トルファン (東トルキスタン) : 疎水と葡萄棚のオアシス
b0049671_1751699.jpg
                                                          交河故城への道

蘇公塔
b0049671_2351227.jpg その名前を聞いただけで旅情を掻き立てられる町がある。トルファンもそんな町のひとつだ。
 NHKがシルクロードの特集を1年掛けて放送した時代、まだ中国は自由に旅のできる国ではなかった。中央アジアはソ連だった時代であり、それだけに尚のことシルクロードは手の届かない憧憬の地だった。
 東トルキスタン、現在は中国支配下で新疆ウイグル自治地区とされている。今のトルファンはトルコ系のウイグル人の町だ。しかし、この地域の歴史は複雑だ。紀元前2世紀、この地には匈奴の支配下に車師前国という国があった。現在の町から10kmの交河故城はその城址だ。前漢の時代、紀元前1世紀には高昌故城(町から40㎞離れた遺跡)付近に屯田兵を進駐させ、漢族が移入する。
 漢が滅んだ後は様々な支配者がこの地を治めたが、どれも漢族の王朝だった。5世紀に起こった高昌国もまた、漢族の国家だ。しかし、「玉門から西は胡地」というように、支配者が変わっても住民の多くはイラン系アーリア人だったと思われる。高昌国の時代、かの玄奘三蔵が訪れている。西遊記に有名な火焔山もこの近郊にある。
 その後、7世紀には唐の支配に入るが、北方騎馬民族の突厥やチベット系の吐蕃の圧力を受ける。そして9世紀半ばにはウイグルが進入し、この地はテュルク(トルコ)化する。
 しかし、住民はウイグルの他、イラン系、インド系、モンゴル系、漢族と多民族雑居の状態であったようで、ウイグルも仏教を受け入れベゼクリク千仏洞の建設に携わったりした。この地がイスラム化するのは16世紀半ばだ。


ベゼクリク千仏洞                                                   交河故城の高台
b0049671_23514127.jpgb0049671_2352195.jpg


日干煉瓦の民家と老人                                                半地下の農家
b0049671_2353535.jpgb0049671_23532921.jpg



 今のトルファンの町は、葡萄棚がアーケードを成す美しい町だ。小さな町なので、旧市街やバザールをそぞろ歩くくらいしか町中には見所は無いが、それだけで充分だ。また郊外には交河故城や高昌故城といった都市遺跡の他、ベゼクリク千仏洞、アスターナ古墳、火焔山、カレーズという地下水路など多くの見所が点在している。
 町から2.5kmほどの郊外に蘇公塔と呼ばれる1779年建立のモスクがある。44mもの高さを誇る中央アジア様式のミナレットが印象的だ。ここへ向かう未舗装の一本道には日干煉瓦と土壁で固められた民家が並び、カレーズから敷かれた用水路が流れている。この小路、正式には解放路というのだが、通称をバイバイ・ストリートという。旅行者を見掛けた子供達が、「バイバイ」と手を振って無邪気に走り寄って来る。この町を2度目に訪れたのが1993年、15年近くの時が過ぎた今、この通りは昔のまま残っているのだろうか。


b0049671_23541126.jpg
                                                          解放路の用水路
[PR]
by meiguanxi | 2007-11-16 23:54 | 絲綢之路Ⅰ[西域] | Comments(10)
Commented by はぶ at 2007-11-17 20:29 x
シルクロード地方で一番気に入った所はと問われれば、私は迷わずトルファンと答えます。遺跡や名所の多さを抜きにしても、またバイバイストリートには行きませんでしたが、いい想い出がいっぱい詰まった所ですし、オアシス都市の佇まいが色濃く感じられました。
ほんとに、今はどうなっているのでしょうか。
Commented by meiguanxi at 2007-11-17 22:44
はぶさんがトルファンに行ったのは何年? 僕は90年と93年に行ったんだけど、その間にトルファン賓館の様相が変わっちゃったんですよ。僕も90年のトルファンには沢山の思い出があります。バザールに行って羊肉のポロやパンミンを美味い美味いと食ってガキっちょと遊んで、宿でうだうだしてるだけで楽しかった町では、多分、もうないのでしょうね・・・
Commented by はぶ at 2007-11-18 18:30 x
私は89年の夏です。トルファン賓館のことは「地球の歩き方」の写真と93年カシュガルで出会った日本人旅行者から知りました。その時の日本人も皆トルファンは「いいとこだった」と口を揃えて褒めていたように記憶してます。
そして今、・・・変わったでしょうね。

ところで、「チベットの…」にリンクを貼りたいんですけど、如何でしょうか?
Commented by meiguanxi at 2007-11-19 18:27
なんかねぇ、93年でも町の中心の交差点の雰囲気は随分と変わっていた印象でした。
えっ?! あ、「チベットの蒼い風」(http://habu003.ojaru.jp/)はブログ・タイプに作られてはいるけど、更新することはないのでしょうし、あまりに立派過ぎて申し訳ないですよ。それよりヤマネさんでしょ^^
Commented by orientlibrary at 2007-11-20 09:09
なんとも旅情を誘われる写真です。大好きですね〜!!!
このような光景は今も見られるのではないかと思いますが、いろんな面で相当に酷い状況になっているのでは、、と思うと、重い気持ちになってきます。
ウイグルの人たちの日々を、尊厳を、土の建築を、破壊する人たちに強い怒りを感じます。
人懐っこい子どもたち、馬車の音、オアシスの緑、バザールの賑わい、、
Commented by meiguanxi at 2007-11-20 21:11
一番下の写真、僕の中では広義の意味での中央アジア・オアシスのイメージそのままなんですけどね。どうなのかなぁ、トルファンで残っているんでしょうか…有名な蘇公塔への一本道だから、もしかしたら舗装拡張されてたりして。でも、むしろ農村放置の開発で無視されてたりしてね。どちらにしろ急激な開発の下で土の建築が生き残っていくのはいずれ難しいのでしょうね。今の中国の地方に在りがちな味の無いタイル建築が席巻していたりしたら、悲しいかなぁ・・・
Commented by yamane at 2007-12-04 22:35 x
私は没さんよりはぶさんより年下ですが(ですよね?)、88年の6月にトルファンに行きました。暑くてどうにかなりそうでした(笑)
ぶどう棚はきれいだったけど、ぶどうが実ってないと意味がない(笑)
ハミ瓜はもう出ていたかなぁ、記憶が・・・。
その後、蘇公塔がえらく立派なモニュメントみたいになった写真を知人から見せられて、そりゃ20年近い時が流れたんだから変わるだろうと思いつつも、「うーん・・・」って感じでした。
Commented by meiguanxi at 2007-12-05 07:38
えっ?! そうなんですか?! 年下なんですか?!
うそうそ^^ はぶさんとヤマネさんの違いは覚えてないですが、お2人とも僕より若僧です!_| ̄|○
こんな辺鄙な処の最新から何ページも前の記事にコメントする暇があるなら、ご自分へのコメントにレスしなさい!
皆さん、心配してますよw 老爺心
で、えっと、ガーン! そう言われて蘇公塔の画像を検索してみました。綺麗な公園に成ってるし、ウズベキスタンのヒヴァにある物を真似たと思しき立派な門までついてる・・・バイバイ・ストリートと最下段の穀物を洗ってる水路がどうなったかなんて、考えるのやめます・・・ドヨ~ン_| ̄|○
Commented by yamane at 2007-12-06 14:17 x
す、すいません・・・。
忘れてたわけじゃなく(オロオロ)、自分のブログに海外からはアクセスできないという間抜けな状況下にありまして・・・。スパム対策で入れた何かがブロックしてるみたいなんですよ。
で、私はいまチェンマイでアパート借りて住み始めたところでして、はぶさんによると、没さんは「はぶさんといい、ヤマネといい、くっそー! とばかりに再骨折・・・」されそうだ、というので、
どうしようかと思いつつ・・・。
私のブログに、パソコン不得手の夫が拙い記事をアップしておりますので、見てやってください。全角英数と半角英数の違いがメールでどう説明してもわかんないみたいで、コピペできないんですがURLも書いてあります。では!
Commented by meiguanxi at 2007-12-06 17:04
昨夜、数字が全角だということは気付いて直してみたんですが行き着けませんでした^^
しかし、このクソ寒い時に暖かい所で・・・足くらい何本でも折ってやるー!
あ、チェンマイもこの時期の朝晩はかなり冷えますよね。腰、お大事に!
<< クチャの子供達 (東トルキスタン) 敦煌と鳴沙山 : 砂漠の青い泉... >>