カテゴリ:絲綢之路Ⅲ[西亜]( 22 )
イスタンブール : アジアとヨーロッパの狭間
[ 西アジア略地図 ]
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                                        スルタン・アフメット・ジャミー(ブルー・モスク)

アジアの西の端、黒海に繋がるボスポラス海峡が地中海の内海であるマルマラ海に出る処、金角湾が川のように内陸に入り込む。この3つの海が接する処こそが、イスタンブールだ。
マルマラとボスポラスの東がアジア、西がヨーロッパ。ヨーロッパ側は、金角湾が旧市街と新市街とを分ける。
イスラームの祈りの時間を告げる為にモスクから流れるアザーン、路上の物売りの声を掻き消す船の汽笛。ヨーロッパ側から旅して来た者は中東を感じ、アジア側からの旅人はヨーロッパの匂いを嗅ぐ、不思議な場所。この街はコンスタンノープルの昔から、東西の文化が行き交う場所だ。

ルーメリヒッサールとボスポラス大橋                                         アヤ・ソフィア
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グラン・バザール                                        旧ガラタ橋上からのイェニ・ジャミィ
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旧市街と新市街とを繋ぐのがガラタ橋。嘗て2組のイギリス人が新旧市街に分かれて住んでいた。彼等は夜ごとトランプに興じていた。一日交代でこの橋を渡って通ったのだ。トランプの「ブリッジ」の由来だ。橋は2層に成っていて、下階には海鮮レストランが並ぶ。長いこの橋は常に風に揺れている。歩いていると、まるで身体が浮いているような感覚がする。橋の上からは、何時も多くの市民が釣糸を垂らしている。
だが、このガラタ橋はもう、無い。今は超近代的な新しい橋に架け替えられている。初めてここを訪れた1989年、橋はそこにあった。92年には、2本の橋が並んでいた。2000年、三度訪れた街に、古い橋は既に無かった。新しい橋にレストラン街は造られなかったが、それでも、忙しげに足早に橋を渡る人々と釣り人、そして橋上の物売りの姿は変わらない。

スルタン・アフメット・ジャミー(ブルー・モスク)                           カーリエ・モザイク博物館
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この橋の旧市街側をエミノニュと言う。ここはボスポラス対岸や各地へのフェリーの港であり、ヨーロッパ側の鉄道の終着シルケジ駅も近く、何時でも賑わっている。
路上に小さな台を置いただけの物売りが声を上げる。ムール貝にピラフを詰めたスナックだ。その場でレモンを絞り、立ち食いする。サバ・サンドという食べ物をご存知だろうか。文字通り鯖の半身をオリーブオイルで焼き、フランスパンにトマトや紫玉葱などと挟んだサンドウィッチだ。これが実に素朴で美味い。エミノニュの岸壁に停泊したサバ・サンド舟はイスタンブールの名物だ。
夕暮れ、人々は家路を急ぎ、恋人達はカモメにパンを投げる。旅人は長い旅を想い返し、汽笛とアザーンと物売りの声の中、暮れなずむ街を眺めている。

補足) アヤ・ソフィアはこちら
     旅行記はこちら

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                                                      曇天・寒風の旧ガラタ橋
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by meiguanxi | 2006-11-02 00:34 | 絲綢之路Ⅲ[西亜] | Comments(4)
マシュハド : イラン最大の聖地
[ 西アジア略地図 ]
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                                               ハラム(イマーム・レザー廟)夜景

ハラム正面
b0049671_17273546.jpg2000年月、僕はその時、中央アジアへ向かう為に
マシュハドのバスターミナルに降り立った。

2度目のイランだったが、この街を訪れるのは初めてだ。イラン西北部、北はトルクメニスタン、東はアフガニスタンと接したホラサン州は、インドのカシミール、スペインと並んでサフランの世界三大生産地として有名だ。美しい薄紫色の花から一つひとつ雌蕊(めしべ)を手作業で抜いていく訳だから、高価なのも理解できる。だか、州都マシュハドのバザールでは、そのサフランが信じられない安さ(勿論、日本でならと言うことだが)で山積みされている。

第4代カリフであるアリーの血統をムハンマドの後継
                                          とするシーア派に於いて、宗教的最高指導者をイマ
ハラム内部のモスク(敷地外かである為に背面)          ームと言う。シーア派主流の「12イマーム派」では、
b0049671_17275380.jpg9世紀に消息不明になった12代イマームは “ 隠れた”とされており、その隠れている間(現在も続)は権威あるイスラム神学者がその代理を務めるとされる。79年にイラン革命を行ったホメイニ師も、その神学者だ。
ところで、第8代イマームであるアリ・レザーが817年、この街で没する。これをアラブ・アッバス朝(スンニ派)カリフによる毒殺だとするシーア派にとって、イマーム・レザーの没したこのマシュハドの街は聖地なのだ。特に、他のイマームの聖廟が全て他国(イラク)にある為、ここはイラン人にとっては最も重要な聖地だ。ただ、僕がここを訪ねた後、ご存知のようにイラクの情勢に変化があり、今では多くのイラン人がイラク領内のシーア派聖地を巡礼することが出来るように成
                                          ったようだ。
ハラム側面遠景(中央・金色の屋根が聖廟)
b0049671_17281468.jpg街の中心にハラムと呼ばれる宗教コンプレックス(複合施設)がある。円形のこの敷地の直径は1km近くにもなろうかという広大なのもで、中には複数のモスク、神学校、図書館、聖廟、広場などが犇き、それらがひとつの建造物であるかのように通路で繋がれている。それら全てを色とりどりの電飾が飾る。それは正に煌めくような世界なのだが、残念ながらカメラは持込めない。
その中心がイマーム・レザー廟。ハラムの外周道路からは四方に幹線道路が伸びでいるが、道はこの施設の地下にも巨大なローターリー(車専用)を作っている。


イランには3つの暦がある。ひとつは西洋暦だが、こ
れは普通の人々には最も関係が薄い。宗教儀式など                             ナディル・シャー廟
b0049671_17283320.jpgはヒジュラ暦(イスラム暦)で行う。断食で有名なラマダーンもこの暦による。ヒジュラ暦は完全な陰暦なの
で、毎年約11日ほど西洋暦よりも早く進行する。つまり第1月1日が年によって夏であったり冬であったりするのだ。最後がイラン暦で、これがイランの人々の日常生活に最も根付いた暦だ。元々ササン朝まではゾロアスター教(拝火教)であったイランに於いては、古くから太陽暦は一般的だった。現在のイラン暦はヒジュラ暦と同じく西暦622年を紀元とするが、完全な太陽暦である為に、紀元は同じでも現在の年数は異なっている。イラン暦の新年は春分の日、西暦の3月21日だが、午前0時をもって新年とするのではなく、春分点の通過を基準としているので、毎年6時間、新年の時間がずれる。ただ、西洋暦では4年に1度の閏年でその誤差を修正しているので、日にちがずれることは
ない。                                               バザーレ(バザール)・レザー入口
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さて、ここを訪れた時、ちょうどイラン暦の年末だった。街は沢山の巡礼者で溢れ帰り、宿の確保も儘ならない状態。夕刻、大晦日を迎える。ハラムの中は無数の人々で埋め尽くされる。モスク、神学校、聖廟、神学校、広場、至る場所に敷き詰められる絨毯、スピーカーから流れる説教とコーラン、それに合わせて一糸乱れぬ祈りの動作を繰り返す何万という人々、熱気。一睡の余地も無い。その場を移動することも儘ならない。その光景には圧倒されるばかりだったが、むしろ異教徒の進入が許されているということに違和感を感じ、異教徒(無神論者)であることに緊張を覚えた数時間だった。

ところでイラン人のホスピタリティには時々、びっくりさ
せられる。                                                    バザーレ・レザー内部
b0049671_17291147.jpg僕はこの街がら、トルクメニスタンのマルーに向かう予定だった。イランのバスはトルコと同じく民間会社の競合状態なので、ターミナルには客引きがいる。これは概ね信用して良い人達なので、寄って来た髭の男に国際バスについて尋ねてみた。彼の会社では扱っていなかったのだが、そちらこちらの同業者に聞いてくれる。仕舞いには自分でタクシー代を使って僕を連れ回し、ターミナルから離れた街の中心の旅行代理店まで回ってくれる。結局は見付からず、後日ローカルバスとタクシーで国境を越えることになるのだが、その間2時間、せめて帰りのタクシー代くらいはと思ったのだが、彼は頑として受け取らない。ノルマ制があるのかどうかは知らないが、一銭にもならない外国人の為に、自分の仕事を2時間も放り出してくれたのだ。

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                                                      ハラム正面近くの街角
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by meiguanxi | 2006-09-17 17:37 | 絲綢之路Ⅲ[西亜] | Comments(0)