シソフォン(カンボジア):果てし無き悪路
[ インドシナ周辺略地図 ]
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 以前、僕が良く中国雲南省やタイ付近を旅していた90年代初頭、いわゆるインドシナ半島の国々の国境は悉く閉鎖されていたし、ラオス・ヴェトナムなどは個人旅行者が自由に旅することは認められていなかった。勿論、カンボジアに至ってはバックパックを背負ってノコノコ立ち入ることのできるような状況ではなかった。したがって、例えば雲南省に中国の他の場所からやって来たのならば、他国に陸路で出国することはできず、言ってみれば行き止まりだった。なんとか少しでも越境しようとした学生が当局に逮捕され、強制送還させられるといった事件も起きたりしていた。
 特にカンボジアでは1991年に内戦が一応の和平を迎えた後も、国内の治安は不安定を極めていた。一部ではタイから空路で直接アンコール・ワットを訪れるツアーも組まれていたが、ヴェトナムから陸路カンボジア入りして陸路シェムリアップ(アンコール・ワットのある町)に向かうことは不可能だったし、トレンサップ川とトレンサップ湖を経ての水路にも危険が伴ったようだ。タイとの国境は相変わらず閉鎖されていた。

                                               1997年末から98年春に掛けて、ポル・ポト
b0049671_3432086.jpg派残党が支配を続けるタイとの国境地帯への政府軍による大規模な掃討が行なわれた。この4月、ポル・ポトは死亡する。戦闘による死亡ではないく、服毒自殺とも薬殺とも言われるが詳細は不明だ。いずれにせよこの結果、国境が開き、タイのアランヤプラテートとシェムリアップとを結ぶルートが一般に開放されることになる。
 今ではバンコックのカオサンロード(個人旅行者街)から毎日、直行のツアーバスが出ている。ツアーバスといっても、いわゆる観光バスではなく、個人旅行者を現地に運ぶ為のバスだ。だが、国境が開いて半年しか経っていない98年10月には、そんなものはまだ存在しなかった。ビザ取得など慌しい一日を送った翌早朝、僕はバンコックのホアランポーン駅(中央駅)5:55発の列車に乗った。(バンコックでの一日についてはこちらを参照)
 バンコックの広い郊外を抜けるとビルや家並みは疎らになり、やがて森林や田園、そしてインドシナ特有の赤土の大地を走る。アランヤプラテートは本当に小さな田舎駅で、駅舎を出るとさっそくバイク・タクシーのドライバーが寄ってくる。だが彼
                                   等を擦り抜ければバスはすぐそこに停まっている。バスは15分
b0049671_344055.jpg程で国境バザールに着く。広場に沢山の店が犇いているバザールは楽しそうではあったが、その賑わいを横目にバザール外れのタイ側イミグレーションへ急ぐ。徒歩で国境線を跨ぎカンボジア側イミグレーション。その小さな建物の屋外で入国書類を記入していると、歳若い、まだ少年と言って良いくらいの小柄な男が声を掛けてくる。英語は通じない。構いはしないのだ、行き先と値段さえ分かれば彼としてもこちらとしてもそれで充分なのだから。ピックアップ・トラックの客引きだ。運転席がセダン型で後部が荷台に成っている日本製軽トラックの荷台には沢山の荷物が詰まれている。車内には既にぎゅうぎゅうの乗客。僕が乗るべき場所は勿論、荷台の荷物の隙間、或いはその上だ。
 その数年後、TVのバラエティー番組で、応募した視聴者達がこの国境からシェムリアップまでの道を舗装(といってもアスファルト舗装ではなく、凸凹を修復するだけだが)するという連続企画があったのを覚えているだろうか。この旅はそれよりも以前の話だ。世の中にこれほどまでに酷い道が在ったのかと、ある種の感慨を覚えたものだ。
 軽トラックは一時もその車体が道路との並行を保つことが無かった。というより正確には、平行を保つべき道路が無かった。いや、道は続いているのだ。ただ、至る所に大きな穴が開き、まるでモグラ叩きのゲーム盤の上をドライブしているようなものだった。穴の直径は大きいものでは2メートル以上あったと思う。恐らくは地雷によるものなのだろう。或いは雨季のぬかるんだ穴を車両が更に掘り下げてしまった部分もあるのかもしれない。そんな凸凹で全くスピードを上げられない道でも、その道は数十センチでさえ外れられない。そこは既に地雷原なのだ。至る所に建てられた看板では、それを示すドクロの不穏な笑みがこちらを見詰めている。
                                               さて、この時でも国境からダイレクトにシェム
                                               リアップに向かうピックアップ・トラックはあっ
b0049671_3444090.jpgた。従ってバンコックを早朝の列車で出発したなら、夜の8時か9時にはシェムリアップに着くことができた。だが僕は、途中のシソフォンという小さな村で途中下車することにした。ほんの小さな村だ。
 村の道端に、木枠の粗末な台に何やら乗せているだけの露天がある。風呂椅子くらいの小さな木の椅子に客の男が数人。覗き込むとおばちゃんがコップを勧める。男達は昼日向から酒を呑んでいたのだ。透明の、舐めただけで咽喉の奥が痺れるような強い酒。肴はポンティアコーン、孵化し掛けのアヒルの茹卵だ。卵黄に血管が走っているだけのものから明日孵化してもおかしくないまでに成長したものと状態には様々ある。前者では詰まらないし後者では羽根や骨が邪魔して食べ辛い。
 僕に以外だったのは、村の人々が悉く明るく、笑顔だったことだ。勿論、どんな悲惨な出来事も不幸を抱えていても、何時までも泣き明かしてばかりはいられないのが、人間の生活ではあるのだ。気付けば隣の男には片足が無い。孵化し掛けのアヒルの茹卵、咽喉にヒリヒリする強い酒、木箱のような食台、低い椅子、おばちゃんの笑い声、通じない言葉、赤土の道の遥か向こうに、大きく真っ赤な太陽が、ゆっくりと落ちて行く。(記事の露天は写真の屋台ではありません)

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by meiguanxi | 2007-04-13 02:02 | メコン流域
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