from Leh : 満身創痍・惨敗のザンスカール・トレッキング
[ カシミール・ラダック略地図 ]                                   2007年6月30日~7月6日

 ラダックからザンスカールへのトレッキングは、例えばネパールのアンナプルナやクーンブ(エヴェレスト方面)へのそれとは全く様相を異にする。ネパールでは1日の行程は4・5時間程度、1日の標高差(登り)はせいぜい500m程で、これが高所障害を避けるための高度差だとされている。確かにクーンブに至るいわゆるエヴェレスト街道と呼ばれるソル地方では1日の行程は8時間ほどにも及ぶが、ザンスカールに比べたらハイキングのよぷなものだと今は感じている。
 人を寄せ付けないような断崖に建つその姿で有名なゴンパ(チベット僧院)と、その荒涼とした景観が月世界とも例えられるラマユル(標高3540m)は、ラダックの中心レーから東に120数kmにある。カシミールからレーに至る街道は以前、この僧院のすぐ北側の断崖を通過しており、そこからの景観がラマユルの映像的印象にも成っていたものだが、今は狭い谷の岩山を穿った新道が開通し、道は僧院の断崖の下の村の中を通過している。旅行者にとってのラマユルの映像的印象も昔とは変わってきているのかもしれない。
                                               ザンスカールへのトレッキングはここから始
ラマユル・ゴンパ                                    まる。馬2頭と馬方1人との旅の始まりだ。馬b0049671_10484519.jpg方の名前はトゥクテン、40歳。僕より少し若く背は低いが、大きな掌をした山の男だ。第1日目、トレイルは荒涼とした険しい砂山を登る。登り切った峠からは岩山と砂山の間の、雨が降れば水の通り道になるのだろう狭い谷をまるで迷路のように下る。初日のキャンプ地ワンラまでは、道は険しいものの難なく着くことができた。ワンラは薄乳緑色の比較的大きな沢が流れる気持ちの良い場所で、何よりも村の断崖の上に建つゴンパの、ほんの小さな本堂の中の塑像と壁画の素晴らしさに疲れも忘れる思いだった。
 2日目はひたすらの登り。だがワンラが3170mと低いためになかなか標高は稼げない。途中までは調子が良かったのだが、充分に高度に順応していないためか途中から肩甲骨の間に痺れを感じ、歩行を困難なものにする。この日のキャンプ地はハヌパタという村を通り過ぎた谷の突き当たりなのだが、僕はその1km程手前にテントを張ることにした。どちらにしても村からは離れているただのキャンプ地だ。とにかく日差しが強い。周囲にはそれを避けるための物は無く、勿論テントの中などにいることは出来ない。外でジリジリと陽光に焼かれるしかないのだ。
                                               3日目もひたすらの登り。この日は大きな峠
ワンラからの路                                     を越えなければならないのだが、この峠の悪
b0049671_10491611.jpgいところは、あそこが峠かと思って登りつめると道は更に上に向かって続いているという繰り返しだということだ。ひたすら登ったカルカのテント茶屋で、その先に初めて見えた本当の峠を目の当たりにした時、僕は思わずへたり込んでしまった。変な例えだが蛙の水掻きを思い起こしてほしい。指が山で水掻きの中央が峠だ。こちら側とあちら側の幅は至って狭いのだが、まるで屏風のような急な登り、そしてその向こうは急激な断崖の下り。雨が降り始めていた。背中は昨日以上に痛む。だが、1歩ずつ進めば何時かは向こう側に辿り着けるのだと自分に言い聞かせ、泣くような思いで歩を進める。漸くの思いで登りつめた4990mの峠の向こうは砂の断崖。上から見下ろすと、いったいどうやって下るのだと恐怖すら感じるような断崖だ。
 これを下り切るとポタクサルとう村の外れに着く。キャンプチは村の手前1km程の、沢脇の湿地。コースは村を通らずこの沢を対岸に渡り、向かいの山を迂回して行くのだという。僕はその湿地を避け、対岸の山道を登り始めた。馬方は1時間で別のキャンプ地に着くと言ったのだが、きつい登りを必死で登って1時間半たっぷりと掛かった。そこは対岸の村を200mほど眼下に見下ろす高台のカルカで、テント茶屋が1軒あるだけの場所だ。轟々と風だけが吹き抜けている。
 翌日は朝からの雨で停滞することにする。次はこのコースの最高標高5060mの峠を越えなければならいのだ。
 その翌日、道は大きな谷の奥へと山腹を、また河原を進んでいく。しかし、高い場所で振り返ると一向に前に超えた峠の高さに至らない。谷を遡っているにも拘らず、一向に標高を稼げないようだ。正面には峠がはっきりと見える。やはり屏風のようにそそり立つ峠だ。そこからは残雪がこちら側に迫り出している。いったいどうやって登るのだ。漸く直下まで来てみると、それは砂の断崖だった。いったい砂がこんなに鋭角にどうしたらそそり立っていられるのか不思議なくらいだ。そこをトレイルは「く」の字型に登っている。迫り出した残雪が雪崩でもしたらお仕舞だ。
                                               標高5060mの向こうはやはり断崖の下り
ポタクサルのカルカ                                  で、馬方の姿は既に見えない。幸い他のトレ
b0049671_1050196.jpgッカーの馬隊(6頭)が同じ時間に峠に差し掛かったので一緒に下り始めるが、あっという間に取り残されてしまう。下り切ってみるとそこにキャンプ地があったが、打ち捨てられた崩れた小屋が1軒あるだけで誰もいない。例の馬隊もいない。トレイルはそこから上り返して続いているようだが、見ると遥か向こうの山陰に道は消えている。その間、誰もいない、何も見えない。なぜ馬方はこういう大事な場所で待ってくれないのだろうか。しばらくその淋しいトレイルを進むが、道は更に別の山を回りこんでいるようだ。幸い向こうから地元の人が2・3頭の馬を連れてやって来る。言葉は通じないが地名と指差しだけの会話で、進んでいる道が間違いないことだけは分かる。実はこの日のキャンプ地には地図上にもガイドブックにも地名がなく、僕は峠直下がそうだと思っていたのだ。老人が向こうからマニ車を回しながらやって来る。いったいこんな夕暮れの時間に、どうしてこんな老人がこんな場所を歩いていなければならないのか不思議だが、とにかく地名と指差し会話だ。訊いたのは翌日のキャンプ地である村。間違いはない。遥か下に村が見える。それはコースから外れる村なのだが、このまま馬方とはぐれたままだったらあの村に下りようと思う。それにしても下るまでに1時間半は掛かりそうだ。
 次の尾根を回り込んだ時、そこに10頭くらいの馬を休ませている一団がいた。2頭の馬と馬方を知らないかと尋ねると、すくその先にいると教えてくれる。更に少し回り込んだトレイル上の狭い平地に馬方のテントと別のトレッカーの馬隊がいた。トゥクテンのテントは1枚の大きなビニールシートの端に支柱を立てて入り口にし、四方に直接ペグを打ち込むというワイルドなものだ。僕は彼に近寄り言った。どんなに早く先に行っても良いが、大事な所で見えなくなるのは困る。僕はルートを知らないのだから。彼はOKと頷いた。確かに彼はガイドではないし、馬方というものはトレッカーのペーストとは関係なく進むものだということは知っているのだが、少し我侭を言えば我々は二人きりなのだ。大事な所では方向を示してもらわないことには時に困ったことになる。特に今日のようにキャンプ地が村ではないような場合には。
                                               翌日は幾つかの緩やかな峠を越えてリンシ
シンゲ・ラ(峠:5060m)                              ェットという民家85軒ほどのこのコース途上で
b0049671_10503416.jpg最も大きな村に向かう。ここがコースの中間点でもある。村は三方を断崖の山に囲まれたすり鉢状の土地に広がっている。三方の山から谷に向かって民家が点在しているのだが、谷は深く、両岸は垂直の岩の壁。村に出入りするには周りを取り囲む高い峠を越えるしかない。
 村を見下ろせる最後の峠に差し掛かった時、既に下方にトゥクテンの姿は無かった。やれやれ。だが幸いなことに断崖の道を村に向かって下りて行って最初に出会うのがゴンパであるらしい。その横は綺麗に整地された広い平地に成っていて、どうやらそこがキャンプ地であるらしい。例の馬隊が見える。そこまでの道は下に下りて見上げると大したことがないように見えるのだが、上から見下ろすと果てしなく遠く険しい下りに見える。実際それは狭い危険なトレイルだった。
 トゥクテンはゴンパの木陰にいた。彼はゴンパ横のこのキャンプ地ではなく、谷の向こうに見える家の前にテントを張るという。見ると直線で500m程だろうか、彼の指す方向に数件の民家が見える。彼の姉の嫁ぎ先なのだそうだ。ゴンパ横のキャンプ地には石積みの売店兼茶屋もあり、整地もされていて水場も近く気持ちが良さそうだったのだが、まあ、そういうのならそれも良かろうと承諾する。彼は先に姉の家に、僕はゴンパに寄ることにした。
 さて、ここまで長々と読んで下さった皆さんには大変に申し訳ないのだが、実はここまでは前書きなのだ。
 ゴンパ基底部はまるで廃墟か遺跡のようで、石積みと土で塗り固められた狭い通路が通っている。6.7段の階段の石は河原から持ってきた物か、ツルツルに丸まっていて非常に危険だ。だが若い僧侶たちはなんなく走って上り下りしている。本堂を見学させてもらった後、その階段や通路の様子を写真に撮ろうと階段の上からカメラを構えるが、フレームの中に収めてしまうと何か今ひとつピンとこない。そこで下からのアングルを試してみることにした。トレッキング中、特に狭いトレイルを歩いている時など2つの事を同時にするな、と常日頃自分に言い聞かせている。例えばキョロキョロするのなら歩を止めるとか、そういうことだ。だがこの時、場所がゴンパの中だということで注意が散漫になってしまったのだろう。おそらく僕はカメラのスイッチだかレンズキャップだかを気にしながらその階段を下った。そして右足が滑った。
 その場に座り込むが右足首の余りの痛さに声も出ない。小坊主達が集まってくる。だが動けない。暫く座っていたが埒が明かないので、とにかくキャンプ地まで行こうと立ち上がるが、殆ど歩けない。ゴンパの裏に積んであったポプラの裸にされた枝(それはおそらく建築材として、天井を葺くのに使われるものだ)から適当な長さの物を拝借し、杖にする。ところが道が良く分からない。僧侶に聞くとここを下りて行けというのだが、それは道でもないような断崖だったりすのだ。手を貸してくれたり何処かに連絡してくれそうな様子は無い。或いは僕は頼むべきだったのかもしれないが。
 トゥクテンのテントの手前200mほどの沢の横の民家に綺麗なテントが見える。きっと西洋人のトレッカーだろう。そこまでトレイル上で3・400mだろうか。しかしそこまでが断崖なのだ。暫く歩いては、トゥクテンのテントに向かって杖を振ってみるということを繰り返したが、そこに立っているように見える人影は僕に気付かない。何回目だろうか、漸く気付いたらしいトゥクテンがこちらに向かって歩き始めたのが見える。彼がその5・600mを歩いて僕の所に辿り着くまでに、僕はおそらく30mも進めなかった。
 彼は事情を聞いて驚いたり困ったりしたが、肩を貸してくれるとか馬を連れてくるとかはしようとはしなかった。杖を突いている右腕を支えたりしている。そんなことをされてもかえって邪魔になるだけなのだが。或いは僕は頼むべきだったのかもしれない。肩をかしてくれと。或いは馬を連れてきてくれと。だがいずれにしてもトレイルは狭く、所々は岩の上を下らなければならず、肩を組んだ2人がずっと並んで歩くには危険すぎたかもしれない。
 なんとか沢まで降りて来ると、そこにテントを張っていたのはやはり西洋人だった。後で分かることだが、オランダ人の2人の婦人。1人は50代半ば、もう1人は60を越しているように見えた。彼女たちは馬方の他にガイドと数人のポーター、キッチンボーイを連れていて、厳しい道とはいえ優雅なトレッキングをしているのだった。彼女たちは飲料用に引かれた用水の流れに足を晒すように言った。トレッキング・シューズを脱ぐと腫れるだろうからそのままでと。10分間、そうやって僕は右足を流水に晒した。その後、彼女たちは靴を脱がせ、何かの軟膏を足に塗ると丁寧に包帯を巻いてくれた。骨はどうか、と彼女たちは尋ねた。多分、骨は大丈夫だと思うと僕は答える。おそらく明日は物凄く腫れるだろう、と彼女たちは言った。4・5日は安静にしなくちゃね、時間はあるの?と彼女たちは訊いた。そして消炎剤の入った痛み止めを3日分くれた。
 そこからなんとか自分のキャンプ地まで辿り着くが、テントの設営やなにやかにや、今は全てがハードワークだった。ただ、彼女たちに出会ったことで、僕は幾分か気が楽になったように思う。もしそうでなかったなら、もっと気が滅入り、不安な思いを抱え込んでいたと思う。
 翌日、キャンプの5mほど下の用水で足を冷やして過ごす。痛みは幾分か治まってきたが、腫れが酷い。関係の無いだろう指先までまるで大きな昆虫の幼虫のように膨らんでいた。足首はまるでアトムやサリーちゃんのようだ。紫、緑、青、まるで曼荼羅のように様々な色が入り乱れていた。さて、これではおそらく4・5日では歩けそうにない。少なくとも険しい峠越えなんて無理だ。後方には5060mを始めとした峠、車道のあるワンラまで健常で4日、更にレーは先だ。前方には4750mを始めとした峠、車道のあるザンラまで4日、そこからザンスカールの中心パドゥムはまだ先だ。
 どうする没関系。 (つづく
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by meiguanxi | 2007-07-23 19:37 | Air Mail
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