ラマユル・ゴンパ : (インド・ラダック)荒涼の中の精神世界
[ カシミール・ラダック略地図 ]
b0049671_403833.jpg

 ラダックのチベット僧院であるゴンパに関するフォト・アルバム的記事の最終回。
 以前の記事で教会やモスクと同様にゴンパを訪れるのが好きだと書いたが、教会やモスクには無いゴンパの魅力の一つは、時折出会うその立地の景観だ。もちろん教会でも山奥や断崖の絶景に建つものもある訳だが、なんと言ってもゴンパはその多くがチベットやヒマラヤといった非常に特殊な環境に存在しているだけに、背景の壮大さでは時に他を圧倒する。

ラマユル ― アルチ間の断崖
b0049671_412975.jpgb0049671_453673.jpg 


 リキールアルチを過ぎ暫く走ると、ラダックの中心の町レーからカシミールに繋がる道はインダス川左岸に渡り、やがてインダスは北の山並みにそれる。少し北方でパキスタン領に入り、バルティスターンを経てやがてギルギット方面に至るだろう。
 一方、道は荒涼とした山岳地帯に入る。アルチ付近は標高3500mのレー付近より低く3200m程度なのだが、ここからテーブル・マウンテンが折り重なったような断崖を九十九折りに道は標高を上げる。レーから124km、10世紀カギュ派のラマユル・ゴンパは標高4000mの高地に建つ。この先15kmでフォテュ・ラ(“ラ”は峠の意:4107m)、文化的にカシミールとチベット世界とを分ける分水嶺だ。

b0049671_473356.jpgb0049671_48184.jpg 


このゴンパを取り囲む自然の光景はよく“月世界のような”と比喩される。凡庸な表現ではあるが、まさに言い得ていて他に例えろと言われても火星くらいしか思い付かない。そんな風景の中に凛として建つその姿は、煩悩渦巻く人里から隔絶された異次元空間のような壮観さだ。ただし、遠目にはそうでも、近寄ってみるとゴンパの下には谷底に門前村とでも言うべき小さな村が日常の生活を営んでいるのだが。

b0049671_4964.jpgb0049671_49414.jpg 


                                                        ラマとドライバー:僧房にて
b0049671_4102729.jpgb0049671_4105928.jpg 


 尚、ここから南の山並みに分け入る谷道を登ればザンスカールに至る。ただし自動車道はもとよりロッジも茶屋も無く、天幕と食料・燃料を携帯しての徒歩になる。中心の村パダムまで歩くこと9日ほどの行程だが、僕にとっては今のところ憧憬れのままにとどまっている。

b0049671_4114873.jpgb0049671_4121643.jpg
b0049671_4124561.jpg



※ 2007.8.30 追記
  1) この記事は1994年に訪問した時の記憶によるもので、2007年に再訪した時にはラマユルへの道は大きく変わっ
    ていた。その様子、及び近くのセンゲガンというお堂に関してはこちら
  2) この記事の後、ザンスカールには2007年に訪れることになった。(旅行記
[PR]
by meiguanxi | 2007-02-03 03:00 | ヒマラヤ・チベット | Comments(4)
Commented by orientlibrary at 2007-02-04 00:08
ほんとにゴンパって山岳の絶壁みたいなところに建っているのがすごいですよね。写真で見ると、ちょっと変わった形のキノコとか、植物のような感じがします。生えてきているみたいですね、、、地元の人たちも建築を手伝ったりするのかな。
それなのに、内部や装飾は極彩色、というのがまた意外性があります。むかしちょっとだけチベット仏教のお経を読む講座?みたいのに行きました。その頃は、かなり惹かれていたんですが、イスラムの方に集中しだして、チベット仏教圏はあまり出かけていないので、皆さんの写真を見せてもらって、いろいろ想像しています。
Commented by meiguanxi at 2007-02-05 02:09
チベット仏教の絵画とか仏像とか、色鮮やかですよね。そもそもタルチョからして色とりどりだし。それと、密教の所為か、おどろおどろしいんですよ。
キリスト教会、特に修道院はたまに山の奥とか断崖の上なんかに建てられていることもあるけど、そうそう、グルジアなんかではなんでわざわざこんな処にって場所に修道院があったり、シナイ山のセント・カテリーナだって荒涼とした谷底にあるしね、でも、イスラームのマスジッドやマドラサは基本的に人の集まる場所にありますよね。ゴンパも寺というよりは僧院であるから、修道院と同じく教学と修行の場でもある訳だけど、マドラサは修行という概念をあまり感じませんよね。もっと純粋に教学の場って感じでしょ。だから辺鄙な断崖の上とかじゃなく、町の中に作られるのかな?
Commented by orientlibrary at 2007-02-06 10:51
マドラサってモスクや廟の近くにありますよね。最近、イスラム都市の講座に行ってるんですが、廟という発想が出てきたとき、権力者たちは「いつでもクルアーンが聞けるように」と神学校をセットで作った。バザールも近辺に作り、それとワクフなどの経済や社会の仕組みを組み合わせて、それがイスラムの都市空間の基本的な構成要素になった、、という話を聞いて、なるほどと思いました。みんながハッピーになれる、かつ求心力のあるシステムですよね。コメントなので詳しく書けませんが、また記事で講座の内容などをまとめたいと思ってます。(*^_^*)
Commented by meiguanxi at 2007-02-06 23:37
仏教の喜捨っていうのはどちらかというと個人的なものですよね。インドの通俗的な意味でのバクシーシも個人的な施しです。キリスト教の慈善の思想は、これは偏見かもしれないけれど、どうもちょっと傲慢な匂いがするんですよ^^
で、大昔に社会的制度としてのワクフなんていう思想を持ち得たこと、そしてそれを長きに渡って実践してきたという事実は、ちょっと驚愕に値するかなって思ってます。イスラーム銀行という思想にも感服しちゃいますよね。
でも、聖者廟って、原理的にはクルアーンに反してるように思っちゃうんですが^^
<< サマルカンド : (ウズベキス... リキール・ゴンパ:(インド)ラ... >>