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パムッカレ (トルコ) : 温泉が造った石灰棚
[ 西アジア略地図 ]
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                                                                 石灰棚


 雪景色・・・ではない。

 石灰分を含んだ水が段差のある地形を流れることで出来る石灰棚。石灰棚と言えば今ではチベット (自治区ではなく本来のチベット地域) 東北部アムド地域の東南ンガワ地方 (現中国支配域四川省阿壩蔵族羌族自治州 : 蔵はチベットの意の漢語) の九寨溝近くの黄龍が有名だが、成り立ちは同じだ。
 イスタンブールからなら20kmほど離れたデニズリまでバスで13時間、そこからはドルムシュ (ミニ・バス) になる。僕の場合にはエフェス遺跡で有名なセルチュクからだったので、デニズリでの乗換えを含めて3時間半程だった。
 ここは古代ローマ、更にその前のヘレニズム王国であるペルガモン王国の時代から保養地があったと言われる温泉地で、往時の遺跡が断崖の上に残されている。黄龍に比してパムッカレが特異なのは、温泉が石灰棚を形成しているということだ。その名も Pamukkale Motel というホテルの中庭に露天の温泉プールがある。湧き出た温水が池を作っているのだが、小魚も泳ぐこの池にはヘレニズム時代の円柱がゴロゴロと沈んでいる。勿論、旅行者が入ることもできる。
 ここから流れ出た石灰分を多く含んだ温水が断崖を下る。流された土や小石、枯葉や小枝などが溜まった部分に石灰が固まり堰になる。堰の内側に溜まった水が流れ出て更にその先に堰を作る。このようにして高低差200mにもなる石灰棚が築かれた。無数の真っ白な石灰棚ひとつひとつに溜まった水は青く輝き、夕刻には赤く染まる。


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 僕がここを訪れたのは1989年初頭なのだが、この時代、本当に写真を撮らなかったのだなと思う。プールの写真も遺跡の写真も、石灰棚を俯瞰した写真も無い。やれやれ、なんてことだ。初めての旅だった当時の僕には、本物の羊飼いとの出会いの方がずっと感動的だったのかもしれない。
 下の写真は羊飼いの写真ではなく、羊飼いにシャッターを押して貰ったものだ。この頃、僕は羊さんと同じような髪形をしていた・・・


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by meiguanxi | 2008-12-28 19:28 | 絲綢之路Ⅲ[西亜] | Comments(14)
エフェス遺跡 (トルコ) : トルコ旅行事情に関する昔話
[ 西アジア略地図 ]
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                                                収容人数25,000人の野外劇場


 イスタンブールのオトガル (バス・ターミナル) は旧市街の中心地(港)から北西に10km程の郊外にある。シルケジ駅やアヤ・ソフィア、スルタン・アフメット・ジャミィ (ブルー・モスク) のある地域からならトラム (路面電車) に乗ってアクサライという大きな交差点でメトロに乗り換える。何も無い閑散とした場所に近代的なターミナルが建っている。だが嘗てオトガルは岬から4・5km程の所に連なる “テオドシウスの城壁” の直ぐ外にあり、トプカプ・ガラジと呼ばれていた。今、そこは市内を走るドルムシュ (ミニ・バス) の発着所に成っている。今では中心部からトラムが走っているが、当時はドルムシュかタクシーしか無かった。
 ここで断ってしまいたいことがある。僕のブログでは良くあることだが、このエントリーはタイトルと内容があまり合致していない。つまりエフェスの紹介や説明、そこでの出来事などはあまり出てこないだろうと思う。
 さて、初めての旅だったこの時の当初の予定では、パリから崩壊前のユーゴスラヴィアのベオグラードを経てやって来たトルコは、イスタンブールだけでその後は列車でアテネに抜ける積りでいた。ところが5日間イスタンブールをうろついているうちにどうしても奥地に入って行きたくて仕方がなくなっていた。何しろ初めての旅行だったし、今ほどにはまだ誰も彼も個人旅行という時代でもなかったのでアジアの奥地に入っていくということには不安もあった。僕にも可愛い時代はあったのだ。だがその日の午後、どうしても堪えられなくなってしまった。夕刻前、バスの予定も知らないまま払ってあった宿をチェックアウトして、僕はトプカプ・ガラジに向かった。


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                                                         マーブル・ストリート


 そこは整地もろくにされていないような凸凹の荒地とでも呼べそうな広大な広場で、バス会社の無数のブースと食品店や土産物屋が立ち並び混乱を極めていた。地面は融けた雪でぬかるんでいる。城壁の直ぐ外側は露天のバザールに成っていて、放牧された羊がうろついていたりもした。バス会社の客引きたちの呼び込みの声、それぞれの目的地へのバス会社を探す無数の人々のざわめき、物売りの甲高い声、まさにカオスのような場所だった。といっても心配は要らなかった。うろうろしているだけで誰かが直ぐに声を掛けてくる。目的地を聞くと自分の会社で扱っていようがいまいが、乗りたいバスを運行しているブースまで連れて行ってくれる。トルコの人々は非常に親切で、何の不安も感じさせなかった。だが勿論これはイスタンブール管区が旅行者達にとって安全だった時代の話だ。1988年暮れから89年初頭。その後、イスタンブール付近の治安は非常に悪化してしまった。2000年に訪れた時にはヴィザ取得に必要なレターを作成して貰うために2回ほど日本総領事館に立ち寄ったのだが、その2回ともパスポート、現金を含めて貴重品を身包み剥がれたという別々の青年に出会った。睡眠薬強盗だという。更に今ではテロの危険まで加わってしまった。初めに訪れた時と92年当時はのんびりしたものだったのだ。旧市街にはトラムもメトロも走っていなかった時代であり、ガラタ橋はまだ架け直される前で揺れる二層式の橋の下階には海鮮料理屋が軒を連ねていた時代。橋を渡り新市街の中心部に登る急な坂の途中をちょっと下った所にある公娼所に、まだ外国人も入れてくれた時代だ。いや、僕は後学の為に寄らせて貰ったのであり、アッラーに誓ってそれ以上の何も無い。むしろそこの光景は、こう言っては失礼になるのかもしれないが、あまり心躍るようなものではなかった。段差のある敷地に何軒もの店があり、女性達が客を呼んでいる。美しい娘も居たが中には母親の年齢を越えているのではないかと思える女性が崩れた姿態を晒していたりもした。


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                                                                 城塞跡


 脱線してしまったが、まあ、そんな時代だ。18時、乗り込んだ長距離バスは既に夕闇に包まれた街を離れる。ボスポラス海峡を渡るのかと思っていたのだが、意に反してバスは西に進んだ。マルマラ海のエーゲ海への出口であるダーダネルス海峡に向かっているようだった。トルコのトランスポーテーションは当時から立派なもので、長距離バスの殆どはベンツの高級車だったし、道の整備も素晴らしかった。走り出して直ぐに車掌がコロンヤを手に振り掛けてくれる。エチルアルコールに加えられたレモンの香りが爽やかだ。やがて飲み物と軽食が振舞われる。夜行とはいえ快適なバスの旅だ。この翌年僕は中国のバスを知ることになる。今の中国ではない。当時、中国の殆どのバスは国産で、それはそれは恐ろしい乗り物だった。更に次の年にはインドのバス、その翌年にはパキスタンのバス…やれやれ、奥地へとはいってもトルコの旅なんて本当に幸せだったのだ。
 翌早朝、まだ明けやらぬ街道のバス停で下ろされる。ターミナルではなくバス停だ。周りには畑や牧草地が広がっているだけのようだ。直行だと聞いていたのだが、どうやらここで乗り換えろということらしい。後で知ったことだが、そこはイズミールという大きな町の郊外らしかった。ローカル・バスが来るまで小一時間は待っただろうか、こんな何も無い場所に一人で放り出されるのはあまり気持ちの良いものではなかった。だが車掌が言った通り、チケットは買い直さずに良いようだった。午前7時、ローカル・バスはセルチュクの小さな町に停まった。すると老人が話し掛けてくる。英語なんて話せない。彼はただ 「ゲスト・ハウス? ゲスト・ハウス! ヴェリー・チープ!」 を繰り返した。何しろ早朝7時だ。非常に胡散臭かったが僕は彼に付いて行くことにした。しかし驚いたことに、彼の連れて行ってくれたのは実に気持ちの良い家族が営む実に安価で清潔な民宿だった。もちろん彼は何某かのマージンを受け取ってもいるのかもしれないが、宿代から察するに早朝に来るかどうかも分からない旅行者をバス停で待つ見返りには合わない仕事だ。或いは親戚か何かなのかもしれない。ただ分かったことは、やはりトルコ人は親切で信用できるようだということだった。勿論、あくまで “当時は“ ということなので、今のことは保証しない。
 エフェスはセルチュクの町から4km程の所にあるローマ時代の広大な遺跡だ。この地は在りし日には世界七不思議のひとつに数えられたアルテミス神殿がB.C.550年頃に建てられたとされる場所でもある。1月の初め、季節外れの遺跡には観光客など誰一人として居ず、繁栄していたのだろう古の都市には、草を食む羊達の上を冷たい風が吹き抜けていた。


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                                                                 羊飼い
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by meiguanxi | 2008-12-17 23:22 | 絲綢之路Ⅲ[西亜] | Comments(2)
忘れてはいけないこと
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           2008.12. 6 Shinjuku, Tokyo  自由への道—チベット 国際人権週間デモ




忘れてはいけないこと
忘れられてはならないこと

諦めてはいけないこと
諦められてはならないこと

思想信条の流布や政治に利用するのではなく
情勢論によって無視するのではなく
国益のために回避するのではなく

人類の倫理のために取り組まれるべきこと

オリンピックも聖火リレーも遠い昔のことのようだ
けれど
チベットへの抑圧・弾圧とチベットからの略奪、チベット文化への破壊は
今日、今この瞬間も続いている



リンク : ダライ・ラマ法王日本代表部事務所



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   ※ 上の写真の手前お2人は在日チベット人として公然と活動されている方達なので、ぼかしは入れていません。
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by meiguanxi | 2008-12-08 19:03 | Free TIBET | Comments(4)