[ 北部ラオ周辺略地図 ]
ラオス北部のルアンナムターは中国雲南省・磨憨 (モーハン) との国境を越えたボーテンから西へバスで 2時間少しの位置だ。この道を更に西に10時間から12時間ほど進んだフェイサイからメコンを渡ればタイのチェンコン。いや、これは2000年当時の話で、2008年に南北経済回廊と呼ばれる雲南省昆明から磨憨/ボーテンを通ってフェイサイに到るハイウェイが完成した筈だから、時間は圧倒的に短縮されたのだと思う。ちなみに2011年にはフェイサイとメコン対岸タイ側のチェンコンとの間に橋が架かるのだそうだ。 僕はこの辺りを二度訪れているが、初めてここを訪れたのが1999年1月下旬。ボーテンからのオンボロ・バスが到着したルアンナムターのバス・ターミナルは数件の食品店謙飯屋があるだけのただの広い空き地だった。ネット上の写真を検索してみると、今はそれなりにターミナルらしくなったようだが、とにかく当時は決まった乗り場もなければ時刻表もチケット売り場も無かった。非常に閑散とはしていたが一応は町らしい所を通過した先だったので、もしかしたらここがルアンナムターのバス・ストップかなと思って車窓から顔を突き出して見回した。この時、たまたま多国籍の北京の留学生 6人が同乗していたのだが、彼らは目的地に着いたのかもしれないという発想さえしなかったほどだ。日本人カップル、ルーマニア人カップル、韓国人の男子、インド人の女子という構成の彼ら留学生集団とは国境でバスを待っていた時に知り合ったのだが、冬休みを利用してバンコックまで旅行する途中なのだそうだ。ラオの事情に関しては殆ど情報を持っていなかった彼らは、取り合えず僕と同じ所に行ってみることに決めた。僕が誘った訳ではない。リーダー的存在らしいインド人の女の娘が僕と話していてそう決めてしまったのだ。 込み合う出入り口を避け、僕はバスを小さな窓から飛び出した。荷台に大勢の人達を満載したトラックが動き出すのが見えたからだ。駆け寄って運転手に行き先を確認する。もちろん言葉は通じないので地名を連呼するだけだ。バスに戻って窓から留学生達に知らせる。一人インド人の女の娘だけが慌てだしたのだが、他の人達は反応が無い。他の乗客たちもざわざわと降りだしているというのに、日本人の二人に到っては殆ど意識が無いのかと思うほどだった。どちらかと言うと うんざりしていたのかもしれない。インド人の彼女を除いて、雲南省の田舎やラオを旅するには向かない人達のようだった。とにかくトラックを待たせているので急いでバスの屋根に上って、客達の荷物を降ろす運転手と一緒に彼らと自分のバックパックを下ろす。留学生達はもちろん登って来ない。やれやれ。 両側に狭いベンチ・シートが設え付けられたトラックの荷台は、沢山のおばちゃんやおじちゃん達と彼らの膨大な荷物とで足の踏み場も無い。ご免なさいね、と言いながら笑顔で愛想を振り撒く。日本でならとっても出来ない苦手な部類の作業だ。だがなにしろ待たせた上に込んだ車内に余所者が 7人も乗り込むのだ。おばちゃん達は笑顔で何が大声で喋りながら席を詰めてくれる。友好的な人々であるようだ。椅子にあぶれた人は通路の荷物の間に、或いはそれらの上に座るしかない。僕は狭い椅子の一番後ろに座っていたので、幌のパイプとか椅子の下とかにしっかりと掴まっていなければ振り落とされそうだった。トラックは未舗装の山道をうねうねと登って行く。 ムアンシンから山への路 町外れの赤土の路 60km の道程を 2時間、ムアンシンは到って素朴な田舎だ。2階建てを越える建物は無く、メイン・ストリートさえ舗装されていない。町というよりは村なのだが、メイン・ストリートの中ほどにある壁の無い壊れた体育館のような建物の前の狭い空き地にトラックは停まった。その建物が市場で、駐車場の脇では何人かのおばちゃんたちが露天を開いている。僅かな野菜とか果物とかだ。 留学生達が近くの何軒かのゲストハウスを回って部屋をチェックしている間に、市場の裏に宿を取った僕はさっそく町に飛び出した。トラックが着いたその瞬間に既にここが気に入ってしまったのだ。木造家屋が並ぶ静かでのんびりした通り。周りは畑と木立。遠くに緑の山並みが見渡せる。埃っぽい道端で年端もいかない少女達が屋台を出している。いや屋台と言うほどのものではなく、小さな蜜柑箱のような低い木製の台と椅子だけの露天だ。焼き鳥やホーローの中国製洗面器に入れた焼きそばのようなもの。たぶん米粉で作った麺だ。なかには蛙を焼いている少女もいる。腹はすいていなかったが焼きそばの屋台の椅子に座って注文する。風呂の椅子のような低い椅子だ。あの留学生達はインド人の彼女を除いて、バイクが通る度に土埃の舞うこの屋台で焼きそばを食べるなんてできないんだろうなと思う。食べてみればもっと自由になれるのに。 何処からどのようにでもメイン・ストリートを外れれば既にそこは郊外だ。赤土の道を暫く歩いて行くと、畑と林に囲まれた藁葺き屋根の小さな集落があった。立派な高床式家屋の前では女達が火を熾していたり男達が水浴びをしていたり、子供達が走り回ったりしている。木立の向こうに夕陽が沈んでいく。それはあまりに大きくあまりに赤い。そんな美しい夕陽を見て佇んでいる僕に、村の人達はあくまで優しかった。ここでは英語はあまり役に立たない。英語で数を数えることのできる人も殆どいない。勿論それでもなんとかなる。ここの人々は言葉が通じなくともなんとか自分の意思を伝えようと努力するし、相手の言うことを理解しようと努める。トラックのおばちゃん達の笑顔もそうだが、特に中国から来るとその笑顔が心に染み渡るように感じる。 朝7時、漸く明るくなり始めたばかりの市場は既に盛況だ。ここでは毎日、朝市が開かれる。簡素な大きな建物の中には幅一畳ほどの店が並び、木製の台に並べられた日用品や衣類や菓子などの商品に人々が群がっている。市場の周囲には周辺からやって来た少数民族たちの露天が並ぶ。野菜や肉などの生鮮食品だ。麺などの屋台も出ている。彼女達は夜明け前から或いはトラクターに乗り合わせて、或いは何キロもの道を歩いて集まって来るのだ。ラオの人々の他に、貝殻やコインをジャラジャラと装飾した頭飾りと刺繍入りの脛当てが特徴的なアカ族、地味な藍染の着物を着たモン族、藍の大きなターバンのような被り物とふさふさした真っ赤な太い襟飾りが目立つヤオ族。賑わう市を包む朝靄の向こうにぼんやりとした太陽が昇る。瑞々しい野菜の露が光る。人々が群がる屋台では肌寒い空気に麺の湯気が白く立ち昇る。ひとつひとつの光景が霧に霞み、あるいは早い朝の陽に照らされて実に美しい。毎日繰り返される朝の光景。一日の始まりを告げる日常的な光景だ。 朝市のアカ族 市場裏の様子 朝市の屋台 赤い襟飾りが印象的なヤオ族 市の終わりは早く、9時半には既に閑散とする。建物の中の店も殆どが閉めてしまう。後にはのんびりとした田舎の風景だけが残る。旅行者達は洗濯をしたり日記を書いたり本を読んだり、飯屋で誰かと話をしたり自転車で近郊の村を巡ったりして過ごす。この町から少数民族の村に行くのなら、どちらの方向でも良い。ちょっと頑張って自転車を走らせればアカやヤオ、モンなどの村を見付けられる。村々はいたって素朴だ。森の中の、土間に萱葺きの平屋が並ぶヤオ族の村。山の斜面を切り開いて高床式の大きな家屋が並ぶ集落はアカ族の村。道で擦れ違う人々はことごとく “サバイディ” と声を掛けてくる。ラオ語の挨拶だ。町から1時間ほど田園や林の凸凹の道を、途中の村々を見ながら自転車を転がすと、中国との国境に続くラオ側の小さな国境事務所に着く。我々はここから先に進むことはできない。中国側からは粗末な民族衣装を着た家族連れが砂糖黍を齧りながらてくてくとやって来る。国境というよりはただの山村の光景だ。彼らにはそもそも国境というものはあまり大きな意味を持たないものなのかもしれない。 少し残念なのは村の中で村人の写真を撮ろうとすると、必ずと言って良いほど金を要求されることだ。どんなに遠くから景色や家並みの一部としてでも彼女達にレンズが向けられると大騒ぎになる。彼女達が要求するのは我々からすれば僅かな額だ。1000ラオ・キップ、97年のアジア通貨危機の波を被っていた当時のラオでは25円にも満たない程度。けれど僕は出さない。当時の日記を見るとこんなことが書いてある。 金を要求されるとカメラを仕舞ってしまう。勿論、1000キップが惜しいわけでも、金を取られるのが嫌なわけもない。かと 言って甘やかすとかスレれさせるといかいった議論に全面的に同調する気持ちもない。我々は頼まれた訳でもないのに 他人の生活の領域に勝手にやって来て、庭先をうろうろして生活を覗き見している。おまけに写真まで撮ろうというのだ。 彼らだって金くらい要求して当然なのだ。だいたい、こういう言い分はヒューマンなように聞こえて、実は傲慢だったりもす る。地元の人々の地道な経済生活を破壊するという議論もあるかもしれない。けれど我々が観光なんかで訪れること 自体が、既に彼らの伝統的で地道な生活の破壊なのだ。どちらにしてもこちらの勝手な思い込みであることに変わりは ないので、僕は声を大きくして何かを主張しようとは思わない。けれど、写真を撮るのに金を支払うのは嫌なのだ。善悪 ではなく、好悪の問題だ。同じ失礼に当たるのだとしても金を渡すことの失礼さの方が僕には胸が痛む、という僕の勝手 な理由だ。 アカ族の村の門 (魔よけの結界のようなもの) アカ族の家屋内部 ところで僕が訪れた時にはラオを自由に旅行できるようになってまださほどの時間は経っていなかった時期だが、既に旅行者達には大の人気だった。旅行者の訪れる町や周辺の村を取り巻く環境はきっと急速に変化していくことだろうと、その時に思ったものだ。そして今や、中国から人と資本が大量に流れ込んで来てもいるらしい。Google Earth で探してみると、森林の緑の中に区画整理された正方形のムアンシン村を見付けることができる。僕の知っているムアンシンはスクエアではなくメインストリートとその周辺だけの線でしかなかった。だから今行っても僕の知っているムアンシンは既にそこには無いのだろうと思う。もちろん経済発展も町の変化もそこに暮らす人々が豊かになることである限りにおいて、旅行者の感傷などの入り込むべき事象ではないし、彼らとともに喜ぶべきなのだろう。ただ、中国の資本が流れ込んだ結果の急激な経済発展は、それまで以上に彼らの生活が貨幣経済に飲み込まれることをも意味している。それがラオや周辺少数民族の暮らしをむしろ窮迫させる結果にもなるのだとしたら、少しの憂慮を表明しても失礼には当たらないだろう。杞憂ならそれに越したことはないのだが。
by meiguanxi
| 2009-03-18 23:05
| メコン流域
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Comments(6)
メインストリートに建ち並ぶ家の感じは09年の今も大きな変化はないかもしれませんが、何しろ完全舗装されましたので・・・。たしかに碁盤の目のような町でした。ナムターもそうでしたが。
写真ですね・・・・・・。これは本当に難しい。もともと人にカメラを向けるのが苦手なので、カメラを持たずに旅に出たこともあります。今のところいちばん楽なのは、市場でものを買って撮らせて貰うことですね。こちらの気持ちが一番伝わると思うんです。 でもこの当時のラオの山間部で、そんなに写真=お金、だったんですね、意外かも。開いてまだ5年弱ですよね、その間にあっという間にそうなったんですねぇ・・・。よほど勝手に撮られるのが嫌だったんだろうなぁ。我々旅行者のやることといったら・・・。罪深いですね。 あー、それにしても、この赤いボンボン襟のヤオ族に会いたかったですー、また行くぞ!
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meiguanxi at 2009-03-20 22:38
やっぱり Google Earth で見付けた碁盤の目は本当にムアンシンだったんですね・・・本文にも書きましたが、当時はこのメインストリートがほぼ唯一のまとまった通りだったので、スクエアとして広がっているムアンシンを想像できません・・・もう行かない方がいいかな^^A; 一番上の写真、ファインダーを覗いている場所の右側がバス停謙駐車場で、まあ、市場前の空き地なんです。ここがメインストリートの中心であり町の中心で、一番建物が建ってる場所でした。
赤いファーのヤオ族の支族名は不明なのですが、チェンライ辺りのヤオ族と同じでしょ?昔だけど僕、チェンライの町中(まちなか)で見ましたよ。
碁盤の目状に道があったことは事実なのですが、何と言うか、人口に見合った町の規模ではないと感じました。つまり、人家もメインストリート以外ではまばらだし、人も少ない、がらんとした町でした。これから発展することを見越してきちんと整備したのかな。
町は大きいと感じたけど、正直言ってゲストハウスや食堂はほんの一角に数軒固まっていただけで、「え、これだけ?」というのが印象でした。だからそれほどの劇的な変化ではないかも。また行ってくださいねーw あ、ヤオはさすがに今はチェンライでは滅多に見ないかな、昔チェンライ基点にバイクで回ったときに村を訪ねました。
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meiguanxi at 2009-03-21 19:09
そうですか~。空き地というか荒地は幾らでもあったからなぁ・・・そうだなぁ、ラオス政府としても周辺の村の少数民族を町に集めて発展謙同化を進めたいってことなのでしょうか。中国人が植民されてくるとしたらぞっとしますけどね;;
ヤマネさんの、バイクに乗った町角の写真を見ると、15年くらい前のチェンライをもっと閑散とさせたような印象を受けましたw あ、僕が行った時には食堂、というか飯屋はおよそ2軒でしたよ。毎晩遅くまでファランがビア・ラオ飲んでました。あ・・・はい、僕もでした^^A;;
アカ族の結界、今もこの形のまま残っていましたよ(笑)
遮断機はなくなっていましたが・・・
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meiguanxi at 2009-06-07 01:11
はじめまして
そうですかぁ、もう10年前なんですけどね・・・まあ、ああいう物は本来、何十年も作り替えない物なのだろうから残ってるのが当然なのかもしれませんね。でも、この間のムアンシン周辺の変化を考えると、奇跡と言った方がいいのかな・・・
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by meiguanxi
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