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Free Tibet in 早稲田、或いは表現の自由
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(※ アバでの大地震があったために、この手の更新を憚られ。少し前に準備していたものですが、15日、日付を12に変えて
 こっそり更新します。)


 聖火がチョモランマに登頂した日、僕は早稲大学大隈講堂前にいた。勿論、大隈講堂で講演をするという胡錦濤主席に直接、抗議の声を聞いてもらうためだ。だがこの日、僕が思い知ることになったのは、言論や表現の自由といったものの危うさだだった。それらは政府や官憲の意向でこともなく圧殺されるのだという実感だ。もちろん僕はそれを知っていたが、アンノンとした生活の中で忘れ掛けていた現実の姿を四半世紀振りに身をもって思い起こさせられることになった。
 当日13:30、地下鉄東西線早稲田駅を地上に上がるとそこには何台ものの警察車両と警官達がいて、早稲田方面に向かおうとする1人1人の持ち物検査をしていた。別に疾しい物は持っていない。ところがチベット旗やプラカード、チベット旗のコピーなどを持っている人の通行は完全に規制された。全面通行止めとか通行禁止とかではない。チベット関連の何かを持っている者だけが通行を差し止められているのだ。それはあからなさな思想信条への差別であり表現の自由への抑圧だった。法的根拠を質しても回答しない。任意なのか強制なのかの質問にも回答はない。しかし無理に通ろうとて押し合いに成れば公務執行妨害の現行犯になることは確実だった。
 仕方なく暫く神楽坂方面に退く。その大通りにも100m程は警察車両が駐車している。異常な光景だ。漸くそれが途切れた少し先でタクシーを拾った。旗竿などを足元に隠し、自分も顔を伏せるようにして件の交差点(早稲田方面へは片側一車線の狭い道になる)を右折、なんとか辿り着いた早稲田大学前は数十台の警察車両と無数の警察官とでごった返していた。何か聞き分けられない大勢の群集の声がそちらこちらから地鳴りのように響いている。まさに騒然とした雰囲気だ。早稲田通りはその西側で正門に突き当たっている。ここが小さな広場のように成っていて、バスなどはここからUターンする作りになっている。だが本校キャンパスに沿って南から北にくねくねとした一方通行の狭い道があるので、タクシーはそのまま右折して進むことが出来る筈だが、この先には進めないのでUターンするようにという警察の声がスピーカーから響く。僕は運転手にUターンして停めてくれるように頼む。回り込んだ左手が大隈講堂なのだ。本校正門との間は一方通行の道で隔てられている。
 ところが下車するなり数人の警察官に取り囲まれる。そのまま早稲田通りを退去するようにと命令される。大隈講堂前がどのような状況にあるのか、沢山の警察やマスコミたちで確認できない。だが本校キャンパスを見ると正門内に沢山のチベット旗が翻っているのが見える。あそこには旗を持った人がいるではないかと問いただすと、彼らは許可証を持った人達だという。「許可証とは何の?」 「今日の許可証です」・・・今日の許可証とはいったい何のことか?抗議活動をするのに許可証がいるのか。しかも彼らのいる場所は大学構内であり、デモや集会の届けを警察に出す必要のない場所だ。本校キャンパスとは別に、大隈講堂とは早稲田通りを挟んだ反対側(タクシーが進入してきた車線側)の芝生地にも沢山のチベット旗が翻っている。それを指摘すると警察は、あれも招待状を持った人たちだと言う。招待状・・・胡錦濤に抗議をするための招待状を誰かが出しているというのか。馬鹿げている。実に馬鹿馬鹿しい。警察官達はそんなくだらない嘘まで平気でついて、既に大勢の人達がチベット旗を振り抗議の声を上げているにも拘わらず、僅か1人を排除することにやっきになっているのだ。

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                                                    通りを覆い隠す警察車両群

 いや、ここは冷静に公平な感想を言うことにしよう。おそらく警察官達の間で指示が混乱していたのだろう。僕を排除しようとしていた若い警察官は、胡錦濤主席の講演聴講者に予め届けられた許可証と、その場にいる人達への許可とを混同していたのだろう。大揉めに揉めているとやがて老練な警官が走り寄って来て僕を件の芝生地に誘導した。
 その場には300人ほどのチベット・サポーター達がいただろうか。それぞれにチベット旗やプラカードなどを手に Free Tibet!を叫んでいる。その周りを沢山の学生や野次馬が取り囲んでいる。その中には本当にただの野次馬もいれば、声を上げたり旗を振ったりはしなくと、チベットを指示したい、或いは中国政府に抗議したいという想いで見守っている人達もいた。

 騒然とした中、本校キャンパスの方を見ると夥しい警察官達が校門周辺に集まり、やがて門の金属の蛇腹を閉じ始める。中に入っていた警察隊がチベット支援の学生達をキャンパス奥に押しやっていく。この光景は You Tube で実際にその最中にいた学生が撮影した映像で見ることができる。2重3重になった警察官達が学生に圧力を掛けて押し込んでいく。動こうとしない者は力尽くで引き摺られる。倒れてしまった者の上を沢山の警察官たちが越えていく。とても大学の中、しかもこう言ってはなんだがそこらのオーナー大学でない、早稲田の構内での実際に行われていることだとは信じがたい光景だ。
 大学当局によると大隈講堂は貸しただけであり大学が関与した講演ではないという。してみれば大学が学内の秩序維持の為に警察に協力要請したのではない。もちろん逆だ。政府なり警察からの要請を受けて、自らの学内への警察力の侵入を許可し、自らの学生達が排除されることを許したのだ。もう一度敢えて言うが、そこいらのオーナー大学ではない。早稲田大学総長のこの姿勢は、ひとり早稲田の歴史に泥を塗ったというに留まらず、学府に対する暴挙だ。また、この講演には数十人の中国留学経験者や中国関係ゼミ生を除いて、一般の早稲田の学生が入ることはできなかったのだ。あとは中国関係者や政府の招待者だ。なんの為に早稲田で行われる必要があったのか。福田首相の出身校だからというのか。だとするなら権力による大学の私物化以外の何物でもない。
 やがて何台も警察バスが僕がいた芝生地の前の沿道に駐車し、正門まで一寸の隙もなく塞いだ。15:20位のことだ。それと同時に警察街宣車の上から 「旗を降ろしなさい!通行人の危険になるので旗を降ろしなさい!」 というが発せられる。しかし歩道を歩くことを許されていたのは警察官と公安とマスコミだけだった。芝生地を通る早稲田学生もいたが後方の大学建物との間には十分な空間があり、彼らにとって邪魔だったのはチベット国旗ではなく警察の封鎖それ自体だった。「各隊は旗を降ろさせるように行動を取れ!」 という指示とともに警察官たちが我々チベット・サポータたちににじり寄る。僕達は何重ものロープの内側に押し込められていたのだが、そのロープを挟んで警察官たちと睨み合いになる。「言論の自由を抑圧するな!」 「表現の自由を圧殺するな!」 と僕は目の前の警察官に叫ぶ。誰も旗を降ろそうとしない。Free Tibet!の声はますます大きくなる。誰かの怒号が聞こえる。スピーカーから警察の高圧的な命令が大音量で流れる。まさにこの時、裏道から(これは後で知ったことだが)胡錦濤主席を載せた車が大隈講堂に到着したのだ。

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                                      閉じられた早稲田正門。その内を占拠する警官隊

 この芝生地にいた抗議者の中には、いわゆる反中を口汚く叫ぶ組織やそれに動員された人々もいて、芝生地と路地を挟んで本校キャンパス側に現れた巨大な中国国旗を振っていた中国人留学生たちと罵り合ったり睨み合ったりしていたようだが、圧倒的多数は勝手に来た一般の学生であり市民だった。この勝手に来た市民や学生達は拡声器が無いにも拘らず一糸乱れずシュプレヒコールを延々と繰り返した。

 チベットに自由を!
 言論の自由を!
 教育の自由を!
 宗教の自由を!
 本物の自由を!
 チベットに平和を!
 パンチャン・ラマを返せ! (
 チベットに人権を!
 Free Tibet!
 Free Tibet!
 Free Tibet!
 Free Tibet!

 誰かが始めたコールを誰かが書き写し、それを書き写した人がその紙を誰かに配り、それぞれが離れた場所でコールをリードした為に、全員が同じコールをすることができたのだ。もちろんチベット問題である。そこにいた人達にはそれぞれの政治心情があり、僕のような左派も或いは反中意識のある右派も、またはノンポリもいただろう。仏教への信心のある者も持ち合わせない者もいただろう。だが、そこにあったのはたった1点、チベットに自由を!という想いだった。このシュプレヒコールは胡錦濤主席が早稲田を去る17:15位まで延々と途切れることなく続いていた。

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   一般人はこのファインダーの位置には立てなかった。これはマスコミの方にお願いして撮って貰った写真
by meiguanxi | 2008-05-12 23:07 | Free TIBET | Comments(6)
Commented by aoikesi at 2008-05-23 18:01
これは日本の画像?
と疑いたくなるようなものものしさですね。
文章を読んでさらに日本のこと?
ちょっと危うい方向へ向いているJapanを感じました。
Commented by meiguanxi at 2008-05-23 23:30
駅からの個人的な体験もそうでしたけど、
早稲田正門方向の写真、凄いですいよね。
まあ、僕としてはその警官隊の物凄さよりも、
これを目の当たりにして暴動的にならなかった学生
(フリチベ行動とは関係無しに一般の見ていた学生)に
むしろ違和感を感じたりもします。
Commented by yamane at 2008-05-24 22:14 x
ひどいですね、想像以上に。警察も、早稲田大学も、ひどい。
学園紛争の時期ですら、各大学は構内に公権力(でいいのかな)を入れることについては煩悶した、のではなかったかと記憶しているのですが。
唯々諾々と大きなものに従ってしまい、それについて疑問すら持たないのだとしたら、いったいこれは・・・。
如何せん如何せんと言わざるもの、我これを如何せん。という論語の言葉を思い出しました。命日に読んだ高橋和巳の本のどこかにありました。
彼が生きていたら憤死してますね・・・。
Commented by meiguanxi at 2008-05-25 23:27
ああぁ、その言葉、論語としてではなく和巳の引用として強烈に印象付けられているのに、何処に書いてあったのかさっぱり思い出せない・・・
嘗て産学連携というのは批判の対象であったのですが、今や産学官を一体化する方向が国益として持て囃されています。それはそれとして取り分けて技術系では必要でもあるのでしょうが、学府というのは基本的に権力や実経済とは切り離されて、謂わば完璧なモラトリアム空間である必要性だって確かにある筈だと思うのですが、どうも最近ではこういう議論に同調してくれる人は少ないようです。
思うにこの国の学園は、或いは学問は実社会に従属すべきものに成り下がったのかもしれません。でもね、きっとそれは独創性みたいなものにとって決してプラスではないのだと、どうしても思ってしまう。
Commented by yamane at 2008-05-26 22:42 x
没さんよりずっと暇なわたくしがお調べいたしました。「わが解体」の3節の終わりあたり、京大闘争の後半、例の「清官教授を駁す」が壁に貼られた夜、深酒の後でひとり呟いた、のだそうです。
ついでに引用間違ってました・・・。如何せん如何せんと言うことなき者、我これを如何せん、でした。
思うに、ある時期から日本では「結果を出す」「結果を残す」という言葉が流行り、今では誰もが目に見える何かを早急に得ることに必死になっている、ような・・・。目に見える何ものも生まない学問や思想は、無価値だと思う人も多いのかもしれないですね。なんだかな・・・。
Commented by meiguanxi at 2008-05-27 22:58
ヤマネさんも僕も文学部だからちょっと世間の感覚とは学問というものに関するイメージが違うのかもしれないけど。理系は兎も角ね、少なくとも文系の学問なんてものはそもそも明日の飯の種になんかならないものの筈なんです。それでも人間社会はその訳の分からないものに尊敬と期待とを持ち続けてきた。別の言い方をすれば、そんな愚にも付かないものに社会の金を出し続けてきた訳です。そして、非常に微々としてではあるかもしれないけれど、それが人類の何某かの発展に、非常に長いスパンでみれば確かに貢献してきた。
今、文学者初め文系の学者が一般人の目に付くところで議論をリードするってことが皆無でしょ? 経済系の、昔なら御用学者と揶揄されただろうような連中だけが勢いを持ってしまった。例えば竹中なんてインテリの名に値しないっしょw
今の早稲田なら早稲田の教授たちに、インテリとはなんぞやなんて詰問したって痛くも痒くも無いのでしょうね。いや勿論、早稲田に限ったことじゃない。早稲田であってすらなのだから、ヤマネさんの大学も僕の大学も勿論。
とにかく、最近のこの国、或いは世界の在り方は、下品です。
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