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トビリシ (グルジア) : シュワルナゼの憂鬱
[ カフカス略地図 ]
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                                       ナリカラ要塞跡から見たトビリシ旧市街の街並み

メテヒ教会とムトゥクワリ川
b0049671_11541364.jpg カフカスは民族の十字路であるだけに民族構成は至極複雑である上、旧ソ連下での領土線引きや独立問題、それに際しての領土問題、新旧勢力の争い等々、多くの問題を抱えている。

 東西に走る大カフカス山脈。その北側である内カフカス(内外というのは勿論、ロシアからの見方)は現在もロシア領だが、ダゲスタン、イングーシ、北オセティア・アラニアなど幾つもの共和国を内包している。チェチェンでの紛争はご存知だろうと思う。
 一方、外カフカス三ヶ国も難しい問題をそれぞれに抱え込んでいる。イスラームのアゼルバイジャンとキリスト教のアルメニアには、それぞれナヒチェヴァンとナゴルノ・カラバフという飛び地が存在し、特に後者をめぐる戦闘は凄惨を極めた( 参照 )。

 グルジアもまた、ひとり平和であった訳ではない。独立とその後の推移の中で、旧共産党系、民主派、民族主義派入り乱れての内乱があった。誤解して欲しくないのだが、ここで言う民主派が常に民主的であった訳ではない。混乱した状況を立て直す為に、ソ連を崩壊に導いたエリツィン政権を除き実質的なソ連最後の政権、ゴルバチョフ政権で外務大臣を勤めたシュワルナゼが新しい大統領に招かれた。1992年のことだ。この後は一応の平穏を保ったが、それでも国内には黒海沿岸トルコ国境に独自性の強いアジャラ自治共和国、ロシア領の北オセティア・アラニア共和国国境には中央政権の意の届かない南オセティア自治州(自称)があり、更に黒海沿いロシア国境のアブハジア自治共和国(自称)は、激しい戦闘の結果、境界線を国連やロシアなどCIS(旧ソ連の独立国家共同体)の監視軍が展開する状態で、実質的には独立国として振舞っている。この問題はロシアとアメリカという大国の思惑も絡み、国内外の大きな政治問題に成っている。

アブハジア難民アパート化したホテル・イヴェリア                 銃弾の跡が残るグルジア共和国議会
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画家・画商が集まる路上                                               路上の八百屋
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 首都トビリシにあるホテル・イヴェリアは、ソ連時代にはインツーリスト(ソ連国営旅行社)の管理するグルジア随一のホテルだったのだが、現在は殆どアブハジア紛争の難民宿舎と化している。居住面積や収納スペースを増やす為にベランダにベニヤ板やブルーシートが張られたその姿には、嘗ての高級ホテルの面影は無い。
 また、グルジアにはチェチェン紛争から逃れた難民が多数流入していて、シュワルナゼ政権は彼等に対する人道的保護政策を取っていたが、「9.11」 以後、民族独立運動の全てに「テロ」というレッテル張りを許容する現象が見られ(これは中国領のチベットやウイグル自治区でも同じ)ロシアは「テロリストを匿っている」との名目で干渉を強める。その裏には、カスピ海油田からのパイプライン利権も絡んで、グルジアを実質的に「内」と取り込んでしまいたいという野望も見え隠れする。
 シュワルナゼ政権は、大国の思惑と国内の保守派や民族主義派の鬩ぎ合いの中で良く国家を纏めては来たが、一向に上向かない経済に国民の不満は爆発、'04年、無血クーデターによって彼は政権を追われる。しかし、この政変の裏にも、アメリカの思惑があったとも囁かれている。

                                        ハマムの屋根と丘の上のナリカラ要塞、左にモスク
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ムトゥクワリ川と街並み
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           ペルシャ風家屋の正面にグルジア式教会
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 さて、トビリシの街は美しい。旧市街は伝統的な屋並が守られ、迫出したバルコニーがペルシャ統治時代の面影を今に残す。町外れの高台にあるナリカラ要塞跡に登ると、オレンジ色の屋根の連なりと木々の緑とのコントラストが鮮やかだ。その中をムトゥクワリ川がゆったりと流れる。旧ソ連圏の都会にしては街には活気があり、幾つもの教会を散策しながらのそぞろ歩きも気持ちが良い。


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 グルジアの主要民族はカルトヴェリと呼ばれる所謂グルジア人。独立後は独自のグルジア文字が復活している。願わくは美しくホスピタリティ溢れるこの国が、政変後、民族主義的傾向を強めて行くことの無いように、祈りたい。


(※ 2008.8.17 追記 : '04年のクーデターと '08年の南オセチアを巡る問題についてはこちらに書きました)

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                                                            ナリカラ要塞跡
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by meiguanxi | 2007-05-20 12:05 | カフカス
サマルカンドの街角(ウズベキスタン)
[ 中央アジア略地図 ]
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b0049671_8361056.jpg      ブハラからバスで5時間半、
      チンギス・ハーンが破壊し、
      チムールが築いた青の都、
      サマルカンドに至る。

      サマルカンドの歴史と
      レギスタン広場などの写真はこちら
      シャー・イ・ジンダ廟はこちらを参照。

      今回は街の表情を少し。

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 中央アジア諸国の都会の多くは度重なる地震と、ソ連時代のロシア式再建によっているので、
 伝統的な旧市街地というものが余り残っていないケースが多い。
 この街もまた、例外ではない。サマルカンドの人口は55万(ソ連崩壊直前のデータ)。

スィアブスキー・バザール(同右)
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 ただ、他の国の主要都市に比べると、庶民の生活感を感じられる路地が、幾らか残っている。
 旅をしていて楽しいのは勿論、こうした路地に出会えた時だ。
 また、都会にしては比較的、民族衣装の着用率が高いのも嬉しい。男性も老人は民族衣装だ。



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 この街には中心部に個人旅行者の集まる安宿がある。立派なホテルで、中央アジアでは珍しいことだ。
 だが、設備は老朽化していると聞く。
 僕はタジク人の立派な御屋敷に民泊させてもらった。この街はもともとタジク人の方が多い町なのだ。


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by meiguanxi | 2007-05-11 01:53 | 絲綢之路Ⅱ[中央亜]