from Bangkok ― Tokyo : 満身創痍・惨敗のザンスカール・トレッキング #4
[ カシミール・ラダック略地図 ]                                       2007年7月8日~9日

その1
その2
その3の続き

 その夜は激しい風がテントのフライシートをばたつかせる音に何度も目を覚まされた。未明には降っては止む雨がテントを叩く音に幾度か目を覚ました。その度に身体の何処かの痛みが甦った。
 幸いなことに朝には雨は上がっていた。トゥクテンが作ってくれたインスタント・ラーメンを食べ、彼らに手伝ってもらってテントをたたむ。雲は低く世界を覆い、行く手の峠の上空は真っ暗だった。一旦谷に下ってから、この日も厳しい登りになる。勿論トレイルは昨日に続き危うい。
 出発して暫くすると雨が落ち始めた。始めのうちは小降りだったのだが、馬方に止まってくれと言い出せぬままに、気が付けばびしょ濡れに成っていた。とても止まって荷物から何かを取り出せるような路ではなかったし、なにしろ自分が怪我を負って負担を掛けているという負い目が何処かにあった。漸く一つの峠を越えて谷の下に下りた時、この日はトゥクテンが背負っていてくれたサブザックからレインコートのポンチョを取り出す。そのザックはびっしょりと濡れ、色が黒く変わっている。本当はその中のカメラが気に成っていたのだが、とてもそれをポンチョの下に自分で背負って馬に揺られることはできそうになかった。胸も背中も腰も痛むのだ。カメラは濡れ、フィルムはダメになるかもしれない。しかし気には成ったが、今はカメラや写真のことを気にしている場合ではなかった。雨は降り続け、気温は一向に上がらない。まるで真冬に降る冷たい雨と同じだった。路は険しく、この日も何ヶ所か危険な断崖を、馬を下りて杖を突いて上り下りしなければならなかった。間も無く、僕たちより少し先にテントを張っていた例のオランダ人婦人たちを追い越す。彼女たちは僕に何か声を掛けたが、僕は「大丈夫、多分ね。後で」と答えるのが精一杯で、馬上で凍えていた。
 漸く峠道が終わった時、念願のザンスカール川に出た。それは両岸とも数百mの、垂直にそそり立つ岩の断崖に挟まれた激流だった。荒々しく、今の僕には苦しくさえ映る光景であったが、それは非常に美しい風景でもあった。だが降り続く雨の断崖に付いたトレイルの馬上で、カメラを構えることはできない。止まってくれと言えないし、そう要求をしたりカメラを構えたりといったことに使うべきエネルギーはその時の僕には無かった。こんな思いをしながら、この風景一枚の写真すら撮れないのだ。
 やがて断崖が低くなりザンスカール川の表情が少し穏やかになった。路も低くなり周りも平坦になった場所で、僕の馬を曳く若い馬方が「タバコをくれないか」と言った、「酷く寒いんだ」。一瞬、どうしてコイツは僕にそんなことを頼めるんだろう、というような意地悪な気持ちが浮かんだ。次に、そんな物を吸ったらますます指先や足の先が冷えてしまうぞと教えてあげようかと思った。だが、何かで気分を少しでも変える必要があったのは僕も同じだった。3人とも完璧に凍えている。
 この後、雨で増水したために小さな沢に掛かる橋までの十数mのトレイルが崩れてしまった場所があり、若い馬方は荷馬の荷の上に乗り、トゥクテンは激しい流れに膝上まで浸かりながら僕の馬を曳いて渡河した。キャンプ地の平坦なカルカはすぐ先に見えていたが、沢を渡った後のトレイルも危険な状態にあり、そこからは杖を突いて歩くことになる。
 川沿いの平坦なカルカは広く、石積みをコンクリートで補強した3軒の小屋があった。それらの壁にはHotelとペンキで書かれていたが営業している雰囲気はなく、人もいなかった。トゥクテンは適切と思われる少し高くなった場所に彼のテントを張った。オランダ人婦人たちの馬方たちも、同じ場所にテントを張った。彼女たちはまだ到着しない。僕はしかし、彼らとは離れて1軒の小屋の前にテントを張った。その小屋は吹きさらしだったが、取りあえず雨風を凌げる。そこが簡単な茶屋になっているようで、その奥の扉には鍵が掛かっていた。
 僕はその吹き曝しの小屋でMSRのストーブ(小型のコンロ)を組み立てた。この日、幸いだったことはこのMSRの調子がすこぶる良かったことだ。ガソリン、灯油両用という優れたストーブで、僕は馬方に合わせて灯油を使っていたのだが(馬方は勿論、インド製の無骨な灯油ストーブを使っていた)、青い色の付いたインド製の灯油(何故、灯油が青いのだ?)との相性が悪いのか、時折不完全燃焼を起こしたりしていたのだ。だが、この日は美しい青い炎を力強く燃やした。その火で、お湯を沸かし、ガーリック・スープを作って飲んだ。次にティー・ポットにチャイを淹れ、カップにネスカフェを淹れ、その中にブランデーを入れた。そしてそれらを飲みながら濡れたジャケットとシャツの袖、それとズボンを乾かした。右足に巻いたずぶ濡れの包帯を取って足先を暖める。左足の指には間も無く体温が戻ったが、負傷している右足の爪先にはなかなか感覚が戻って来なかった。まるで凍傷で壊死でもしてしまったかのようだった。
 夕食を作っているとオランダ人婦人たちがやって来たので、野菜を切ったりラーメンを取り出したりしながら話をする。「何よりも、あなたが今こうして立って話をしている、しかも少しだけだけれど笑顔でね。そのことが私にはとても嬉しいし、幸せなな気持ちなのよ」と彼女たちは言った。本当はこうして野菜を洗ったり水を汲んだりするのにさえ非常に苦労をしていたし、何をするにも辛かったのだが、そんな彼女たちの言葉は僕を少しだけ勇気付けてくれるようだった。雨は上がっていた。少しだけだが、陽の光が夕暮れの空を染めていた。
                                               次の朝は良く晴れ渡った。昨日のあの寒さ
ハナムル付近のザンスカール川                          が幻であったかのように、朝から気温はグン
b0049671_751144.jpgグンと上がった。僕をここまで運んでくれた白馬は、トゥクテンの甥に連れられてリンシェットに帰って行った。出発間際に若い馬方が僕の所に来て、料金を請求した。これが日本の旅行会社が企画したポニー・トレッキングだったとしたなら、料金は愚か損害賠償物だなという思いが浮かぶ。だが問題は、白馬はレーのエイジェンシーで手配したのではないばかりではなく、若い馬方のものでさえないということだ。確かにその馬の持ち主は彼の父方の伯父であり、更に彼とその馬を紹介したのは母方の叔父であるトゥクテンではある。だがもし支払わないとなれば、その交渉はトゥクテンとしなければならないし、そうなればこの若い馬方かトゥクテンがその穴埋めを請求されるのかもしれない。支払いの中に甥の取り分が幾らか含まれていたのだとしても、馬の料金は1日350ルピー、帰り1日分の400ルピーを含めても1100ルピー(約3300円)でしかない。確かにインドでは決して少なくはないだろう。だが彼の取り分が仮に3日で200ルピーだったとしても、それは僕にとってレーでのビール2本分でしかないのだ。そして同時にそれは、彼にとっては何某かの金額でもある。彼はこの2日間歩いて来た険しい道を、今日1日で馬を曳いて帰って行くのだ。3300円を東京で稼ぐのに僕はどれだけの労働を必要とするのかを思った。事故への制裁として僕が受け取ることのできる対価にしてはあまりに少ない。そして一時の気晴らしのためにその僅かな金額を彼から奪い取ることは、あまりに卑しい。
 僕は彼に料金を私ながら言った。「今後、もし君がまた誰か外国人を馬に乗せる機会があるのなら、絶対に綱を放してはいけない。絶対にだ」 彼は「分かった」と言って頷いた。彼の後姿を見送りながら、この2日間の厳しい道程を思った。少なくとも彼が来てくれなかったら、僕はここまで来ることはできなかったのだ。
 白馬が行ってしまうとトゥクテンは荷造りを始めた。この日は始めて子馬を歩かせるのだ。僕はこの数日の移動ですっかり駄目に成った野菜の殆どを捨てていた。残った野菜はジャガイモと玉葱、大蒜だけだった。荷物はすっかり少なく成っていた。大方の荷物を1頭の馬に載せ、母馬にはトゥクテンのテントやその為の布類が乗せられた。僕はその上に乗る。鞍の上では多くの布類の為に高過ぎて不安定だったし、鞍の後ろでは鞍に積まれた袋に入った何か硬い物が右脚に当たって非常に乗り辛かった。鐙(あぶみ)は無い。
                                               だが道は確かに起伏が無く歩き易い。ザン
ザンスカール川対岸の民家にて                          スカール川も穏やかな表情を見せている。そ
b0049671_755029.jpgれでも何ヶ所かは下りなければならない場所があり、それを機に歩くことにした。鐙が無く少しとはいえ荷物の乗った馬の背中に乗っているのは、思った異常に辛かったのだ。杖を突きながら歩き出してみるとその方がずっと楽に思えたが、実際には半歩ずつしか歩けず、特に砂利や石に覆われたような場所、傾斜などは非常に歩き辛く、あっという間に馬達との距離は数百メートル離れてしまう。昨日の雨でずぶ濡れになってしまったトレッキングシューズは紐を結んで馬に掛けてあったので、足元はサンダルだ。2日前に生まれたばかりの子馬よりも遥かに情け無い歩行だった。
 ザンスカール川を橋で対岸に渡ると1軒の石積みの小屋があり、トゥクテンはそこで休憩すると言った。ヤギを放牧している家のようで、家族達が庭でチャン(麦で作られた醸造酒)やチャイを呑んでいる。僕は茶店なのかと思ったのだが、最後に金を請求されなかったので単に好意で休憩させてくれたのか、或いはトゥクテンの知り合いなのかもしれない。庭の石に座るなりチャンを勧められる。このアルコール量の少ない白濁して少し酸味のある酒は大好物ではあったが、この時に1杯にとどめ後はチャイを呑んで硬いチベット・パンを齧っていた。僕は今日の目的地であるにザンラに早く着いて、出来れば今日のうちに車を手配してパドゥムに行きたいと思っていた。だがトゥクテンは勧められるままに3杯か4杯のチャンを呑んだ。空は青く、雲は白い。緩やかな川の周囲には平地が広がり、山はそれを取り囲んでいる。「まあ、いいか、明日の朝にはバスがあるのだし」そう思わせるような非常に穏やかで暖かな風景だった。
                                               ここからザンラの村までは再び馬に乗った
ザンラ村にて                                      のだが、荒地ではあるが緩やかな平地が続
b0049671_7572560.jpgく。村の入口の丘の上に尼僧院がある。トゥクテンが「寄って行くか?」と質問する。せっかくここまで来たのだし、パドゥムへ行くのは明日でもいいのではないか、という思いが湧く。トゥクテンははここで「今日はキャンプをせず、民家に泊まろうと思うが、良いか?」と聞いてきた。足も落馬したダメージも大きかったが、いずれにせよ落馬から既に2日目なのだ。今すぐになんとかしなければ命に関わるかもしれないという状況は、良くも悪くも過ぎてしまっている。それに民家に泊まるのならば、怪我をした足では煩わしい食事の支度やテントの設営もしなくて済むのだ。
 僕は馬を下り、トゥクテンは村に向かった。ゴンパを見学した後、足を引き摺った僕が村に着いたのはおそらくトゥクテンより数十分遅れてだったと思う。1軒の民家の中屋上からトゥクテンが僕を呼ぶ。その家に上がり込んでみると、彼は酒を呑んでいるところだった。何故だか訳は知れなかったが、7・8人の男達がその家の2階で酒を呑んで騒いでいた。チャンだけではなくラムのボトルまであり、トゥクテンの顔は既に赤らんでいる。「今日はこの家に泊まるのか」と僕はトゥクテンに訊き、彼は「そうだ」と答えた。荷物は外に置いてあるから心配するなと言う。僕はチャンを断り、ゴンパを見学してくることにする。尼僧院とは反対側の村外れの断崖の上にあるゴンパだ。そこまで登るのかと思うと、この足では気が遠くなりそうだったが、時間は未だ昼下がり。ゆっくり往復できるだろう。
                                               僕が家を出ると、トゥクテンが一緒に付いて
ザンラの王宮跡とゴンパ                              来る。ゴンパは鍵が閉まっているので、村人
b0049671_802892.jpgに訊いて鍵を探すのだという。そして1軒の比較的大きな家を指差し、「今日はこの家に泊まる」と彼は言った。ん?さっきの家ではないのか?どうもこの辺り、コミュニケーションが上手く取れない。「ゴンパから帰って来ても俺がこの家にいなかったら、さっきの家にいるから」と彼は言う。結局、鍵は見付からなかったが、僕はとにかくゴンパのある場所まで登ってみることにする。
 なにしろ足を引き摺りなからであるから、この断崖の上のゴンパまでの往復にはけっこうな時間が掛かったし、負担も掛かってクタクタになって戻ったのは5時半だった。泊まると言った家にはトゥクテンはいなかった。ちいさな木戸を開けて敷地に入ると、2人の沢山の荷物が母屋の壁に立てかけられていた。声を掛けてみるが、家人もいないようだ。実はゴンパに向かっている時から気に成っていたのだが、やっぱりトレッキングシーズを干しておいてくれるといった類の気は回してくれていなかった。それどころか、せっかく馬の背で干していた靴は、彼のズタ袋の中に押し込まれていた。やれやれ、この天気でこの乾燥した気候なのだ、外に出しておいてさえくれれば直ぐに乾いただろうに。が、まあ、そういう気を使えと要求する方が無理なのかもしれない。村に着いた時に、宿泊する家と荷物とを自分できちんと確認しなかったのがいけないのだ。
 ところで、さっきの酒宴の家に行ってみるが、そこにも彼はいなかった。それどころかさっきはあれだけ沢山いた人々が家人も含めて誰もいない。僕は泊まる筈の家に戻り、置かれた荷物の脇の石段に腰掛けて煙草に火を付けた。だがトゥクテンは6時になっても6時半になっても現れない。その民家の敷地にも周辺にもテントを張れそうな場所は見当たらなかったし、飲料の水を探し回るには右足が限界を超えていた。やれやれ、今、僕に出来ることは何も無さそうだった。    (つづく
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by meiguanxi | 2007-08-09 11:12 | Air Mail
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