人気ブログランキング | 話題のタグを見る
エルサレム#1(イスラエル):ヘブライ・イスラエル・ユダヤ
[ 中東主要部略地図 ]
エルサレム#1(イスラエル):ヘブライ・イスラエル・ユダヤ_b0049671_10512951.jpg
   (↑)エルサレム旧市街(城壁より)

                                                       嘆きの壁の上に岩のドーム
エルサレム#1(イスラエル):ヘブライ・イスラエル・ユダヤ_b0049671_9562571.jpg 聖地エルサレム。言わずと知れたユダヤ、イスラーム、
 そして キリスト教、3つの宗教にとっての聖地だ。
 紀元前2000~1500年頃にメソポタミアを追われたセム系
 (後のアラブ主要民族の祖先)遊牧民のある部族は、
 旧約聖書によれば族長アブラハムが神から受けた啓示
 に従ってカナン(パレスチナ)に移住する。パレスチナの
 原住民たちは彼らのことを「川(ユーフラテス)の向こう側
 から来た人」という意味の「ヘブライ」と呼んだ。
 アブラハムの孫ヤコブは天子と戦う夢を見たことから、
 「イスラ(戦う)+エル(神)」と呼ばれる。
 この頃、カナンは深刻な飢餓にみまわれる。この時、
 エジプトで高官に登用されたヤコブの子ヨゼフを頼って、
 彼の一族はエジプトに移住する。彼らはヤコブの子という
 意味で「イスラエルの子等」と呼ばれることに成る。
 ヤコブには12人の息子がいた。
 以後、イスラエル人には12の支族が生まれる。
 エジプトはイスラーム以後、アラブというアイデンティティを
 受け入れていくが、そもそもはハム系民族であり、
 メソポタミアやアラビア半島の民族とは幾分違う。


嘆きの壁
エルサレム#1(イスラエル):ヘブライ・イスラエル・ユダヤ_b0049671_10113835.jpg    やがて時あたかもエジプト新王朝
    ラムセスⅡ世の時代、イスラエル
    人達はこの地での隷属と迫害から
    逃れ、前1250年頃、モーゼに率い
    られてエジプトを脱出し、シナイ半島
    での放浪を経てカナンの地へ再帰
    する。途中、モーゼはシナイ山で、
    ヤーベ(エホバ)神と契約をかわす。
    ヤーベへの帰依とカナンでの安住。
    モーゼの十戒だ。これがやがて
    ユダヤの宗教に成っていく。



メア・シュアリーム地区(旧市街ユダヤ人地区)
エルサレム#1(イスラエル):ヘブライ・イスラエル・ユダヤ_b0049671_10142384.jpg    そして前1025年頃、
    パレスチナの先住民を征服した
    サウル王が、イスラエル12支族を
    統一したヘブライ王国を築く。

    「イスラエルの子等」が
    エジプトに移住してから500年、
    つまりこのヘブライ王国を築いた
    のは嘗てのヘブライ人の一部だと
    いうことになる。




                                                          伝統的なユダヤ人男性
エルサレム#1(イスラエル):ヘブライ・イスラエル・ユダヤ_b0049671_10232776.jpg ダビデ王、ソロモン王の時代に栄華を極め、
 このソロモンがエルサレムにヤーベ神殿を建てる。
 だが、彼の死後、前925年頃、王国は10支族を率いた
 北のイスラエル王国と、2支族を率いた南のユダ王国に
 分裂する。
 ユダというのは、12支族の中の1つの族名で、
 ダビデ王もこの族の出身。
 また、ユダヤとは「ユダの人達」という意味。

 その後、前722年にイスラエル王国がアッシリアに、
 前586年にユダ王国が新バビロニアに滅ぼされる。
 追放されたイスラエル王国の10支族の消息は、
 歴史の中に埋もれて行った。
 一方、ユダ王国の人々はバビロンに強制移住させられる。
 この人たちはその地でもヤーベへの信仰を崩さす、
 むしろ神への帰依という絆によって、
 そのアイデンティティを強めていくことになる。
 何時の日か救い主が現れるというメシア思想は、
 こうした中での必然的希求によって生まれていったのだろう。

 数十年後、オリエントはペルシャ(アケメネス朝)大帝国の                       旧市街の典型的な路地
エルサレム#1(イスラエル):ヘブライ・イスラエル・ユダヤ_b0049671_10394065.jpg 時代に入る。新バビロニアを滅ぼしたペルシャは、
 ユダヤ人達がパレスチナに帰ることを許す。
 属国としてではあったが、ユダヤのヘロデ王は
 新バビロニアに破壊されたヤーベ神殿を再建する。

 しかしその後、支配者はペルシャからギリシャ、
 そしてローマへと移る。
 紀元70年、叛乱を起こしたユダヤをついにローマは滅ぼす。
 これ以後もユダヤ人達は暫くはこの地に残り、
 破壊されたヤーベ神殿の残された外壁を信仰の拠り所に
 するようになる。これが、今日の「嘆きの壁」だ。
 だが2世紀前半、再び叛乱に失敗したユダヤ人は
 離散し、多くはカナンを離れる。

 彼らの子孫を自称する現在のイスラエル人達が、
 再びこの地に彼らの国を造るのは
 1800年以上後、第2次大戦後のことだ。

  (エルサレム#2:イエス=キリストに続く)

エルサレム#1(イスラエル):ヘブライ・イスラエル・ユダヤ_b0049671_9451848.jpg
                                              エルサレム旧市街(シオンの丘より)
by meiguanxi | 2004-10-28 10:58 | 中東・北アフリカ | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード
<< エルサレム#2(イスラエル):... ペトラ遺跡(ヨルダン)岩山に穿... >>