敦煌と鳴沙山 : 砂漠の青い泉と石窟美術
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                                                   莫高窟・北大仏殿 (第96窟)

 嘉峪関(jia yu guan)の西460kmで、かの余りにも有名な敦煌に着く。嘉峪関の東20数kmに位置し夜光杯という玉器で有名な酒泉(jiu quan)からなら、バスで8時間といったところだ。
 最寄の鉄道駅である柳園(liu yuan)からだと、バスで2・3時間。この130kmの道は凄い。見渡す限りのゴビ灘の土漠の中を、延々と真っ直ぐに貫かれているのだ。フロントガラス越し、遥か地平線と交わる路上に小さな点が見え始める。初めはそれが何なのか分からない。やがて対向車らしいと気付く。だが、一向に距離は縮まらない。5分以上、いや時には擦れ違うまでに10分も掛かる。やれやれ、なんという道だ。
                                    敦煌、中国語読みで dun huang : ドゥンフゥァン。敦煌の歴
鳴沙山へのポプラ並木                    史は1世紀初頭、武威(wu wei)・張掖(zhang ye)・酒泉と
b0049671_20313654.jpgともに、漢の武帝が西域経営の為にここに郡を置いたことに始まる。当初は東西交易と軍事上の要衝として建設されたのだ。
 後漢の時代に仏教が伝来し、莫高窟(mo gao ku)の石窟は4世紀から始まり、唐代に全盛期を向かえる。14世紀までの約1000年に渡り、南北1600mの岸壁に500近くの石窟が穿たれた。その後、長く忘れさられていたが、1900年、大量の古文書が発見され注目される。しかし多くはスタインや大谷探検隊によって国外に持ち出されてしまった。しかしそこに残された色鮮やかな壁画や塑像などの仏教美術は、今に至るまでその輝きを伝えている。
 実はここには二回訪れている。初めは河西回廊を西域に向かい、次はここから南にアルトゥン山脈を越えツァイダム盆地を突っ切って青海省(チベット圏のアムド地方にほぼ相当する)ゴルムドに向かった。だが、莫高窟の内部は撮影禁止であったため写真が無いのが残念だ。

月牙泉                                                     砂漠に生きる胡楊の木
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 現在の敦煌は、莫高窟から25km離れた党河(dang he)沿いの小さな町だ。いや最近では観光開発が進み、それ相応の町に発展しているのかもしれない。党河は祁連(qi lian)山脈から流れ出ているが、夏の間以外は干上がっている。
 ところで、町から5㎞の所に鳴沙山(ming sha shan)という、東西40㎞、南北20kmの広大な砂丘がある。その様はまさに我々が抱く砂漠のイメージそのままだ。この砂丘の上からは果てしなく広がるゴビ灘を見渡すことができる。
 この鳴沙山の脇に、青々とした水を湛える月牙泉(yue ya quan)という泉がある。畔には胡楊の木が静かに立っている。砂の海に青い泉、そして緑の胡楊。なんとも幻想的でロマンチックな光景だ。

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                                                                 鳴沙山
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by meiguanxi | 2007-11-15 20:34 | 絲綢之路Ⅰ[西域] | Comments(6)
Commented by はぶ at 2007-11-15 23:14 x
鳴沙山の砂丘に登るのって予想外にキッツイですよね。それに見た目以上に大きくて。でも、それだけに日没の光景は格別でした。

ところで、昨夜はおふざけが過ぎました。就寝前でテンションが高かったのもありますが、気分を害されたでしょうね。反省してお詫びします。
Commented by meiguanxi at 2007-11-15 23:31
そうそう、あの上からの夕景は最高でした!
でも・・・写真を見るとただの日暮れでしかなくて_| ̄|○
えええーっ! いや、その・・・気分を害した訳ではなく、悪戯と勘違いちたので・・・ちっちゃいぞ俺ーっ_| ̄|○ 申し訳ない m(_ _)m
Commented by lunablanca at 2007-11-16 21:57 x
中学の教科書だったかな・・・井上靖の『敦煌』『楼蘭』を読んで以来
憧れの地です。いつか、行けるかな。
Commented by meiguanxi at 2007-11-16 23:15
昔、NHKでシルクロードを特集した時の、井上靖の感慨の深さはむしろそれ自体がロマンでした。僕が行ったのはその10年後だけど、彼の時代の敦煌は今の時代の敦煌とは敦煌が違う。当時、あれは観光地ではなく、分け入って行く西域という僻地でもあったんだね。
って、まだ行ってなかったんか~w るなっち、その気になれば何時でも行けるじゃん。同伴はお母さんだろけどw
Commented by りー at 2007-11-18 09:00 x
月牙泉を最近TVで見ましたがもっと小さくて箱庭の池のようでした。

どの写真もその時空のファインダーのこちら側でここをこんな風に見ていた。
写真って記録になってしまうとちょっと淋しいけれどl
記憶ごと何か感じられたらいいな、って思って見せていただいていますん♪
いろいろなところ見せてくださいね~。
Commented by meiguanxi at 2007-11-19 18:17
月牙泉、もしかして関口知宏君の『中国鉄道大紀行』かな? 管理してる老人が「以前よりずっと小さくなった」と言ってたけど、僕が見た時と比べてどうなのか、ちょっと判断できないかな。ただ、取り囲むフェンスも寺のような建物もなくて、人工的な部分は全く感じない砂漠の中の泉でした。もしかしたら、上の写真の胡楊の木、もう無いのかなぁ?
そうそう、番組では柳園の駅を降りると鳴沙山が見えるかのような編集だったけど、柳園から敦煌までは130キロもの土漠なんですよ。映っていた立派な自動車道路は、敦煌の町から鳴沙山に向かう道だと思うけど、もしかしたら上の写真のポプラ並木が改修されたものじゃないかと…複雑な気持ちです。
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