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西安 (xi’an 陝西省) : 旅行者にとっての中国鉄道
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                                                         明代の鼓楼と街並み


 陝西省 (shanxi) 西安 (xi’an)、言わずと知れた唐代の都、長安 (chang’an) だ。有名な観光都市ではあるが、僕が訪れた1990年当時、旅行者たちに於けるこの街の評判はあまり良くなった。誇りっぽいのがその最大の理由であったように思う。なにしろ黄土高原南端に位置する街だし、その向こうにはゴビ砂漠が広がっているのだ。中国を旅していると喉を壊すことが多いが、特に西部では少なからぬ旅行者が気管支炎や肺炎に苦しめられていた。だが僕のこの街の印象は悪くない。文化大革命で多くの文化財が破壊されていた中国にあって西安には比較的多くの歴史遺産が残されていたし、なにより乾燥した気候と土埃に霞む街は西域への憧憬をくすぐった。
 さて、しかし今回の話はちっとも西安の街については触れられない。掲載した写真は内容と全く関しないことになるのだが、勘弁して貰いたい。


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                                                       鼓楼から見下ろした街角


 そんな訳で今回は中国鉄道旅行に関する話だ。2007年にNHKで放送された 『関口知宏の中国鉄道大紀行』 をご覧になっていた方は多いと思うし、僕も楽しく観させてもらっていた。だがそれはそれとして、僕の知る限り中国鉄道の旅はそんなに生易しくはなかった。今では中国もバス・チケットでさえコンピュータが導入されているが、90年当時には飛行機ですら手書きの台帳で管理されていた。だから列車の途中駅では寝台の切符はまず取れなかったし、例え大きな駅でも割り当て分しか販売できなかった。例えば風光明媚な景勝地として有名な桂林 (guilin) で売られる雲南省昆明 (kunming) までの二等寝台切符は毎日6枚しか無かった。乗車券だけで乗り込んだ後に、席が空いていれば車掌から買うことはできたのだが、混んだ路線ではそれも難しかった。中国人は基本的に並ぶという習慣を持たないのだが、それでも切符を買うというような場合には仕方なく一応は並ぶ。駅員に叱られるからだ。だが横入りする者は後を絶たない。怖いので誰もそれには文句は言わないが、並んでいる人たちは横入りされないために前の人の背中にピッタリとくっ付いている。文字通り、ピッタリくっ付いて見も知らぬ他人の肩や腰を掴むのだ。窓口近くまで来ると札を握っ何人もの手が伸び、なんとか自分のものを係員に掴ませようとする。少しでもぼやぼやしたりしようものなら、すぐさま後の筈の人が窓口に自分の用件を告げようとする。この当時、中国で列車の切符を入手するためには時に修羅場を経験しなければならなかったのだ。因みに西安駅には外国人用窓口というものがあり、そこに行けば優先的に切符を買うことはできた。
 切符を買えてもまだ修羅場は終わらない。中国の駅には一等用とそれ以外の待合室があって、列車ごとにそこで待つようになっている。入線の時間になって駅員の指示があるまでホームに入れないのだ。面倒臭いシステムだと思ったのだが、小津安二郎の映画などを観ると昔の日本も同じようなことをしていたようだ。だが日本には無いだろう習慣として、駅員の指示があると乗客たちは指定席の有無に関わらず一斉に改札口に殺到する。大きな荷物だけでなく自分も窓から乗り込んだりする。とにかく席や荷物の置き場所の確保に必死なのだ。世間体も他人の迷惑もへったくれも無い。改札口には切符の確認をする職員の他に台の上に乗った女性職員がいて、殺到する人民たちを箒や棒切れで、「押すんじゃない!」とかなんとか怒鳴りながらバシバシ叩いている。人々は乗客という客でないはおろか、殆ど人間扱いされていないのだ。


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                                                              明代の鐘楼


 例えば昆明から成都までは1100km、その距離を24時間、成昆鉄道は横断山脈縁の険しい山岳地帯を走る。どうしても寝台が欲しいところだが、都合3回乗ったこの路線で硬臥 (yingwo : 二等寝台) のチケットが手に入ったのは1回だけだ。それもダフ屋から買った物だ。おそらく今でもあると思うのだが、当時の中国には列車チケットのダフ屋がいたのだ。それでなくとも需給バランスの取れていない切符数である上に、いや需要に供給が追いついていないからこそダフ屋が蔓延る訳だが、いずれにせよ更にダフ屋が、それもおそらくは駅員と繋がっているのだろうダフ屋が買い占めるのだからますます切符は取れない。だが、外国人旅行者にとっては便利な連中でもあったのだ。別の場所にも書いたが、当時の中国の列車には外国人料金が設定されていて、人民料金の1.75倍の料金を支払わなくてはならなかった。ダフ屋が扱っているのは当然ながら人民料金の切符で、それを正規の5割増から2倍程度で売る。従って外国人は正規に買うよりもダフ屋から買った方が安かったりする場合もあったのだ。
 硬臥が取れなかったその他の二回は二等自由席と軟臥 (ruanwo : 一等寝台) だ。この軟臥のチケットは飛行機と同じくらい高価なのだが、帰国間際だったので取れない硬臥を諦めて思い切ったのだ。二段ベッドが向かい合った4人部屋コンパートメントで、清潔な布団は気持ち良かったが、何処が一等なんだと思えなくも無い程度のものだ。しかし当時の中国において軟臥は天国だったと言って良い。なんといってもそこでは車掌に人間扱いを受けることができたのだから。車内は比較的清潔に保たれていたし、一車両に一人乗っている女性車掌は笑顔で接してくれた。これは中国では破格なことだったのだ。
 一方、硬臥はビニール張りシートの三段ベッドが向かい合わせに並んでいるオープン形式でコンパートメントにはなっていず、日中は下段を起こして座席にする。シーツと毛布は貸してくれたが、カーテンのような物は付いていない。奥の窓辺には小さな棚テーブルがあり、その下にポットが置いてある。丸い木片で栓をする質実剛健な魔法瓶だ。充分に快適ではあったのだ、難点は乗客たちが車内をこれでもかというくらいに汚すことだった。中国の列車には数両に一ヶ所、連結部にサモワールがある。いやそんな上品な代物ではなく、要は石炭をくべるタイプの無骨一辺倒な湯沸しストーブだ。しかしこれはとても有り難い物で、ここから魔法瓶や自分のカップに湯を汲めるのだ。ミネラル・ウォーターはまだあまり普及していなかったし、売っていても誰もそんな物は信用していなかった。人々は蓋と取っ手の付い中国的スタイルの陶器製湯飲み (マグカップ)や缶詰の空き瓶に直接茶葉を入れ、それに湯を注いでちびちにと飲んでいた。ちびちび飲んでは蓋をして、湯が無くなれば注ぎ足すのだ。問題はその湯をやたらとこぼすことだった。だから床はたいてい濡れていた。


大雁塔 (慈恩寺)                                                  小雁塔 (薦福寺)
西安 (xi’an 陝西省) : 旅行者にとっての中国鉄道_b0049671_1222632.jpg西安 (xi’an 陝西省) : 旅行者にとっての中国鉄道_b0049671_12253625.jpg



 だが床を汚す物は湯や茶だけではなかった。彼らは砂糖黍や瓜子 (guazi) を良く食べる。瓜子はグアヅといった発音なのだが、要するにカボチャやヒマワリの種だ。砂糖黍は5・60cmに切ったものや、一口サイズにした袋入りの物などが売られている。砂糖黍や種なのだから食べればカスが出る。瓜子の殻はともかく、砂糖黍は齧って口の中で噛んで甘い樹液を味わった後に残った繊維を出すのだが、彼らはこれをペッと床に吐き捨てるのだ。中国人が食事の際に骨などの食べられない物や要らない物を床に捨てるという話は別のところで書いたと思う。そしてこれが実に勘弁して欲しいところなのだが、彼らは所構わず痰を吐くのだ。そんな訳で床は概ねドロドロの様相を呈している。誰も文句は言わないし顔を顰めたりもしない。みんなそうするのが当たり前だからだ。時々車掌が手箒で床を掃きに来る。なにしろ腕の長さしかない箒なので、彼女達は掃きながらしゃがんで進んで行く。重労働だ。掃いた後にはビシャビシャに濡れたモップで床拭きを始めるのだが、乗客の足があろうと荷物があろうとお構い無しにひたすらに拭いて行く。なにしろ彼女達は常に不機嫌で居丈高なのだ。誰も文句は言わないし、むしろ逆に邪魔だとばかりに叱られる。車内販売のぶっ掛け飯を食べ終わり、発泡スチロールの入れ物をどうしたものかと窓テーブルに置いてた時に車掌が掃きにやって来た。彼女は僕の空箱を手に取ると、おもむろに窓を開けて外に放り出した。当然ながら掃き集められた一両分の大量のゴミは、乗降口から掃き捨てられるのだ。シルクロード方面を西に向かう列車の車窓には、荒涼とした土漠に無数の発泡スチロール容器が風に舞っていたものだ。そういえば当時は缶ビールというものが普及していずビールといえば瓶だったのだが、トンネルに入ると人民たちは空になったビール瓶を窓からトンネルの壁にぶつけては喜んでいた。いや、僕の乗った列車にたまたま変わった人いたのではない。中国で列車の旅をしたことのある人なら誰もが目にした光景だ。因みに昆明・成都間には427 ものトンネルがあるのだ。やれやれ。
                                    最悪なのは硬座 (yingzuo) の無座、二等席の指定無しだ。
                                   寝台ですら上のような状況なのだから、二等席は時に大変な混
大雁塔からの市街                       乱を呈する。席の無い多くの人々と沢山の荷物、ドロドロに汚れ
西安 (xi’an 陝西省) : 旅行者にとっての中国鉄道_b0049671_12294027.jpgた床、泣き叫ぶ子供、座席の下に潜り込んでその床で眠る者、怒鳴り合う人々…何年か前に硬座を取材したTV番組があったのだが (欄外追記)、そのたった一本の列車が始発駅から終着駅に着く2泊3日の間に、複数の死者と行方不明者、そして発狂者をだしたほどだった。僕は客室の端、連結部との境で不要に成った一枚地図を敷いた上にバックパックを置き、それを椅子代わりにして夜半まで過ごした。車両の反対側から幼子を抱いた母親が歩いて来た。僕の後ろの連結部にあるトイレに来たのだなと思った。ところが、僕の隣まで来た母親はおもむろに子供と一緒にしゃがんだのだ。中国の幼児用ズボンというは股が裂けている。そのまましゃがめば用が足せるようになっているのだ。傍目には微笑ましいし便利なのかもしれないが、衛生上はどうなのだろう。ともかくその子供はそこで小便を始めてしまった。僕は慌ててバックパックを抱え上げたが既に少し被害を被ってしまっていた。僕は呆然として、濡れてしまった地図を見下ろした。だが勿論、母親は謝るでもなく行ってしまう。回りの人たちも、まあそんなこともある程度にしか感じていないようで笑い合ったりしている。なんてこった。その後何時間も経ってようやく座ることができたのだが、3人掛けのシートに無理矢理4人目が強引に腰を押し付けて来るは、乗り込んで来た物売りを車掌が蹴散らした瞬間になんだか訳の分からない食べ物が飛んでくるはで大変な思いをしたものだ。窓に凭れてうとうとし始めた時、肩に冷たさを感じる。網棚に乗せた荷物から漬物か何かの辛油が滴っていた。それも大量にだ。着ていたジャケットには抜けない大きな油
                                   ジミができてしまったわけで、僕は当然その荷物の持ち主に抗議した。故郷に帰るか或いは休暇明けで隊に戻る途中かどちらかの人民解放軍兵士だった。僕の怒りに、まだ幼顔の彼は困り果てていた。怒りに任せた勢いで 「弁償しろ」 と言ったのだが、その言葉を発すると同時に後悔した。払える筈も無いのだ。彼の給料を聞いて僕は自己嫌悪に苛まれることになる。軍だから衣食住には困らないにしろ、確か数十元だったと記憶している。
 まったく西安の話に関係なくさんざん中国鉄道とその乗客である人民の悪口を書いてきたが、僕は必ずしも中国での列車旅が嫌いであるわけではない。実は同席になった中国人たちの中には友好的な人々も多かったし、食べ物や煙草をこれでもかというくらいに分けてくれたものだ。硬臥の通路には跳ね上げ式の補助椅子と狭い棚テーブルが備えられている。寝静まった硬臥の補助椅子に掛け、非常灯だけでビールを飲む時間が好きだった。煙草の煙の向こうの車窓は漆黒の闇で、時折、山村の儚気な灯りが過ぎて行く。旅人冥利に尽きる贅沢な時間だ。
 西安の西に宝鶏 (baoji) という駅がある。成都からの線路が南から合流する所だ。この年、陸路パキスタンに抜けて帰国しようと計画していたのだが、新疆ウイグル自治区で後にバリン郷事件と呼ばれる民族蜂起が起こり (参照)、カシュガルに行けなくなってしまった僕はウルムチから2泊3日、55時間掛けてこの駅に着いた。ここから更に12時間欠けて成都に向かうために、3時間後の列車を待つのだ。夕方だったし疲れてもいたので駅で休んでいると、一人の青年が英語で声を掛けてきた。鄧小平 (deng xiaoping) が死んだらもう一度民主化運動が復活して中国は変わる、、と彼は言った。この前年は天安門事件が起きた年だ。だがそんな彼でさえ、軍の戦車が学生達を轢きながら蹴散らしたという事実については知らなかった。それを伝えても、それはアメリカのTVが作った偽情報だと言って信じようとはしなかった。まだインターネットなど無かった時代だ。彼らの得ることができる情報は非常に限られていたのだ。この7年後、鄧小平は死亡した。しかし目覚しい経済発展が始まっていた中国で、民主化運動が再燃することはなかった。千載一遇のチャンスに乗り遅れないために躍起で、一人っ子政策の中で育ったインテリ層は民主化や貧困層のことを考える余裕は持ち合わせていないように見える。
 中国の列車は今では客室禁煙になった。連結部では吸うことができると聞いたが、その後はどうなったのだろう。上海 (shanhai) にはリニア・モーターカーが走り、やがて北京 (beijing) との間に高速鉄道が開通する。時代は、凡庸な僕の想像を遥かに超えて変貌していくようだ。

 追記注) 2009年4月20日にNHKで放送された 『春節列車』 ではありません。
       あれは随分とバージョンアップされた車両のようです。内部も余り汚れている様子が映っていませんでしたが、
       そういう点も変化したのか映さなかったのか分かりません。


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                                                       街を取り囲む城壁と濠
by meiguanxi | 2009-04-12 12:41 | 中国 | Comments(6)
Commented by yamane at 2009-04-12 21:15 x
大雁塔からの写真がいいですねー。あの頃の中国は、こんな風景だったんだ・・・(遠い目)。
私も西安は行きましたが、この塔には登りませんでした。郊外の遺跡をまわるツアーに参加したのは覚えているんですが。暑くてヘトヘトになりました。町角で売っていたよく熟したトマトが1キロ7角だったことと、自棄になってパンダアイスを買い食いしたことをよく覚えてます。88年です。
中国って、今も多少ましにはなったとはいえ、汚くてうるさくて頭にくることばかりの国なのに、どうしてまた行こうとしちゃうんだろう・・・w
連投すみません!
Commented by meiguanxi at 2009-04-13 00:02
その写真を自分で見て、萎えた心を立て直そうと高級ホテルでウエスタン・スタイルの朝食を、まあ、トーストと目玉焼きですね、高級ホテルのくせにコーヒーは勿論ネスカフェだったけど・・・食べた時に見下ろした成都の風景を思い出しました。ほんと、なんでもっと撮っておかなかったんだろ・・・
パンダアイスなんか食べたら肝炎になりますよ!って言われませんでした?^^ でもあれ、けっこう美味しかったですよね、バニラとチョコが良いバランスでw トマト1kgチー・マオ・・・10円位ってことか・・・そういうえばイー・マオ、リャン・マオで小母さんたちと闘いましたよね!
「汚くてうるさくて頭にくるばかりの国」・・・僕がどんなに言葉を尽くしてもこれだけで言い得てしまうのが;; そうですね、なんででしょうね、そのうえ今じゃ違うんだって分かっていても、また行こうとしちゃう・・・
♪欲しがるな けして欲しがるな 見果てぬものを♪
Commented by はぶ at 2009-04-14 22:50 x
私の初体験にして最もタフな硬座体験は88年洛陽ー西安でした。膝抱えてゴミ溜め痰壷通路に腰を下ろしていたんだけど、寒いから窓閉め切りで蒸した空気は汚れてるし、人は通るし、モップは来るし、そのうち異質な臭いに気がつけば、アメーバのように小便が接近、いや、一部到達…心は既に仮死状態でした。
Commented by りー at 2009-04-14 23:05 x
大雁塔も含めてさらに上空のgoogle earth視線で街を見てみました。ここにおじゃますると地図がどうしても見たくなりますんw それにしてもすごい体験ばかりで、更に凄いのはそれでもまた行きたいって思えちゃうところです。
更新いつも楽しみにしていますん♪     
Commented by meiguanxi at 2009-04-15 22:26
はぶさんもやられていたんですねww
インドでね、夜行の席が取れなくて、インド的なものに疲れきっていたのでバックパックに座ってパキスタン・ショール(アフガン・ショール)、毛布くらいの大きさのね、あれを頭から被ってたんです。外界を閉ざして引き篭もった訳w 見えないだけで状況は変わらないのだけど、楽だったぁ~。でも中国じゃねぇ・・・あのドロドロ状態でそんな物、出せないでしょ;; インドの方が比較対象にならないくらい美れいですよね。
Commented by meiguanxi at 2009-04-15 22:33
りーさん、そんな高い所からじゃ中国人民は見えませんよ!^^ どっぷり浸かって群集に揉まれないとww
ん~、そんなに凄い体験じゃないです。当時中国を旅した人はみんな経験してることで、ザンスカールで骨折して馬から落ちることに比べたら硬座無座なんか天国みたいなもんです^^ で、でも、もう流石に無座だけじゃなく硬座も避けたいけど^^A;;
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