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2008.3 チベット騒乱…左派として
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                                    (写真は1993年のもで今回の騒乱には関係ありません)


 僕はそちらこちらで公言しているように、資本と国家との揚棄を求める者であるから左翼である。とは言っても革命を起こそうとかプロレタリアート独裁を目指すとかいう大時代な話とは無縁だし、史的唯物論者でもない。それについて述べると膨大な論文になってしまうし、また今の自分にはそれを論理立てて話す準備も無い。

 このエントリーでの問題はチベットだ。これもそちらこちらで公言している通り、僕は一貫してチベットの独立、或いは高度な自治を支持している (1988年以来、ダライ・ラマ14世は高度な自治を主張しているのあって、独立は求めていない) し、今回の騒乱に於いても中国政府を批判してる。昨年の大統領選挙で右派に破れたフランス社会党のロワイヤル女史が今回のチベット騒乱に関してオリンピックの不参加の可能性を否定せずあらゆるカードを使うべきだと発言しているように、左派としては当然である。そもそも独立した民族国家だったものが他の民族国家に占領・植民地化され、支配民族が被支配民族を搾取し資源を略奪し文化を破壊し、今やその文化の根源である言語さえをも実質的に消滅させられかねない状況 (事実、内モンゴル自治区ではモンゴル語を解せない青年が普通に存在している) であり、言論が統制され人権が損なわれているのだから。それに対して抗議する武器を持たない民衆を武力鎮圧しているのだから。だが不思議なことに日本に於けるチベット支持、或いはこの件での中国への批判に関する限り、どうも左派・リベラルの声よりも右派の方が勢いがあるように見える。
 おそらくこれは日本に於ける地理的・歴史的特性なのだろうと思われる。朝鮮半島を36年間に渡り植民地にし中国に侵略した嘗ての行為を肯定する右派が中国によるチベット占領と弾圧とを非難するとういのも片腹痛い (いや、チベットを支援するなら右派でも左派でもどうでも良いのだが) が、右派にしてみれば反中意識 (或いは反韓・反朝) を煽ることは手っ取り早いナショナリズム喚起の方法なのだろうし、チベット問題はその絶好の契機なのかもしれない。一方、左派はどうだろうか。右派からは左派は中共の工作員だというような揶揄がされることがあるが、まさか本気でそう考えている無邪気な右翼もいないだろう。いや、嘗て中華人民共和国の内情が良く伝わってこなかった冷戦期、例えば当時の最も倫理的であると思われた左派のイデオローグが文化大革命に関して上からの革命への疑問を呈しながらも壮大な実験であるというような発言をした時代があったのも事実だ。だが現在にあって中国共産党を本気で称賛する左派は存在しないだろうと思う。いや、一定の友好関係を結んでいたとしてもそれは別の話だ。
 では何故、こと中国となると一部の左派の発言に切れが無くなるのだろうか。例えば先だっての農薬入り餃子事件などに関して、悪戯に反中意識を掻き立てるのではなく冷静に対処すべきだといった類の発言があるのは納得できる。おそらく左派には先の大戦とそれに先立つ朝鮮半島・中国への侵略の歴史への反省として、近隣諸国とは友好的にあるべきだという不文律がある。僕にもある。同時に戦後これまで、政治的に謝罪の意が表されても次には誰かがまたぞろ逆なでするような発言や行動をしてしまうことへの贖罪の意識のようなものもあるのかもしれない。僕にもある。そして中国への異議申し立てが時に反中意識の高揚とナショナリズム喚起とに利用されようとしてきたことへのアレルギー反応のようなものもあるのだろう。僕にもある。
 だが、今回のチベット問題に関して左派政党が頑なに沈黙していたりリベラルと思われるイデオローグが中国の主張に沿うような発言をしてしまうのは、どうにも合点がいかない。それでは付く者が違うだけでなんでもかんでもアメリカべったりな保守・右派 (右派の全てがアメリカべったりを歓迎しているわけではない) と同じではないか。或いはチベットが人民解放軍によって農奴制や封建制から解放されたのだとする中国政府の主張に一定の評価を感じているのだろうか。だが武力による主権の侵害であってみればそれは占領の正当化に成っていないし、百歩譲ったとしてもその後半世紀にも渡って 実質的に漢族が指導する御用 「自治区」 として支配を続けることの言い訳にはならない。事実、中国はチベットを搾取し略奪し続けているのだ。勿論、経済発展などが言い訳になる筈もない。それでは日本が嘗て大陸に行った行為は単なる侵略行為だとして批判・反省できても、アメリカのアフガンとイラクへの軍事侵略を批判する根拠を失ってしまうではないか。

 ところで、初めに述べたように僕は国家の止揚を希求する者であるから、必ずしも全ての民族が国家として独立するべきだと考えているわけではない。マイクロ・ナショナリズムが往々にして碌な結果にはならないことは、嘗てのソ連が崩壊した後、独立した国 (ロシアを含めて!) の多くが極端な民族主義的国家に成ってしまったことを見ても明らかだ。だから仮にチベットが独立を獲得したとしてもその暁に、倫理的・民主的国家になるかどうかは、また別の話だ。おそらく内地のチベット人たちのインテリジェンスと亡命政府のそれとの間には大きな開きが存在するだろうと想像できる。亡命政府が言うような民主的選挙の結果、民主的ではない政府が出来上がってしまうかもしれないというのは、必ずしも杞憂とも言えない。議会制民主主義がファシズムやナショナリズムを排除する契機を持たないことは、ナポレオンやヒトラー、或いはプーチンを見ても明らかだ。ドイツでは左派を弾圧することでナチスが力を得たのだから民主的な結果ではないという批判は当たらない。弾圧が動き出すことを民主制が止められなかったのは事実なのだから。増して中国共産党支配下に於ける内地のチベット人たちに民主主義や人権といったいわゆる西洋近代の思想が十分に備わっているとは考え辛いだろう。この点に関して亡命政府には14世存命中に確かなシステムを構築することが求められるのかもしれない。
 しかし、巨大な者、或いは強力な者が他者を力尽くで押さえ込んでいる状態での単なる国境線の廃棄には意味が無い。ソ連崩壊後の民族主義的国家群の誕生は同時にこのことをも表象している。ソ連という名のロシアによる周辺民族への支配統合は、結果として何も産み出さなかったのだ。おそらく本当にグローバルなもの (グローバリズムという名のアメリカの自己中心主義ではなく) は幾つもの異なるものが常なる軋轢 (戦乱と言う意味ではない) の中で長い時間を掛けて出来上がっていく、或いは出来上がり続けていくものなのだ。その意味で、アメリカによるイスラームへの武力による 「民主主義の輸出」 は失敗するしかないのだし、中国によるチベット支配はやがて崩壊せざるを得ないだろう。
 本来が独立国家への侵略・占領なのであるからまずはチベットを独立させるのが本筋だとは思うが、だが以上のような意味でダライ・ラマ14世が訴える 「中道のアプローチ」(独立をではなく高度な自治を求める) は興味深いし賛同に値する。また国際社会はそのための圧力を掛けるべきだろう。オリンピックのボイコットが必ずしも良いことだとは思わないが、少なくとも中国は聖火をチベットに持ち込みチョモランマに登頂させることで、チベットが中国の一部であることを世界に黙認させるためにオリンピックを政治利用しているのだ。世界は、それを認めるべきではないし看過すべきでもない。

 先日3月22日、チベット支援を訴える2つの集会とデモが行われた。1つは TSNJ (TIBET SUPPORT NETWORK JAPAN) というアムネスティ・インターナショナル日本支部も参加するチベットのサポートをするネットワーク団体によるもの。もう1つは時には過激な反中アピールをする右派の民族主義的な団体によるもの。東京では幸いにも2つの抗議行動があったので僕は個人の資格で前者に参加したが、しかし例えば翌23日に大阪では後者のみのが抗議行動をした。ただチベット問題に抗議の声を上げたいと思うだけの人々が右派に取り込まれざるを得ないような状況だ。
 勿論、例えば靖国問題とか南京虐殺問題とかをチベットに絡めるなどはナンセンスだし、尖閣列島も油田も餃子も関係は無い (個人的は竹島に関しては感情的な部分での韓国の言い分にも一理あると思うのに対して、尖閣列島に中国が領土権を主張する根拠は全く無いと考える。南京虐殺に関しては中国が主張する人数には問題があると思うし、今更ながら第三国の研究者を含めた現実的研究が行われるべきだと思うが、ただ、問題は人数ではなくそのようなことが戦争では行われてしまうのだというこをと学ぶことだと考えている)。だが実際には確かにチベット問題にしろ何にしろ、中国に対する批判が右派のプロパガンダに少なからず寄与してしまうところはあるだろうと思う。しかしだからといってそれを無視するような情勢論やダブル・スタンダードはもはや左派やリベラルの名に値しない。おそらく日本の左派・リベラルの政党もイデオローグも、例えばチベットならチベット問題に関して言うべきことは言いながら、それが反中意識やナショナリズムといった右派の煽動する感情論に取り込まれないための真っ当な倫理的理論をそろそろ構築すべきなのだ。

 あらゆる機会を捉えて国際社会と人々がこの問題を取り上げ中国政府に対して亡命政府との正当な対話の再開を要求するように望むとともに、何よりもチベット ( 「自治区」 だけではなくその周辺に広がる本来のチベット地域) に住む全てのチベット人が安全であることを、心から願ってやまない。

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                          Candlelight vigil 2008.3.28 (雨) 東京西麻布・笄(こうがい)公園
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by meiguanxi | 2008-03-26 20:12 | Free TIBET | Comments(3)
占領されたチベットの地図
地図をクリックすると別ページに拡大画像がでます。

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 衛星写真によるとラサでの死者が500人を越えると伝えるインドのメディアもある。事実を確認する術は無い。
 ダライ・ラマ14世は、状況の収拾が不可能に成った場合には 「辞任しかない」 と発言した。勿論、「ダライ・ラマ」 を引退することはできないので、政治的な立場をという意味ではあろうが。
 抗議活動は周辺地域に拡大しているという。蘭州や北京の大学で座り込みがあったという報道があるが、確かにそれは 「周辺」 だ。だがそれ以外の青海省、甘粛省、四川省での騒乱は決して 「周辺] ではない。中華人民共和国の行政単位としてのチベット自治区は、チベットの一部でしかないのだ。人口にすれば中国占領域在住チベット人の 3分の1 に過ぎない地域だ。(詳しくはダライ・ラマ法王日本代表部事務所H.P.
 知ってほしい。地図上、赤線で括った地域が元々のチベットなのだが (実に青海省はその全てがチベットからの略奪だ)、「そんなことを言ったってそれは何時の時代の話だ」 という意見もあるかもしれない。だが事実、現在尚、この地域の主な住民はチベット人に他ならない。恐れるのは、中国が漢族の移入を進めていることだ。このままでは 「何時の話だ」 という、ある意味では反論できない既成事実化が進められてしまうことだ。
 ダライ・ラマ14世の譲れない心情は 「非暴力による抵抗」 だ。勿論、僕はそれを強く支持する。だが、このまま国際社会がこれを無視し続けるのなら、そこに住む人々がそれに耐えられなくなるとしても、チベット人以外の誰がそれを批判する道義的権利を有するのだろうか・・・そうならないために、我々は・・・

 注) これは私、左翼を自認する者からの言葉であり、右派の言論ではない。
    (こんなことを断らなければならない状況が虚しい)

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by meiguanxi | 2008-03-18 23:05 | Free TIBET | Comments(12)
2008年3月14日、ラサ動乱によせて

平和的な抗議行動に対して武力弾圧を加えた結果、
一部が過激な行為に至ったとしても
長年の耐え難い占領と圧制へのレジスタンスを
テロと呼ぶべきではない。
「暴動」 と報道されているがその言葉の持つ意味合いに、
私たちはもっと繊細であるべきだ。

「ダライ・ラマ一派が組織、計画し、背後から操った十分な証拠がある」
とする見解を中国政府が撤回・謝罪し、
少なくとも亡命政府との一定の公正な会談を再開しない限りに於いての
北京オリンピックへの参加は、
チベット問題に関して加害者加担の責任を負うのだということを
私たちは自覚すべきだ。

2001年9月11日以来、
「テロとの戦い」 という旗の下に
私たちはチベットを、チェチェンを見捨ててきた。
しかも実はそれは圧倒的市場やエネルギーという経済の為でもあった。
己の利益の為にチベットをこれ以上見捨てておくことは
もはや犯罪であり、まさに中国政府と同罪だ。

満州が、朝鮮半島が日本の領土ではなかったのと同じように
チベットはチベット人の土地であり、そこには独自の文化がある。
チベットは間違っても中国ではない。

死者が100人を越えたという情報もある。
お願いだから、これ以上、今はまだ、
死なないでいてくれ。
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by meiguanxi | 2008-03-16 01:07 | Free TIBET | Comments(6)
ヴィッラ・レアル・デ・サント・アントニオの夜は更けて (ポルトガル)
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 ホームレス・・・ではない。

 初めてバックパックを背負って海外に出掛けて行ったのは20年ほど前のことだ。パリから崩壊前のユーゴスラビアを経てトルコ、ギリシャからイタリア、スペイン、ポルトガル、そしてモロッコという経路で約5ヶ月の旅になった。本当はモロッコからアルジェリアに行くべくヴィザも取ったのだが、モロッコのマラケシュで赤痢に罹り軟弱にも断念してパリに戻ったのだった。その後アルジェリアが政情不安になってしまったことを考えると、勿体無いことをしたかもしれない。
 ところで、主に南ヨーロッパを巡ったこの旅で、旅とは辛いものだという印象を強く持つことになった。何が辛かったかといえば、宿取りの為に安ホテルを5軒10軒と歩くことが常だったのだ。気に入った宿を探すためにではなく、条件の合う宿が悉く満員だったためだ。マドリッドでは20軒以上たて続けに断られた。ミラノでは満員だと断られた後に 「もしかしたら日本人か?」 と聞かれたことがある。それなら部屋はある、と彼は笑顔になったものだ。もしかしたら僕が宿取りに苦労したのは、当時の風貌とか服装とかにも原因があったのかもしれない。マグレブ(北西アフリカのアラブ3国:チュニジア・アルジェリア・モロッコ)からの不法労働者が沢山いたし、僕は髭を生やしラモス・ルイな髪型をしていたし・・・

 さて、ヴィッラ・レアル・デ・サント・アントニオなどという地名を知っている方はそう多くはないと思う。ポルトガル南部、大西洋に面した小さな町で、グアティアナ川の河口にあたる。対岸はスペインのアヤモンテ。フェリーに乗れば10分の距離だ。
 その日、風光明媚な港町として有名なラーゴスという町を早朝の列車に乗ってこの町にやって来た。ローカル列車で4時間、まだ午前10時半前で、順調に行けばこの日のうちにスペインのセビーリャまで行ける筈だった。だがこの川幅は僕にとってあまりに広かった。フェリーの労働者がストライキの最中だったのだ。フェリー乗り場の前は大きな広場になっていて、港に背を向けて右側が鉄道駅とバス発着所、左側には公園がある。その中間の道は小さな町に通じていて、カフェなどが並んでいる。この広場に観光案内所の小さな建物があるのだが、三々五々旅行者たちが訪れては困惑してそこらに屯していた。町には何軒かのホテルもあったが、何処もフルで空き部屋は既に無かった。夕方には案内所外の芝生に屯する旅行者は数十人にもなっていた。
 そんな時、一人の男がバスの手配をしてきた。行動力のある旅行者だ。ここから100kmほど北に架かる橋を渡って国境を越えるというものだ(この2年後にもっと近い所に橋が架かったようだ)。料金は集まった人数で折半。悪くない話だった。だが僕はあっさりと断ってしまった。理由は彼には理解されなかったが、単純なものだった。「ここを越えたいんだよ」
 やがて暗くなる。いつの間にかあれだけいた旅行者たちの姿は無くなっていった。何人がそのバスに乗り、何人がなんとか宿を確保したのか分からないが、とにかく誰一人としてそこには留まらなかった。僕を除いては。

 日が暮れると日中あれほど暑かったのが嘘のように空気は一気に冷え始めた。あまりお金もなかったので、そこらで買った食糧を芝生の上で食べた。淋しくはあったが、何故かさほどの不安は感じていなかったのだと思う。ただ、寝ている間に荷物を盗まれることと、ヤバイ連中が来るかもしれないということが心配ではあったのだが。夜も更けて僕は公園に移動し、チェーン・ロックでバックパックをベンチに括り付けて眠ろうとした。だが、寒い。非常に寒く、強くなった風はとてつもなく冷たかった。仕方なくバス停留所に移動する。停留所のベンチは3方をプラスチックの壁に囲まれている。少しはマシかもしれない、そう思ったのだ。
 身を縮めてなんとかウトウトしかけた時、険のある男の声が僕を起こす。ポケットの中で折りたたみナイフを握る。だが彼は警官だった。彼は英語を話さなかったが、初めから喧嘩腰でキーキー言っていた。まあ仕方が無い。確かに怪しいのだろうから。僕は事情を説明した。ストライキは僕の責任ではないのだから。通訳してくれたのは同行していた相方の女性警官だった。だが彼は友好的という引き出しは全く持ち合わせていないようだった。彼は僕のパスポートを散々弄り回した挙句、何か文句を言って返してよこした。ところで、女性警官、これが、なんというか、日本の警察には決していないタイプの超美人だった。いや、警察庁と警視庁とフェミニスト団体を敵に回しても良いが、彼女は美しいだけではなく超セクシーだったのだ。日本にあんなセクシーな女性警官がいたなら、きっと世間に袋叩きにされるだろう。男の警官は怪しい奴を前にして自分が如何に勇敢であるのかを、彼女に誇示したかったのかもしれない。
「警察所に行った方が良いかな?」 と僕は彼女に言ってみた。「No」 と彼女は微笑んだ。彼の後を付いて去って行く彼女は一度だけ振り返り、「Good night」 と手を振った。少し嬉しくはあったけれど、やれやれ、ちっとも Good な夜なんかじゃない。警察に連れて行かれた方がずっとマシな夜なのだ。

 フェリーが動いたのは2日目、今日もダメだったら取りあえず近くの町に列車で移動しようと思っていた夕方だった。
 写真は、案内所の壁に凭れてビートルズを聴きながら居眠りをしていた時のものだ。携帯用のスピーカーが見える。なんて物を持って旅していたことか…。ビールの缶も見える。なにしろ天気は良く、頗る暇を持て余していたのだ。何かの気配に目を覚ますと西洋人の女の娘の旅行者が僕の写真を撮っていた。彼女は慌てて 「良い写真が撮れたわ」 と言った。
 やれやれ。

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by meiguanxi | 2008-03-05 21:08 | ヨーロッパ | Comments(19)