from Leh : 長く険しい移動
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                                                           2007.6.20

 2泊3日のバスといえば、今時はすこしはマトモなバスなのだろうと、僕は期待していた。
 一昔前、インドのバスといえば大財閥のTATA製のバスしかなく、これは中国のバスとともに最悪の乗物として世界中の旅行者から恐れられ、忌み嫌われていた。だが当時の旅行者には他に選択の余地が無かったので、まるで何かの苦行にでも入るような面持ちで戦々恐々として乗り込んだものだ。だが現在、中国では場所によっては日本製やドイツ製の高級バスが走っていたりもする。インドでも経済開放後はもっとマシなバスが走ってる。
 だが勿論、僕の乗るべきバスはTATAバスだった。片側2席、片側3席の、シート幅の極めて狭い、サスペンションという概念があるのかすら疑わしいようなバスだ。この歳になってまたもこのバスに乗ることになった運命を、僕は軽く恨む。唯一幸いだったことは、前方ドアのすぐ後ろだったことだ。僕の前にシートは無い。
 デリーを15:45に発車したバスは、北インドの果てしなく続く大平原をひたすらに北上する。何処まで行っても平らな耕作地と疎らな林、そして荒れた草地が続く。大自然と言うには何処と無く美しさを感じないのがインドだ、と言ったら偏見だろうか。隣の席の大男は大股を広げて、僕の方に頭を乗せて他愛も無く眠っている。いったいどういう理由で、アジアで長距離のボロバスに乗ると決まって隣には大股を広げる大男が座ることになっているのだろう。
 車窓には下弦の月が西の空低く傾いている。そのすぐ上に木星が輝いている。その距離があまりに近いので、まるで何処かの国の国旗のように見える。やがて木星は、月の陰の部分に吸い込まれた。夜半近く、インド平原の西北辺の要衝であるチャンディガルを通過すると、道は細くなり山がちになる。
 あれほど暑かったデリーが嘘のように、夜明けに着いた田舎町の空気はピンッとしていた。午前中、ヒマーチャル・プラデーシュ州の有名な観光地マナーリでギュウギュウ詰めの新しい客を満載したバスは、標高3978mのロータン峠への九十九折の道を喘ぎながら登る。10年前にこの峠を越えてスピティ地方に行った時とは違い、今は雪の残る峠はインド人観光客で溢れていた。
 峠で止まることなくバスは北側に下る。谷にはチャンドラ川が東西に流れ、これを東に遡ればスピティに至る。今回は西に下る。やがてこの川と別れ、バガ川を遡ればラホール地方の中心ケーロンの集落、17時、今日の宿泊地だ。先に進む乗客たちはそれぞれ宿を探しに散っていく。ほんの小さな町に過ぎないが、ホテルもレストランもあり、電気も通っている。24時間ホットシャワーが浴びられるというから驚く。この辺りはすっかりチベット文化圏で、ゴンパ(僧院)やチョルテン(仏塔)が目に付き、チベット服を着た女性が行きかっている。今は通り過ぎるだけだが、1ヶ月先にもう一度訪れることになるかもしれない。
 翌日、デリーから3日目の早朝5:15、まだ明け切らぬ山道をバスは再度走り出す。ケーロンから30kmほどのダルチャを過ぎると集落は殆ど無くなり、道は危うい峠道の連続になる。樹木は無く、白茶けた岩山と土と、時折の残雪だけの単色の世界だ。ただ、谷の遥か下方に見える川の乳緑色と空の蒼だけは果てしなく鮮やかだ。
 3950m、続いて3950m、5050mと標高の高い峠が続く。峠の上にはさっきまでの青空が嘘のように、雪が真横に吹雪いていたりする。やがてこのコースの最高地点、5317mのタグラン峠を登る。僕の知る限り、定期路線バスが運行されている世界で最も標高の高い道だ。不思議なことに、その峠を登り切るとそこは広い平原が続いている。その土漠のような高原をひた走り、やがて長い九十九折を下り切ると、チョルテンが目に入る。無人地帯から人の住むラダック地方の谷に降りたのだ。道はインダス川上流に合流し、これを更に150km西に下れば、漸くラダックの中心の町、レーに至る。
 19:30、ケーロンでの宿泊休憩を除いても実に40時間に及ぶ厳しい移動だった。
 まずはビールだ。しかし、頭と首筋が酷く痛んではいるのだが。
       (誤字脱字、推敲の時間が無く、申し訳ありません)
                                                              by 没関系
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by meiguanxi | 2007-06-23 21:39 | Air Mail
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