのバス、二つ目は南のヒマーチャル・プラデーシュ州マナーリからのバス。もう一つはマナーリからザンスカール地方を突っ切るトレッキングルート。これは天幕・食料・燃料持参で少なくとも20日間ほどは掛かる本格的な行程に成る。現実的には前二者である訳だが、これはどちらも1泊2日の高所移動となるきついバスの旅だ。ただし、カシミール地方の帰属を巡るパキスタンとの戦闘や独立を求めるゲリラ戦など治安悪化を受け、ラダックを除くジャンムー・カシミール州への外国人の入域が禁止されたという話もあったが、現在はどうなっているか、詳しい情報を知らない。従って最も確実なルートはマナーリからのバスになる訳だが、こちらは標高5328mの峠を通るルートのようだ。

扇状地に広がるレーの町                                          王宮から俯瞰した町並
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 僕がこの町に行ったのは1994年。まだなんとか通過可能だったシュリーナガルから、ナミカ・ラ(3718m)やフォテュ・ラ(4107m)といった絶景の峠を通過するルートだった(参照前編後編)。そもそもこの旅に出たのは、暫く長い旅が出来ずにもんもんとしていた時、たまたま本屋で手にした 『もうひとつのチベット行』(後藤ふたば氏著:山と渓谷社:1994年初版)という本を読んでのことなのだが、上記リンク記事にも書いたように、軍とゲリラとの戦闘に巻き込まれそうになるなど、大変な旅に成ってしまった。
 ラダック地方は北にラダック山脈、南にザンスカール山脈という共にヒマラヤ西端の支脈に挟まれたインダス川上流の渓谷に沿った地域だが、レーの町はインダスから北に10km弱外れている。バスで入ると、渓谷が広く開けた遥か山肌からの扇状地のような場所に町が見えてくる。町はかなりの広がりを持っているが、旧市街中心部はごく狭い場所に集中していて、こじんまりとした印象だ。町の北側にゴンパ(チベット仏教寺院)があり、これを取り挟むように南にストリートが伸び、それを繋ぐ東西路によって南北に長い長方形のような形をしている。道には商店や宿、飯屋が軒を並べ、車道と歩道の段差を利用して野菜売りの露天が並ぶ。後藤ふたば氏は、(チベットの)「ラサの町の真ん中にある、大昭寺(ジョカン)の周囲に広がる八角街(パルコル)や、そこから縦横に伸びる路地によく似ている」と書いている。なるほどそんな雰囲気だ。ただ僕はラサよりは幾分モダンな印象を受けた(僕の知っているラサは1993年のそれであって、今では随分と変わってしまったらしい)。

メインストリートと町を見下ろす王宮                                         露天の野菜市
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 この時までにも現中国占領地(チベット自治区他)以外にも、インドやネパールでチベット系の人達を訪ねていたが、これだけの規模の町を中国占領地以外で目にするのは初めてだった僕には、少し違和感がある風景でもあった。つまりチベット系の人達と中国人が混在している光景には慣れているが、チベッタンとインド系の人達の混在に戸惑ったのだろう。だが考えてみれば古来、チベット、特にヒマラヤ南麓のブータン、シッキム、ムスタンなどと同じように、ラダックもまた中国よりはインド系との文化的交流の方が強かったのだから、こちらの方が自然な姿なのだが。


b0049671_037975.jpgb0049671_0374277.jpg      ラダッキの老婦人達
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 そんな訳で町にはチベット系の人達とインド系の人達が混在している。インド系と言っても、所謂インド系とカシミール系に分けられるのかもしれないし、チベット系と言っても所謂チベット系とラダッキ系とに分けられるのだと思う。だが、例えば僕の泊まったゲストハウスの家族はどう見てもインド系あるいはカシミール系なのだが、ネイティブ・ランゲージを問うとラダッキ(ラダック語)だという。ラダッキはチベット系の言語なのだが、この辺りも複雑な民族と歴史の現れなのかもしれない。それを表象するかのように、町にはアザーン(イスラームの祈りの時を知らせる呼び掛け)が流れる。ゴンパの斜向かい奥にモスクかあるのだ。
 町の北東にナムギャルツェモという岩山がある。その上から、16世紀に建設された王宮が町を見下ろしてる。9層の構造を持つその姿は圧巻だが、今では廃墟だ。ただこの王宮、実はラサの彼のポタラ宮のモデルであると言われている。
 ラダック渓谷には沢山のゴンパが点在している。有名な処だけでも東(マナーリへの道)は45km離れたヘミス、西(シュリーナガルへの道)のラマユルまでは124kmもあるので、場所によっては訪れるのは大変だ。だがチベットがご存知のような状態である今、ラダックはチベット文化をより濃く残す場所であり、そうしたゴンパの一つひとつも貴重な物だ。それらについては改めて紹介することにする。

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                                                 町外れに立つチョルテン(仏塔)

※ 2007.8.25 追記
  ここに掲載した写真は1994年の物だが、現在では上のチョルテン付近には立派なゲートが出来、町はこの外側に
  拡張されていて、全く違う景観に成っている。
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by meiguanxi | 2006-12-22 00:40 | ヒマラヤ・チベット | Comments(0)
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