from Leh : 満身創痍・惨敗のザンスカール・トレッキング #3
[ カシミール・ラダック略地図 ]                                          2007年7月7日

その1
その2の続き

 オランダ人婦人たちを残して先に峠を下り始めたのだが、これを下り切ると狭い谷路になっていて、トレイルは消え川原を歩くことになる。岩と石だらけの川原だが、峠路に比べればずっと穏やかなものだ。谷の幅は20~30m、流れはほんの1m程の細いものだ。両側は砂山の断崖で、物音ひとつしない淋しい場所だ。なんとなく“賽の河原”などという言葉を思い浮かべる。
 しばらく行った所で後方のトゥクテンが止まった。この日何回目かの荷崩れを起こしたのだ。例によって僕の馬を曳く甥の馬方は彼を手伝いに行った。この時、何故か馬は小便をした。それが谷中に響くような轟音とともに物凄い量の小便なのだ。馬は谷の下流を向いているので、その黄色い流れは馬の4足の間を抜けて前方に流れた。馬の首の右側、山側の既に斜面になっている所に曳綱が無造作に置かれていた。その上には若い馬方の小さなリュック、更にそれには彼が持って歩いてくれている僕の杖が乗っていた。リンシェットのゴンパで拝借した例のポプラの裸枝だ。僕はそれらが小便に濡れるのではないかと気になった。しかしビシャビシャになるのならともかく、考えてみれば馬方たちがそのような多少のことを気にするとも思えなかった。だがこの時、僕は彼を呼ぶべきだったのだ。
                                               ところで馬というものは隙さえあれば食べて
リンシェット村にて                                   いる動物であるらしい。もちろん羊やヤクだっ
b0049671_7313032.jpgてそうなのかもしれないが、残念ながら僕は草食動物の生態にそんなに詳しい訳ではない。とにかく見ている限り、馬というのはそうした動物であるらしかった。
 この時も僕の乗った馬は左側に僅かに生えた草を食み始めた。草は疎らにほんの僅かしか生えていない。馬は草を求めて首を左後方に反らす。右側の斜面に置いた綱が動く。やがてその上のリュックが倒れ、杖が転がった。おそらくその一瞬だった。一声嘶くと、馬は突然左に旋回しながら走り出したのだ。勿論、リュックの倒れる音と杖の転がる音に驚いたのに違いない。馬というのは非常に臆病な動物でもある。不意を突かれた僕は既に右後方にバランスを崩していた。掴んでいるのは木製の蔵の端に過ぎない。
 「ここで終わるのか?!」僕の脳裏にそういう恐怖が走る。なにしろ下は大きな石だらけの川原であり、そちこちに岩も転がっている。しかも既にバランスを崩しているのだ。「落ちるべきだ!」次の一瞬、確かにそう思ったように記憶している。この状況では早晩振り落とされるのは必死だ。そうであるなら少なくとも自分の意思で落ちた方がまだしもマシかもしれない。次の一瞬、「ここだ!」と思った記憶がある。少なくともその瞬間に僕の視野に入った直下に大きな岩が無かったように思ったのだろう。
 勿論これら「終わるのか」「落ちるべきだ」「ここだ」は連続したほんの一瞬のことであるので、もしかしたら順番が逆だったり或いは同時だったりしたのかもしれない。そしてこの「ここだ」という判断が本当に正しいという確証は何処にも無かった。むしろそれは「終わり」をほんの数秒こちらに引き寄せる結果になるのかもしれなかった。だがこの時、僕は躊躇することなく石と岩だらけの川原に、走る馬の背から右後方に落ちたのだ。勿論それは半ばは振り落とされたのでもあるのだが、しかし半ばは明確な意思を持って自ら落ちたのでもある。
 だが不幸なことに…そもそも僕はどうしてこんな場所で馬などに乗っていたのであるか。もちろん足首を負傷していたからだ。その足首から爪先は大きく腫れ上がり、紐を最大限に緩めてもトレッキング・シューズの中に足を納めるのは至難の業だったのだ。そう、大きく膨らんだ右足のトレッキング・シューズが鐙(あぶみ)から抜けない。落ちと思った次の瞬間には、右足首を鐙に絡め取られた状態で、走り続ける馬に引き摺られていた。くどいようだが下は石と岩だらけの川原だ。僕は必死でその右脚を押えようとしていたように思う。
                                               後で分かることだが、そのようにして僕はお
ハヌマ・ラ(峠:4750m)からシンシェットを振り返る             よそ15mほど引き摺られた。その時、なぜ馬
b0049671_10363740.jpgが止まったのか、僕には分からなかった。というよりもそんなことに頓着する余裕など全く無かったのだ。これも後で知ることだが、若い馬方がロープに飛びついてくれたらしく、彼は小指を突き指していた。
 だがそんなことに思いを致す余裕を持たない僕は、今自分に起きた現実すらうまく把握できず、何処から来るのかも分からない痛みと、何よりも全身を支配した恐怖と闘っていた。ウォーウォーと意味も無く叫ぶ僕に駆け寄ったトゥクテンは、力の限りに僕を抱きしめ、上体を起こそうとした。その様子がむしろ、大変なことが起きたのだということを僕に自覚させた。しかしそれにしても、この人はなぜ僕の上体を起こそうとしているのか。全く冷静さを取り戻せない意識の中で、僕はそんなことを思っていた。無理だから寝かせてくれ、僕は漸くそう言葉にした。まだ痛みが何処から来るもので、何処に問題があり無いのか、全く自分自身で把握できないのだ。
 やがてその痛みは左肘と右臀部脇からくるらしいことが理解できる。そこを見ると激しい擦傷に血が滲み、或いは流れている。実は同じような傷は左股間や尻の上の割目その他にもあったのだが、この時にはまだ気付かなかった。だが問題は、それらの傷を確かめるために見ようとすると右肋骨と右腰椎、それに右肩甲骨が激しく痛むということだった。肋骨と椎間板くらいは折れたのかもしれない。
 頭は打っていない、そう思った。それが確かなことなのかどうか、今もって分からない。とにかく打った記憶も症状も無かった。大丈夫だ、僕は自分に言い聞かせた。そして横に置かれたサブザック―そう、このザックを背負っていなかったらもっと酷いことに成っていた筈だ―から一眼レフのアナログ・カメラを取り出し、その動作を確認した。問題ない。次に腰に着けたポーチからデジカメを取り出して同じように動かしてみる。これも問題なかった。それにしてもあの落下とそれに続く引き摺られた衝撃で、特にザックの中の一眼レフが傷ひとつ負わなかったというのは奇跡に近い。
 だが、僕は何をやっているのだ。今問題なのはカメラなどではない。己の身体なのだ。全く冷静などではなかった。僕は傷の手当てをすることにすら思い至らずに、荷直しをする2人の馬方と馬とを眺めていたのだ。トゥクテンがやって来て「Go?」と訊く。それは訊いたのかそれとも「行くぞ」と言ったのか僕には良く分からなかったけれど、しかしそれにしてもこの人はいったい何を言っているのだ。僕はたった今馬から落ちて、もしかしたらそちらこちらを骨折しているかもしれないのだ。幸いにも頭や内臓にはおそらく問題は無さそうだとはいものの、僕は荷物ではない。乗り直してすぐに出発などできる筈がないではないか。
                                               だがそれについては何も言わず、この時に
ハヌマ・ラから来た路を見下ろす                          なって漸く僕はメインザックの中に薬が入って
b0049671_738211.jpgいるということをトゥクテンに伝えた。トゥクテンは驚いたように「今か?今要るのか?」と訊いた。気持ちは分からないでもない。崩れた荷を漸く直し終えたばかりなのだ。その為には結構な労力を必要とする。なによりそれを僕は眺めていたのだ。薬を取り出すためにはその荷を全て解かなければならない。それは分かった。しかし僕はなにも意地悪で眺めていた訳ではないのだ。傷の消毒をするために今以後、より適切で有効な時間がもし存在するのなら是非とも教えてほしいものだ、正直なとこと僕はそう思った。だがこの時の僕にはそのように誰かを罵ったり攻めたりするようなエネルギーなど爪の先ほども無かった。「そう、今だ」と力無く伝えるのが精一杯だった。
 メインザックから取り出した消毒薬を左肘と右大腿部、それと左股間に吹き付ける。本当は薬の入ったポーチにはガーゼや包帯、絆創膏なども入っていたのだが、不思議なことにこの時の僕はそれらを使うことに全く思い至らなかった。ただポケットから取り出したバンダナを、右手と口とを使って左肘に縛り付けただけだった。
 トゥクテンがもう一度「Go?」と訊いた。お願いだからもう30分だけ休ませてくれ、と僕は答えた。その30分という時間に何かの意味があるわけではない。とにかく冷静さを取り戻す必要があったし、もう一度馬に乗って移動を再開するにはそれなりの覚悟と決意、勇気とを必要としたのだ。馬方たちはちょっと困ったような表情をした。僕は若い馬方に向かって静かに、本当に小さな声で言った、「これは君が綱を放したことが原因で起きたミスだと思う」と。勿論それを許した(というより彼を呼んだのはトゥクテンなのだ)トゥクテンの責任でもある。では僕自身はどうなのか。確かに、決して綱を放すなと命じるべきだったのだ。馬がおとなしいからと、馬方たちがそうするのだからと、根拠の無い安心をしていた僕の無知が引き起こした事故でもある。だがそれは旅人としての自覚的反省であって、仕事で引き受けている彼らの責任とは全く別のところにある問題だ。
 その30分が過ぎようとした頃、オランダ人婦人たちが彼女たちのガイド(もちろん英語を話す)を伴って追い付いて来た。彼女たちは熱心に事情を訊いたが、流石にこの状況で彼女たちにできることは殆ど無かった。表面的な傷の消毒も既に終えているのだ。彼女たちは心配そうに暫くそこに留まっていたが、やがて僕に何か声を掛けると先に進んで行った。
 彼女たちが行ってしまうと僕は取り残されたような気持ちになったが、逆に「行くしかないだろう」という気持ちも少し湧いてきた。そう、行くしかないのだ。たとえ今現在、この身体がどんなことに成っているのだとしても、ここでじっとしている訳にはいかないし、じっとしていても何かがどうにか成る訳ではない。仮に動くのは危険な状態なのだとしてもだ。休める場所は先にしかないし、病院は遥か先なのだ。
                                               だがこの後の路は危険を極め、川原の先は
袋に入れられた子馬(ネルツェ出発時)                     残雪と崖崩れとでトレイルは壊れ、大きな岩
b0049671_74238.jpgの割れ目や段差を下らなければならなかったりした。馬から全ての荷物を下ろし、馬方たちがそれを5m下の岩の下に下ろす。僕は杖を突いてその岩を一歩ずつゆっくりと降りる。健康でも危険な落差だ。この時、ここは非常な難所に成っていて、逆方向に谷を登って来たインド人の2頭の馬がどうしてもこの岩を登ろうとしない。うち1頭は足を滑らせて5m下の沢に落ちた。馬は転ぶことはなかったが、もしトレイル上で同じような起これば僕はひとたまりもなく谷底に転落するだろう。いずれにせよ、今の僕は無能なほどに無力だった。馬方たちがいなければ何もできないし、僅かずつ進むことすらできないのだ。
 この後も何ヶ所か同じように馬を下りて自力で歩かなければならない場所があった。最も危険な場所を、杖を突いてそちらこちらの痛みに耐えながら下ったのだ。少し表現が自分に対して同情的に過ぎるだろうか。そうであるかもしれない。だが実際にはこの時、自分に同情する余裕など精神的にも肉体的にも無かった。ただ必死で耐えていただけなのだ。
 この日のキャンプ地は谷が棘のある潅木の林になり、その枝を腕で除けながら少し登った狭い丘の上にあった。石積みの小屋が一軒あり、茶屋になっている。その中の狭い土間は暗く、そして非常に汚れていて、無数の蝿が飛び回っていた。大概の汚い場所なら慣れてもいたが、流石にこの時にはこの小屋の中に腰を下ろす気持ちにはなれなかった。ヤクを放牧しているので、テントを張るのにもその糞を足で退かさなければならないようなん場所だった。通って来た谷の奥から轟々と風が吹き抜けていた。
 食事は自分で作るのがこのトレッキングの契約だったが、この時ばかりは気を利かせたトゥクテンが「何か食べるか?」と訊いてきた。だが僕は「何も要らない」と答える。「メギー(マサラ味のインスタントラーメン)でも作ろうか?」と彼は更に言う。「明日の朝、何か食べるから」と僕は断る。食欲などというものは身体中の何処を探しても見付からなかった。ただ常に吹き付ける強い風と寒さ、このカルカの決して美しいとは言えない状態、そちらこちらの痛み、そしてともすると陥りそうになるある種の絶望感とに耐えていたのだった。気分の助けに成ってくれたのは今のところ、タバコと、お湯を貰って入れたネスカフェだけだった。月は、この季節の北西インドの上空から完全に姿を消して久しかった。        (つづく
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by meiguanxi | 2007-07-27 20:08 | Air Mail
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