愛する者へ



  ※ 2007.01.04 記

上の写真は2001年に僕が出した賀状だ。

僕はブログに日常の日記といったようなものを書かない。
時事に関することも基本的には書かない。
だが、今年のエントリーは、ここから始めることにする。
そしてこれは、“スナフキンの足跡” と “没関系” のプロフィールに成るだろう文章であり、
更に、大切な人へのこのブログに於ける証でもある。

さて、日記や時事に関してブログに書かないのと同じように、僕は基本的には賀状という物を出さない。
従って2001年は非常に珍しいことだったのだ。
写っているのは旅先で出会った各国の子供達。
世界が、世界の子供達の新しい世紀が、少しでも明るいものであるようにとの願いから構成したものだ。
だがその年の裡に、僕はもう1通のカードを出さなければならなくなってしまった。
下の写真がその時の写真。exblog に限らず、僕のブログに何回か立ち寄って下さったことのある方なら、
もしかしたら見覚えのある写真かもしれない。
そう、『アンナプルナの少女』で使った物だ。写真下の文章がそのカードに書いた内容。
読んでもらえれば判る通り、“9.11 テロ”の後、アフガンへの軍事攻撃を受けて書いたものだ。



     9月11日、私達はあってはならなかった忌むべき恐ろしい光景を目にしました。人類は未だこのようでしかない
   のかと、胸の詰まる思いでした。
    そしてその後のこのひと月半、それにも劣らない愚劣な事態の進行を目の当たりにしています。武力で何かの
   問題が解決できるという発想は悪しきロマン主義にすぎません。空爆によって今アフガニスタンでは、UNHCR や
   NGO の支援を受けられなくなった何万もの人々が飢餓と寒さ、そして戦火に命を落としつつあります。もし、我々
   “西側”の文明の到達に今日一定の優位があるのだとしたら、それは「武力によらない」という発想を我々はし得る
   のだ、ということ一点に掛っているのではないでしょうか。今、私達の文明は正に品性と知性とを問われているの
   だと思います。
    私達の政府は、中東やイスラム圏に対して欧米とは違うパイプを持っているにも拘らず、し得るべき真の貢献を
   かなぐり捨て、憲法さえをも等閑にした戦争加担をしようとしています。私はこの間、幾つかの集会とデモに、全く
   個人の資格で、個人の倫理にのみ従って参加しました。デモなんて17年振りです。勿論それで何かが直ぐにどう
   にか成る訳ではありません。私達一人ひとりの想いはなんと無力なのでしょう。けれど、マスコミの余りにも偏った
   報道の向こうで、それでも必死に訴え続けている人々が、決して少なからずいることも事実です。そして、この時に
   何らかの具体的な行動を執ることを回避する「知識人」を、私は今後インテリとは認めないでしょう。
    友人・知人の皆さん、せめて私はあなたに訴えます。今やるべきことは決して戦争に加担することではないのだと。
   もし賛同してくれるなら、あなたの友達にハガキを書いて下さい。法案は可決され、自衛隊は海外に派兵されるで
   しょう。まだまだ多くの人間の血が流されるのかもしれない。けれど私は諦めません。今進行していることに対する
   抵抗は決して諦められて良いものではないから。
    (これは個人の発想による行動であって、何らの組織・団体にも関係しません)   2001.10.21(国際反戦デー)



 勿論、こんな物が何かの役に立つ訳ではない。自己満足の極みであり、自分は反対したんだというアリバイ的跳ね上がりに過ぎない。しかし、もしアフガンを武力攻撃したのなら、例えばロシアはチェチェンへの武力行使と弾圧とを正当化するだろう、中国はチベット支配とその為の弾圧とを正当化するだろう、そう直感していた。勿論、“テロとの闘い”という大義名分のもとで。
 しかしながらアメリカはアフガンに進攻し、この国でも圧倒的多数の人々がそれを支持した。マスコミもまた、反対意見を述べることが禁止された統制下にあるのかと思うような状況だった。僕は酷い居心地の悪さを感じていた。いや、比喩としてではなく現実的な身体的嫌悪感すら覚えていた。事実、何回かのデモの後に体調を崩した僕は、劇症の帯状疱疹を患い2週間の入院を強いられることに成ったのだ。恐らくはストレスが相当に免疫力を低下させていたのだろう。
 結果、タリーバーン政権は掃討されたが、アフガン国内の情勢は未だに泥沼の様相を呈している。ロシアのチェチェン弾圧に関しては案の定、国際社会は口を噤むことになる。中国のチベット支配は加速し、その象徴としての鉄道が開通し、漢民族とその資本、文化が圧倒的な勢いで雪崩れ込んでいる。
 ところが事態はこれだけでは終わらなかった。そう、2年後のイラク戦争。サダム・フセイン政権はイスラーム原理主義とは無縁だったのだが、アルカイーダとの関係云々という無茶苦茶な理由付けさえされた。この時には欧州諸国の一部に根強かった反対論もあってか、この国のマスコミも少しはましな対応だった。だが、やはり多くの人々が戦争を支持した。結果、それから3年経った現在のイラクは、御存知の通りの悲惨な状況だ。現在、当のアメリカではあの戦争が間違いであったとの論調が主流に成った。一方この国では、当時の総括をしようという動きは、皆無と言っても良い。あの時この国の賛成は強力にアメリカの後を押したのだが。市民の賛成がその後ろ盾だったのだが。
 ところで、中東でイスラーム原理主義が台頭する背景の一つには、経済のグローバリズムがある。グローバリズムという名の経済支配、或いは経済搾取によって、国内・域内の経済格差が拡大し一向に希望の見えない貧困層がますます困窮する。そういう時にナショナリズムは求心力を持つ。イスラーム原理主義もまた、ナショナリズムのひとつの形だと言って良いだろう。
 この国もまた90年代初頭からのグローバリズムの嵐の中で経済格差が拡大した。そして今、特に若い層でナショナリズムが急速に振興しているように見える。中東と違うのはそれがアンチ・グローバリズムという形は取らず、むしろそれを積極的に受け入れる政権が先導しているという点だ。ナショナリズムを成立させる為には、一般的に言って2つの敵を仮想することが必要になる。外敵と内なる異端。近隣諸国が外敵になり、反対者は異端(非国民)になる。
 思うのだが、バブル経済崩壊後(素地はその時代に築かれたのかもしれないが)、この国は酷く下品に成ったように見える。己の利益のみに頓着し、他者への気遣いとか社会の未来とか、或いは恥というものを忘れた。昨今のM&I云々を巡る動きや言動はその端的な表れだ。ここでもグローバリズムが印籠に使われる。近頃、国益という言葉を良く政治家から聞く。確かに政治はそれを念頭に置くべきなのだろうが、アメリカで現在の政権が誕生し、その補佐官がその言葉を使うまで、少なくともこの国の政治家が国益という言葉を使うことは殆ど無かったのではないだろうか。今ではそれは誰も反論できない印籠の如くに成っているが、けだし国益のみに頓着するということは、利己的であるということと同義だ。
 同じように“普通の国”という言葉も良く耳にする。普通の国とは何だろう。実質的に一党独裁体制で労働者の人権も無視した剥き出しの資本主義を社会主義の名の下に突き進み、他民族の土地と人民を長きに渡って支配占領し続ける国が普通の国だろうか。伝統的宗教と結び付き、大統領の権力を独裁に近いまでに高め、エネルギー資源を糧に大国主義復活を目論む国が普通だろうか。或いはその圧倒的経済力と軍事力をもって他国に軍事侵攻して、一国の元首を逮捕し、自国の法律で裁いてしまうような国が普通なのだろか。世界に、おかしな国は数あれど、普通の国などというものは、無い。
 僕は“みんな一緒”という言い方が好きではない。一見それは理念として美しい言葉であるように見える。しかしそこには、一緒ではない者、異質な者に対する偏見と差別、その結果としての排除や抑圧、等々といったものへの抵抗の契機が欠如しているように思われるからだ。我々は“同じ”ではなく、“違っていて良いのだ”ということから始めるべきなのだ。もちろんそれは、みんな好き勝手で良いということを意味しない。“違っていて良い”為には、自己とは異なる他者を尊重することを必須とするからだ。グローバル化、僕はある意味でのそれは必要だと考えている。だがそれは、貧富格差の解消や人権意識の啓蒙、或いは地球環境という観点からの必要性なのであって、今のそれとは理念を異にするものだ。そしてそれは長い時間を経て徐々に達成される、或いは達成され続けるものであって、決して一国の力によってその理念を押し付けるような類の問題ではない。また、それでは解決しない種類の問題だ。それまでの間、むしろローカリズムは最大限に尊重されるべきなのだ。そのローカルなもの同士の絶え間無い衝突と軋轢(争いではなく)の中から、やがてグローバルなものが生まれていき、定着するという方法でしか、おそらく進歩は無い。そしてそれは、国家やナショナルなるものの止揚といったものとも繋がる、遠い道だろう。
 この国は今、明らかに憲法違反である防衛庁を省に格上げし、いずれ憲法9条を変えようとしている。しかし、憲法を変え軍備を強化し“愛国”教育を徹底すれば核ミサイルから国を防衛できるのか。国民の命と財産を守ることができるのか。コスタリカという国がある。憲法で軍隊を完全に放棄した国だ。アメリカ経済に依存し、近隣にはそのアメリカと敵対するキューバがある。直ぐ近くのエルサルバドルでは長い内戦の中で人口の5%が殺害された。そんな中で、アメリカからの再軍備の圧力を撥ね付け、彼等は永世中立を宣言した。勿論、その決断には高い倫理性とともに大きな覚悟を必要とするだろう。もし隣国が武力攻撃してきた時には、国家として少なくとも早急な武力防衛はしないということなのだから。彼等にとって幸いだったことは、我々の国に比べて隣国にそれ程の恨みを買っていなかったことだとも言えるかもしれない。逆に彼等にとっての障害は、この国以上にアメリカ経済に依存していたことだ。しかし、彼等はそれを決断した。
 「しかし現実的には」という反論が聞こえる。
 実際に攻められる可能性を考えたなら無責任ではないか、という声が聞こえる。愛する人を守らないのか、と。目の前で愛する人に危害を加えようとしている人間に対峙した場合と、これは違う問題なのだ。よろしい。それでも攻めるのなら攻めれば良い。覚悟をした以上、それは仕方の無いことでもある。戦争ではお前の愛する人が卑しめられるかもしれないんだぞ、という声が聞こえる。愛する人よ、例えその身が辱めを受ける時にも、高潔な心を失わずにいてほしい。あなたが、汚される訳ではないのだから。私はあなたの手を取り、何がなんでも逃げ通すだろう。逃げられなくなったなら、銃剣の前であなたを抱きしめよう。もし、一緒にいられなかった場合にも、その瞬間まで、私の心はあなたと供にいるだろう。彼等の決意とはそういうことを含むのだろう。誇り高く、美しい国民ではないか。
 1980年頃から、マスコミが“現実的”という言葉を頻繁に使うようになった。それに押されるような形で、左派政党や労働組合の中でもいわゆる“現実路線”が取られるようになる。結果、どうなったか。政党は風前の灯になり、労組は求心力と闘争力を失った。日教組に対するマスコミの攻撃は甚だしいものがあったが、それが弱体化する過程と義務教育の現場が崩壊する過程は見事に一致していたように見える。僕はいわゆる左派政党に組みするものではない(理念と方法論とを異にするから)し、労組運動も必ずしも好きではない(目的論が違うから)。しかし、それらは必要なのだ。批判の対象としてより高次の思考をする為だけにでも、必要なのだ。それらが力を無くした時、この国の多くの人々は理念的思考をほぼ停止したように見える。教育現場の荒廃は戦後民主主義の所為であるかのような論調が保守派からなされる。しかしそれを荒廃させたものは理念的思考の欠如なのだ。
 アフガニスタン復興に当たって、部族の武装解除に日本の組織が大きな貢献をしているという。それは、憲法9条を持った国にしか出来なかったことだと、現地の人も語っている。勿論、日本には自衛隊があり、アメリカの基地があるのだから、幸いな誤解というべき部分はあるのだが。我々は、在りもしない“普通の国”などという怪しげな印籠に翻弄されること無く、むしろこの9条を持って世界に発言し貢献していくことが、遥かに現実的であり、“美しい国”という誇りを持てることなのではないだろうか。
 第二次大戦に於ける国民は騙されたのだという言い方がある。そうでもあるだろう。しかし、何か事があった後で、その言葉はそれだけでは不充分だ。そこには反省が無いから。騙されたのでもあるかもしれないが、結果、その声が、手が、被害者を作り、挙句には自らをも苦しめたのだ。為政者の責任を追及する一方で、自らの責任をも問わなければ、それは反省とはならないだろう。しかし、為政者の責任さえをも曖昧にしてしまったこの国の人々が、自らの責任を問題にすることは、極めて狭い範囲の人々の間でしか行われなることがなかった。挙句には過去の過ちを検証する姿勢を“自虐史観”だなどという訳の分からない論調まである。何時の日か、またぞろ騙されたという言い訳をすることのないよう、しっかりと見極めて行きたいものだ。

 愛する人よ、大切な人よ、僕の心はあなたとともにある。
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by meiguanxi | 2007-01-04 10:29 | 愛する者へ or Profile | Comments(15)
Commented by orientlibrary at 2007-01-04 22:40
「中央アジア」で検索して遊びに来てから、旅のお話を楽しく読んできました。今回は重いテーマですが、一気に読みました。私も、自分の911以後のことを考えていました。
今、NHKで「消えた200億ドルの行方」というイギリスのドキュメンタリーをやっていて後半だけですが見ました。イラク復興基金は政治家や企業を肥え太らせ、200億ドルもの使途不明金があるといいます。イラクの生活基盤は破壊されたままで、基本的な医療も受けられない人たちが苦しんでいます。
アフガン攻撃は止めなければという思いでデモにも行ったのに、イラクのときはあきらめがありました。その後もわずかな寄付をしたり、講座などに行ったりしているだけです。。これでは、、、、、
普段の生活の中でできること=●マスコミ(番組や記事)への意見投稿(これは意外と効果あり) ●中東など誤解偏見を受けやすいイスラム圏のいいもの、美しいものを多くの人に見て感じてもらう ●選挙 ●異なる意見の人も含めて多くの人と話す ●具体的論理的な議論のためのスタディ  などは最低限しなくては。あと英語も。
あ、人のブログのコメントで今年の決意か!?? 失礼しましたあ!今年も遊びに来ます〜(^_-)-☆
Commented by meiguanxi at 2007-01-05 23:47
新年おめどうございます。
イラクの時にも酷い事に成るっていうのは分かっていたんですが、世界やこの国の人々の反応がまだしもマシだったんです。勿論、現地の人達にとっては結果として攻撃されるのかどうかが全てなんですが。その点、現地の人達には申し訳無いけれど、個人的には少し楽でした。本文にも書いたようにデモだとか集会だとかっていうものからは大昔に離れていたんです、それには思想的理由があるんですが。ただ、最近の世界(中国やロシアの経済的台頭の結果やこの国の事も含めて)を見ていると、暗澹たる思いをどうしても払拭できないでいます。今時、非武装中立だとかローカルとグローバルの狭間とか国家の止揚なんて言ってる奴、めったにいませんからね(苦笑
Commented by はぶ at 2007-01-07 01:12 x
この前TVで美輪明宏が「日本人は判断するのが下手」と言ってたけど、実感を込めて同感です。明らかなプロパガンダにのせられて皆が危険な方へ平気で向かってゆくのが、不気味で仕方ありません。日本人は無知無関心の罪深さをしっかり認識すべきだと思います。
Commented by meiguanxi at 2007-01-07 09:40
僕はナショナリズムについて書いたのですが、仰るように大多数の人達の無関心こそが、時に罪なのだとも思います…自戒も込めて。なんと言うか、突出したり衝突したりするのが苦手なのかもしれませんね。もしかしたら、天皇制によって無意識裡に構築されているであろう精神構造とかも、考えなければならないのかもしれません。
Commented by lunablanca at 2007-01-09 11:38 x
あけまして、おめでとうございます。
昨年中は、いろいろお世話になりました。本年もどうぞ
よろしくお願いします。

新年早々「こらー!お前の事だー!」と言われてるかのような
とても耳が痛い記事&コメントでございました。無関心でいては
いけないと思いつつ、現実、どうして良いのかわからなかったり
私に何が出来るのだろう?と思ったり、またそう思ったすぐ後にも
自分の平和さや豊かさに甘えた行動をとっていたり...情けないです。
アメリカに友人が(日本人女性)居て、もう彼女は20年以上カリフォルニアに
住んでいるわけですが、私が感じる911やイラクに対する想いと彼女が
語るそれとは、えらい隔たりがあって、どちらが正しいとかではなくて、この違いは
何だろう?と...。私も彼女も別の何かに動かされているのかもしれないという
怖れが湧いて来ました。自分で考えて、何か行動を起こす力が私にはまだ
残っているのかな....。
Commented by meiguanxi at 2007-01-10 00:39
中国南方からお帰りなさ~い。楽しかったですか?そのうちその辺りの記事も増えていく予定です。
アメリカの事を理解すにはアメリカに住んでみるのが一番かもしれません。でも逆に、日本を出てみることで日本を客観的に見られるっていうこともあるでしょ。森と木みたいなもんです。それと感情の部分。自分に向けられた悪意を乗り越えるのは、難しいことなんだと思います。更にある種のアイデンティティの問題、アメリカに生まれた白人のアメリカ人の場合に於ける感情とはまた違って、好きでアメリカに行った訳だからその分、思い込みというか思い入れが強く成ったりすのじゃないでしょうか。マイノリティーや被支配層がより強固な体制派に成るといったことも良くあることだったりします。
日本に居ると、世界がほぼアメリカに見えたりします。或いはアメリカこそが世界だと。でも外にでてみると、決してそんなことはないのだと、当たり前のことですが、改めて実感したりするんですよね。
Commented by りー at 2008-01-03 17:42 x
2008年もここから始めさせていただきます。
お正月は東京でも星がたくさん見えて嬉しい♪
失うことと見失うことは大きく違いますね。

今年も引き続きまったりですがw よろしゅ~に☆
Commented by meiguanxi at 2008-01-04 13:23
そうですね。やっぱりここからがいいですね。ありがとう。
寒くても星を見上げる余裕くらい持っていたいものですよね^^
今年もよろしく☆
Commented by baaba at 2008-01-05 13:12 x
久しぶりに訪ねたらここには心が溢れてるとおもいました。権力者には何故この世界の多様な美しさが伝わらないのでしょう。アメリカはその国民にとってもちっとも良い国ではない、貧富の差、テロの可能性、それなのに何故グローバライゼーションと名を変えたアメリカナイゼーションにこんなに簡単にまきこまれねばならないのだろうと危機感をもちます。meiさんの新しい年が豊かでありますよう。私はbaabaでいいのよ。handlenameはこれにさせて。
Commented by baaba at 2008-01-05 13:26 x
追伸、第二次世界大戦に関する意見は全く同感です。加害者意識ばかりでなく被害者意識ばかりでなくきちんと我々の前の世代のしたことを現実を認識し自分たちはどうするという事をかんがえないと。それにしても個人の意思の表明という事に私たちは価値をおいてもいないし、訓練もされていないんです。一人一人が自分の内でそれをしないと民主主義は意味をもてないよね。
Commented by meiguanxi at 2008-01-05 18:56
じゃ、遠慮無く baaba さん^^ お久し振りです。
1年前に書いたものなので国内状況に関する記載に多少の違和感(変化)がありますが、基本的に僕が年頭に思うこと、書きたいことはこれなんだと思っています。必ずしも時事問題に触れていなくとも、ここで海外旅行のブログをやっているのにはそういう想いもあるのかな。だから、年頭にこの記事にコメント下さったことは、とても嬉しいことです。
baaba さん、今年は何処に行かれるんでしょう。今年の旅も良い出遭いに満ちていますように!

それと、りーさん、コメント欄でこの記事をアゲておいてくれて改めてありがと。ついでだけどw
Commented by りー at 2008-06-13 21:12 x
2008北京オリンピックまであと2ヶ月になりましたね。国内外あるいは国際社会でいろいろなことが起きてそのどれもがあまりに重くて苦しいのでフラリとこの記事に伺いました。
写真を見ているとよく覚えている顔もありますが、ん~~?っていう子もあります。すみませんw ・・・どこの記事だったか探索してきますん♪
Commented by meiguanxi at 2008-06-17 23:14
りーさん、この記事をりーさんが時々アゲて下れること
本当に感謝です。
なんかねぇ、ここに書いたこと以上に何を言えば良いのか・・・
チベット支援している人達にも無視している人達にも・・・

でも、もう直ぐ復活しようと思っているので、待ってて下さいね。
Commented at 2009-05-10 19:51 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by meiguanxi at 2009-05-10 20:15
鍵コメさん、はじめまして。
何ページも見て頂いたとのことで、恥ずかしいですけど嬉しいです。欧州に住んでいらしたのですか。パリとかバルセロナとか大好きなんですが、1989年以来行ってないなぁ~(遠い目)
イスラームに興味をお持ちなんですか? ちょうど今さっき更新した場所もイスラーム圏で、馴染みの無い人には誤解がある部分も多いのかなぁとも思います。でも、場所によっては人はとってもいいんですよ。
また遊びに来て下さい。更新頻度は酷いものですが;;
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