[ カシミール・ラダック略地図 ] 2007年7月20日~
その1 その2 その3 その4 その5 その6の続き ひとつのゴンパと石窟を見るためにアルチからのミニ・バスを対岸のサスポルで途中下車し1泊、更に翌日はバスゴという小さな村で下りて岩山の上のゴンパを見学した後、何処かからやって来た大型バスに乗り込んでレーに辿り着いた。7月21日。22日振りのレーだ。足を傷めてから実に16日が経っていた。 病院で安心と今後の旅の方針のためにレン ニダプク(サスポル村の石窟) トゲンを撮ってもらう。だが、足首の骨は折れ ていたのだ。メインの骨ではなく、膝から伸びて足首で外踝(くるぶし)を形成する骨だ。折れていたのはその踝で、写真では少しずれているように見えた。医者は僕の足を石膏で固めたが、明日からは歩いても良いと言った。石膏さえ固まってしまえば問題無いということだ。ポプラの枝を杖にして石膏で固めた足を上げて片足だけで撥ねるように歩いていた僕に、ネット屋の青年が彼が嘗て腰を傷めた時に使った物だと言って松葉杖をくれた。 町でとある西洋人の男に声を掛けられた。彼とはアルチに向かう橋で会ったのだ。僕がそこで途中下車した時、彼はそこでバスかヒッチできる車を待っていた。僕のバスからはもう一人、途中のラマユル(僕がトレッキングを開始した村だ)から乗り込んで来た西欧人女性が降りていた。彼女は現地人のガイドを連れており、やはりそこで車を待つと言った。他にも何人か、現地の人達がそこにはいた。だが歩き出した僕を見て、彼等も歩き出した。もちろん怪我をしている僕はすぐに彼等に抜かれてしまう。やがて後ろから1台のトラックが来た。停めようと思ったのだが上手くいかない。前を歩いていたガイドを連れた西欧人女性も、その前を歩いていたこの西欧人男性も停められなかった。だが先頭を歩いていた僧侶が停めた。仏教徒の地域なのだ。後ろを歩いていた全員がトラックに向かって走り、全員が荷台に積まれた砂の上に乗り込んだ。走れない僕だけが取り残された。冷たい連中だなぁと僕は独り言を呟いたが、何故かそれで良いような気もした。この足を引き摺ってでもアルチに行くと決めたのは僕なのだ。幸い、その5分後に別のトラックに僕は拾われたのだったが。 そして彼とはアルチの村で少し話をし、更に バスゴ村のゴンパ 僕がサスポルで降りたバスで彼はレーに戻っ ていた。松葉杖を付き、足を石膏で固められた僕を見て彼は驚いた。「どうしたんだ?!」 「いやぁ、2週間前にリンシェットのゴンパの石段で滑ってね、足首を折っちゃったんだ。リンシェットは知ってる?」 彼は少し混乱しているようだった「ちょっと待って。2週間前って、それはどういう意味?」 僕は丁寧にことの次第を説明した。アルチで会った時、彼は僕が足を引き摺っている理由を訊かなかったのだ。僕も説明はしなかったし、アルチやラダックの話をするのにそんなことは必要ではなかった。彼はその時に僕の怪我に気付かず、助けになれなかったことを詫びた。仕方無いのだ。自分自身でさえ骨折を知らなかったのだから。 「あなたは強い人だ」と彼は言った。もちろん英語なのだが、その「you」は確かに「あなた」という響きだった。だが、僕は穴にでも入りたい気持ちだった。実はその言葉はカルシャのゴンパで、あのオランダ人夫婦の夫人(パドゥムでビールを呑んだ時にいたオランダ人だ)にも言われた言葉だった。大きく腫れ、内出血で変色した僕の足を見て彼女は、「赤や緑や紫や、物凄いカラフルな足ね」と笑った。祭りの始まりを待つゴンパの境内でのことだ。「そうだろ、まるで曼荼羅みたいだ」と僕は言った。彼女は面白そうに一頻り笑った後に言ったのだ、「あなたは強い人だわ」と。 レーでの話しに戻る。僕は西洋人青年に言った。「ねえ、僕はミスを犯しただけだよ。そして選択肢が無かっただけなんだ。僕はちっとも強くなんかないし、一人では何も出来なかったんだ」 そう、僕はあの時、一人では何もできなかったのだ。そしてトゥクテンたちに助けられて先に進むこと以外に選択肢が無かっただけなのだ。 1週間後、医者に言われたように再度病院に行ってみると、「何処に行っても構わないが、後2・3週間は石膏は外せない」と医者は言った。僕はお願いしてもう一度レントゲンを撮ってもらった。前の時には前方からの写真で骨折が分かったのだが、横からの写真では太いメインの骨が邪魔して良く分からなかった。写真が明る過ぎたのだ。ところが今回の写真で見ると、骨折部は上下だけではなく前後にもずれている。医者は「問題ない。良く成っている」と言った。 僕はそのままバス・スタントに向かった。勿論、彼とは違う感想を持ったからだ。レーからバスで2泊3日、デリーに早朝着いて宿を取り、そのままエア・インディアのオフィスに向かった。バンコックへの帰路はその日の便に変更できた。当日深夜、バンコックに到着。 帰国したのはレーで2度目のレントゲンを撮ってからちょうど1週間後だった。土曜日だったので週明けを待って病院へ。医師は手術するかどうか暫し悩み込んだ。骨折2週間以内だったら、或いは僕がもう少し若かったら確実に手術を勧めると医者は言った。足首の関節は凹凸の関係になっている。足の甲が凹で、これに凸である脚のメインの骨が嵌っているのだ。この凹の一部を成しているのが折れた外踝で、これが外側にずれてしまっているために結果的に関節が開いてしまっているというのだ。要するに凹の幅が広く成ってしまった訳だ。だが既に骨はほとんど固まってしまっていた。これから手術してもう一度骨を切り離し金属で止める場合、一応松葉杖が取れるまでに2ヶ月。既に骨折部を新しい骨が包み込んでいる状態では、骨盤から骨を移植する可能性も含めてどこまで元に戻せるか疑問が残るという。要するに自信が無いという訳だ。足専門の整形外科医がそういうのだから、確かに難しいのだろう。手術しなくとも東京で普通に生活する分には傍目にも分からないように回復するそうだ。ただ、ヒマラヤとかに行っちゃう人だというのが引っ掛かるんですよね、と医者は言った。 僕はアスリートではないし、若者でもない。2ヶ月を無駄にできるほど裕福でもない。将来的には関節の変形や関節炎を引き起こす可能性があるそうだが、取り合えず、このまま直してしまうことにする。やれやれ、だがきっと、それもそんなに遠くない時期に、僕はまたヒマラヤ地域に行くことになるのだろうと思うのだが。 レーでの僕はルーフトップ・レストランに毎晩 レーのメイン・バザールと王宮 通っていた。レー・ゴンパの隣の平屋の屋上 レストランで、レーのレストランにしては珍しくビールを大っぴらに呑むことができた。トレッキング出発前も帰ってきてからも、僕は毎晩ここでビールを2本呑むのが日課だった。1本100ルピー、約300円だ。インドでのビールは恐ろしく高い。しかもレーは何でも高いのだ。 最後の晩、何時ものようにビールを呑み月を眺めながら、僕はカルシャでの最後の晩のことを思い出していた。オランダ人婦人達が彼女達の食堂テント(豪勢なトレッキングではそういうものがあるのだ)から出て来て、「今日もヌードル?」と僕のコッヘルを覗き込んだ。その晩は最後のキャンプだったので、僕は豪勢な料理を作ったのだ。残っていた食用油をふんだんに使って、オニオン・フライとフレンチ・フライド・ポテトを作った。大蒜で玉葱を炒め、村で買ったトマトを入れて煮込みトマトソースを作り、その中に網で焼いた餅を入れスライス・チーズを乗せて煮込む。餅のピザ風煮込みだ。「まあ、美味しそうだこと!」と彼女達は大袈裟に驚いたが、彼女達は何時もかなり美味しそうな贅沢な食事をしていた。「さあXX」と彼女は僕の名前を呼んだ。「今日は最後のお祝いよ」と言って彼女達は僕にチョコレート・ケーキを差し出した。彼女達のトレッキングではこんなものまで出来てしまうのだ。 その夜、眠ろうとしていた僕のテントに彼女達が訪ねて来た。僕達は出会ってから今日までのことをひとしきり話した。「あなたの2度目のアクシデントの時、眠ろうとしても、もう心配で心配で、全然眠れなかったのよ」と彼女達は言った。あの落馬した日だ。その晩はキャンプ地が違ったのだ。「でもこうしてカルシャにまで来られて、本当に良かった」 いや、僕がこうしてここまで来られたのは、彼女達のお陰でもあるのだ。実際に彼女達が僕にしてくれたことは、或いはそんなに多くはないのかもしれない。しかしもしあの日、彼女たちに出会わなければ、そしてその後の路で彼女たちに力を貰わなければ、僕はカルシャに来て祭りを見ることはできなかったのではないかと思う。確かにあの状況では先に進むしか無かった。だからいずれにしてもパドゥムには着いただろう。だが、きっとその時には全ての気力を使い切っていたに違いない。病院に行き、或いはそのまま数万円の料金を支払ってジープでレーに戻ったのかもしれない。そしてこのトレッキングはただの失敗の苦く虚しい記憶になってしまったのかもしれない。「あなたたちに会えたことで、僕は心を強く保つことができたんです」と僕は言った。「でもね」と彼女達は言った。「タイミング良くあなたと出会えたことは、私たちにとってもラッキーだったのよ。それで凄く幸せな気持ちに成れたのだから」 そんなことを思い出しながらビールを飲んだ ルーフトップ・レストランからの王宮 レーでの最後の晩のレストランでの話しだ。 僕は少し感傷的になっていたのだろう。4人いるウエイターたちに僅かずつのチップを渡した。彼等は何時も僕を気遣ってくれたし、親切にしてくれたのだ。店を出ると、彼等は階下まで僕を追いかけて来た。彼等は幾度か階段の上り下りを手伝ってくれていたのだが、何回目かの時、一人の方が安全だと思うからと手助けを断っていたのだ。彼等は追いかけて来て、そこに整列して僕に挨拶した。そして僕にビールを1本手渡してくれた。僕が彼等に渡したチップは僅かな額でしかないし、ビールの1本は彼等にとってはきっと贅沢過ぎる飲み物である筈だ。「また来年!」と彼等は言った。もちろん来年は僕がここに来ないだろうことを、彼等も僕も知っている。だが僕は 「ああ、来年ね、maybe」と答えた。 ☆ 僕は敢えてこの文章の最後の部分の時間を前後させて書いた。一旦東京まで持って来てからカルシャの話を後ろに回した。勿論それはオランダ婦人達との出会いが僕にとってとても大きなことだったからからなのだが、本来ならこの最後の部分は馬方との別れを書くべき場所の筈だ。そうできなかったことは僕と彼にとってとても不幸なことなのかもしれない。だがひとつ断って置きたいのだが、彼は基本的には一生懸命に仕事をしてくれる、性格的にもイイ奴なのだ。おそらく、僕と出会ってしまったこと、僕が怪我をしてしまったことは、彼にとっても非常に不幸なできごとだったのだ。僕は彼のことをこの文書でヒールのように書いてしまったかもしれない。もしこの文章を読んで彼に良く無い印象を持った人がいるとしたら、それはこの文章を書いた僕の卑小さのためた。或いは逆に、彼への僕の態度や感情に美しくないものを感じた人がいるかもしれない。けれどそういう部分も書かなければあの日々の記録にはならないのだ。僕と別れた後、彼は西欧人とのトレッキングに出掛けた筈だ。それが彼にとって良い仕事であったのなら、と思わずにいられない。 最後に、心配をお掛けした皆さんにお詫びすると同時に、自分本位な長い文章に最後まで付き合ってくださった皆さんに心からお礼を申し上げたい。ありがとう。 (完)
by meiguanxi
| 2007-08-17 08:53
| Air Mail
|
Comments(27)
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ケロ
at 2007-08-18 00:14
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とりあえず、無事に帰ってきてたんですな
ある意味・・良い旅だったんでは?文章全部を読んでそう感じましたわ
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ぽきゅ
at 2007-08-18 05:15
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夜明け前に、大泣きしてしまった…。
脚は残念だったけど、生きて帰ってきてくれたこと 本当に嬉しくて(ノ_<。) これ読んでると、泣いたり笑ったり、安堵したり、ときにイライラしたり 忙しいんだよ、まったくw
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meiguanxi at 2007-08-18 13:38
▼ケロック、無事とは言い難いし、馬方さんにとってもそうだろうように“良い旅”とも言い難いけど、色々な意味で得るところの多かった旅だったと思う。原稿用紙にすると100枚近くに成っちゃったんだけど、全部読んでくれたんだぁ。ありがと。
▼ぽっきゅ、長いこと付き合ってますが、こんな素直なコメントを貰ったこと無いので戸惑っちゃいますw 猛暑で忙しくて体調でも崩してますか?ww 別所で貰ったコメに「落馬したときから、旅行の範疇を超えてる」とあったけど、確かにあの時からパドゥムまでは“旅”というよりは緊急移動だった訳で、自分でも“旅”どころの精神状態じゃなかったんだと思う。カルシャからの帰りに自分で軽トラを捕まえた時ようやく、「旅をしているんだ」って思い出したような気がします。
予定通りじゃなかったけど、でも、いい出逢いをしなさったじゃないですか。トレッキングだけじゃなく、ネット屋の兄ちゃんも、レストランのボーイたちもね。
それにメイさんは、やっぱり強い人ですよ。オレだったら馬方に当たり散らすし、たとえオランダ人100人と出逢っても金使ってレーに戻り、「死ぬなんて阿呆や」と大袈裟に負け惜しむ。んで後悔ぐちぐちと。。。 ま、よくぞご無事で帰ってこられたのだから、暫くは日本でおとなしくしていて下さい。貴殿のご無念は拙者が成り代わりチベットで果たしてしんぜよう。はっはっは、イェ〜イ!あ、ウルサい?
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himalaya3 at 2007-08-18 21:32
没関系さん、コメントでいい旅とは言い難いって書かれてるけど、いや、いい旅ですよ。そう思います、自分は。
いい紀行でした、すごくおもしろかったです、更新が楽しみでした。 私も旅をしていて言葉が通じないから、誤解するし、されるし、腹を立てるし、立てられるし、泣くし、泣かれるし。そのたびに胸が詰まります。でもどうにもできないから、さらに胸が詰まる・・・。 言葉できるようになろうと決意するけど、帰国すると忘れる(笑)。ダメだなぁ・・・。 また旅したくなっちゃいました。将来的にじゃなく、今、変形も炎症も起こしてるんですが、なんとかは死ななきゃ治らないとも言いますし・・・。あ、私のことですよ、あくまでも。
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meiguanxi at 2007-08-19 12:17
はぶさん、うん、この文書には登場しなかった人も含めて沢山の人達に良くしてもらったと思う。今回はほとんど日本語を話す機会が無かったのに、トレッキング期間以外でも毎日誰かと話をしていたなって。ええと、だからザンラでブチ切れちゃったのは、ある意味で八つ当たりでもあったんですよ。オランダ人100人には笑っちゃいました。でも、オランダで何かが起こったんじゃないかって思うくらい、オランダ人に会ったんですよ、本当に。
で、そんなことより! 行くんですか? 行っちゃうんですか? 本当に本当に行っちゃうんですか?!
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meiguanxi at 2007-08-19 12:27
himalaya3 こと ヤマネさん、「更新が楽しみ」という言葉に励まされて木に登っちゃいました(笑)
お会いしたことも無い僕ではありますが、保障します。あなたの病気は重症です。むしろ重篤です。 普通、その体調で行きませんからね、ゴーキョとかレンジョ・ラとか! あ、そうだ、これは何時言おうか、言って良いものかどうか、ずーと悩んでたんですが、ここで言っちゃいます。本文の下から2番目の写真とほぼ同じ場所で以前、写真を撮りましたよね?でも山渓さんは裏焼きしちゃいましたよね!^^
オホホホ、本人はそのつもりでございますが準備はまったくです。パスポートの申請から始めないといけませんし、なんせ正式に現職場を辞める事も決まってない状態です。急がないとベストシーズン逃しそうなので生来の暢気者も焦り気味でございます。
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lunablanca
at 2007-08-19 19:17
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短絡的な言い方だけど、私は旅が好きで、それは見た事もない美しい風景や私が影も形もなかった頃の歴史に触れる事は、言うまでもないのですが、日常の世界に戻っても時々ふと思い出すのは、間違って電車に乗ってしまった時、何度も乗り換えて元のルートに戻るべく、四苦八苦している私を助けてくれた電車の車掌さんの笑顔だったり、喉が渇いて立ち寄ったジューススタンドのおばちゃんとその孫と交わした会話だったりします。ひとりに成りたくて旅しているつもりだったのに、結局心に残っているのは、人だったりするんだな・・・と。そういう意味で、良い旅だったのかもしれないよね・・・。
ま、それでも今目の前に居たら、グー握ってますけどね。
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himalaya3 at 2007-08-19 21:23
yamaneです。exiteからログアウトできなくなっちゃいました・・・。で、名前を入れる欄がなくて、すみませんです。
昨夜は写真のコメントも入れるつもりでした。「レーもずいぶん賑やかになったんですねー」と。そんなこと言ってる場合じゃなかった。 今日まで40と数年生きてきて、気付かなかった・・・・・・。穴があったら入りたい。いえ、今から畑に穴掘って、今夜はそこで寝ます(笑)。バカバカバカ!(取り乱す) 悩ませてすみませんでした・・・。 では、穴掘りに行きます。スコップはどこだ?
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meiguanxi at 2007-08-20 14:05
▼はぶさん、あのですね、怪我して帰国したばっかりだというのに、「チベットに行く」なんて話を聞くと、どういった訳があるのかとかそういうことは別にして、どうしても羨ましくなっちゃうんですけど! はぶさんも出掛けちゃうと長そうだしなぁ…
▼るなっち、僕は間違って電車やバスに乗ったことなんてありませんwwwww 英語が得意な筈なのに以外とドジなんだねーw うん、アジアでもヨーロッパでも、例えば煙草屋のにいちゃんとか飯屋のおばちゃんとかね、人と触れ合ってるって感じがする。その点、日本では嫌な目に遭うことは少ないけど、どうも何かが違うんだなぁ。 ▼ヤマネさ~ん、もう穴からは出て来ましたかー! ご、ご存じなかった?^^A; それは余計なことを申しましたm(__)m 僕、意地悪だから言いたくて言いたくてこの2年半、ウズウズしてたんです(笑) にしても、何も生まれてからの年月を数えなくとも^^A;
>羨ましくなっちゃうんですけど!
はい、確信犯です。でもあまりやると罰があたりそうなので、そろそろお行儀よくします。
畑には出ましたが、考えてみたら穴が掘れる腰ではなく・・・。
穴すら掘れない私なんて、もう生きる資格がないっす・・・。 ええと、よく考えました。すると、おそらく気づいたことがあった、とも思えてきました。でも、その事実をそっくりまるごと忘れているなんて、どっちにしてもやはり、私は底なしのあほです・・・・・・。 ところで、MSRですが、私はラダックで完全に愛想が尽き、帰国後すぐにピーク1を買いました。白ガソリンとか日本の灯油が使えるならMSRでいいのですが、不確かな燃料であの管を通すのには無理があると思えてならず。私も管の中身が戻せず、3度ばかり発狂しました(笑)。で、ピーク1ですが、その後出番がないまま月日が流れ・・・・・・。
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meiguanxi at 2007-08-20 21:09
▼ヤマネさん、ex から脱出できたみたいで良かったです。
えーと、そのぉー、取り返しのつかない過去を穿り出しちゃったみたいで、申し訳無いです。(面白くて仕様が無いことを隠せないのは、未熟者ってことで^^) MSRの管を戻せなくなった時には、悲しくて悔しくて、地面に投げ付けたくなりました。思うのですが、ラダックやザンスカールの場合、現地でインディアン・ストーブを買って現地で処分して帰って来た方が良いのかなと、これから行く人には勧めたいです。
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meiguanxi at 2007-08-20 21:15
▼はぶさん がチベットでモモ(チベット餃子)の肉にあたりますように~ O(-人-)O
ヘン、行くもん、直ぐ行くもん! 東チベットに行くんだもんだ! lunablanca にパンチされる前に脱出するもん!…したい…も…ん…
足の具合はその後いかがですか?
その様子次第では私も るなっちの後ろにグーで並びますから! photo album開設の時に拝見したプロフに ”ザンスカールで馬に揺られてみたい”と書かれてあって、場所さえ知らなかった私はなぜか夢のような気持ちになったのを思い出していました。思い通りに手に入らない場所、それがザンスカールなのかもしれない・・・ それにしても 馬に揺られるって、あの文章見るたびに胸に痛みが・・・あ、足か・・え、腰?w
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meiguanxi at 2007-08-21 00:37
りーさん、ご心配お掛けしましたが、どうにか漸くギプスが取れそうです。ところで、「その様子次第では」って、ギプスが取れるのを待ってるって意味でしょうか?w もう少し付けておこうかな^^A;
あ、photo album のプロフ、書き直さないとダメですね。ああは書いてましたが、まさか本当に馬に揺られることになるとは思っていませんでした。でも、ザンスカールは兎も角、そこへの路は決して馬で移動するのに適した場所ではないということも知りました。 ザンスカール、結局いろいろと見逃してしまったので、また何時か機会があったらっていう想いが残る場所に成っちゃいましたね。
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baaba
at 2007-08-31 15:16
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ずっと前のところにコメント入れてしまったのでもう一度。六月半ば、インド行きの飛行機でちょっとお話し、レーのカフェと銀行でザンスカール出発の前日おしゃべりしたおばさんです。トルコから帰り多分この人だろうと開けてみたらえらい事になってたんですね。それでも少しでも見たいものを見に出かける、情熱というか、ご病気というか。人の事は言えないのです。いま私も足の小指を骨折していてそれでも先日蓼科を歩きました。どうぞ、お大事に。何時の日かザンスカールリベンジをはたされますよう。
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meiguanxi at 2007-09-01 12:18
baaba さん、前のコメントでは baba さんに成ってるんですけど、どっちで呼べば良いでしょう(笑) それにしても、もう少しいいハンドル・ネームは思い付かなかったんですか(大笑) 僕より10歳くらい上だったと思いますが、そうは思えないチャーミングで品の良い方だったと記憶してますよ。レーのオープンカフェのカウンターで、非常に丁寧な英語でドーナツを注文する一生懸命な姿を、とても好感を持って見ていました。
そうそう、えらい事になっちゃいました^^A; baaba さんと話をさせて貰っていた頃は元気だったんですけどね。あ、そうだ、ラマユルに移動した日、凄い荷物だったのでジープだったんですが、空港手前で僕のジープを西遊旅行の何台かのジープが追い越して行きました。あの日、天気が悪かったでしょ。baaba さんはスピティーからレーまでずっと良い天気だったって嬉しそうに話されていたでしょ? ところがあの日以来、僕の方はザンラまで3回も降られちゃいました。 病の件ですが、ここに遊びに来てくれる人の中には尋常で無い重症の方たちもいるので、僕は至って軽症な方です(笑) 足の小指は痛そうですね。お大事になさって下さい。また覗いて下さると嬉しいです。
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baaba
at 2007-09-01 13:27
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いいの、いいの、baabaで名実ともに、ばあばですから。過分なおほめの言葉に舞い上がりました。上品なんて言われたのは、生涯はじめて。ところでごらんになったのは、多分我々のバスです。レーまで晴天続きでしたと申し上げましたが、あの日レーは雨でした。ジェットエアーがデリーから来て着陸せず、一晩足止めさせられました。空港で隣にいたフランスの方は転職したばかりでその日に帰れないと、大変な事になってしまうとかで一緒にはらはらしましたが、結局翌日になりました。次の朝、帰れる事が決まった時は空港の待合室にいたジェットエアーの乗客は皆立ち上がって拍手です。インドの旅行というのは、いろいろな意味でどきどきですね。でも今一番行きたい国です。又のぞきに来ます。コメントされる方々とのやりとりも面白そうなので。
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meiguanxi at 2007-09-01 15:59
そうでしたか。あの程度の小雨でも、あのような立地ではやはり降りられないんですね。こんな場所には一人では来られないと仰ってたのに、嵌っちゃいましたか、インド?(笑) baaba さんの今回の旅はインドといっても殆どチベット文化圏だった訳ですが、今度はインド的インドかな?
ところで、僕は今回、怪我の為にスピーティに行けなかったので、前回見なかったダンカル・ゴンパとラルン・ゴンパ、それにナコはまた御預けになってしまい、ザンスカールもですが、また何年か後に行くことになるのかなぁ・・
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baaba
at 2007-10-03 19:42
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お久しぶりです。先日NHKBSでオランダかイギリスで制作されたザンスカールの娘たちと言う番組をみました。すごいところですね。ところで足いかがですか。私の足の小指の骨折もよる年なみのせいでなかなか完治しません。これで9日から今度は個人旅行でカナダです。あの時もうこんな生活やめるのと旅行ばかりの生活を反省したのに、人の病こうもうをどの口でいう、と言う感じですね。またまたところで、私行きました、ダンカルゴンパもラルンゴンパもナコも。ナコは桃源郷ってこういう所?と思いました。と火を付けておこう。
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meiguanxi at 2007-10-04 17:57
上品なお姉様、お久し振りです^^ あんまりなHNなのでこれからはお姉様とお呼びすることにします(笑)
僕は結局ザンスカールのほんの一部しか見られなかった訳ですが、少なくともその中心部は広々として気持ちの良い場所だという印象です。勿論、経済的な部分は別ですけれど。 そうですか、今度はカナダですか。僕よりずっと色々な所に行ってるみたいですねぇ。それにしても夏前から既に3回目ですよ! ラダック、トルコ、カナダ、その間に蓼科にも行ってるし、ん~、バラエティに富んでるw というか、お金持ちだ^^A; ところで、HPとかブログとか持ってないんですか? ダンカルとかラルンとかコナ、見たいんですけどー! と悔しがってみる・・・
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baaba
at 2007-10-07 19:55
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お姉さまとは誰のこと?じゃ、ばあばはやめて、おばさんにしようかな。お金持ちというのも誰のこと?と思うけど。一年に何度も海外に出てお金無いのよと言うのも嘘つけ、と思われるでしょうね。海外に出て押し売り断わる時お金無いのよと言うと、お金ない人外国に来れない、と云われるようですよね。そう考えるとmeiguanxiさんが私をお金持ちというのは、んー?ですよ。命短し、旅せよおばさん、をモットーに生きています。この年になると時間との追いかけっこですよ。ブログもHPも無いんです。第一私の写真見ても、ナコの素晴らしさは伝わりません。詩情あふれるmeiさんのような、写真は取れません。カメラマンなんでしょう?
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meiguanxi at 2007-10-08 20:35
カ、カメ・・ラ・・・マン_| ̄|○ 今までもいろんな処でいろんな人に言ったのですが、写真に関して僕は全くのど素人です^^A; ここに行って来たよ、という証拠写真、或いは本人があまり写ってない記念写真。それはそうと、そっかぁ、ナコはそんなに素晴らしかったんだぁ。ますます悔しく成っちゃいます・・・
「命短し、旅せよ・・」 ここに来てくれる人達とも話すんですが、本当に段々体力的にも社会的にも旅が難しくなるなぁ~と感じる昨今です。あ、そう言えばレーの銀行での両替は数千円でしたね! 千円札を怪しまれたんだった(笑)
ザンスカールから4ヶ月ですか・・・距離より時間の方が遠い気がするにはまだ早いと思いながらair mail開いています。
何度読んでも、わかればわかるほど怖かったり感謝したりです。 足の具合はいかがですか?寒くなりますから気をつけてくださりませ~!
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meiguanxi at 2007-11-21 18:35
そっかぁ、骨折してるとも思わず痛む足を引き摺りながら岩山のゴンパに登ったり、漸く骨折が判明して石工で固められた足でループトップ・レストランでビールを飲んだりしていたのは、もう4ヶ月も前のことになるんですね。足の具合は、少なくとも傍目には気付かれないだろう程度には回復しました。自分では微妙に引き摺っているのが分かるのですけどね。それと、少し長い時間立っていたり歩いたりするとまだ痛むみたいです。歳ですからね、時間が掛かるのかもしれない^^A;
そうだ、随分前のエントリーに成っちゃったけど、今この記事にコメントくれてあいがとう。なんか、そんな気分です。
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by meiguanxi
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