[ チベット周辺略地図 ]
ジャマリンカ(キチュ川の中洲)から チベットの首都ラサ。現在は中国占領下に 於ける西蔵自治区とされているので「区都」なのだろうが、敢てこう呼ぶことにする。その中心がこのポタラ宮だ。中心といっても、地理的には町の外れにあるのだが。 青海省ゴルムドからのバスは、途中1泊した2日目の夕刻、ラサの町の西の郊外に到着する。近くには高級ホテルもあるが、目指すのは旧市街の安宿。声を掛けてきた馬車と値段の交渉。大八車のような荷台は間断なく揺れ、高度障害の為に揺れに呼応して激しく頭が痛む。しかし左手を見ると、それは圧倒的な威容で聳えていた。何年ものあいだ夢に見てきたチベット、その首都であるラサにとうとう来たのだという感慨を、間違いなく強烈に 抱かせてくれる光景。それがポタラ宮だ。 ポタラ宮はチベット仏教四大宗派のうちゲルク派の指導者であるダライ・ラマが、政治的指導者としての立場をも掌握した5世の時代(17世紀)に建設され始め、その後、各時代に増築された。以来、300年に渡ってチベットの政治・宗教の中心だったのが、このポタラ宮だ。 もともとのチベットという土地および民族居住地域の概念は、現在の自治区の倍にも及ぶものだった。だが18世紀前半、東部のカム地方の大部分、続いて北部のアムド地方全域が清朝によって分割させられる。現在、前者は雲南省の北西部、四川省の西部などに編入させられ、後者は青海省の大部分を占める。(詳しくはダライ・ラマ法王日本代表部事務所H.P.のこちらを参照)「西蔵」という言葉が示す通り、現在の自治区はチベットの西部(正確には西南部:大部分がウ・ツァン地方)を指すに過ぎないのだ。 20世紀初頭、辛亥革命によって清朝を倒して成立した中華民国もこれを継承する。1949年、国民党軍を破った共産党軍が樹立した中華人民共和国(現中国)はカムやアムドなどのチベット人居住地域に複数の蔵族自治区を設けるが、徐々にその支配を強め、ついには「解放」の名の下にウ・ツァンへの侵攻を始める。1959年、ついにダライ・ラマ14世はインドに逃れ、中国がチベット全域を占領支配することになる。後、1965年に西蔵自治区を発足させるが、カム・アムドはこれには属さず、青海・四川・雲南など各省に分割されたままとなっている。 占領下のチベットを脱出したダライ・ラマ14世は、インド西北部ヒマラヤ山脈山中のウッタルプラデーシュ州ムスーリーに亡命政府を樹立する。翌60年、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラの郊外、マクロードガンジ(ガンチェン・キション)に拠点を移し現在に至る。 巡礼者(屋上中庭) 内部一室への入口 ポタラからの市街地 このダライ・ラマはあまりに有名だが、ゲルク派第二位の称号をパンチェン・ラマという。チベット第二の都市であるシガツェにあるタシルンポ寺の座王だ。チベットに於ける指導僧の地位は世襲ではなく、その死後49日目に新たに受胎され、その生まれ変わりが5歳程になった頃に彼は捜索される。ダライ・ラマが亡くなった時にはパンチェン・ラマが、パンチェン・ラマが亡くなった時にはダライ・ラマがその責を負う。 1989年1月、中国に占領された後も自治区に残ったパンチェン・ラマ10世が死去する。これを受け95年5月、ダライ・ラマ14世は当時6歳の少年をパンチェン・ラマ11世と認定する。しかし中国政府は「外部からの干渉は無用」だとしてこの決定を退け、独自に11世を即位させる。そしてダライ・ラマが認定した少年は、家族と共に中国政府によって軟禁され、現在まで消息は不明だ。 屋上中庭からの白宮 中国政府認定のパンチェン・ラマの誕生は、 14世死後のダライ・ラマは中国政府傀儡に成ることを意味する。「外部からの干渉」とはいったい何であるのか。 内モンゴル自治区の都市部が既にそうであるように、このラサに於いてさえチベット語を解さない子供達が出現しているという。我々は言いたいことを言語にしていると誤解しがちだが、実は内容は言語によって産みだされている。その意味で本来、言語は翻訳不能なものであり、文化の素そのものなのだ。勿論、中国政府が公然と言語統制をしている訳ではない。しかし結果的に生じているこの言語侵略は、民族と文化との ethnic cleansing に他ならないと言っても過言ではないだろう。 マクロードガンジの亡命政府は民主的なチベット政府の樹立とチベット全域の平和地域化とを構想し、亡命者の子供達への教育に力を入れている。だが現在は様々な状況からチベットの独立をではなく完全な自治を求めているようだ。また、占領下での中国化が進む中、チベットの文化を残し、更に亡命者達が自立できる為のチベット人コミュニティをインド各地に建設しているのも彼等の仕事だ。 チベットの独立、或いは完全な自治が達成された時、民主政府の下でダライ・ラマは政治の舞台に残る積りはないのだが、この天空の城に、その本来の主が帰る日、そしてチベットという土地がその本来の人達の手に戻る日は、何時かついに訪れるのだろうか。…勿論、現状は悲観的だし、前途は暗澹としている。
by meiguanxi
| 2007-03-14 22:42
| ヒマラヤ・チベット
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by meiguanxi
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