古永 (Guyong 雲南省) リス族自治郷
[ 雲南省略地図 ]
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                                                            メインストリート
リス族のカップル
b0049671_7562498.jpg 騰沖(タンチョン)からミニバスで更に北北西に2時間ほど田舎道を行くと、ほんの小さな町に着く。町と言うより村だ。ビルマ国境までは山道の道路距離でも、もう30kmといった処。
 古永(グゥヨン)リス族自治郷は、ビルマへの街道脇に、1周しても10分掛からない周回路を中心に集落が集っていて、幾らかの商店が並んでいる。周囲にはリス族の農村が点在しているが、この辺りで商店と呼べそうなものがあるのはここだけだ。
 六庫(リィゥク)から直線距離では100kmも離れていないが、六庫のある怒江(ヌゥジィァン)の谷からは幾つもの山と谷で隔てられている。この辺りのリス族は花リス族と言って、怒江のリス族とは言語が違うそうだ。タイ北部のリス族の言葉はここと同じだと言う。

近隣の村の民家                                               水路で野菜を洗う農民
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 町の建物の殆どは2階建ての木造建築で、何故か黄色くペイントされた家が多い。新しく造られたホテルが唯一のビルと言って良い。それでもシャワーは無いと言っていた。僕が泊まったのは、個室で1泊100円程度の木造の宿だった。トイレは豚が放し飼いにされた屋外の掘っ立て小屋。勿論、溜置きに板を渡しただけのもの。小屋の外に井戸があったが、この家の水利施設はこれだけ。豚に睨み付けられながら洗面をすることになる。

宿向かいの飯屋                         宿の下階は飯屋に成っているが、ひがな閑散としていて、客
b0049671_75814100.jpgは、まず来ない。土間に置いたテーブルは高さ50cm、椅子は20cm位だろうか。風呂の腰掛のような木製の椅子だ。キッチンとの境に棚があって、虫除けの網戸が付いている。覗くと変色しかけた豚肉と萎れかけた青菜が僅かばかり並んでいる。冷蔵庫なんて物はない。客も殆ど来ないから、これで充分なのかもしれない。調理は、土を固めた竃(かまど)に薪を入れて火を付ける。至ってシンプルだ。
 こんな田舎の町にも、1軒だけカラオケ屋がある。防音施設などあるわけはないので、静かに深け行く小さな町に、誰かの音程の外れた中国演歌が哀愁を帯びて響く。

 雲南での少数民族の定期市は「街子」(ガィヅ:雲南読み)というが、街子の時には周辺の村々から沢山のリス族達が集まって賑わうようだ。残念ながら僕は出会わなかったのだが、この町で数日待つというわけにはいかなかった。道端には、その時に使うのだろう縁台が並んでいる。普段は、町中で民族衣装を目にすることは殆ど無い。実は文革時代に漢族が入植させられ、町と周囲の近い村には主に漢族が住んでいる。
 ところで、こんな辺境ではあるが、清朝末期、騰沖に英国領事館が置かれたこともあり、ビルマからの翡翠貿易のルートだった。第二次大戦中には援蒋ルート(「六庫」の記事参照)の中継地でもあったのだ。

リス族の夫人                     b0049671_7584259.jpgb0049671_759815.jpg


 騰沖への早朝のミニバスは7時と8時。8時のバスに乗るべく7時に起床する。雲南西部の1月、北京基準の時間なので7時といえばまだ暗い。経度から言えば5時半位の筈だ。目覚ましと同時に外でクラクションの音が鳴る。続いて控えめなノック。宿のおばちゃんがバスの到着を知らせに来たのだ。8時のバスにすると言っても、有無も言わせない勢い。前夜、バスの時間を訊いたので、運転手に連絡してくれたようなのだ。大慌てで20分で準備を済ませると、バスはちゃんと待っていた。僅か12元(180円位)の客の為に20分も待つのだ。しかも客達も誰一人嫌な顔ひとつしない。
 だが中国の経済発展の波に乗って、この国境も注目を集めつつあると言う。この素朴な町も、他の中国の町同様、早晩大きく変貌して行くのかもしれない。(訪れたのは99年1月)

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by meiguanxi | 2007-03-03 03:32 | 雲南省と少数民族
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