ダマスカス (シリア) : アラブの誇り
[ 中東主要部略地図 ]
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                                                   ウマイヤ・モスク(同以下2枚)

b0049671_22192018.jpg アラブの誇りダマスカス。シリアの首都だ。パルミラからは、土獏の中をバスで3時間。この街はアレッポと同じく、ヒッタイト、バビロニア、アッシリアなどという有史最初期からその名を現す、現存する最古の都市のひとつだ。
 また、ムハンマドに始まるイスラーム帝国(サラセン:大食)に於いて、第四代カリフの死後、いわゆる正統カリフ時代の後を引き継いだウマイヤ朝(661~750)の首都が置かれた場所でもある。街にはこの時代の、完全な形で現存する世界最古のモスクであるウマウヤ・モスク(715年建立)があり、今も多くの信者を集めている。この中の祭壇には、ヨルダンで斬首された洗礼者ヨハネの首が収められているという。イスラームも要はユダヤ教、キリスト教の流れを汲む宗教だ。イスラームに於いてもヨハネは預言者(神の言葉を預かって伝える者。予言者ではない)の一人とされている。
 イスラーム帝国の首都といえばバクダッドをイメージするかもしれない。だがそれはこの後のことだ。正統カリフ時代が終わると、イスラーム世界はカリフの正統性を巡ってスンナ派とシーア派に分裂する。ウマイヤ朝が東ローマ帝国との抗争の中で勢力が衰えると、反ウマイヤ勢力はシーア派を巻き込んでウマイヤ朝を倒しアッバス朝(東カリフ帝国)を建てる。一方、ウマイヤ朝は当時支配下に置いていたイベリア半島に逃れ、コルドバ(現スペイン)を首都に後ウマイヤ朝を建てる。この時、アッバス朝が首都を置いたのがバクダッド(現イラク)だ。
 ただしアッバス朝はシーア派国家だったわけではない。イラン
b0049671_22201715.jpgでは651年にササン朝ペルシャがサラセン帝国(ウマイヤ朝)に滅ぼされたが、スンニ派がイランに於いて確固とした勢力を得るのは、1502年、ササン朝以来のイラン人独立国家であるサファヴィ朝まで待たなければならない。
 いずれにせよ、ダマスカスはバクダッド以前にイスラーム・アラブの都だったのだ。
 サラーフ・ウッディーン(サラディン)という名前をご存知だろうか。1099年、十字軍はキリスト教・イスラーム双方の聖地であるエルサレムを陥落し、ここを首都にキリスト教国であるエルサレム王国を築く。1187年、これを奪還したイスラームの英雄がサラディンだ。尤も、彼は民族的にはクルドだったようだが。彼は今、ウマイヤ・モスク北門外の廟に祭られている。

スーク(アラブ式バザール)                                                町角の商店
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 ところでダマスカスの街を歩いていると、「マダーム?」と良く声を掛けられる。要するにポン引きだ。これはあくまで印象だが、この街の安宿にはその手の置屋を兼ねたものがかなりあるようだ。実は泊まった宿もそうだった。これはアレッポで泊まったような宿ではなく、あからさま場所だった。小さなビルの3階がレセプション。部屋は3階から5階まで。4階は全て彼女達の部屋で、昼間からあられもない姿を目にする。時々男達と開け放したドアに凭れながら交渉したり談笑したりしている。
 泊まった5階には2部屋しか無く、いわゆる屋根裏部屋だ。部屋にいてもそんなざわめきや笑い声が聞こえてくる。ラマダーン(断食月)にも関わらず漸くバザールで見付けた実に不味い白ワインを呑みながら、不貞腐れているしかなかった。

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                                                     新市街 マルジェ広場 付近
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by meiguanxi | 2007-10-17 22:24 | 中東・北アフリカ | Comments(0)
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