[ 雲南省略地図 ] [ 北部ラオ周辺略地図 ]
国境の橋だ。中国側は雲南省河口(hekou)、ヴェトナム側はラオカイ。だが勿論、近年ここを訪れた方、或いはネット上でこの国境の写真を見たことのある方には意外な光景かもしれない。狭い橋の中央には鉄道が敷かれている。陸路国境としてはあまりにも粗末に見えるかもしれない。しかしこの鉄橋は当時、天秤棒を担いだヴェトナム人商人たちで毎日賑わっていたのだ。 この国境はカンボジアのポル・ポト政権を軍事侵攻で崩壊させたヴェトナムに対して中国が軍事侵攻した1979年の中越戦争以来、閉鎖されていた国境だ。1993年、この橋の再建をもって14年振りに陸路による国境貿易が再開された。僕が始めて訪れたのはその5年後、1998年12月だ。 ラオカイの町はホンソン川沿いに開けた高層建築も無い落ち着いた静かな田舎町だ。鉄道駅もバスの停車場も郊外の何も無い荒地にある。そこからバイク・タクシーで2・3kmで国境に着く。中国側では紅河(honghe)と呼ばれるホンソイ川は鉄道に沿って首都ハノイに下り、やがてハイフォンでトンキン湾に注ぐ。国境のこの橋は支流のナムディー河(南渓河:nanxihe)に架かっている。中国側ではこの紅河を遡るのが省都である昆明への動脈道路であり、一方鉄道は南渓河を遡ることになる。 ベトナム側の古めかしい国境事務所には沢山の人々が出国 ヘビ酒オオヤモリ酒スッポン酒店 手続きを待っているが、外国人は別途処理してくれるので比較 的スムーズだ。スタンプを貰ったら線路の敷かれたこの橋を徒歩で渡る。渡った先に中国側のイミグレーションがあるのだが、それも簡素なものだ。外国人である僕の場合には、事務所の中ではなく橋の脇に置かれたテーブルで済まされたものだ。そんなどこかほのぼのとした国境だった。 外国語をカタカナで表記するのは難しいが、中国語の場合には特に困難を感じる。この河口は欧米人には「ヘコウ」と呼ばれるだろうが、日本人の間では「ホーコー」の方が流通しているようだ。「he」 の音は 「ア」 と 「エ」 の中間の曖昧さに口を開き 「フ」 と発音して得られるような音。河口の南西側に紅河、南東側には南渓河が流れ、それぞれその対岸はヴェトナムだ。ベトナム側からやって来ると河口は小さいながら少し唐突に思えるくらい比較的賑やかな町で、さほど高かくはないにしろ商業ビルも建ってる。橋を超えた道はメインストリートである人民路に繋がっていて、広い通りではないが沢山の商店が軒を並べている。昔ながらの中国の商店街といった面持ちだ。この通りの南側(紅河寄り)に97年に建設された新道があり、こちらにはコンクリートにタイル張りの真新しい商店が並ぶが、僕が訪れた当時には閑散としていた。 だがこの橋の国境としての役割は短かった。二度目に訪ねたのが2000年7月、その翌年には少し紅河寄りに近代的な橋が架けられ、国境事務所も近代的なものに立て替えられたようだ。橋の両側には双方に立派なゲートが付けられ、ヴェトナム側には公園も出来たようだ。河口の新ショッピングロードはこの新しい橋に繋がっているということだ。 実はこのルートはラオスと中国との国境であるボーテン / 磨憨(mohan)の記事で触れた中国による南北経済回廊開発の一環をなしているのだ。昆明からラオスへのルートはタイのバンコックに向かうが、こちらは昆明からハノイを経てハイフォンの港に向かう。更にハノイから広西壮族(チワン族)自治区の南寧(nanning)へ繋がるのだが、こちらのハイウェイは2005年に完成している。98年当時、紅河を遡る道は狭い渓谷に付けられた未舗装の危うい田舎道だったのだが、今では昆明からの高速道路が河口まで開通したようだ。一方、確認できた限りでは2007年現在、昆明から河口への旅客列車は運休しているらしいが、別の情報では1000mmゲージのレールを中国標準の1435mmに拡張する計画だという。更に南渓河ではなく紅河に大きな橋を架けることで両国は合意しているともいう。 庭隅に粗末な安部屋のある河口賓館(ホテル) 美容院という名の曖昧屋 人民路脇の袋小路に飯屋が集中する一角があった(写真とは別)。店頭に野菜や肉、魚などの食材を冷蔵設備も無いまま陳列した、当時の雲南省では良く目にしたスタイルの飯屋だ。この町を始めて訪れた時、日本人を珍しがった小姐(シャォジェ:ウエイトレス)がそこらじゅうの店から人を呼んできて大変な騒ぎになったものだ。だがその1年半後、同じ店で店主の男に釣銭を誤魔化されそうになった。中国語で文句を言う僕に、彼は足りない分の釣りをテーブルに放って投げてよこした。思えばその時、市場は大改築中で例の新しい橋が建設中だったような気がする。あれから7年半、ヴェトナムとの国境とは言えのんびりとした田舎町に過ぎなかったこの町も、今や中国のインドシナ進出上の要衝として大きくその姿を変貌させている。
by meiguanxi
| 2008-01-12 20:22
| 雲南省と少数民族
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Comments(4)
ああ、国境の橋、うん、こんな感じだったですよね。ちょっと自信ないんですが、橋では写真撮らなかったのかな、私。
私がここを越えたのは多分95年だと思います。没さんの記事に93年に貿易が再開されたとあるので、その2年後になるのかな。そんなに賑やかな雰囲気は感じなかったような・・・。中国側の入国審査は小さなソファのある事務室で、お茶飲んで、それから係りの人に「ウェルカム・トゥー・チャイナ!」ってパスポートを返してもらったのをよく覚えています。ベトナムが個人的に好きになれなかったので、死ぬほどうれしかったなーw 河口では泊まらずに寝台列車に乗ってしまったので、当時の街の雰囲気が見られてうれしいです。
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meiguanxi at 2008-01-13 12:41
あ、うん、国境というのはカメラを向けちゃマズイっていう感覚があって、僕としては珍しいんですよ。えっと、河口の町はそんなに賑やかではなかったのかもしれないけど、橋を渡り切るといきなりビル(数階建てだけど)だったりして、ヴェトナム側からだと唐突だなぁって感じたんです。
あ、ここの中国側イミグレは確かに友好的だったかも。特に女性制服職員は非常に美人でした!それと、僕もヴェトナムはあまり好きになれなかったので中国に入った時には嬉しかったなぁ、トイレ以外はw 河口賓館ドミのトイレは屋外で、腰くらいの高さのコンクリート仕切りがあるだけのニイハオ・トイレなんですww
現地の方たち、いい笑顔ですねえ。
なんだかいいなあ。しばらくぶりに旅行したくなってきましたw
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meiguanxi at 2008-01-14 20:11
お久し振りです。何年振りでしょ。
一番下のは、写真を撮らせてくれと頼んだら照れ巻くってしまったの図です。周りの人たちもその様子に笑ってます。開発が進んで貧富の差が顕著になることで、こういう素朴で友好的な笑顔が薄れていってしまう部分もあるのだろうな。これは建物や雰囲気も以前の中国では何処にでもあった飯屋の光景ですが、今や殆ど見られなくなってしまったのかもしれません。
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by meiguanxi
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