カテゴリ:雲南省と少数民族( 22 )
黄草坝(huangcaoba 雲南省): ガイドブックに無い町のバス駅
[ 雲南省略地図 ]
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 金平の記事で紅河(honghe)哈尼族彝族自治州(ハニ族・イ族)は少数民族の宝庫だと書いたのだが、実はヴェトナムから雲南省への国境を2度も通過しているにも拘らず金平以外は訪ねていないのだ。中国の急激な変化を考えれば例え98年から2000年という時期であったとはしても、勿体無かったという思いがある。
 国境の河口から紅河(honghe)を北西に90キロほど遡ると曼耗(または蛮耗、どちらの読みも manhao ; 詳しくは金平の記事を参照)という集落があり、ここで対岸に渡り山道を70kmほど南下すれば金平だ。写真は曼耗から川沿いに更に20kmほど先の黄草坝(フゥァンツァォバ)という小さな町のバス駅。この先を更に進めば映画 『雲南の少女 ルオマの初恋』 (原題 『諾瑪的十七歳』)の舞台にもなった哈尼族(ハニ族)の土地として有名な元陽(yuanyang)、川から離れて北上すれば州都の个旧(gejiu)だ。
 中国を旅行していると元の書体が分からない漢字に良く出遭う。文革の時代に作成された簡体字という簡略化された文字が現在の中国語の正式文字になっているためだ。黄草坝も良く分からない。「坝」(土偏に貝の簡体字) の字はそろらく 「壩」(土偏に覇)の簡体字で、日本語の 「堰」 に当たるのだと思うのだが、確認していない。
 写真中央に立っている華やかな衣装の女性は彝族(イ族)、その他にも異なる2つの民族の女性が写っている。この写真はバス移動の途中で撮ったものだが、本当はこういうガイドブックに全く紹介されていない町でふらっと降りて散策しないといけないのだろうな、と思ったりもする。そんなことを考えていると紅河自治州だけで1ヶ月くらい掛かってしまいそうな気もするのだが。
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by meiguanxi | 2008-02-04 23:51 | 雲南省と少数民族 | Comments(4)
勐拉(mengla 雲南省): ヴェトナム国境の小さな村
[ 雲南省略地図 ]
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                                                            高床式の住居

 雲南省ヴェトナム国境、紅河(honghe)哈尼族彝族自治州(ハニ族・イ族)の金平の定期市については既に紹介した。金平の町は苗族瑶族傣族自治県(ミャオ族・ヤオ族・タイ族)というのだが、周辺には少数民族の小さな町や村が点在している。
 定期市は近隣の村を巡って6日に1度まわってくる。つまり金平で市が立たない他の5日間は那発(nafa)、金水河(jinshuihe)、十里村(shilicun)、銅廠(tongchang)、阿得博(adebo)、勐拉(mengla)といった周辺の何処かで開かれているということだ。6日というのはどうにも中途半端であるようだが、これは農暦の日の干支によっているためだ。年にではなく日に子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の12支が付いていて、金平なら子と午の日という具合に決まっている。他にも哈尼族で有名な元陽(yuanyang)へ行く途中の老勐(laomeng)では日曜日といったように、西洋暦の曜日によって決まっている場所もあるらしい。
 しかし僕が訪れた時には詳しい情報を持っていず、それらを独自で調べるには当時の僕の中国語はあまりに頼りなかった。分かっていたのは金平と那発と勐拉でそれぞれ6日に1度の市が立つということだけだった。最も詳しいと思われるガイドブックにさえ150文字に満たない金平の記載があるだけだったのだから仕方が無い。
 とにかく6日に1度では予め定期市の日程を知ることは不可能で、僕の場合には小さな金平の町で3日も待つことになった。勐拉(モンラ)へ行ってみたのはそんな暇を持て余した金平での2日目だった。町角でたまたま見掛けた勐拉という行き先表示の付いた乗り合い軽トラックに気紛れで乗ったのだ。


綿花紡ぎ                                                              機織り
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 山道を1時間半、勐拉は到って静かな、寂れたと表現した方が良いかもしれないような田舎の村だった。村の真ん中に幅の広い100m足らずの通りがある。未舗装の通りの両側には簡素な木製の縁台が並んでいる。縁台といっても腰掛けるための物ではなく、市の時に商品を並べるのだろう露天の台だ。市の日ではなかったこの日はほんの僅かな人達が野菜や肉、それに砂糖黍を売っているくらいで、牛の午睡のように閑散としていた。
 それでも露天の女性は赤い三角帽を被り、黒地の前合わせの上着は襟から合わせ部分に掛けて華やかな刺繍が施され、腕当てと帯と前掛けは揃いの鮮やかな青、ズボンにはこれも色鮮やかな刺繍が施されている。紅頭瑶族だ(金平の頁参照)。とはいえ売り子以外にはその衣装は見られないので、ここはタイ族の村であるのかもしれない。今は閑散とした村だが、ずらりと並んだ露天台をみていると、定期市の日にはさぞかし壮観なのだろうなと思われた。
 村外れに比較的大きな川が流れていて、その川岸にはこちら側にも対岸にも竹編みの壁面に萱葺きの高床式住居が点在している。集落の中に入って行くと手製の折機で機織りをしたり手車で綿花を紡いだりする女性の姿が見られる。以前は西双版納(シーサンパンナ)の景洪(jinghong)辺りでも普通に目にした風景だが、最近では相当に奥地に行かなければ見られなくなった。
 帰りのトラックを探して街道沿いをうろうろしていると、村外れでとある建物に招待されることになる。招待というよりは半ば強引な拉致みたいだったのだが。それは民家ではなく、何かの作業場、または集会所のような所だったのだと思う。十数人の男女が風呂椅子のように低い椅子とテーブルで食事をしながら酒を飲んでいる。飯屋ではなさそうだし、そこに集まっているの人々の間柄もどういった趣旨の宴会なのかも分からなかったが、とにかく強引に酒席に引き込まれてしまった訳だ。
 もちろん彼らは英語など話せないし、単語さえ知らない。当時の僕の中国語ときたら全くお話にならなかったのが、そこは筆談という手もある。通じているのかいないのか良く分からない会話が延々と続き、結局のところ金平への最後の車が出る寸前まで たらふく食べさせられ しこたま呑まされる。もちろんアルコール度数の高い透明な白酒(バイジュウ)だ。
 「幾らか払わせてくれないか」
 「そんなもん要らねえよ、日本人の朋友、要らねえ、要らねえ」
 僕はふらふらと村の広場まで歩き、発車間際のワゴンに乗り込む。酔いと闘い素面を装いなから見る日が沈み掛けた車窓は、来る時に気を止めなかったのが不思議なほど深い山の中だった。


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                                                          川で洗髪する女性
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by meiguanxi | 2008-02-02 18:41 | 雲南省と少数民族 | Comments(4)
金平(jinping 雲南省): ヴェトナム国境少数民族地帯
[ 雲南省略地図 ]
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 ヴェトナムとの国境の町である河口(hekou)から紅河(honghe)という川を遡る地域を紅河哈尼族彝族自治州(ハニ族・イ族)という。河口の町自体が河口瑤族自治県(ヤオ族)というのだが、町中に民族衣装姿の人を見ることは無い。だがこの
                                   紅河を遡って幾つかの尾根を南に越えると緑春(luchun)や
                                   元陽(yuanyang)など少数民族で有名な町が連なる。『雲南
b0049671_20234853.jpgの少女 ルオマの初恋』 (原題 『諾瑪的十七歳』)や 『雲南物語』 (同 『雲南故事』)といった映画の舞台にもなった地域だ。
 河口から紅河沿いの危うい未舗装道路をオンボロ・バスで北西に3時間、90kmほど遡ると曼耗(manhao)という小さな集落を通り掛る。バスは僕をそこで降ろして更に川を遡って行ってしまう。この集落の先に橋が架かっている。この橋の名前は蛮耗(manhao)橋という。なぜ集落名と橋とで漢字が異なるのか不思議だ。河口のバスターミナルの路線図やそこで買った地図でも混乱しているようだ。中国語には声調という発音の高低があり、ご存知の通り北京語の声調は4つだ。「曼」と「蛮」はともに「man」という発音だが、前者は4声(4番目の声調)、後者は2声なのだ。ところが実は雲南方言では北京語の2声が4声に、4声が2声になるらしい。この辺りの事情が漢字表記の混乱を来たしているのかもしれない。
 とにかくその橋を渡ると粗末な公安詰所(警察のチェックポスト)がありパスポートなどを調べられる。何処へ何をしに行くのだと非常に不審そうに訊かれる。1998年当時にはまだそれほど外国人旅行者は多くはなかったのかもしれない。
 橋を渡ると民家は無いのだが何故か近くに数件の飯屋がある。その中の一軒の掘っ立て小屋で昼食を取っているとバスが橋を渡って来る。慌てて飛び出したのだが、実はこのバスはここで食事休憩の為に停車するのだった。この先、幾つかの峠を越える。その山肌は正に「耕して天に到る」の言葉の通りの見事な棚田だ。この一帯は少数民族地帯としてと同時に棚田の美しさでも有名なのだ。うねうねとした70kmほどの山道を2時間15分、バスは狭い盆地に到着する。


ミャオ族(同右1枚)
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民族名不詳(同右1枚:おそらくハニ族とイ族の支脈)
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 金平(jinping)は苗族瑶族傣族自治県(ミャオ族・ヤオ族・タイ族)だ。傣族はご存知の通りタイ人系統の民族、苗族はタイではメオと呼ばれるがそれらを蔑称として嫌いモンと自称する人々、瑶族はベトナムでザオと呼ばれる人々で自称はミェン。山に囲まれたすり鉢の底のような小さな町は98年末でも既にコンクリートの建物が多く、伝統的な建築は姿を消していた。だが普段から民族衣装を着た女性たちが道端で野菜などを売っている姿を目にする。
 雲南省の少数民族は数日に1度の定期市を開くことで有名だが、この町では周辺の那発(nafa)や勐拉(mengla)といった5つの村を巡って6日に一度の市が回ってくる。この日は小さな町の通りという通りが露天で埋め尽くされ、苗族や瑶族の他に哈尼や彝族なども集まって来てさながら民族衣装の見本市のようになる。中でも赤い尖がり帽子を被った紅頭瑶族は印象的だ。残念ながらそれほど少数民族フェチではない僕は、逐一民族名を訊かなかったので哈尼族や彝族についてはどれが何なのか分からない。なにしろ同じ民族を名乗っていても民族衣装は地域によって様々なのだ。今ならブログに正確な説明を書く為に一生懸命に訊いて回るのかもしれない。


                                ランテンヤオ族             ミャオ族(荷台は紅頭ヤオ族)
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 ところでこの小さな田舎町には12月23日に着き26日の朝まで滞在している。インターネット上での情報がまたそれほどには充実していなかった当時、街子(ガイヅ:定期市)の日程を予め知ることは不可能に近かったからだ。そんなな訳で市の日以外は寂しいこの町でクリスマスを過ごすことになる。この頃には中国でもクリスマスを祝う習慣が少しは広まり始めていたのだと思う。だがそれも都会での話しだ。夜には真っ暗になる町、屋台でモツの炒め物を摘みにビールを呑んでいると、何処からとも無く中年男の歌うとんでもなく調子っ外れな中国演歌が流れてくる。防音設備など無い店から流れ出すそのカラオケの音は、闇以上に果てしもない物寂しさで町を包んでいた。


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by meiguanxi | 2008-01-14 21:15 | 雲南省と少数民族 | Comments(10)
河口(hekou 雲南省): ヴェトナム国境の街
[ 雲南省略地図 ]   [ 北部ラオ周辺略地図 ]
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                                               国境の橋(中国側から:1998年撮影)


 国境の橋だ。中国側は雲南省河口(hekou)、ヴェトナム側はラオカイ。だが勿論、近年ここを訪れた方、或いはネット上でこの国境の写真を見たことのある方には意外な光景かもしれない。狭い橋の中央には鉄道が敷かれている。陸路国境としてはあまりにも粗末に見えるかもしれない。しかしこの鉄橋は当時、天秤棒を担いだヴェトナム人商人たちで毎日賑わっていたのだ。
 この国境はカンボジアのポル・ポト政権を軍事侵攻で崩壊させたヴェトナムに対して中国が軍事侵攻した1979年の中越戦争以来、閉鎖されていた国境だ。1993年、この橋の再建をもって14年振りに陸路による国境貿易が再開された。僕が始めて訪れたのはその5年後、1998年12月だ。
 ラオカイの町はホンソン川沿いに開けた高層建築も無い落ち着いた静かな田舎町だ。鉄道駅もバスの停車場も郊外の何も無い荒地にある。そこからバイク・タクシーで2・3kmで国境に着く。中国側では紅河(honghe)と呼ばれるホンソイ川は鉄道に沿って首都ハノイに下り、やがてハイフォンでトンキン湾に注ぐ。国境のこの橋は支流のナムディー河(南渓河:nanxihe)に架かっている。中国側ではこの紅河を遡るのが省都である昆明への動脈道路であり、一方鉄道は南渓河を遡ることになる。
                                     ベトナム側の古めかしい国境事務所には沢山の人々が出国
ヘビ酒オオヤモリ酒スッポン酒店              手続きを待っているが、外国人は別途処理してくれるので比較
b0049671_20171631.jpg的スムーズだ。スタンプを貰ったら線路の敷かれたこの橋を徒歩で渡る。渡った先に中国側のイミグレーションがあるのだが、それも簡素なものだ。外国人である僕の場合には、事務所の中ではなく橋の脇に置かれたテーブルで済まされたものだ。そんなどこかほのぼのとした国境だった。
 外国語をカタカナで表記するのは難しいが、中国語の場合には特に困難を感じる。この河口は欧米人には「ヘコウ」と呼ばれるだろうが、日本人の間では「ホーコー」の方が流通しているようだ。「he」 の音は 「ア」 と 「エ」 の中間の曖昧さに口を開き 「フ」 と発音して得られるような音。河口の南西側に紅河、南東側には南渓河が流れ、それぞれその対岸はヴェトナムだ。ベトナム側からやって来ると河口は小さいながら少し唐突に思えるくらい比較的賑やかな町で、さほど高かくはないにしろ商業ビルも建ってる。橋を超えた道はメインストリートである人民路に繋がっていて、広い通りではないが沢山の商店が軒を並べている。昔ながらの中国の商店街といった面持ちだ。この通りの南側(紅河寄り)に97年に建設された新道があり、こちらにはコンクリートにタイル張りの真新しい商店が並ぶが、僕が訪れた当時には閑散としていた。
 だがこの橋の国境としての役割は短かった。二度目に訪ねたのが2000年7月、その翌年には少し紅河寄りに近代的な橋が架けられ、国境事務所も近代的なものに立て替えられたようだ。橋の両側には双方に立派なゲートが付けられ、ヴェトナム側には公園も出来たようだ。河口の新ショッピングロードはこの新しい橋に繋がっているということだ。
 実はこのルートはラオスと中国との国境であるボーテン / 磨憨(mohan)の記事で触れた中国による南北経済回廊開発の一環をなしているのだ。昆明からラオスへのルートはタイのバンコックに向かうが、こちらは昆明からハノイを経てハイフォンの港に向かう。更にハノイから広西壮族(チワン族)自治区の南寧(nanning)へ繋がるのだが、こちらのハイウェイは2005年に完成している。98年当時、紅河を遡る道は狭い渓谷に付けられた未舗装の危うい田舎道だったのだが、今では昆明からの高速道路が河口まで開通したようだ。一方、確認できた限りでは2007年現在、昆明から河口への旅客列車は運休しているらしいが、別の情報では1000mmゲージのレールを中国標準の1435mmに拡張する計画だという。更に南渓河ではなく紅河に大きな橋を架けることで両国は合意しているともいう。


庭隅に粗末な安部屋のある河口賓館(ホテル)                          美容院という名の曖昧屋
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 人民路脇の袋小路に飯屋が集中する一角があった(写真とは別)。店頭に野菜や肉、魚などの食材を冷蔵設備も無いまま陳列した、当時の雲南省では良く目にしたスタイルの飯屋だ。この町を始めて訪れた時、日本人を珍しがった小姐(シャォジェ:ウエイトレス)がそこらじゅうの店から人を呼んできて大変な騒ぎになったものだ。だがその1年半後、同じ店で店主の男に釣銭を誤魔化されそうになった。中国語で文句を言う僕に、彼は足りない分の釣りをテーブルに放って投げてよこした。思えばその時、市場は大改築中で例の新しい橋が建設中だったような気がする。あれから7年半、ヴェトナムとの国境とは言えのんびりとした田舎町に過ぎなかったこの町も、今や中国のインドシナ進出上の要衝として大きくその姿を変貌させている。


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                                                            人民路の飯屋
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by meiguanxi | 2008-01-12 20:22 | 雲南省と少数民族 | Comments(4)
勐混 (menghun) 日曜市 1999 的風景 (雲南省)
[ 雲南省略地図 ]
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(今回の写真は全て1999年の撮影です)

 小さな村に過ぎないのだが、これまでに1990年当時の街子(ガイズ:定期市)の様子1999年の村の様子を紹介した。
 毎週日曜日に開かれる勐混の街子は今では外国人にもサンデー・マーケットとして有名なのだが、90年当時にはガイドブックにも掲載されていなかった。その頃にはデコボコの土の広場に露天が無秩序に並べられたワイルドなものだったのだが、99年には会場は舗装され広場の両側にはコンクリートに白タイル貼りの商店が並び、整然と整備されてしまっていた。
 だがそれでも傣(タイ)族の他に周辺の村から拉祜(ラフー)族、布朗(プーラン)族、哈尼(ハニ)族などの少数民族がたくさん集まってきて大変な賑わいになる。さながら民族衣装の展覧会場のようだ。


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 今回の写真は99年の様子だが、リンクした90年の様子と見比べてもらうとその変化が分かってもらえるかと思う。だがそれから更に9年近くの時が流れ、今、この広場は屋根に覆われているようなのだ。ネット上に公開された写真を見ると、少数民族たちの定期市というよりも常設市場のような面持ちでもある。


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 時代の流れには購えないとは言えこのような変化を見ていると、物々交換の延長のようだった街子もやがては生産者と販売者、その間を繋ぐ流通というように分化していってしまうのかもしれないと思えてしまう。民族衣装もまた、伝統的な生活の中ではそれぞれの民族にとって機能的でもあったものが、安価な既製品の流入はそれをむしろ日常生活上厄介なものに変える。作るのには手間が要り動き辛く洗濯も大変だ。実際、雲南省では民族衣装はどんどん簡略化され、普段着として着る若者たちは姿を消しつつある。
 近代的になり便利になり衛生状態も改善されてもきているのだろうが、その変化が多くの少数民族たちの確かな豊かさに繋がっているのかどうか、そしてなにより幸福に繋がっているのかどうか、少し不安な思いもある。


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by meiguanxi | 2007-12-23 20:56 | 雲南省と少数民族 | Comments(0)
勐混 (menghun) 1999 的風景 (雲南省)
[ 雲南省略地図 ]
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                                                           勐混を俯瞰する
 (今回の写真は全て1999年の撮影です)


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 前の記事で、勐混(モンフン)の村は秘境ではなくなってしまったと書いたのだが、そうは言ってものんびりとした 田舎には違いない。レンガ造りに代わったとは言え、傣族(タイ族)の多くの民家構造自体は高床式だし、景洪や昆明のような高層ビルがあるわけでもなく、美しい田園風景が広がっている。


伝統的住居(99年で殆ど残っていなかった)              レンガ造りに成った高床式住居の作業バルコニー
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 むしろここに滞在して、少しのんびり周辺の村を巡ってみるには良い場所だ。また、街子(ガイヅ:定期市)も嘗ての野性味は失われたとはいえ、今ならまだ多くの少数民族達の華やかな衣装を見ることができるかもしれない。ただし、99年以後どれくらい変化が進んだのかは保障できないし、民族衣装も早晩廃れるのは確かだが。


タイ式仏教寺院                      タイ寺院仏塔                    タイ寺院の小坊主
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 (99年当時の街子の様子はこちら

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by meiguanxi | 2007-12-20 23:52 | 雲南省と少数民族 | Comments(0)
勐混 (menghun) 日曜市 1990 的風景 (雲南省)
[ 雲南省略地図 ]
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( ※ 今回の写真は全て1990年の撮影 )

 瑞麗(ルイリ)から雲南省西辺境を南傘(ナンサン)、孟定(モンディン)、瀾滄(ランツァン)とビルマ国境沿いに下って西双版納(シーサンパンナ)傣(タイ)族自治州まで来たわけだが、その道を州都の景洪(ジンホン)から60kmほど西に戻る。
 そこから国道を離れ南に13km。勐混(モンフン)は田園風景の広がる傣族の小さな村だが、毎週日曜日の街子(ガイヅ:定期市)の時には周辺の山中から拉祜族(ラフー)や布朗族(プーラン)、哈尼族(ハニ)などの少数民族が集まって来て大変な賑わいになる。
                                    この街子には1990年と99年の2回訪れたのだが、もちろんそ
b0049671_1921289.jpgの間に雰囲気は大きく変わった。90年当時、外国人に開放されていた町がまだ限定的だった中国にあって、中国語ができ情報を持ち何より移動許可を比較的取り易かった中国への留学生を除き、旅行者が訪れることのできる雲南省の街子は大理(ダーリ)の沙坪(サーピン)とこの勐混の2ヶ所だけだったと言ってよいだろう。しかも勐混の日曜バザールにいたっては当時のガイドブックには記載すら無かった。
 西双版納を訪れた旅行者の多くは景洪の版納賓館という宿に泊まっていた。バンブー・ハウスと呼ばれる2階建ての離れがあり、幾部屋かのドミトリーがあった。3・4人部屋だ。99年現在、この宿には当時のバンブー・ハウスを再現したコンクリート建てのドミトリーができていて、各部屋のバスタブでは褐色に濁っているとは言え暖かいお湯が使えるようになった。だが90年当時には外に建てられたコンクリート打ちっ放しの共同シャワー棟しかなく、肩ほどの高さの左右の仕切りがあるだけの鉄砲シャワーが並んでいた。太陽熱で暖められたシャワーを使えるのは夕方の短い時間に限られていたので、その時間には旅行者が殺到する。そこに一人、旅行者ではない怪しげな、しかしエキゾチックで少し美しい顔をした華奢な男が嬌態(しな)を作ってシャワーを浴びている。彼は誘惑の眼差しで裸の肩を寄せくると、英語で囁くのだ。「日曜日、少数民族のバザールに行かない?」 こうして旅行者たちは彼の手配するワゴンで近郊ツアーに出掛けることになる。


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 かつて街子の開かれる場所はデコボコの土の広場で、ただ一棟あったコンクリート打ちっ放しの2階建ての建物が写真を撮るのに邪魔だなと思ってしまうくらいに近代的に見えたものだ。周囲の農家は全て傣族伝統の高床式木造建築。TVカメラを1台持って来てグルっと一回りパーンすればそれで秘境物の番組が出来てしまうような、そんな雰囲気だったのだ。


b0049671_19234419.jpg だが今、街子の広場は舗装され区画も整理された。広場の周囲には味気の無い白タイルの2階建て建築が軒を並べる。この色気の無い白タイルの壁面は、現在の中国の田舎中に広がっている。農家の様子も変わった。木造だった家はことごとく煉瓦に取って代わっていた。生垣も姿を消し、煉瓦塀が視界を遮る。改修中の家を観察してみると、元々の高床住居の構造や柱を残して、その上にレンガを積み上げている。確かに外観は随分と近代的に成ったのかもしれない。だが、この辺りの湿度の高い気候には、嘗ての隙間だらけの木造建築の方が遥かに適しているように思うのだが。
 こんな田舎の村にも忍び寄る近代化と貨幣経済の波の中で、実際に生活する人々には通りすがりの旅行者には分からない、何かそれなりの事情があるのかもしれない。
 いずれにせよ、ここはもう秘境ではないのだなと実感させられたあの時から、更に10年近い歳月が流れた。今、あの街子はどうなっているのだろう。

 ※ 1999年の村の様子
    1999年の街子の様子

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by meiguanxi | 2007-12-18 19:26 | 雲南省と少数民族 | Comments(2)
ビルマ国境地帯から西双版納へ (雲南省)
[ 雲南省略地図 ]
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                                                  小黒河橋の路上物売り(同下)

 前の記事の孟定(モンディン)は耿馬(ガンマー)傣族佤族自治県の地方都市だ。この南、ビルマ国境一帯は滄源(ツァンユゥァン)佤族自治県、西盟(シーメン)佤族自治県、孟連(モンリィェン)傣族拉祜族佤族自治県、瀾滄(ランツァン)拉祜族自治県といった行政区が軒を連ねる小数民族地帯だ。   (※ 〔傣族 : タイ族〕 〔佤族 : ワ族〕 〔拉祜族 : ラフー族〕 )

b0049671_23123362.jpg だが近年の地震によって、町では伝統的な生活は殆ど見られなくなったという。99年初頭のこの旅では、僕は孟定から一路、懐かしい景洪(ジンホン)に向かうことにした。景洪は西双版納(シーサンパンナ)州の州都。そこを目指すのは90年以来、実に9年振りになる。
 といっても直通バスは無い。早朝7時過ぎに孟定を出たバスは、相変わらずの「航空走行」( 『 孟定 』の記事参照 )だ。例によって濃い霧を付き抜けて山の高みに出ると、そこは晴天。雲は遥か下方に雲海となって流れる。そしてその雲海の中を降ると町。昼近くだというのに、耿馬の町は濃い霧に包まれたままで、ひんやりとした空気が流れていた。
 ここで短い休憩を取り、更に南に25km、東に35km山道を行くと国道に出る。国道といってもさほど道が良いわけではない。昔ながらの未舗装道だ。その合流点である小黒河橋は何も無い荒地なのだが、そこに十数人の少数民族が果実などを路上に広げて商売をしていた。耿馬とは打って変わって晴天、照り付ける陽射しは焼けるようだ。通る車だけが相手だが、いったい一日に何台の車が止まるのだろう。走っていても殆ど対向車に出会わないような道なのだが。佤族だろうか。その顔は皆、日焼けして真っ黒だ。
 ここにぽつんと一軒だけある荒家(あばらや)で遅めの昼食を取り、国道を南下する。途中の上允(サンユン)という小さな町に停車すると、まさに街子(ガイヅ:定期市)の最中だ。町の通り一面に露天が出され、バスが進めないほど少数民族達で賑わっている。


b0049671_23132260.jpgb0049671_23134997.jpg         上允の街子

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 更にバスは走り出発から12時間後、午後5時半前に瀾滄に着く。ここは拉祜族自治県の県都だが、町中で民族衣装を見ることはできない。ただ、通りを歩く人達をは、色黒く堀の深い顔立ちをしている。 瀾滄江とはメコン川のことだ。町と川の本流は道路距離で64kmも離れているのだが…。


瀾滄の交易市場の門                                                   勐満の市場
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 翌日は10時前の出発。山がちではあるが、前日に比べ険しさが緩む。景洪との中間地点に勐満(モンマン)という小さな町がある。ここから先が西双版納(シーサンパンナ)傣族(タイ族)自治州だ。バス停は市場脇のただの空き地だったが、哈尼族(ハニ族)だろうか、独特の髪飾りを付けた女性が担いで来た籠を置いて野菜を売っていた。
 この辺りから風景は大きく変わる。西双版納は平地なんだと、改めて実感する農耕地が広がっている。バスは午後3時半に景洪に着く。さて、問題の景洪だ。 (リンク先の景洪を合わせてご覧頂けると幸いです)


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                                                           上允の街子にて
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by meiguanxi | 2007-12-16 23:19 | 雲南省と少数民族 | Comments(2)
孟定 (Mengding 雲南省): ビルマ国境タイ族の町
[ 雲南省略地図 ]
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                                                      南傘から孟定への車窓

b0049671_21265719.jpg 南傘(ナンサン)からのバスはビルマ国境沿いを南下し、やがて谷を東に遡る。龍陵(ロンリン)から南傘への道同様、この道も88年の地図には掲載されていない。孟定(モンディン)には遥か東の街道から南傘とは別の道を辿る様になっている。
 孟定への道には南傘への道と同じく、途中には何ヶ所かの検問がある。ビルマ産オピューム(阿片)やマリファナ(大麻)取引といえばゴールデン・トライアングル(タイ・ラオス・ビルマ国境)が有名だが、今や雲南国境にシフトしているという。
 多民族国家であるビルマには数多くの民族軍のような組織があり、それぞれ反政府活動や独立運動、またはミャンマー軍事独裁政権に取り込まれたりしている。この雲南省西辺境と国境を接するシャン州( “シャン” は “シャム” のこと、つまりタイ族
                                   系民族)は、軍事政権に優遇されたワ族によるケシの一大産地
                                   になっているのだ。今や雲南省は中国における麻薬のメッカの
b0049671_21272795.jpgように成ってしまったが、この地域での移動の際のチェックが厳しいのはその為だ。
 現在ではケシ栽培の代替化が進んでいるとも聞くが、一方で代替農業の為に低地に移住した農民がマラリアに苦しんでいるとか、或いはワ族のケシ栽培が覚醒剤生産にシフトしているとかいう話も聞く。実際はどうなのだろう。
 ところでこの辺りのバス移動は、まるで小型飛行機のフライトのようだ。早朝、明けやらぬ町は薄い霧に包まれている。バスはその中を高度を上げる。霧はどんどん濃度を増し、一面の白、視界数メートルという状態になる。バスは喘ぎながら山道を更に登る。やがて、すっと霧が晴れる。いや、霧の上に出たのだ。一面、真っ青に晴れ渡った空。見渡すとそこは高い山の上、遠く山並みが続く。ふと見下ろすと、大河と湖…いや、それは雲海だ。なんていう場所を走っているんだ。
 何れバスは高度を下げる。濃い霧を抜け、薄い靄に包まれた平地に降りる。新しい町にランディングしたのだ。南傘から孟定までは86km、3時間15分の空の旅だ。

孟定の市場
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 孟定はタイ族の比較的大きな、辺境にしては賑やかな町だ。広く開けた盆地の風景は町は明るく、南国に来たな、という印象を強く抱かせる。近年、ここもビルマとの貿易拠点として注目を集めつつあるのだそうだ。

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by meiguanxi | 2007-12-14 21:30 | 雲南省と少数民族 | Comments(0)
南傘 (Nansan 雲南省): ビルマ国境山岳地帯を下る
[ 雲南省略地図 ]
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                                                    南傘の市場と苗(ミャォ)族

 瑞麗(ルィリ)からのそのバスは2日に1本しかない。その他の場合には乗継を繰り返さなければならない。バスは幹線道路を東に走る。今では立派な道路で快適だが、その昔は援蒋ルート(参照)のメインに当たり、米英に後押しされた国民党軍が日本軍と激しい争奪戦を繰り返したルートだ。その攻防の中でインド北東部のインパール戦線を重視した軍部に実質的には見捨てられていた雲南戦線の日本軍が、圧倒的な数と物量に勝る中国軍に対して精神主義だけの凄惨で絶望的な戦いを余儀なくされたのが龍陵(ロンリン)だ。

市場で見かけた黴豆腐                                             手前は苗族の婦人
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 その龍陵を過ぎた辺りで、バスは幹線を離れて南に下り深い山中に分け入る。今では殆ど見られなくなった狗頭石の山道だ。「狗」は中国語で犬の意味。犬の頭ほどの石を敷き詰めた石畳の道だ。山は険しく谷は深い。バスのスピードは上がらず、山頭火の 「分け入っても分け入っても青い山」 という句を思い出すが、勿論、スケールが違う。バスの遥か下方に、大河か湖のような雲海が広がる。
                                     手元に 『雲南省交通図』 という180万分の1の地図が2枚あ
醤(味噌醤油)屋で見かけた納豆の塊           る。横75cm、縦55㎝の大きな道路地図だ。雲南省の車の走る
b0049671_2227314.jpg凡そ全ての道と、殆ど全ての村が掲載されている。一枚が1988年発行、もう一枚が98年の発行。この88年の地図では、龍陵の東から南に下るこの道は、目的地である南傘(ナンサン)にまでは繋がっていない。遥か東の幹線から分かれた山道の西の終点が南傘になっている。いま走っているこの道がその間に整備されたものか、あるいは当時は中央に知られていなかったのか、その辺の事情は不明だがいずれにせよ辺境僻地そのものであることには変わりは無い。
 話が逸れるが、この2枚の地図、10年で0.55元から2.80元に値上がりしている。この間、中国元の実質レート(闇両替)は殆ど変動していない。中国の経済力がいかに急激に伸びたのか、こんなところにも窺える。
 今の中国では珍しいことだが、道の途中には所々に検問があり荷物や身分証の検査をされる。勿論、パスポートのチェックもある。まだ真っ暗な瑞麗を早朝7時に出発したバスは、夕暮れ時を過ぎても山道を走り続ける。何時しか道は未舗装なっている。脇の森から伸びる樹木の枝に車体を擦りながら、バス1台がやっと通れるような、全く灯りというものが無い山道を行くのはなんとも不安なものだ。夜、8時半、漸くぼんやりした灯りが燈る集落に着く。Y字路の周辺だけがオレンジ色の街灯に照らされた、小さな町だ。いや、村。
 南傘は深い山の中のほんの小さな盆地に開けた集落だ。村の直ぐ脇には森林が迫り、向こうはビルマ。市場には、ビルマ側から天秤棒を担いだ少数民族が野菜などを売りに来る。数日に一度の街子(ガイヅ:定期市)の時には、苗(ミャォ)族や徳昴(ドゥアン)族などの少数民族が大挙してさぞかし華やかなのだろう。しかし、普段は市場ものんびりとしたもので、むしろ閑散としている。


                              市場で見かけた苗族
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                          市場で見かけた徳昂(ドゥアン)族
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 宿を取って外に出ると、既に9時。その時間には数少ない商店は殆どが戸を閉めている。閉店しかけの漢族の飯屋に入る。幼さの残る小姐が掃除をしている。店の奥には主人夫婦が帰り支度をしていた。夫婦は僕を板場に案内する。棚や冷蔵庫の素材を指差しながら拙い中国語と身振り手振りで料理を注文し、席に戻ってビールを飲む。やがて料理が運ばれて来る。帰り支度を済ませた主人夫婦が、更に2本のビールを僕のテーブルに乗せる。注文していない。
「もう閉店だから帰るけど、ゆっくりしていってくれ」
そういって旦那が手を振る。女将が微笑む。おい、赤字じゃないのか・・・?
 中国では、骨などの残飯は皿に残さず、テーブルや床に落とすのが、伝統的な習慣だ。勿論、今の北京や上海のレストランでこれをやってはいけない。マナーも急速に変わってきている。だが、こんな田舎では相変わらずだ。小姐は床に散らばった残飯を掃き集めている。僕は気を使って、テーブルにティッシュを広げて、その上に鳥の骨を出す。小姐は不思議な生き物を見るような目で僕を見ていたが、やがてにっこりと頷いた。

 ※(注) 苗族は雲南省、広西荘族自治区ほか中国南部に広く分布し、人口700数十万人を有する。この内の半数が
      貴州省に集中している。また、ビルマ・ラオス・タイ・ヴェトナムにも2000万人も分布し、主に「モン」族と自称して
      いる。部族よって民族衣装や色使いは大きく異なる

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by meiguanxi | 2007-12-11 22:32 | 雲南省と少数民族 | Comments(2)