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ラムジュラ・バンジャンを越えて : エヴェレスト街道#2 (セテ~ルクラ)
[ エヴェレスト方面略地図 ] [ 日程表 ]
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                                                ラムジュラ・バンジャン(登りから)

前回の続き)

1999年2月25日 ~ 2月27日
第3日目 8:00 Sete ⇒ 15:50 Junbesi (2675m)
第4日目 8:20 Junbesi ⇒ 15:40 Manidingma(Nuntala)(2194m)
第5日目 8:00 Manidingma ⇒ 14:00 Buksa (2320m)
第6日目 8:00 Buksa ⇒ 15:10 Lukla (2804m)


シャクナゲの森を登り切った尾根上のバッティ                 山の食事はダル・バート(地元の人夫達)
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途中の村の子供達                                 下りからラムジュラ・バンジャンを振り返る
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 ジリから歩き始めて3日目、セテの村を出ると路はシャクナゲの森をさっそく登り始める。尾根に出たところにバッティ (茶屋兼簡易宿泊所) があり、ここで一息して尾根路を進む。やがてこの尾根から離れ左巻きにトラバースすると右に急峻な登り。森林を抜け荒涼とした風景の中をひたすら上り詰めると、ナムチェ・バザールまでのコースでは標高点である標高3530m のラムジュラ・バンジャンという峠。峠の上には無数の祈りの旗タルチョがはためいていて、チベット文化圏であることを実感する。ちなみに “ラ” はこのブログのお馴染みさんならご存知の通りチベット語 (ここではその支族のシェルパ語) で峠の意味。“パンジャン” は・・・そう、ご想像の通りネパール語で峠。なのでこれを “ラムムラ・バンジャン峠” と表記してしまうと大変な重複表現になってしまうのだが、“ラムジュ峠” では認識度があまりに低いので困ってしまう。


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                                ラムジュラ・バンジャンへの登りで擦違った馬のキャラバン


 ここを左側に回り込むように下ると、ジュンベシというシェルパ族の村。このコース最大のゴンパがある民家が50戸ほどの大きな村なので、ルクラまでの間に停滞日を設けるならここが良いだろう。ゴンパに寄ってみると子供達に捕まる。僧侶に頼まれて暫し英語の授業になってしまう。ネパール語が分からない僕の授業を一生懸命に聞くのだから、こういう地域の子供達の語学に関する積極性は凄いものだ。蛇足ながら、僕は人に教えられるほどの英語力は持っていないのだが・・・
 この日の宿は50ルピー(この当時で1ルピーが1.7円程度)。概してネパール・トレッキングに於ける宿代は安い。ただし飲食費には外国人料金が設定されていて高い。ジリで35ルピーだった ダル・バート・タルカリ (白米、豆のスープ、カレー風味のじゃが芋や菜っ葉が一口、ピクルス程度の定食) がこの辺りで80ルピー、フライド・ライスで100ルピー。この先ではフライド・ライスは150ルピー位まで高くなる。これは公式に決められた料金なので、ぼるとか値切るとかいう類のものではない。


ジュンベシのゴンパ                                                  洗物をする少女
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 さて宿代だが、安いとはいえ10ルピーだった日もあるのだから、決してこの地域としては安いわけではない。ナムチェ・バザールのそれなりに綺麗な宿と同じくらいだ。確かに非常に綺麗な宿で、ダイニング兼リビングの居心地も良かった。何故か 『季刊民族学』 という日本の雑誌が一冊あったので開いてみると、ジュンベシの特集記事が載っていた。
 記事はその宿の親爺に寄り添って書かれたもので、学校教育制度とトレッキングによって伝統が変貌していく様を取材したものだった。そんなことから彼の身の上話を聞くことになったのだが、幼少の頃に父を亡くし、続いて母が駆け落ちをしてしまったという。青年になった彼は恋をした女性を追ってカトマンドゥに行き、その後、キッチン・ボーイから初めてトレッキング・ガイドになり、貯めた金でこのゲスト・ハウスを建てて成功した。こんな山奥の自動車道路も電気も通っていない村の話としては、なかなかハードな人生だ。しかしそんな話をする彼の枯れた顔は、穏やかな微笑に包まれていた。


タクシンドゥ・ラ                                             マニディンマからのヒマール
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 脱線してしまった。先を急ごう。4日目は一旦谷に降りてから3071m のタクシンドゥ・ラという峠を越え、2194m のマニディンマまで下る。本当にアップ・ダウンのきついコースなのだ。ここで漸く行く手にドゥド・コシの渓谷とヒマラヤの高嶺が見える。深く巨大な渓谷だ。5日目にドゥド・コシを吊橋で対岸へ渡るのだが、川の標高は1600m 余り、登り返すブクサの村は2320m だ。ひたすら東を目指した路は、ここから大渓谷の山腹を北に向かうことになる。断崖に付けられた危うい路だ。6日目のことになるが、ルクラに向かう山腹路で飛行機の音を聞いたので見上げるが見付からない。どうも平衡感覚が少しおかしい。飛行機は歩いている山腹路の遥か数百メートル下を飛んでいたのだ。なんという渓谷だ。


ブクサ村にて                                                     魚を捕まえる女性
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by meiguanxi | 2009-02-12 21:46 | ヒマラヤ・チベット | Comments(0)
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