カシュガル(東トルキスタン): 変わり行く西域のオアシス都市
b0049671_1347039.jpg
                                                        日曜バザール(同下)


 クチャから夜行バスで18時間、カシュガルは新疆ウイグル自治区の区都ウルムチを除けば西域最大の町で、ここまで来ると漢族の移入も比較的少なく新市街でもウイグル色が強い。いや、これはあくまで1993年の状況だ。


b0049671_13473434.jpg


 長安(現在の西安)を出た古来の絲綢之路(シルクロード)は、敦煌で旧道の西域南路と北寄りの新道とに別れる。更に新道はトルファンで天山北路と天山南路(西域北路)とが別れる。この天山南路と、敦煌からローラン(楼蘭)に向かった西域南路とが再び出会うのが、カシュガルだ。
 北は天山山脈、南はカラコルム山脈、西にはパミール高原、そして東にはタクラマカン砂漠が広がる。この地は古来の旅人にとっては、まさに安らぎのオアシスだったのだ。
 現代の旅行者にとってのシルクロードは、中国をそれなりに自由に旅行することができるように成った80年代後半に漸く開放され、ソ連崩壊後暫く経った後、90年代前半にはウルムチからイリを通ってカザフスタンに向かうこと(天山北路)も可能に成った。そしてついに近年、カシュガルから直接パミールを越えてキルギスに抜ける道が、個人旅行者にも解放された。しかし長い間、旅行者にとってこの東トルキスタン(ウイグルスタン)と西トルキスタン(タジクを除く現中央アジア諸国)とは分断されていた。旅行者には新疆ウイグル自治区から先、フンジェラブ峠を越えてパキスタン北部に向かう道以外は許されていなかったのだ。この中国支配領の西の果ての街は、アジア横断を目論む現代の旅行者にとっても東西の境目だった訳だ。

                                旧市街の路地
b0049671_13481468.jpgb0049671_1349812.jpg
b0049671_1350269.jpg

b0049671_13493549.jpg

 予断だが、初めて新疆を訪れた90年、クチャの記事に書いたとおり僕はこの街に行きそびれている。「民族暴動」の為に外国人の入域が規制され、クチャから泣く泣く引き返したのだ。訪れることができたのは93年になる。その所為か、僕にとってカシュガルは今も遥かなる街というイメージとともにある。
 ところでご存知通り99年、カシュガルまでの列車が開通した。また、中国の道路事情の改善には華々しいものがあるので、今ではクチャからの所要時間は圧倒的に短縮されたのだろう。おそらくそれに伴い中国から膨大な資本と中国文化が流入し、そして大量の漢族が植民されたのだろう。


旧市街のバザール街
b0049671_13514994.jpgb0049671_13521662.jpg


 NHK 『新シルクロード』 でカシュガルが放送されたのは2005年11月、既に2年も前になる。放送によれば中国の富裕層が大挙して旅行に訪れ、嘗ては僕たちが勝手気儘に散歩していた旧市街のバザール地区は、テーマパークさながら観光客から入場料を取るように成っていた。嘗てはこの地で富裕でもあったのだろう立派な屋敷の主人は、漢族のツアー客を自宅に招き入れ娘に民族舞踊を披露させる。職業ではない普通の少女である娘であるから、彼女は乗り気がしない。だが経済的現実を前にした父親は娘を嗜め、観光客に媚を売る。
 嘗て僕の旅したカシュガルは、例えば中国に留学してる日本人女性でも一人で踏み入るのを躊躇するような雰囲気があった。漢族の世界とは全く違う異郷だったのだ。勿論、ウイグル人たちは日本人には友好的だったが、それは対等な友好であって決して旅行者に媚びるようなものではなかった。おそらく、僕らにはそういう触れ合いが心地よかったのだろう。


                              職人街の職工と老人
b0049671_13531537.jpgb0049671_13534281.jpg
b0049671_1354710.jpg

 先日、同じNKHの 『中国鉄道大紀行』 で見たカシュガルの旧市街は、嘗てとさほど変わらない雰囲気に見えた。日干煉瓦と土で固められた家、狭い道の左右を跨ぐように建て増された2階の為にトンネル状になった路地。だがそれは、ある意味では流入する資本の元で取り残される現地の姿を反映しているのかもしれない。
 シルクロード西域への憧憬、遥かなるオアシス、そんな甘い旅情や感傷をよそに現実のカシュガルは大きく変貌しつつあるのだろう。

b0049671_15245172.jpg

[PR]
by meiguanxi | 2007-12-05 14:07 | 絲綢之路Ⅰ[西域] | Comments(4)
Commented by gogoasia at 2007-12-05 20:26
はじめまして。

チベットとならんで東トルキスタンと
それにつながる中央アジアの国々は
わたくしの憧れの地です。

勝手ながらリンクさせていただきました。
支障があればお知らせくださいませ。
Commented by meiguanxi at 2007-12-06 00:33
カム・アムドを旅行中のご様子。ゴンパは再建だけにちょっとキンピカし過ぎですが町はまだまだ素朴なようで、今年行けなかった僕としては羨ましい限りです。
中央アジアを旅するのは、少なくとも僕の時にはけっこうキツかったですよ。警官とか国境役人とかね。
リンク、文字が余っちゃってますけど、なんとかしますね^^
Commented by りー at 2007-12-08 10:49 x
新シルクロード、見ていました。普通の民家の応接間のようなところで民族衣装の少女が踊らされていて、そのあと写真撮影。両親はニコニコでしたけど、少女は本当に嫌そうな表情だったのが印象的でしたよね。

こちらで拝見する街や村はもうどこにもないのかもしれないですが、あの女の子は少女らしい潔癖さと誇りを失くさずにいて欲しいなと改めて思いました。
Commented by meiguanxi at 2007-12-08 16:33
カシュガルの南にヤルカンドという田舎町があって、そこの少しばかり小洒落た飯屋(というほとでもなく、まあ飯屋です)で、外国人が珍しかったのかウエイトレスのウイグルの女の娘がずっと僕の席に座って通じない話をしてたんです。僕はまあ、ビールを飲んでたんですけどね。そしたら隣のテーブルにいたウイグルの男が彼女の顔にコップのお茶をかけたんです。「この売女が! よそ者の異教徒と何してる!」みたいな感じでしょうか。まあ、良し悪しはともかく、彼の気持ちも分からなくはないかな。ムスリムでもある訳だし。まして仮に僕じゃなく漢族だった大変なことになったかもしれません。きっと、あの父親も内心忸怩たるものがあるのかもしれませんね。
あの番組に映っていた漢族の旅行者たちには悪意は無かったし親切でもあったと思うのです。ただ、見ていてどうにも遣り切れない思いになってしまう。僕たちも圧倒的に経済力の違う人たちの土地を旅させてもらうことがしばしばである訳ですが・・・
<< 瑞麗&姐告 (Ruili & ... カルシャ・グストル (ザンスカ... >>