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エンナ (イタリア・シチリア):断崖の上の町と教会の物乞い
 エンナはシチリアの真ん中にある小さな町だ。おそらくは石灰岩なのだろうテーブル状の丘の上にあり、鉄道の駅からだと1時間ほど掛けて標高差200mを登らなければならない。だがそのことを知ったのは駅から出たその時だった。長距離バスにすれば良かったと後悔したが、もう遅い。列車が着いたのだから町までのバスくらいあっても良さそうなものだが、バスや車はおろか駅舎の外には直ぐに崖が迫っていて、狭い広場には建物ひとつ無くただ1本の道が急な坂道を登っているだけだった。1989年、もう20年近く昔のことだ。
 ヘトヘトに成って登り切り、目の前にあったホテルに倒れ込むように入る。30,000リラ,当時はまだユーロなどという通貨は無く、イタリアの通貨はリラといった。そういうことも若い人達にはやがて忘れられるのだろう。因みに当時のレートで 1円が10リラ。僕には有り得ない値段だった。けれど安宿を探して歩き回る気力も体力も既に無かった。
 宿を取って暫く休憩し、既に午後の1時半だというのに何も食べていないことを思い出して町に出てみた。だが、この町の様子がどの様だったのかについて、殆ど覚えていない。記憶を辿る為の写真も極端に少ない。当時、僕はあまり写真を撮らなかった。もちろんデジカメもパソコンも無い時代なので、写真を撮ればそれだけ現像代が嵩む。文字通りの貧乏旅行なのだ。町外れにカステッロ・ディ・ロンバルディアという城塞があるのだと当時のガイドブックには書いてある。この町に関する記述は僅か5・6行でしかないので、この廃墟以外の観光ポイントは載っていない。にも拘らず、この城さえ全く覚えていない。手元にはその城から撮った筈のエンナの町の遠景写真だけが残っている。しかも望遠も無い小さなカメラで、おまけに逆光。

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 そんな訳でこの町での記憶といったら、警察に職務質問を受けてホテルまで連行されたことくらいだ。多分、ホテルとは全く反対側の城塞付近だったのだと思う。パトカーから2人の警官が降りてきた。男の警官と婦警だ。男の警官はどうにも居丈高で、パスポートを提示しても僕がただの観光客にすぎないということを全く信用してくれないようだった。本部に無線連絡をしてパスポートの紹介をしても、まだ信用しない。このブログを時々覗いてくれる方はご存知かもしれないが、当時の僕はラモス・ルイな髪形をし、おまけに顔中に髭を生やしていた。やれやれ、確かに怪しいのだ。一方、女性警官の方は頗る友好的且つフレンドリーな笑顔で、しかも飛び切りセクシーだった。美人というだけではなく、反則的にセクシーなのだ。思うのだが、彼女が一緒ではなかったのなら、つまり男の警官が2人なのだったらあれほど執拗にはされなかったのではないか。「不審者に対しても俺はこんなに勇敢なのだ」 というところを、彼女にアピールしているように見えなくもなかった。ポルトガルのスペインとの国境の町ヴィッラ・レアル・デ・サント・アントニオで野宿する破目になった時にも同じような経験をしたのだが、ラテン・ヨーロッパに於ける婦人警察官というのはどうしてああも綺麗でセクシーに出来ているのだろう。それ自体は嬉しいことでもあるのだが、同僚の男性警官と一緒の時に職質を受けるべきではない。いや、まあ、西欧で職質される日本人旅行者なんて僕くらいかもしれないが。結局はパトカーに乗せられてホテルまで連れ戻され、確かに宿泊しているのかどうかをマネージャーに確認して漸く疑いは晴れた。普段は縁の無い中級ホテルの宿泊費は僕には痛かったのだが、そこに宿を取っていたことが幸いしたのだ。疲れている身体でせっかく町外れまで行ったというのに、もうホテルから遠くまで出歩く気力は無くなってしまっていた。

 この時の旅はパリから旧ユーゴスラヴィア崩壊前のベオグラードを経てトルコ、ギリシャからフェリーでイタリアへ入り列車でフランスを素通りしてスペイン、ポルトガル、更にジブラルタル海峡を渡ってモロッコ、ここでアルジェリアのヴィザを取るものの赤痢に掛かりメゲてパリに戻るまで、都合5ヶ月ほどだった。赤痢でメゲる・・・可愛い時代もあったのだ。当時の僕には旅をするのに充分な経済的余裕があったわけではないにも関わらず、その後のアジアや中東の旅に比べたら2・3倍の金が掛かっていた。イタリアやフランスではマトモにレストランに入ることは無く、殆ど買い食いをしていた。パンとサラミとチーズとワインとフルーツ、これだけ揃えられる豪華版は稀にしか無かった。
                                    そんなイタリアで力強い味方に成ってくれたのがライス・コロッ
                                   ケ。トマト風味のピラフを真ん丸い握り飯にしてモッツァレッラ
b0049671_23204029.jpgを入れ、衣を付けて挙げた物。見た目は丸いコロッケで、その外観がオレンジのようだからアランチーニと呼ばれる。1個1000リラ程度だが北部ではあまり見掛けない。さて、警察に虐められた夕刻、ホテルに持ち帰って夕食にすべく近居の総菜屋だかカフェテリアだかでアランチーニを3個買った。なにしろホテル代に大枚を叩いているので夕食に金を掛ける訳にはいかないのだ。その足でもう一度、この町のドーモ (大聖堂) を観に行った。小さな町とはいえ、イタリアのドーモと美術館は何処も見応えがある。この町のドーモもそうだった。外観は素っ気の無いゴシック様式だが、内部には独特の荘厳さがあった。薄暗い教会内には人影は無く、広い空間に列柱だけが立ち並んでいた。
 その人は太い柱の陰からふと姿を現した。誰もいないものと思っていたので緊張が走る。30歳位だろうか、日焼けしたその姿はいかにも胡散臭く見えた。いや本当は細面のその顔立ちは、もしかすると端整だったのかもしれない。胡散臭く見えたのは僕の恐怖心のためだった。彼は両掌を組むと静かに話し掛けてきた。チュニジアから来たこと、失業していること、妻と赤ん坊がいること。今思い起こしてみると彼が英語を話したとは思えない。確かクアントとかピッコロとかといった単語を発していたように記憶している。もちろん僕はイタリア語を話せないが、こういうシチュエーションでのコミュニケーションは不思議なことに何語だろうと通じてしまうものだ。シニョーレ、と言って彼は続けた。ミルク代が無いのです、と。
                                    やれやれ、僕は買い食いで夕食を済ませようとしている程の
                                   貧乏旅行者なのだ。申し訳ないけれど余分なお金は無いのだ。
b0049671_23212334.jpgすると彼はペル・ファボーレと言って跪くではないか。そして僕のくたびれ果てた靴にキスをしたのだ。その見上げる目、同じ目を見たことがある。昔飼っていた雌の雑種犬を散歩させていた時の記憶。雌の犬はもちろん腰を落としてそれをするのだが、その時に必ず僕を見上げるのだ。情け無さそうな目。きっと犬だって気まずかったのかもしれない。失礼極まりない表現ではあるが、僕を見上げる彼の目はそれを連想させた。僕は慌ててしゃがみ込んだ。そんなことは止めてくれ、と。紙袋からアランチーニを1つ取り出して何かの紙に包んでザックに戻し、残った2つを差し出す。彼はそれを拒む。ミルク代が欲しいんだ、と彼は言う。拒む彼にアランチーニの袋を無理やり手渡す。ごめんなさい、お金は無いんだ。立ち上がった彼は尚も懇願するような目で僕を見ていたが、やがて歩き出した。一度だけ振り返ってボナ・セーラと言った彼の目は、まださっきのままの目だった。
 この1週間ほど後、僕はローマの人通りの無い広い道で引ったくりを目撃した。車道を挟んで反対側の歩道で女性が数人のロマの少年達に取り囲まれていた。幸いにも通りかかった男によって助けられたようで、少年達は走って通りを渡った。彼らは僕の方に歩いてくる。数十メートルで僕と擦れ違うことになる。厄介なことになったなと思った。僕は背負っていたザックの肩紐をギュッと握った。だが、彼らはわざわざ歩道の端を回り込むようにして僕を避けて通り過ぎたのだ。やれやれ、僕はイタリア人から見たら引ったくりグループの少年達にすら怪しまれるような姿だったのだ。そんな姿の僕に、彼は跪き、まるでキリストにでもするかのように靴にキスをしたのだ。ミルク代云々という彼の話が本当なのかどうかは分からない。ただ、その町も教会も決してメジャーな観光地はない。警察が外国人を怪しがるような田舎町だ。彼が僕に求めていたのは、例えばほんの10,000リラ程度でしかなかった筈だ。おそらくその程度の金に困っていたことは確かなのだろう。日本円にして1,000円、極貧旅行でレストランにすら入れないでいたとはいえ、僕は西ヨーロッパの鉄道に3ヶ月間、しかも1等に乗り放題というチケットだって持っていた。確か10万円ちょっとしたのだと記憶している。結局のところ、アランチーニを渡した行為は僕の卑小さの現れ以外の何物でもなかった。あの時、10,000リラを渡していたのなら、もしかしたら本当に赤ん坊がミルクを飲めたのかもしれない。その夜、1泊30,000リラもする中級ホテルの部屋で、イタリア語に葺き替えられた日本のアニメを見ながら、ひとつだけになってしまったアランチーニを食べた。ちっとも腹は膨れなかったけれど、空腹以上に上手く処理できないザワザワした感情を持て余していた。
 あれから20年近くの時が流れた。相応に歳もとった。世界の貧富の差や不公平、新自由主義なとにブツブツ文句を言いながら生きている。だが卑小だった僕が少しは成長したのかということに関して言えば、それはかなりな疑問でもある。

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by meiguanxi | 2008-09-26 23:28 | ヨーロッパ
ヴィッラ・レアル・デ・サント・アントニオの夜は更けて (ポルトガル)
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 ホームレス・・・ではない。

 初めてバックパックを背負って海外に出掛けて行ったのは20年ほど前のことだ。パリから崩壊前のユーゴスラビアを経てトルコ、ギリシャからイタリア、スペイン、ポルトガル、そしてモロッコという経路で約5ヶ月の旅になった。本当はモロッコからアルジェリアに行くべくヴィザも取ったのだが、モロッコのマラケシュで赤痢に罹り軟弱にも断念してパリに戻ったのだった。その後アルジェリアが政情不安になってしまったことを考えると、勿体無いことをしたかもしれない。
 ところで、主に南ヨーロッパを巡ったこの旅で、旅とは辛いものだという印象を強く持つことになった。何が辛かったかといえば、宿取りの為に安ホテルを5軒10軒と歩くことが常だったのだ。気に入った宿を探すためにではなく、条件の合う宿が悉く満員だったためだ。マドリッドでは20軒以上たて続けに断られた。ミラノでは満員だと断られた後に 「もしかしたら日本人か?」 と聞かれたことがある。それなら部屋はある、と彼は笑顔になったものだ。もしかしたら僕が宿取りに苦労したのは、当時の風貌とか服装とかにも原因があったのかもしれない。マグレブ(北西アフリカのアラブ3国:チュニジア・アルジェリア・モロッコ)からの不法労働者が沢山いたし、僕は髭を生やしラモス・ルイな髪型をしていたし・・・

 さて、ヴィッラ・レアル・デ・サント・アントニオなどという地名を知っている方はそう多くはないと思う。ポルトガル南部、大西洋に面した小さな町で、グアティアナ川の河口にあたる。対岸はスペインのアヤモンテ。フェリーに乗れば10分の距離だ。
 その日、風光明媚な港町として有名なラーゴスという町を早朝の列車に乗ってこの町にやって来た。ローカル列車で4時間、まだ午前10時半前で、順調に行けばこの日のうちにスペインのセビーリャまで行ける筈だった。だがこの川幅は僕にとってあまりに広かった。フェリーの労働者がストライキの最中だったのだ。フェリー乗り場の前は大きな広場になっていて、港に背を向けて右側が鉄道駅とバス発着所、左側には公園がある。その中間の道は小さな町に通じていて、カフェなどが並んでいる。この広場に観光案内所の小さな建物があるのだが、三々五々旅行者たちが訪れては困惑してそこらに屯していた。町には何軒かのホテルもあったが、何処もフルで空き部屋は既に無かった。夕方には案内所外の芝生に屯する旅行者は数十人にもなっていた。
 そんな時、一人の男がバスの手配をしてきた。行動力のある旅行者だ。ここから100kmほど北に架かる橋を渡って国境を越えるというものだ(この2年後にもっと近い所に橋が架かったようだ)。料金は集まった人数で折半。悪くない話だった。だが僕はあっさりと断ってしまった。理由は彼には理解されなかったが、単純なものだった。「ここを越えたいんだよ」
 やがて暗くなる。いつの間にかあれだけいた旅行者たちの姿は無くなっていった。何人がそのバスに乗り、何人がなんとか宿を確保したのか分からないが、とにかく誰一人としてそこには留まらなかった。僕を除いては。

 日が暮れると日中あれほど暑かったのが嘘のように空気は一気に冷え始めた。あまりお金もなかったので、そこらで買った食糧を芝生の上で食べた。淋しくはあったが、何故かさほどの不安は感じていなかったのだと思う。ただ、寝ている間に荷物を盗まれることと、ヤバイ連中が来るかもしれないということが心配ではあったのだが。夜も更けて僕は公園に移動し、チェーン・ロックでバックパックをベンチに括り付けて眠ろうとした。だが、寒い。非常に寒く、強くなった風はとてつもなく冷たかった。仕方なくバス停留所に移動する。停留所のベンチは3方をプラスチックの壁に囲まれている。少しはマシかもしれない、そう思ったのだ。
 身を縮めてなんとかウトウトしかけた時、険のある男の声が僕を起こす。ポケットの中で折りたたみナイフを握る。だが彼は警官だった。彼は英語を話さなかったが、初めから喧嘩腰でキーキー言っていた。まあ仕方が無い。確かに怪しいのだろうから。僕は事情を説明した。ストライキは僕の責任ではないのだから。通訳してくれたのは同行していた相方の女性警官だった。だが彼は友好的という引き出しは全く持ち合わせていないようだった。彼は僕のパスポートを散々弄り回した挙句、何か文句を言って返してよこした。ところで、女性警官、これが、なんというか、日本の警察には決していないタイプの超美人だった。いや、警察庁と警視庁とフェミニスト団体を敵に回しても良いが、彼女は美しいだけではなく超セクシーだったのだ。日本にあんなセクシーな女性警官がいたなら、きっと世間に袋叩きにされるだろう。男の警官は怪しい奴を前にして自分が如何に勇敢であるのかを、彼女に誇示したかったのかもしれない。
「警察所に行った方が良いかな?」 と僕は彼女に言ってみた。「No」 と彼女は微笑んだ。彼の後を付いて去って行く彼女は一度だけ振り返り、「Good night」 と手を振った。少し嬉しくはあったけれど、やれやれ、ちっとも Good な夜なんかじゃない。警察に連れて行かれた方がずっとマシな夜なのだ。

 フェリーが動いたのは2日目、今日もダメだったら取りあえず近くの町に列車で移動しようと思っていた夕方だった。
 写真は、案内所の壁に凭れてビートルズを聴きながら居眠りをしていた時のものだ。携帯用のスピーカーが見える。なんて物を持って旅していたことか…。ビールの缶も見える。なにしろ天気は良く、頗る暇を持て余していたのだ。何かの気配に目を覚ますと西洋人の女の娘の旅行者が僕の写真を撮っていた。彼女は慌てて 「良い写真が撮れたわ」 と言った。
 やれやれ。

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by meiguanxi | 2008-03-05 21:08 | ヨーロッパ