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タンボチェ (エヴェレスト・トレッキング) : 大きなゴンパと或る山屋の青年
[ エヴェレスト方面略地図 ] [ 日程表 ]
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                                          アマ・ダブラム (ナムチェ先のトレイルから)


 馬蹄形をしたナムチェ・バザールの村から右側の山肌を登って尾根に出ると、一気に展望が開ける。深いドゥド・コシ渓谷の対岸正面にタムセルク (6623m) が迫り、右手にはクスム・カン (6367m) が白く輝く。振り返ればヌプラ (5885m) とコンデ・リ (6011m) の威容だ。ここから比較平坦な山腹道を進む。右手はドゥド・コシの断崖だ。左に巻き込むように歩くと、大きなマニ石の向こうに待望のアマ・ダブラム (6812m) が美しい姿を現す。クーンブ山群を象徴するその神々しい山容に見とれながら尚も左に巻くと、それは唐突に左の視界に入ってくる。エヴェレスト (8848m) だ。ローツェ (8516m) の屏風のような壁の上に、イエロー・バンドから上の山頂部だけを覗かせている。それにしてもローツェのピークからヌプツェ (7855m) へと続くローツェ南壁の巨大さは圧巻だ。更に左手の前衛峰の向こうにはタウツェ (6501m) も顔を出している。このタウツェという山はこの先を進むにつれどんどん山容を変化させ、今は奥に見えない隣のチョラツェ (6440m) とともに独特な威容を見せてくれる筈だ。


ヌプラとコンデ・リ                                     タウツェからアマ・ダブラムまでの景観
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                     アマ・ダブラム (右) とローツェ南壁から覗くエヴェレスト
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 この先路は谷へと下り、トレイル上に土産物屋の露天が並ぶサナサで二股に分かれる。左に進めばドゥド・コシ沿いにタウツェの西 (左手) を抜けて、エヴェレストの遠望と美しいポカリ (湖の意) で有名なゴーキョ・ピークへ到る。一方、右は支流のイムジャ・コーラで、アマ・ダブラムを通り過ぎ翌日到着するディンボチェの集落から東に進行方向を変え、ローツェ南壁直下を谷の行き詰まりであるイムジャ・ツェ (アイランド・ピーク)・ベースキャンプ (別名 パレシャヤ・ギャブ) まで続く。決壊が危惧される有名なイムジャ氷河湖のある場所だ。更にディンボチェの下のペリチェ村から反対にローツェ南壁の左端であるヌプツェを回り込むように進めば、エヴェレストの最高の展望台であるカラ・パタールベースキャンプだ。


谷に下るトレイル                                         タウツェを背景にしたポルツェ村
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 サナサの先でドゥド・コシを左岸 (進行方向右) に渡るとプンギ・テンガの集落。ドゥド・コシはこの直ぐ先でイムジャ・コーラを分ける。2つの谷に挟まれた山肌の棚地に、タウツェを背景にしたポルツェ村が見える。この村には後に、イムジャ・コーラ流域からドゥド・コシ流域にトラバースする時に宿泊することになる。さて、プンギ・テンガから標高差600mの厳しい急勾配を登りきればタンボチェだ。


アマ・ダブラムとタンボチェ・ゴンパ                                             カンテガ
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 登り切ると広場に成っていてそこが村のほぼ全てなのだが、標高3867mの丘の上にあるタンボチェはエヴェレストの遠望地として知られ、ここを目的としてトレッキングする人も多い。村の背後にはタムセルク (6623m) とカンテガ (6779m) の岩塊が圧し掛かるように迫っている。この村から見るカンテガはあまりに美しい。集落自体は非常に小さなものだが、大きなゴンパ (チベット仏教僧院) があることで有名だ。古い本の表紙にこのゴンパの写真が使われていたのを見たことがある。背景に迫るアマ・ダブラムの迫力に圧倒されて憧憬れていたのだが、1934年に再建されたその建物は89年に消失してしまった。1999年に僕が見ることができたのは95年に再建されたものだ。尚、この村の名称に関しては “タンポチェ” という記載も見掛ける。“bo” と “po” の違いだが、この手の英語表記の違いはチベット関係では良くあることで、おそらくどちらかが間違っているという訳ではないのだろう。


薪を運ぶ小坊主                                                     勤行する僧侶
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 ナムチェからタンボチェまで僕の場合で4時間10分、宿で昼食を取った後に広場で山の景色を眺めていると、僕より幾つか若い青年を伴った一組の高齢な夫婦が登ってきた。50歳代から60歳というところだろうか。聞けばこの登りだけで4時間掛かったという。ガイドブックやトレッキング案内書では概ねナムチェから5時間から5時間半でそのうちこの登りに2時間半とあるが、日本での日常の生活からやって来たその年代の普通の人達には、その位の時間が掛かってもおかしくはないきつい登りなのだ。
 その夜、ロッジで食事をしながら彼らと話をすることになったのだが、夫婦はこの前の年にエヴェレスト登山での遭難で息子を亡くしたのだそうだ。青年は息子の山仲間で、どうしてもエヴェレストを見たいと言う夫婦を心配して同行したのだった。僕は彼と話しながら、視線の置き場所に少し戸惑っていた。彼の両手の何本かの指は失われていて、鼻の一部も欠けていたからだ。聞けばカンチェンジュンガ (8586m : 世界第3位峰) に登頂した時に凍傷でやられたのだという。しかし、そんな話をする彼はとても穏やかで謙虚な青年だった。


タンボチェ背後の斜面からのエヴェレスト山群                 夕景のタンボチェ(背後の斜面から俯瞰)
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 翌2000年、テレビ朝日で俳優の西田敏行氏が南米最高峰であるアンデス山脈のアコンカグア (6962m) に挑戦するという番組があった。登頂は果たされなったのだが、そのサポート・チームの一員に見覚えのある顔があった。タンボチェで会った青年だ。彼はプロだったのだ。奥田仁一 (まさかず)、調べてみると彼がカンチに登頂したのはタンポチェで会った実に前年で、帰路ビバークになり5名のうち2名が遭難、鼻と手の指の他に足の指も何本か失っている。前の年にそんなことがあったというのに、翌年には友人の両親のトレッキングをサポートしているということに、僕は驚いた。僕にとってはエヴェレスト・トレッキングだって一大事だったのだから。だが彼はそれに留まらず同じ年、チョー・オユー (8201m) に登頂したり
シシャパンマ (8046m) に挑戦したりしている。なんという人だ。僕は知りもしないでとんでもない人と話しをしていたのだ。僕には山屋という人種の気持ちは分からないが、とにかくその精神力は想像を絶する。彼も今では既に40代前半だろう。今も元気でヒマラヤに通っているのだろうか。


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                                         ゴンパから見たカンテガ (左) とタムセルク
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by meiguanxi | 2009-02-27 19:34 | ヒマラヤ・チベット | Comments(17)
ナムチェ・バザール (ネパール) : エヴェレスト・トレッキングの拠点
[ エヴェレスト方面略地図 ] [ 日程表 ]
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                                                              土曜定期市


 ドゥド・コシ (コシは川の意) の渓谷を登って来るとクンビラ (5761m) の山塊にぶつかり、上流は二股に分かれる。北東に向かうのがエヴェレスト方面に到るドゥド・コシ本流、北西に向かうのがターメを通って北上しチベット本土との交易路であるナンパ・ラ (ラは峠の意) へ到るボテ・コシ。正面のクンビラへの断崖を九十九折に標高差600m 登り切ると、そこがナムチェ・バザールだ。背後にはクンビラへの断崖が迫り、左右に聳える稜線は村を挟み込むようにしてそれぞれドゥド・コシとボテ・コシに迫り出している。標高3440m のナムチェは三方を山肌に囲まれたすり鉢状の棚地で、ボテ・コシに面した断崖だけが開けている。断崖の向こうには歩いて来た巨大なドゥド・コシの渓谷が真っ直ぐ伸びていて、左岸に聳えるクスム・カン (6367m) が印象的だ。


ナムチェを俯瞰する                                   ナムチェからドゥド・コシ下流を振り返る
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 小さな空港のあるルクラから歩いて2日、首都カトマンドゥからの自動車道路の終点であるジリからなら8日程の行程になる。この標高での600m 一気の登りはかなり辛いが、登り切れば食料品店や雑貨店、ロッジやレストラン、山用品店や土産物屋、喫茶店にケーキ屋まで立ち並ぶ町並みが迎えてくれる。小さな村だが外国人トレッカーや登山客で賑わう様は、これまで険しい峠や電気も無いような小さな村々を何日も歩いて来た目には、賑やかと言うよりむしろ華やかにさえ映る。僕が訪れたのは1999年早春だが、今ならインターネットも使えるようになっているのかもしれない。下から登ってきたトレッカー達は、例えルクラから2日しか歩いていないとしても、この村で連泊して高度順応するのが一般的だ。


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                                          ナムチェ・ゴンパ(背景はヌプラとコンデ・リ)


 毎週土曜日の午前中には傾斜地でハートと呼ばれる定期市が開かれ、沢山の人々でごった返す。周辺のシェルパ族たちにとっては生活物資を入手するために欠くことのできない市だ。売り手は低地から来たインド・ネパール系、国境を越えて来たチベット人と様々で、荒地の斜面いっぱいに広がった人々と溢れる色彩はまさにインドとチベットを繋ぐ交易の中心地としてのバザールの名躍如といった光景だ。実は僕がハートを見たのはこの後半月以上のトレッキングの後なのだが、写真に写った精悍な顔立ちをした男をこの翌日、ナムチェから3時間程のターメ村で再度見掛けることになる。彼は畑にテントを張っているところで、聞けばナンパ・ラを越えてチベットに帰る途中だと言う。標高5700m を上回る峠まで彼の足でも2・3日は掛るだろう。そこを越えて彼の村までは何日なのだろう。その間を、商品をテント・食料・燃料などと一緒に運んで来るのだ。帰路も売った金で買ったものを逆に持ち帰るのだろう。なかなか厳しい生活だ。因みにこのナンパ・ラは、2006年秋、越境亡命しようとした無抵抗のチベット人グループ70人に対して中国人民解放軍が発砲し少なくとも7名程が犠牲になったという映像が、外国の登山隊によって撮影された場所でもある。


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                             ハート (土曜定期市)

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 三方を山肌に囲まれたナムチェからの展望は南側だけで、深いボテ・コシの渓谷対岸に聳えるヌプラ (5885m) とコンデ・リ (6011m) の白い峰はナムチェを象徴する景観だ。ルクラで見た姿とは全く山容を異にしている。確かに反対側に来たのだ。民家は三方の斜面に広がっているから、郵便局に行くのもちょっとしたトレッキングのようだ。谷に向かって右側の稜線を登るとナムチェ・ゴンパがあり、その脇の細い路を北西に辿ればターメに到る。ゴンパから更に少し歩けばコンデ・リの先にテン・カン・ポチェ (6500m) まで見渡すことができる。


クスムカン                                                           タムセルク
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 北側の展望を臨むためにはこの反対側の稜線を登る。エヴェレスト方面へのルートだ。登り切ればドゥド・コシ対岸正面にタムセルク (6623m) が迫り、振り返れば馬蹄形のナムチェの村を俯瞰できる。少し先まで進めば、いよいよアマ・ダブラム (6812m) が姿を現す。クーンブ・ヒマールを象徴する名峰として名高いその姿の美しさには、まさに息を飲む思いだ。この先、路はエヴェレストの展望で有名なカラ・パタールエヴェレスト・ベースキャンプへの路と、優雅なチョー・オユー (8201m) とギャチュン・カン (7922m) の威容、そして美しい湖が印象的なゴーキョへの路とに分かれる。目指すエヴェレストの姿を目にするまでは、もうほんの一息だ (こちら)。


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                                               アマ・ダブラムとトレイル脇のマニ石
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by meiguanxi | 2009-02-20 23:39 | ヒマラヤ・チベット | Comments(2)
ルクラからナムチェ・バザールへ : エヴェレスト・トレッキングの序章
[ エヴェレスト方面略地図 ] [ 日程表 ]
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                                                      ドゥド・コシを渡る吊り橋


第1日目 9:10 Lukla ⇒ 13:50 Monjo (2840m)
第2日目 8:15 Monjo ⇒ 10:45 Namche Bazar (3440m)


 首都カトマンドゥから小型飛行機やヘリコプタで飛んだ場合、トレッキンのスタートはルクラになる。エヴェレスト方面への拠点となるナムチェ・バザールまでは2日の行程だ。ルクラ村の700m下の谷底にはドゥド・コシ (ドゥド川) が流れていて、上流は真っ直ぐ北に遡って大きな山塊に突き当たる。クンビラ (5761m) だ。目指すナムチェはこれを登る途中の棚地にある。
 ドゥド・コシの対岸上流奥にヌプラ (5885m) を見ながらルクラを歩き始める。この山をコンデ・リ (6011m) とする表記も見かけるが、あながち間違いではない。実は大きな一つの山の2つのピークがコンデ・リとヌプラで、ルクラからはこれらがほぼ重なって三角錐に見えるのだが、良く見ると右側に少しコンデ・リのピークが覗いている。
 空路ではなく、カトマンドゥからバスで10時間ほどのジリから陸路を歩いて来ると (参照)、6日目の終盤は沢の流れ落ちるスルケという集落からルクラまで500mのきつい登りになる。僕はルクラに立ち寄ったのだが、本来は谷のもっと下を歩いてスルーするのが本道だ。ルクラから歩き始めると緩い下りになり、140mほど下ったチョプルンという所で下流からの本道に合流する。ドゥド・コシ左岸 (進行方向右側) を進むと右手から谷が合流し、その奥にクスム・カン (6367m) を臨むことができる。
 初日の宿泊地にするトレッカーも多いパクディンマの村まで2時間ほど。だが遅い時間に歩き始めたのでなければ、長い吊り橋を対岸に渡って先に進みたい。このコースには目も眩めば足も竦む高く長い吊り橋が多い。やがて対岸にタムセルク (6623m) が見えてくる。左岸に渡り返せばチュモア、更に沢を越えて少し登ればモンジョ。ここまでルクラから3時間半から5時間ほどか。


チュモアにて
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                     マニ車を回す老婆
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 僕が宿泊したモンジョの宿は沢脇の傾斜した路にあり、まだ建設中だった。沢にせり出して建てられているので、柱に支えられた建物が宙に浮いた構造になっている。その建物の下に小屋があり、まあ、地下室と呼べば呼べなくもないのだが、ここがシャワーになっていて上のキッチンから水槽に溜められたお湯が流れる仕組みだ。もちろん鉄砲水だし湯量は少ないので寒いのだが、こんな場所でシャワーが使えるだけ有り難い。
 モンジョの村を散策しているとラマ (チベット仏教の僧侶) に声を掛けられる。言葉は通じないのだが、半ば強引に一軒の大きな民家に連れて行かれる。そこには沢山の村人達が集まっていて、なにやら法要のようなものが行われていた。チベット人の民家には立派な仏間や仏壇があるのが普通だが、もしかするとあれは村のゴンパ (チベット仏教の僧院) だったのだろうか。いずれにしても訳の分からないまま僕はそこでツァンパ (チベット人の主食で麦焦がしのような物) とバター茶、そしてチャン (大麦のどぶろく) をしこたま振舞われたのだった。酸味がありアルコール度数が低いこのチャンという飲み物は、ビール呑みである僕にとってはヒマラヤに於ける宝の水だ。


チュモア付近                                                ジョルサレ付近の吊り橋
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 谷は相変わらず深く険しいのだが、この辺りまで来るとドゥド・コシの流れはかなり小さくなる。モンジョを出て対岸に渡って少し登ると森林の中にジョルサレのチェック・ポスト。小さな小屋だがここがサガルマータ国立公園 (サガルマータはエヴェレストのネパール名) の事務所で、トレッキング・パーミットのチェックを受け入園料を支払うことになっている。僕の訪れた1999年には600ルピーだったが、今は1000ルピー位らしく、トレッキング・パーミットは必要なくなったらしい。


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                        木陰から覗くローツェ南壁とエヴェレスト
ヌプラ(左)とコンデリ                                                       ヌプラ
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 森林の中のアップ・ダウンの多い路を進むと、やがてドゥド・コシの谷はクンビラに到る山塊にぶつかり、左右に分かれる。右は北東のエヴェレスト方面へ伸びるドゥド・コシ本流、左は北西にターメを通ってチベットとの峠であるナンパ・ラ (ラは峠の意) へと続くボテ・コシだ。ナムチェへは正面の急峻な壁面を600mの登りだ。休憩する場所の無い標高差600mの九十九折は厳しい。いい加減にしてくれと言いたくなったころ、右手の松の間から初めてエヴェレスト山塊が見える。写真では背景が雲で分かり辛いのだが、巨大なローツェ (8516m) 南壁の上にエヴェレスト (8848m) のピークが僅かに覗いている。やがて視界が開けると右手背後にクスムカン、左手ボテ・コシ対岸にルクラで見た綺麗な三角錐とは全く山容を異にしたコンデ・リとヌプラが大きく迫ってくればナムチェ・バザールはもう直ぐそこだ。


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                                                               クスムカン
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by meiguanxi | 2009-02-17 19:42 | ヒマラヤ・チベット | Comments(10)
ルクラ (ネパール) : エヴェレスト山群の入り口
[ エヴェレスト方面略地図 ] [ 日程表 ]
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                                                  ヌプラを背景にしたルクラ空港


 ルクラはエヴェレストを含むクーンブ山群に向かう多くの人にとって入り口となる村だ。登山パーティにしろトレッカーにしろ、首都カトマンドゥから空路でエヴェレスト方面を目指す人々はこの村の空港に降り立つことになる。小型飛行機やヘリコプタで40分ほど。ヌプラ (5885m) がその美しい姿で迎えてくれる。陸路の場合にはカトマンドゥからお世辞にも立派とは言い難いバスで10時間前後のジリという村から歩くこと6日程度 (トレッキングの様子はこちら)。


ルクラの町並み                                                        宿の厨房
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 村はドゥド・コシ (コシは川の意) が流れる大きな谷の断崖の上の棚地に造られている。メイン・ストリートの両側に集落が並ぶだけの小さな村だが、ロッジやレストラン、土産物屋や山用品店などには不自由しない。ポーターを必要とするトレッカーはカトマンドゥの旅行代理店で雇うか、或いはここで雇うことになる。因みに僕の場合、カトマンドゥから一緒だったポーターとはここで別れ、新たに雇った別のポーターとこの先を目指した。ちなみに料金はここまでが1日8ドルとポーターの帰路用飛行機代1500ルピー (当時、1ルピーが1.7円位)。ただしこの航空運賃はローカル・プライスで、我々が乗る場合には83ドル。ネパーリーの彼が僕の為に見付けて来てくれたシェルパのポーターは1日6ドルだった。もちろん多くのトレッカーがポーター無しで歩いているし、ここから先は迷うようなコースでもない。ただ、季節やその年の状態にもよるだろうがゴラクシェプからエヴェレスト・ベースキャンプへの道は氷河上を歩くこともあるので、山岳経験の無い素人が単独で歩くことは必ずしも安全とは言えない。実際、僕がルクラで会った別々に来た日本人青年2人は、2人とも途中で諦めて引き返したそうだ。


子供達
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 ルクラの標高に関しては色々な記載があるが、これは村の何処の標高を採用しているかの違いだ。一番奥の山側に空港入り口があるのだが、滑走路はここから谷側に伸びていて、飛行機はその端から断崖に飛び出すようになっている。空港建物の位置で2840m位、断崖手前の滑走路の端ではおそらく2780mを切る。水平ではないのだ。誇張して言えばスキーのジャンプ台みたいなものだ。谷底の標高は2100m余りしかないので、標高差は実に700mにもなる。下流の村からルクラを目指して断崖に付けられた路を歩いている時に見たのだが、飛行機はその路の遥か下を飛んでいた。さて、谷に向かって斜めになった未舗装の滑走路をガタガタと走って飛び出した飛行機は、見送りの人々の視界から一瞬消える。飛び出した瞬間に一旦谷に吸い込まれるように高度を落とすのだ。つまり離陸するまえに谷に飛び出すというわけだ。しかもすぐ目の前には対岸の山が壁のように迫っている。それをかわすために上昇すると同時に大きく左に旋回する。見ているだけでも恐ろしい。2001年、大規模な改修工事が行われて漸く舗装されたようだが、多分、滑走路が長くなったわけではないだろうと思う。長くしようがないのだ。


帰路に乗ったヘリコプタ (左はヌンブル:6957m)                  ルクラ空港のチェックイン・カウンタ
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 3週間後、ここから飛行機に乗らなければならないことが憂鬱で仕方がなかったのだが、トレッキングを終えて戻って来てみるとロイヤル・ネパール航空 (2006年、“ロイヤル”は削除された) がストライキをやっていて、ルクラは足止めをくった旅行者達でごった返していた。食事をしに入ったある飯屋の親爺がヘリコプタの話を持ってくる。チャーター機の帰り便のパッセンジャーを探しているというのだ。僕は持っていたチケットをキャンセルすることにして喜んで飛びついた。足止めをくうこともなく、しかもあの飛行機に乗らなくて良いのだ。パイロットと助手席に地元の婦人、後部座席にトレッカー4人が肩をずらしながら詰め込まれるという小さなヘリだった。なにしろ沢山の人が順番待ちをしている状況なので、料金はオーストリア人2が各90ドル、たまたま同乗した日本人青年はドルと日本円で100ドル分支払ったらしい。さすが欧米人はしぶといと言うべきか。彼には言えなかったのだが、実は僕が払ったのは正規料金の83ドルだった。
 ルクラはドゥド・コシの左岸にある。谷に向かって右側が上流だ。トレッキングの拠点となるナムチェ・バザールまでは地図上の直線距離で15kmにも満たないし、歩き通すなら7時間程度でしかないのだが、高度順応の為に2日の行程になる。
                                                (ナムチェ・バザールまでの様子はこちら


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                                  ルクラ空港の滑走路 (この後 2001年に舗装改修された)
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by meiguanxi | 2009-02-14 18:14 | ヒマラヤ・チベット | Comments(2)
ラムジュラ・バンジャンを越えて : エヴェレスト街道#2 (セテ~ルクラ)
[ エヴェレスト方面略地図 ] [ 日程表 ]
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                                                ラムジュラ・バンジャン(登りから)

前回の続き)

1999年2月25日 ~ 2月27日
第3日目 8:00 Sete ⇒ 15:50 Junbesi (2675m)
第4日目 8:20 Junbesi ⇒ 15:40 Manidingma(Nuntala)(2194m)
第5日目 8:00 Manidingma ⇒ 14:00 Buksa (2320m)
第6日目 8:00 Buksa ⇒ 15:10 Lukla (2804m)


シャクナゲの森を登り切った尾根上のバッティ                 山の食事はダル・バート(地元の人夫達)
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途中の村の子供達                                 下りからラムジュラ・バンジャンを振り返る
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 ジリから歩き始めて3日目、セテの村を出ると路はシャクナゲの森をさっそく登り始める。尾根に出たところにバッティ (茶屋兼簡易宿泊所) があり、ここで一息して尾根路を進む。やがてこの尾根から離れ左巻きにトラバースすると右に急峻な登り。森林を抜け荒涼とした風景の中をひたすら上り詰めると、ナムチェ・バザールまでのコースでは標高点である標高3530m のラムジュラ・バンジャンという峠。峠の上には無数の祈りの旗タルチョがはためいていて、チベット文化圏であることを実感する。ちなみに “ラ” はこのブログのお馴染みさんならご存知の通りチベット語 (ここではその支族のシェルパ語) で峠の意味。“パンジャン” は・・・そう、ご想像の通りネパール語で峠。なのでこれを “ラムムラ・バンジャン峠” と表記してしまうと大変な重複表現になってしまうのだが、“ラムジュ峠” では認識度があまりに低いので困ってしまう。


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                                ラムジュラ・バンジャンへの登りで擦違った馬のキャラバン


 ここを左側に回り込むように下ると、ジュンベシというシェルパ族の村。このコース最大のゴンパがある民家が50戸ほどの大きな村なので、ルクラまでの間に停滞日を設けるならここが良いだろう。ゴンパに寄ってみると子供達に捕まる。僧侶に頼まれて暫し英語の授業になってしまう。ネパール語が分からない僕の授業を一生懸命に聞くのだから、こういう地域の子供達の語学に関する積極性は凄いものだ。蛇足ながら、僕は人に教えられるほどの英語力は持っていないのだが・・・
 この日の宿は50ルピー(この当時で1ルピーが1.7円程度)。概してネパール・トレッキングに於ける宿代は安い。ただし飲食費には外国人料金が設定されていて高い。ジリで35ルピーだった ダル・バート・タルカリ (白米、豆のスープ、カレー風味のじゃが芋や菜っ葉が一口、ピクルス程度の定食) がこの辺りで80ルピー、フライド・ライスで100ルピー。この先ではフライド・ライスは150ルピー位まで高くなる。これは公式に決められた料金なので、ぼるとか値切るとかいう類のものではない。


ジュンベシのゴンパ                                                  洗物をする少女
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 さて宿代だが、安いとはいえ10ルピーだった日もあるのだから、決してこの地域としては安いわけではない。ナムチェ・バザールのそれなりに綺麗な宿と同じくらいだ。確かに非常に綺麗な宿で、ダイニング兼リビングの居心地も良かった。何故か 『季刊民族学』 という日本の雑誌が一冊あったので開いてみると、ジュンベシの特集記事が載っていた。
 記事はその宿の親爺に寄り添って書かれたもので、学校教育制度とトレッキングによって伝統が変貌していく様を取材したものだった。そんなことから彼の身の上話を聞くことになったのだが、幼少の頃に父を亡くし、続いて母が駆け落ちをしてしまったという。青年になった彼は恋をした女性を追ってカトマンドゥに行き、その後、キッチン・ボーイから初めてトレッキング・ガイドになり、貯めた金でこのゲスト・ハウスを建てて成功した。こんな山奥の自動車道路も電気も通っていない村の話としては、なかなかハードな人生だ。しかしそんな話をする彼の枯れた顔は、穏やかな微笑に包まれていた。


タクシンドゥ・ラ                                             マニディンマからのヒマール
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 脱線してしまった。先を急ごう。4日目は一旦谷に降りてから3071m のタクシンドゥ・ラという峠を越え、2194m のマニディンマまで下る。本当にアップ・ダウンのきついコースなのだ。ここで漸く行く手にドゥド・コシの渓谷とヒマラヤの高嶺が見える。深く巨大な渓谷だ。5日目にドゥド・コシを吊橋で対岸へ渡るのだが、川の標高は1600m 余り、登り返すブクサの村は2320m だ。ひたすら東を目指した路は、ここから大渓谷の山腹を北に向かうことになる。断崖に付けられた危うい路だ。6日目のことになるが、ルクラに向かう山腹路で飛行機の音を聞いたので見上げるが見付からない。どうも平衡感覚が少しおかしい。飛行機は歩いている山腹路の遥か数百メートル下を飛んでいたのだ。なんという渓谷だ。


ブクサ村にて                                                     魚を捕まえる女性
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by meiguanxi | 2009-02-12 21:46 | ヒマラヤ・チベット | Comments(0)
エヴェレスト街道トレッキング#1 (ジリ~セテ)
[ エヴェレスト方面略地図 ] [ 日程表 ]
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                                                    ジリの先で出会った子供達


 エヴェレスト (エベレスト) 街道と言えば一般的には飛行場のあるルクラからトレッキングの拠点となるナムチェ・バザールを経てカラパタールベース・キャンプゴーキョ・ピークなどを目指すトレッキング・コースを指すのだろうが、僕は自動車道路の終点であるジリからルクラまでを指してそう呼ぶことにしている。へそ曲がりなのだ。
 僕がこの地域を歩いたのは1999年2月23日から4週間ほどなのだが、その時には確かにトレッキング・パーミットという許可証が必要で、カトマンドゥ のイミグレーション・オフィスで長蛇の列に並んで取得したものだ。しかも前年までは旅行者街であるタメル地区にあったオフィスが、この年には郊外に引っ越していて、午前中に申請、午後にまた受け取りの為にリクシャーで出向かなければならなかった。このパーミットに関してはその年の夏には不要になり、更に2年後には復活。また無くなったと思っていたら数年前には認可された現地の旅行代理店で公式のガイドを雇わなければならなくなったとか、結局は機能していないとか色々と聞くのだが、実際のところを知らないので確かなことは分からない。とにかく僕の時には日程とコースとを申請して20ドルほどの料金を払ったのだ。尚、エヴェレスト方面へのトレッキングでは、ルクラの先、ナムチェ・バザールの手前のジョルザレというところのチェック・ポストで、サガルマータ (エヴェレストのネパール名) 国立公園への入域料として650ルピー(当時で1100円位)を支払う。今は1000ルピーくらいするらしい。
 ジリの村外れで自動車道路が途切れる所からコースに入っていくと、いきなり世界は変わる。ここから先、下界との交渉は徒歩と馬やロバが運ぶ物品だけだ。ロッジにシャワーは無いのが普通で、洗面器一杯のお湯で顔と手足を洗い、ついでに靴下も洗うなんてこともある。路は雨季に雨水が流れ落ちて削られた跡にも見えるような細く危う場所も多く、ひたすらうねうねと登り下りしている。西に向かうこのコースでは、エヴェレスト方面から南下するドゥド・コシの大渓谷に出会うまでの5日間、ヒマラヤの展望は臨めない。長く険しくきつい行程だが、時折出会う小さな集落で迎えてくれる子供達の笑顔が疲れた身体と心を癒してくれる。


1999年2月23日 ~ 2月24日
第1日目 8:00 Jiri (1905m)⇒ 16:20 Bhandar(Chyangma)(2195m)
第2日目 8:00 Bhandar ⇒ 15:00 Sete (2575m)



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(左) 第1日目、シバラヤ (1767m) からデオラリ (2740m)への登りから見下ろすキムティ・コーラの流れ
(右) 切り株に座る少女。背景は急峻な棚田


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(左) 1日目の宿泊地バンダル (シェルパ名:チャンマ) のチョルテン。カトマンドゥのボダナートなどと同じ形式
(右) 第2日目、バンダルからの登りで出会った家族とロバのキャラバン


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(左) 途中の村で会った幼児。顔と膝についた蠅も気にせず自家製のパンを食べている。逞しく育つに違いない
(右) 休憩をした途中の村のロッジ


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(左) バンダル (2195m) から一旦登って1634m の谷まで下り、更にセテ (2575m) まで登り返す
(右) 2日目の宿泊地セテの村にて。アルマイトの器を持った幼児

                                                            (第3日目以後に続く)
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by meiguanxi | 2009-02-10 19:16 | ヒマラヤ・チベット | Comments(2)
ジリ (ネパール) : エヴェレスト・トレッキングの始点
[ エヴェレスト方面略地図 ] [ 日程表 ]
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                                          メイン・ストリートの突き当りが道路の終点


 ネパールでエヴェレスト (エベレスト;チョモランマ) 方面のトレッキングをする場合、多くの人は首都カトマンドゥからルクラという村まで飛ぶのが通だが、陸路で向かう場合にはジリという村までバスで移動することになる。カトマンドゥからのバスは右側が3席、左が2席のそれぞれベンチシートで、控えめに言っても快適な旅とは程遠い。登り下りの険しい山道を11時間 (今では運が良ければ7時間で着くこともあるらしい)、ジリは未舗装の車道の終点の村だ。


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 ジリの村に入るとそれまでは細く危うかった道が広くなり舗装されている。真っ直ぐ伸びたこの広場のような道路の両側が集落で、宿や食料品店が並ぶ。インド・ネパール方面で言うところのバザールなのだが、それほどの賑わいは無い。この時は2月22日だったのだが、3月に入ればトレッカーで賑わうのだろうか。住民は仏教徒、ヒンドゥー教徒相半ばといったところのようだ。ここから奥、少なくともルクラ手前までの村々への物流はここが基点だ。短いメイン・ストリートが斜面に突き当たった所で道は終わる。そこから先は人と家畜だけが通れる山路が右側に続いている。物品はロバやヤクの背に乗せられて何日も先の村まで届けられるのだろう。



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 ジリの標高は1900mほど。カトマンドゥが1300m余りだから、11時間掛けて600mも登っていないことになる。実はここからのトレッキング行程自体が同じようなもので、登っては下るの繰り返しだ。西に向かうこの路がナムチェ・バザールに続くドゥド・コシの大渓谷に出会うまで5日、最高標高3530mを始めとした幾つもの峠を越えてひたすら歩くことになる。この間、ヒマラヤの景観は臨めない。ルクラまで6日、ナムチェ・バザールまでは停滞日を設けなくとも8日の行程になる。
                                                       (トレッキングの様子はこちら


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                                       バンコックからの機上からのクーンブ・ヒマール
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by meiguanxi | 2009-02-06 23:59 | ヒマラヤ・チベット | Comments(0)
アンタルヤとペルゲ遺跡 (トルコ) : なんだかなぁな日もある
[ 西アジア略地図 ]
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                                                        ペルゲ遺跡の劇場跡


    パレスチナ解放人民戦線の戦士・・・ではない。
    ムスリム (イスラム教徒) にこんな髪型の男はいない。
    ベカー高原で戦う往年の日本赤軍の青年・・・でもない。
    奥平剛士や岡本公三とは ひと世代違う。
    1989年1月、20年前の僕だ。
    何を考えたのか、1年間だけラモス・ルイな髪形をしていた。
    因みにこの時代、日本中の女の娘たちは一様にソバージュだった。
    バブル真っ只中だったが、日本の女の娘たちがワンレンに席捲されてしまう少し前だ。

    ペルゲ遺跡はトルコ南西部の地中海に面したアンタルヤ近郊の遺跡で
    この遺跡の町の起源は実に紀元前1200年にも遡るという。
    今残る遺跡群の多くは2・3世紀ローマ時代のものだ。
    写真は野外ローマ劇場の最上部から。

    アンタルヤはリゾートの町でもある。
    シリアとの国境にアンタクヤという似た名前の町があって旧名をアダナという。
    オトガル (バスターミナル) でどちらかの地名を告げると
    「アダナか?」 と確認されることがある。

    そもそもはこの町に立ち寄る予定は無く、
    この町の前に泊まっていたパムッカレの次はコンヤという町へ行く予定だったのだが
    パムッカレで知り合ったカナダ人のカップルに
    良い所らしいから一緒にと誘われたのだ。

    でも、確かにコンヤまで直接行くのは少し遠いとは言え、
    アベックにノコノコ付いて行ってしまったというのは、確かに間抜けである。
    町に着いてまで彼らと行動を共にする訳にもいかず・・・

    海沿いの道を歩いていると、恰幅の良い髭の男に声を掛けられる。
    レストランを経営しているとかで、是非にと誘われる。
    またノコノコと付いて行く。
    確かに〆たての魚のグリルはとても美味しかったし
    その大きさやからすれば安くしてくれたのだろう。
    800円位だったのかな?
    でも、その値段・・・1泊の僕の宿代より高い・・・

    ペルゲはドルムシュ (ミニ・バス) で30分くらい所にある。
    神殿跡や闘技場などの遺跡が広大な荒野に点在している。
    季節外れだし、さほど高名な観光地でも無いので
    誰も、居ない。
    古 (いにしえ) の町を独り占めと言えば素敵だが
    冷たい風が寂しい。

    上の写真は
    なんでリゾートなんかに来ちゃったかなぁ、と不貞腐れるの図なのだ。 


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                                                     アンタルヤの町と地中海
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by meiguanxi | 2009-02-05 23:59 | 絲綢之路Ⅲ[西亜] | Comments(4)