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エスファハン : (イラン)“世界の半分”と讃えられた街
[ 西アジア略地図 ]
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                                                             イマーム広場

 “ Esfahan Nesf‐e Jahan ” エスファハンは世界の半分―そう讃えられたイランの古都、サファヴィー朝の都だ。
 西暦642年、アラブのイスラム帝国(サラセン帝国)によってササン朝ペルシャが滅ぼされて以来、イランは長らく他民族の支配するところとなっていた。アラブ、セルジューク・トルコ、モンゴル、その支国であるイル・ハン国、チムールと支配者は変わった。

イマーム広場とマスジッデ・イマームの夜景                      マスジッデ・イマームの中央礼拝所
エスファハン : (イラン)“世界の半分”と讃えられた街_b0049671_1050331.jpgエスファハン : (イラン)“世界の半分”と讃えられた街_b0049671_10504094.jpg


 イスラーム教シーア派の一派で、アルデビルを中心に活動していた神秘主義のサファヴィー教団からでたイスマイルが起こした朝廷が、チムール帝国の衰退に乗じて1502年、チムールが支配していたイランとその周辺地域を掌握する。実に860年振りのイラン人王朝によるイラン統一だった。タブリーズに都を置いたイスマイルは、スンナ派(スンニ派)主流のイスラーム世界にあって初めてシーア派を国境と定める。また、皇帝を指すアラビア語起源のスルタンを廃し、イラン語のシャーを採用した。

マスジッデ・ジャメ                                          マスジッデ・ジャメの列柱回廊
エスファハン : (イラン)“世界の半分”と讃えられた街_b0049671_10511819.jpgエスファハン : (イラン)“世界の半分”と讃えられた街_b0049671_10515341.jpg


 ところで、エスファハン(イスファハン)の歴史は古く、かのアッシリアを滅ぼした紀元前7世紀のメディア王国(アーリア系)の時代にはアスパダナと呼ばれた。アラブの侵入後も東西交易の要衝として栄えたが、例によってモンゴルの攻撃は凄惨を極め、廃墟と化したという。
 第5代シャーであるアッバース1世の時代にサファヴィー朝は全盛期を迎え、1597年、カズビンから遷都したエスファハンは再興され、繁栄を極めることになる。
 街の中心にイマーム広場がある。南北からやや西に傾いた長方形の広場は、縦510m、横163mという広大なもので、2つのモスクと宮殿、そして商店が並ぶアーケードが噴水と芝生の広場を取り囲んでいる。エスファハンのイスラーム芸術の核心部であるこの美しい広場は世界遺産に登録されている。


エスファハン : (イラン)“世界の半分”と讃えられた街_b0049671_10523993.jpgエスファハン : (イラン)“世界の半分”と讃えられた街_b0049671_105396.jpg         バザールにて
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 この南側の一辺で異彩を放っているのがイラン・イスラーム建築の最高傑作、マスジッデ・イマーム(イマームのモスク)。この広場の1.5km北東には、エスファハン最古のモスクであるマスジッデ・ジャメ(金曜モスク)があるのだが、金曜日(イスラームの安息日)に人々が集まるのはマスジッデ・イマームの方だ。何十台もの大型バスが運んできた多くの巡礼者達で埋め尽くされ、集団礼拝の場と化したイマーム広場の光景はまさに壮観だ。

ポレ・ハーシュ                                              シオ・セ・ポルのチャイハネ
エスファハン : (イラン)“世界の半分”と讃えられた街_b0049671_10565239.jpgエスファハン : (イラン)“世界の半分”と讃えられた街_b0049671_10572418.jpg


 この反対側、北側一辺の裏一帯はバザールになっている。ドームを連続したアーケードの路地が入り組み、薄暗い空間に並ぶ鍛冶屋や彫金、ミニチュアール工房、宝石屋、絨毯屋、香辛料を堆く積んだ店、そんな小さな店々を冷かしながら歩けば方向を見失う中東らしい迷宮が広がっている。
 街の南を流れるザーヤンデ川にはシオ・セ・ポル、ポレ・ハーシュなどの美しい橋が架かり、たもとのチャイハネは人々の憩いの場になっている。人口130万(近年200万を越えたという記載もある)を誇る大都市だが、派手さは無く、かといって閑散としているわけでもなく、街は全体に落ち着いた静けさに包まれ、まさに古都といった面持ちだ。世界に名を馳せた都市であるにも関わらず、観光客は以外に少ない。落ち着いた美しい街並みとイラン人特有のホスピタリティは、旅する人を快く包み込んでくれる。
(イマーム広場についてはこちら⇒ その1その2
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                                                マスジッデ・イマーム裏の路地にて
by meiguanxi | 2007-02-12 11:05 | 絲綢之路Ⅲ[西亜] | Comments(2)
Commented by orientlibrary at 2007-02-13 21:24
夜のイマーム広場、おとぎ話の世界のように、モスクが暗闇に浮かび上がっていて、、噴水もきれいで、、。さすが、イスファハーンですね〜。

ミナレットが、強烈「アザーン時計」を連想させ、音を止めようとして尖塔で手を刺した痛い思いでがよみがえりました、、、

最後の写真も、イラン!ですね〜。自分がチャドルを着なきゃいけないのはイヤだけど、勝手な話ながら被写体としては魅力あります。
宗教関係のところは、旅行者女子もこれを着ないとダメで、手で首のところを押さえなければならず、写真が撮れませんでした。くやし〜!! (今はどうかわかりません)
Commented by meiguanxi at 2007-02-14 23:34
夜のイマーム広場は本当に素敵ですよね。でも、ライトアップに比して人出はそれほど多くは無いし、日本だった無駄遣いって言われちゃうかもしれませんね。さすが産油国だw そういえばシオ・セ・ポルなんかもライトアップされてるんですね。
そっか、そうですね、女性がイランを旅行するのは面倒ですよね。特に一人だと、レストランなんかにも非常に入り辛いし。ま、女性と家族用のスペースに案内されるんでしょうけど、小さな店だったらどうなのかな?店の隅に衝立でも立てるのかな?
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