アレッポ (シリア):古代商業都市への長い道
[ 中東主要部略地図 ]
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                                                          アレッポの町並み

b0049671_154434.jpg 嘗て、日本でシリアのヴィザを個人で取得するには、旅行会社からの推薦書や英文日程表などの面倒な書類が必要だった。勢い旅行会社に高い金を払うことになる。現在ではこのレギュレーションは大きく変わっているよだが、とにか1992年は面倒だったのだ。時間に余裕があるなら、こういうものは隣国で取る方が一般的には簡単だ。イスタンブール(トルコ)の領事館では、日本領事館からのレター(推薦書)があれば翌日には発行された。レターは日本領事館で15分で書いてくれた。定型文に名前やパスポート番号などを記入するだけの形式的なものだ。
 トルコのアンタクヤのある地域は、地中海沿いに少しシリア領に入り込んでいる。ここからシリア第2の都会であるアレッポまでは、直線距離にすると100km程しかない。しかし12時半に出発したバスは、この100kmに6時間も掛かってしまう。そのうちの4時間は、
アレッポ城跡                                      シリア側イミグレーションでの時間待ちだ。
b0049671_18334440.jpg トルコ側の出国手続きを終え、十字軍の要塞跡を横目に見ながら5分、あっという間にシリア側に着く。ここまで出発から1時間。第三国人の入国手続きは至って簡単なのだが、何しろ職員の対応が遅く、満員の乗客(殆どがシリア人)全員の手続きに小1時間掛かる。この先がカスタム。これは高速道路の料金所のように成っていて、4車線それぞれにバス3台分位の長さのプラットホームがある。ここで全ての荷物を降ろしてチェックされるのだが、まず始まるまでに2時間ほど待たされる。いざ始まると第三国人はノーチェック。しかしチェック中はバスの中へは入れない。シリア人達の荷物は膨大だ。トルコから買い出してきたのだろう大きな毛布、玉葱を詰めた麻袋、パンパンに膨らんだ訳の
                                   分からないポリ袋、机、椅子…全てが終わるまで小1時間、寒
                                   風に耐えることになる。

カーン・アル・ワジール(キャラバンサライ)                                     アルメニア教会
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旧市街の路地とモスクの鐘楼
b0049671_18414486.jpg 漸く走り出したかと思うと、ポリスが乗り込んできて全員のパスポートチェック。そしてバスは10kmでエンスト。応急修理をし、更にガゾリンスタンドで何かをし…そうこうするうちに辺りは暗くなる。周囲は荒野だ。この先に都会があるなんてとても思えない。しかしシリア人達は一向に気にしていないようだ。18時、乗客たちはラマダン明けの軽食(イスラームでは年に1ヶ月間の断食月があり、この時は夜明けから日暮れまで一切の食物を口にしない)を食べながら、大きな声で話をしている。インシャ・アッラー(神の思し召しのまま)なのだ。それにしても隣の人間と話をするのに、何故こんなに大きな声が必要なのか。
 僕は町のロクな地図すら持っていなかった。当時、日本語の個人旅行用ガイドブックはこの国をまだ扱っていず、持っていた英語のガイドブックには地図が掲載されていなかった。東京での18時の在り方について思い起こしてみた。TVが一斉に夕方のニュースを流し始める時間だ(現在は17時前からニュースを放送しているが、1992年には17時台はドラマの再放送か娯楽版番組の時間枠だった)。まだ会社にいれば、軽い夕食を終えて残業に入る時間だ。定時で終わっていれば、近くの店でニュースを見ながらビールの最初の1杯に口を付ける時間だ。大丈夫、そう考えればまだたいした時間ではないのだ。

スーク(バザール)                                                     スークの天井
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 アレッポの歴史は古い。伝承を含めれば5000年に及ぶ。紀元前17世紀にはヒッタイトに占領されたとの史実がある。街に残るアレッポ城址は紀元前10世紀に起源を持つという。ハム人(エジプト)、セム人(アラブ)、アーリア人(イラン)が攻防を繰り広げ、モンゴルやチムールの攻撃に耐え、十字軍が走りぬけて行った。その間、一貫して繁栄を持続し続けた街。
 バザールをアラビア語でスークと言うが、そこは長さ2km、幅500mもあるだろう巨大な屋根付きの迷路だ。そしてそこには何時も人々の活気が溢れている。
 ところで、すっかり暗くなったこの街で飛び込んだ安宿は、夜の職業の女性達がアパート代わりにしているアットホームな宿だった。入り口に小さなロビーがあり、その周囲と上階に部屋がある。ロビーの石油ストーブは、彼女達の井戸端会議の場だ。夕方の出勤時間が近づくと、共同シャワーからあられもない姿で出て来たりする。そしてそのまま話の輪に加わる。まるでストリップ劇場の楽屋のような宿だ。
 僕にとって幸いだったことは、彼女達はことごとく若くはなかったということだ。もしそうではなかったなら、とてもじゃないが、落ち着いてはいられなかっただろう。

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                                              グラン・モスク(ジャミア・ザカリーエ)
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by meiguanxi | 2007-10-06 18:50 | 中東・北アフリカ | Comments(0)
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