[ 中央アジア略地図 ]
「青の都」…西は東アナトリア(現在のトルコ)・シリア、南はペルシャ・現在のパキスタン・インドのデリー、東はタリム盆地(中国新疆)に及ぶ広大な帝国を築いたティムールの都だ。尚、北部インドを支配したイスラーム帝国ムガールはチムールの流れを汲む帝国だ。 ウルグ・ベク・マドラサ シール・ダール・マドラサ しかしこの町の歴史は2500年前にまで遡る。後に東西交易の主役として名を馳せるソグド人(イラン系)が築いたのが始まりだ。その後、アレクサンダー、アラブ人、チンギスと、幾度もの支配と破壊が繰り返された。ソグド人は8世紀からのアラブの侵入とそれに続くトルコ化の流れの中で歴史に埋もれて行った。それでも町は、支配者や主要民族が変化し破壊と建設を繰り返しながらも栄え続けた。 シール・ダール・マドラサのドームとミナレット(左右)、ファザードの具象画(中央) だが、13世紀初頭、かの「蒼い狼」チンギス・ハーンの侵攻は苛烈だった。彼は町を徹底的に破壊し尽くした。住民を殺し尽くした。後には草一本生えていなかったと言う。この時代までの町は、現在のアフラスィャブの丘にあった(写真:最下)。今そこには羊が放牧される草地だ。草を踏んで広大な高台を歩くと、所々に発掘された当時の遺構が唐突に掘り下げられている。といっても見学用に整備されている訳でもなく、青い陶器片が無造作に転がっていたりする。、当時の人々の生活も思いも、全ては草叢を吹き渡る風の中だ。 グーリ・アミール廟 ハズラット・ヒズル・モスク チンギスの死後、モンゴルは分裂する。そしてチムールが現れる。「チンギスは破壊し、チムールは建設した」という言葉がある。彼は世界中から集めた建築家を使って、現在の位置に町を再建した。レギスタン広場に面する3つのマドラサ(神学校)、中央アジア最大のモスクであるビビ・ハヌム、壮大なシャー・イ・ジンダの霊廟群など、現在この町に残る遺跡としてのイスラーム建築は全てこの時代のものだ。 ビビ・ハヌム・モスク イシュラット・ハナ廟 しかし、中央アジアの多くの街がそうであるように、この街もまた度重なる地震の被害を受けた。ソビエトの時代にロシア風に再建された現在の街に、それら一部の遺跡的イスラーム建築を除いては、伝統的街並みを垣間見ることは難しい。それでもタシケントなどに比べれば僅かながらに旧市街と呼べる場所もあり、何処とは無しに落ち着いた古都の品格とでもいうべき雰囲気を有している(参照)。 ところで、チムールの栄華も長くは続かなかった。遠征中に命を落とした彼は、故郷のシャフリサブスに葬られることを願っていたが、願いは叶わず、今、グーリ・アミール廟に眠っている。
by meiguanxi
| 2007-02-06 23:40
| 絲綢之路Ⅱ[中央亜]
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Comments(2)
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by
lunablanca
at 2007-02-10 13:17
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コメントはしてなくても、ちゃんと見てるよ~ん。
でもね...没さんのブログを見ると時々その写真の中に 行きたくて飛びたくて泣きそうになる。(笑)
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meiguanxi at 2007-02-10 23:08
というか、コメントくれると単純に喜ぶんだが。
えっ? はい、ごめんなさい、人のこと言えた義理じゃないです^^A; てかさぁ、最近ほとんと旅らしい旅をできずにいる僕に比べたら るなっちの方が全然そちこち行きまくってるじゃん!w
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by meiguanxi
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